二一
その日はいつもと変わらない、シーツがよく乾きそうな晴れた日で、ローズ様は私の後ろをついて回り仕事をしていて、その後ろをカイリー殿下が金魚のフンのごとくついて回り、さらにその後ろを騎士の二人がついて回っていた。
「ローズ」
だから、その声に反応したのは当然ローズ様だったのだ。
「はい?」
「おい、ローズ」
「え?」
「ローズ、こっち向けよ」
その時になって私ははじめて振り向いた。
そして、瞬時にこれはよろしくない状況だと悟った。そこにいたのが、緑の髪の万年反抗期少年ナッシュだったからだ。
ローズと呼びながらも私に視線が向いているナッシュは、私の名前をローズだと思っている。外で仕事があるとかで、ここ最近は魔塔に居なかったナッシュには、私がローズ様の身代わりだと説明していないのだ。
「ローズ」
ナッシュの誤解を解かないといけないけれど、ここでは無理だ。ナッシュをとにかくこの場から連れ出そうと私が動く前に、カイリー殿下がナッシュの前に立ち塞がる。
「君は一体何者だ? ローズの名を馴れ馴れしく呼ぶなんて誰の許可を得ているのだ?」
最初の頃、私のことをブスと呼んだナッシュにローズと呼べと言ったのは私である。
「は? なんだよチビ。俺が呼んでるのはローズだ」
「チビだと?」
カチンときたらしいカイリー殿下がナッシュを睨みつけている。
カイリー殿下の方が年齢は上だけれど、背が小さいので、ナッシュを見上げる形になっているのが、微笑ましいのだけれど、今はそれどころではない。
「うるせえチビだな。どうせ、魔術師が怖いんだろう。どいてろ」
「なんだと?」
「俺が用事があるのはローズだ」
文句を言うナッシュの手を慌てて引く私。
「ナッシュ、黙る。こっち、来る」
「は? なんでだよ」
「なんで、ない。こっち、来る、しろ」
「はああ?」
「早く、歩く、行く、するぞ」
文句しか言わないナッシュの手を引いて、私は少しでもこの場から離れようと必死だ。
カイリー殿下の前でずっと喋らないようにしていたことが台無しだけれど、緊急事態だから仕方ない。
ブツブツと文句を言っているナッシュの手を引きながら、とにかく足を速く動かす。
「おい、ローズ、どこ行くんだよ」
「しー、だぞ。喋る、ない」
「はあ?」
背中に感じる視線を気のせいだと思いたい。ローズ様をチラリと見たら、コクンと頷いてくれたから、多分なんとか誤魔化してくれるはずだ。
背中に視線を感じながら長い三階の廊下を曲がった瞬間、私はナッシュを空き部屋へと連れて入り、きっちりとドアを閉めて言った。
「ナッシュ、私名前、ローズ、違うぞ」
「は? 何言ってんだ?」
「話せば、長いなる、名前、スズだぞ」
「ローズがスズ?」
「うむ。私スズ」
「は? いや、意味わかんねぇ。つーか、さっきのチビ誰だ?」
「さっき、男の子、ナッシュ、チビ言う、カイリー殿下」
「は? 殿下?」
「王様、子供、殿下」
「そんなこと知ってる。そうじゃなくて、あの生意気なチビが王子?」
「うむ」
「それで、ローズの名前がスズで、そのカイリー殿下がなんで魔塔にいるんだよ? 意味わかんねぇ」
なぜか不機嫌なナッシュに私は、最近の出来事を簡単に説明することにした。
私がここにいる理由と、名前がローズではないということ。そしてローズ様とカイリー殿下の関係を。わかりにくいであろう説明を黙って聞いてくれたナッシュ。
「……なんだよ、それじゃあ、俺にローズって呼べって、嘘の名前を呼べって言ったのかよ」
「ごめんぞ」
「俺には本当の名前を教えてくれてもよかったはずだ」
「ナッシュ、ごめんぞ。言う、できないした」
「……俺はお前が黙ってろと言ったら、誰にも言わないのに」
と拗ねるナッシュは、黙って私に持っていた袋を押し付ける。
「これ、なんだ?」
「……やる」
そう言われて、袋を開けた私は驚いた。
「エビチリ」
「そんな名前の料理かは知らないけど、街で偶然売ってたんだ。偶然だぞ。店の前を通ったら、それが偶然売られていたから、買ってきてやったんだ」
エビチリが大好物な私は、カールさんお手製のエビチリを欠かさず食べている。ナッシュは私がエビチリ好きだということを知って買ってきてくれたのだろう。
「ナッシュ、とても、とても、嬉しいぞ。私、エビチリ、とても大きい、好き」
「……別に、偶然売ってただけだからな」
「ありがとだぞ」
「フン、また売ってたら買ってきてやる」
最後はなんとか機嫌が直ったナッシュに、私は安心した。
やっぱり嘘をつくというのは、どこか後ろめたくて、本当のことを言えた後はホッとするのだ。
その後、カイリー殿下がいなくなった頃合いを見計らい、ローズ様と合流した私。
「ローズ様、カイリー殿下、怪しい、思う、してたか?」
「あの後、あれは誰だと問い詰められたわ」
「私、ローズ呼ばれていた、変思う、してたか?」
「いいえ、あの緑の髪の男の子のことを気にされてて、ローズを馴れ馴れしく名前で呼ぶなんて恋人なのかって。スズのことをローズと呼んでいるとは思っていなかったわ」
「バレる、ない、よい。ナッシュ、恋人、勘違い?」
「わたくし、恋人かと言う問いには、はいともいいえとも答えず、恋人でもないカイリー殿下がわたくしのことを馴れ馴れしくローズと名を呼ばないでくださいましとお願いしたわ」
そう言って笑うローズ様に、妙な強さを感じて感心する私。
その後、めげずにローズ様に会いにやってくるカイリー殿下は、私のことは全く気にした様子もなく、眼中にないようで少し安心した。
「本当にしつこくて、殿下がいる時間は仕事が進まないわ」
「うむ、カイリー殿下、めげない、尊敬ぞ」
「……いまさらよ」
時間がないのか短時間しか滞在できないカイリー殿下だけど、その短い時間全てローズ様を追い掛け回いしてる。これはローズ様が折れるのも時間の問題ではないかと思うほどの執念だ。
そんな日々を過ごしていた、ある日のこと。
「おはよう、スズ」
真っ赤な顔をしたローズ様に私は慌てた。
「ローズ様、大丈夫か?」
「……少しだるいだけだから、ゴホッゴホッ」
明らかに大丈夫ではない咳をしたローズ様のおでこに手をあてれば発熱している。
「熱、ある、するぞ。寝る、しろ」
「でも」
「元気、一番、寝る、しろ」
「……わかったわ」
「ご飯、食べる、できるか?」
「いいえ、食べられそうにないわ」
「つるん、さっぱり、食べる、できそう、持ってくるぞ。食べる、できるする、食べる。できない、食べるしない、よろしい」
「ええ」
「薬、あるか?」
「ええ、持ってきてるわ」
ベッドに横になったローズ様に布団をかける。手拭いを濡らしておでこにおけば、気持ちよさそうに目を閉じるローズ様。
「私、様子、見る、する。また、くるぞ」
カールさんに病人食を作ってもらいローズ様に届けたけれど、二、三口食べるのがやっとのようだ。それでもなんとか薬を飲ませればローズ様は眠った。
「私、とても、忙しい。困る、する」
ローズ様の看病もしたいし、三階の人たちにご飯を届けなければならない。一人で動けない人には介助が必要だ。今日は、掃除はなしにしたとしても、手が足りないから、上司であるビリーさんに協力を要請することにした。
さっそく、ビリーさんがいるであろう部屋覗いてみる。
「ビリーさん、いるか?」
「あら、スズちゃん」
「あねさん、ビリーさん、知る、ないか?」
「ビリーなら、朝早く、外で仕事だと出かけて行ったわよ」
「帰る、時間、遅いか?」
「さあ、そこまではわからないわ。スズちゃんどうかしたの? 困りごとかしら?」
「うむ、ローズ様、熱、私、看病、仕事たくさん、助け、欲しい、思うしたぞ」
「あら、私でよければお手伝いするわよ」
「本当か?」
「ええ」
「あねさん、ありがと、ござまーす」
とういことで、ビリーさんはいなかったけれど、あねさんという心強い味方を得た私は、いつものように仕事をこなしていく。あねさんには、できるだけ簡単な仕事を手伝ってもらい、その日はバタバタと忙しかった。
だから、カイリー殿下が魔塔に来たことに気づかなかったのだ。
誤字脱字報告して下さった方、いつも助かっております。
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