二〇
「ローズ様、大丈夫か?」
小声でそう聞いた私に、ローズ様は繋いでいた手をギュッと握った。
「ごめんなさい。スズにも迷惑をかけてしまって」
「私、迷惑、ないぞ。カイリー殿下、話、いいのか?」
「……わたくしが、何度もやっていないと、話しがしたいと言った時には、全く話を聞いてくれなかったの。それなのに、自分が話したいときだけなんてずるいわ」
「うむ、それは、ずるい思うぞ。話、聞く、気分、ない、ほっとく、する」
「フフフ、そうするわ」
「うむ、話したい、思う時、話す、よろしいぞ」
少し笑って歩き出したローズ様だったけれど、すぐに立ち止まり、ポツリと呟いた。
「……本当はね、殿下と話すのが怖いの」
「怖い?」
「わたくしが何を言っても、信じてくれなかった。そんな殿下をもう見たくないわ」
白い頬を流れる涙をハンカチで拭ってあげれば、ローズ様はポツリポツリとカイリー殿下のことを語りだした。
同年代の子に比べると小さくて、泣き虫だったカイリー殿下。
体を動かすことよりも、本を読んだりすることが好きでローズ様が習っていた刺繍を一緒にやったり、男の子よりも女の子のようだったそうだ。
「わたくしが寝込むと、心配だと泣いて布団にしがみついて、泣き疲れて寝てしまったカイリー殿下の顔を見ると、熱がでても気分が優れなくても辛くなかったわ」
成長してからは、自ら城のお庭からお花を摘んでお見舞いに来てくれたり、二人は固い絆で結ばれていたと、そう思っていたと。それがいつの間にか、会う回数が減り、一緒にいる時間がどんどん無くなっていったそうだ。
「後は知っての通り、わたくしは婚約破棄されたあげく、ロゼッタ様に毒を盛ったことにされたわ。それでもわたくしは最後の最後まで殿下がわたくしを疑っているなんて信じられなかったわ」
「寂しい、したか」
「……そうね。寂しくなかったと言ったら嘘になるけれど、ちょうどカイリー殿下と会う回数が減ったころスズに出会ったの」
「私、庭、参上?」
「ええ、スズに言葉を教えたり、毎日なんだかんだと忙しくしていたからか思ったよりも平気だったの」
「私、言葉、わかるない、とても、とても、困るした、ローズ様、優しい、私、助かるしたぞ。ずっと、ありがとう、思う、してるぞ」
私に出会ったころといえば、一年前だ。
ということはカイリー殿下はおおよそ一年前から浮気をしていたことになる。
信じていただけに、裏切られた時のショックは大きいと思う。
顔は可愛いけれど、やっぱり許すまじ、カイリー殿下。
「ローズ様、怒る、当たり前、話す、ない、気持ちなるぞ。私、飛ぶ蹴り、したいぞ」
「スズが? カイリー殿下を蹴るの?」
「うむ。私、まかせろ。できるぞ、多分」
飛び蹴りなんてやったことないけれど、心情としては飛び蹴りがしたいほどムカついているのだ。
「フフフ、ありがとう。そのお気持ちだけで、わたくしは嬉しいわ」
ローズ様はその日から、少し吹っ切れたようで明るい笑顔を見せるようになった。
カイリー殿下はめげずに魔塔に通い、ローズ様との会話を試みている。
最初はカイリー殿下を警戒していた私たちだけど、二回、三回と、数を重ねていくうちに、いつしか警戒心はなくなり、カイリー殿下が魔塔を訪れることが当たり前になってきた。
そんなある日、嬉しいニュースが飛び込んできた。
「スズ、レナード殿下が目覚められたわ」
「レナードさん、起きる、したか?」
「ええ、先程わたくしが部屋を掃除していたら、目を覚まされて、ローズはどこだと聞かれて……」
「私、名前、ローズ、言ったままぞ」
「ええ、わかっているわ。とにかく、スズを探しているようだったから、急いで呼びに来たの」
「部屋、行くする」
「わたくしは、ホワイトさんにレナード殿下が目を覚まされたことを伝えてくるわ」
「ビリーさん 怖い、ないか?」
「魔術師の方が怖くないともう理解しているわ。それでも、全く怖くないと言ったら嘘になるけれど、大丈夫よ」
ローズ様にはビリーさんへの伝言をお願いして、私はレナードさんの部屋に向かった。
レナードさんが起きているとのことだったので、一応ノックをして入室だ。
「失礼、するぞ」
ベッドに近寄ると、レナードさんは横になったままだったけれど、意識があるようだ。
「おはよう、ござまーす。レナードさん、元気か?」
「フッ……相変わらずだな」
元気いっぱいとはいかないけれど、小さく笑ったその顔を見て私は安心した。
「ご飯、食べるか? トイレ、行くか?」
「何か食べる物を頼む」
「私、まかせろ」
大急ぎで食堂まで行き厨房を覗けば、活気のある厨房の中心に赤髪のカールさんがいる。
「カールさん、失礼、するぞ」
「おう、スズ、どうした?」
「レナードさん、起きる、した。ご飯、お願い、するぞ」
「おう、殿下が起きたか、そりゃあ良かったな。飯はまかせろ」
料理長のカールさんとは、一緒に介護食の試作を重ねて、今ではいろんな食事形態を作ってもらえるようになった。 起きたばかりのレナードさんは噛む力も飲み込む力も弱っているからと、食事は軟らか食だ。トロトロに煮込んだ野菜は原形をとどめていないけれど、美味しそうに見えるのは彩りにも工夫がされているからだ。
「カールさん、ありがと、ござまーす」
「おう、足りなけりゃ追加してやるから、いつでも言いに来いよ」
レナードさんは、寝ている時間が長かったからか、思ったように体が動かないようで、私が食べさせることに対して文句を言わなかった。元気な時なら、多少無理してでも自分でやると言う人が、何も言わないのだから自分で食べるのは難しいのだろうと思う。
「カールさん、食べやすい、試す、たくさん、したぞ。飲み込む、簡単、ご飯だぞ」
「そうか、それは、有難いな」
私がレナードさんの口に、一口ずつご飯を入れていけば美味しそうに食べてくれる。レナードさんは起きたばかりとは思えないほどの食欲で食べ進めていく。
それでもまだ体調は万全ではないようで最後の一口を食べるときには、ウトウトとしていた。
「よく、食べる、よく、寝る、元気なる。とても、よい、ことぞ」
「体が軽く感じる気がする。だが、今は眠気が」
「うむ、たくさん、寝る、しろ」
口周りを拭いて綺麗にして、布団をかければ、レナードさんは穏やかな顔で眠っていた。
その時になって私は気づいた。
「あ……私、名前、ローズ、違うぞ」
ぐっすり夢の中のレナードさんには聞こえていなかった。
「まあ、いいか、だぞ」
また起きた時に言えばいい。そう思った私だけれど、この時、レナードさんを叩き起こしてでも自分の名前の訂正をすべきだったと、後に後悔することになるのだ。




