二二
三階の部屋に食事を配るため、あっちに行ったりこっちに行ったり、走り回る私。
ビリーさんはいないけれど、あねさんのおかげでどうにかみんなに食事を配り終えることができそうだ。
「失礼するぞ」
いつものようにレナードさんの部屋へと入って、様子を確認する。
その時、私は気づいた。
スヤスヤと眠るレナードさんのいつもと明らかに違う部分に。
「髪、金」
レナードさんの髪が白から金色に変わっているのだ。
「あれ?」
よくよく観察してみれば、顔にあった皺も消えて、おじいちゃんのようだった外見が、若者に変わっている。張りのある肌に、長いまつげが影を作っていて、まるで彫刻の様だ。
「本物か?」
「クッ、クククク」
寝ていると思った人が急に笑い出したのだから、驚く。
「うわっ」
「本物だ。おはよう、ローズ」
紅い瞳を細めて笑うその顔に、私は驚いた。
若返ったレナードさんは、めちゃくちゃかっこいい。
「レナードさん、かっこいいぞ」
「そうか?」
「うむ、おじいちゃん、ない、若いする、とても、よいぞ」
「魔力が戻って外見も戻ったようだ。これもローズのおかげだな」
「私、何もする、ないぞ」
こんなに元気そうなレナードさんが見れて安心した。
眠っている姿の方が多かったから、こうして、元気そうに話す姿を見れてよかったと思う。
なんて思っていた時のことだった。
「ローズ?」
扉の方向から聞こえてきたその声に振り向くと、そこにいたのはカイリー殿下だったのだ。
キョロキョロと室内を見渡すカイリー殿下は、ベッドの主に目を止めた。
「え……まさか、レナード兄さま?」
心底驚いたと言わんばかりの顔で、そう言ったカイリー殿下の言葉に反応したのは言われた本人だった。
「カイリーか?」
「レナード兄さまなのですか?」
どうやら二人は知り合いらしい、というか、兄弟だから知っていて当たり前かと思いなおす。
「大きくなったな、カイリー」
「……レナード兄さま、お加減がよろしくないと聞いていましたが」
「ああ、今の今まで寝込んでいたんだが」
そう言って手を開いたり握ったりしたレナードさん、最後にギュッと手を握り顔を上げた。
「もう大丈夫だ。ローズのおかげでな」
「ローズ? ローズが兄さまの看病をしているのですか?」
「何を言ってるんだ? ローズはここに」
私の顔を見てそう言ったレナードさんに、私の名前をローズだと思っているのだったと思い出す。
「あー! レナードさん、ご飯、食べるか?」
私の大声に呆気にとられた様子のレナードさんと、不審者でも見るかのような目で私を見るカイリー殿下。
この状況を打破するためにはどうしたらいいのだろうかと、無い知恵を振り絞ってみたけれど、いい案なんて思い浮かばない。
「ローズ、さっきから挙動不審だがどうした?」
ローズと私を呼ぶレナードさんに、カイリー殿下は驚いているようだった。
「ローズ? この女性の名前もローズなのですか?」
「ああ、この子はローズという」
「……そうか、そうだったのか。昨日あの緑髪の男にローズと呼ばれていたのは君だったのか」
まさにその通り、昨日緑の髪のナッシュにローズと呼ばれていたのは私である。
しかし、私はローズという名前ではない、正確にはそう名乗っていた時期があっただけなのだ。
そこで私は閃いた。
「私、ローズ、違う。名前、スズだ。ローズ、ニックネームだぞ」
何をいってるんだという顔が二つ並ぶ。やはり兄弟だからか、同じような表情をしている。
「……ニックネーム?」
ポツリとそう言ったレナードさんに、私は頷いた。そして、立て板に水のごとく喋る。
「うむ、私、ニックネーム、とても、かわいい、ローズ、よい、響き、好き。しかし、ローズ、名前、娘、二人、困るぞ。私、スズ、呼ぶ、よろしい」
ここまで、勢いよく喋り倒した私は呆気に取られている二人に、公爵様直伝の技を使うことにした。
「私、お手洗い、行く」
逃げるか勝ちだと、足を動かす私の前にカイリー殿下が立ち塞がる。
「ちょっと待て」
「なんだ?」
「君は一体何者だ? ローズと名乗っているのか?」
この質問に、うんともすんとも言いたくない私は、奥の手を使うことにした。
「もれる、どいて」
「……は?」
ポカンと口を開けたカイリー殿下に、私は大きな声でもう一度言った。
「もれる! どいて!」
扉の近くで控えていたカイリー殿下の護衛の騎士が、私を凝視していたけれど、足早に部屋を後にする私に声はかからなかった。ただ、後ろから聞こえてきたのは、レナードさんの笑い声だけだ。
レナードさんに事前に身代わりのことが説明できてなかったばっかりに、もれるだなんて恥ずかしい単語をまたもや使うことになるとは思わなかった。やはり、あの時レナードさんを起こしておけばよかったと心底思う。
「もれる、どいて……もう、言う、しないぞ」
この二つの単語を使って逃げられなかったことはないと言った公爵様の言う通り、実際この単語は役には立っているけれど、大人の女性として、もれるはどうかと自分でも思う。
そんな恥ずかしいことがあった後でも、夕食時には食事を届けなければならない。
「レナードさん、失礼、するぞ」
レナードさんは、ベッドの上で体を起こした状態で座っていた。
若者の姿のレナードさんは、やはりとてもかっこよく、目の保養になる。
「ククク、もれなかったか?」
意地悪な質問に、私の顔は熱くなる
「……忘れる、しろ」
「実に愉快だったぞ」
「ご飯だぞ」
「悪いな」
「私、仕事、ご飯、運ぶ、気にする、ないぞ。自分で、食べる、できるか?」
「ああ、そこに置いてくれ」
ベッドサイドのテーブルにトレーを置いた私は、その場で大きく頭を下げた。
「レナードさん、ごめんぞ」
「突然どうした?」
「私、嘘つく、した。ニックネーム、ローズ、違うぞ」
「ああ、なんだ、そのことか」
「うむ、名前、ローズ、違う。スズ、だぞ。嘘、ごめんぞ」
「スズは俺の恩人だ。その恩人が名前を偽らなければならなかった状況にあったというならば、俺はその理由を聞きたい」
そう言われた私は、昨日ナッシュにしたように、なぜ私が魔塔に来て、ローズと名乗っていたのか説明した。時折、短い質問をしてくれるレナードさんのおかげで、昨日よりもスムーズに話ができたと思う。
「なるほどな、カイリーは婚約破棄して、公爵令嬢に毒殺の容疑までかけていたのか」
「うむ、しかし、最近、カイリー殿下、魔塔、通う、ローズ様、ごめん、してるぞ」
「謝って許される範囲を超えている気がするがな」
「浮気、よろしい、ない。しかし、許す、許さない、決める、ローズ様。二人、問題、二人、しかわからないぞ」
そう言った私を紅い瞳を細めて、嬉しそうな顔で見るレナードさん。
なんでそんなに嬉しそうなのか不思議で、思わず首を傾げる。
「そうだな、二人のことは、二人で決める。そして許す、許さないを決めるのは、本人同士だ」
「うむ、そういうものぞ」
「それでは、俺たちの話をしようか?」
「ん?」
「身代わりというスズの立場を考えれば仕方ないが、スズは俺に嘘をついていたことになる」
「ごめんぞ」
「事情が事情だからな、仕方なかったとわかっている。が、嘘はよくない」
「うむ」
「将来結婚をするかもしれない仲の二人ならなおさらだ」
「んん?」
あれ? 私やっぱりまだこの世界の言葉をきちんと理解できてないかもしれない。
だって、単語はある程度覚えているつもりだったのに、レナードさんが言っていることの意味がわからないから。




