二
それから数日後。
「ローズの無実を証明し、早急に迎えに行く」
「うん」
「うんじゃない、返事は、はいだ」
「はいだ」
「違う、はい」
「はい」
「本当に大丈夫か?」
「私、まかせろ」
「……すごい自信なのが、余計に不安になるのはなぜだ」
「心配、ないぞ」
心配そうにしている公爵様に一つ言っておきたい大事なことがあるのを思い出した私は、公爵様をじっと見つめた。
「どうした?」
「もしも、ばれる、する、私、勝手した、言う、しろ」
「なにを……」
驚きで目を見張る公爵様に、私は念を押すように言った。
「公爵様、なにも知る、ないぞ」
入れ替わりが発覚したら責任を問われるのは公爵様だ。
一応相手は王族だから、王族の命令に背けば罰を受けることになるのではないかと思う。
だから、公爵様は何も知らなかったことにするのがいいのだ。
「そんなこと考えずともよい」
「子供、見える、私、ばれる、する、罰小さい」
この世界で私は、とても幼く見えるらしいから、もしも入れ替わりが発覚したときには子供に見えるというのを利用しようと思っているのだ。
そう説明する私を見て、公爵様は忍び笑いをもらした。
「言いたいことは分かったが、もしもの時は私が全責任を負う」
頼もしい力のこもった声でそう言った公爵様は、最後に私の頭を撫でた。
もしもバレた時にどうなるかなんてわからないけれど、とりあえず言いたいことは言った。
「スズこれからの行動はわかるか?」
もう何度も確認したのに公爵様は心配性だ。
「魔塔、顔、上、しない、下、する」
ローズ様と面識のある人がいたら困るから、できるだけ俯いて歩く。
「それから」
「えーと、体、弱い、たくさん、寝る」
「そうだ。病弱なローズが、いつものスズのように元気いっぱい動き回っていたらおかしいから、大人しくだ」
「うん、喋る、ない」
「それも大事だ」
「まかせろ」
ドンと胸を叩いてそう言った私を見て、公爵様は苦笑いだ。
「スズ、困ったときは、お手洗いだ」
「うん、お手洗い、行く、する」
「そうだ」
真剣な顔で何を教えてくれるのかと思ったら、困ったらトイレに逃げろってことのようだ。
それから公爵様はあごに手をあてて、何かをひらめいたようだ。
「それでも相手がしつこくて、本当に逃げたくなったら」
「ら?」
「もれる、どいて」
「もれる、どいて」
「私の経験上、この単語二つを言って逃げられなかったことはない」
そう言った公爵様は、いつもと違う顔で笑っている。
あれ?
そういえば、もれるってどんな意味?
教えてもらおうと思ったけれど、どうやら行かねばならないようだ。
「合図があるまで動かないように」
「うん」
「うんじゃない、返事は?」
「はい」
「よろしい」
入れ替わるタイミングは城から魔塔に移動する時しかない。
私はこれから公爵家がローズ様に持たせる荷物に紛れるのだ。
「行って、くる、する」
「行ってきますだ」
「行ってきますだ」
「違う、行ってきます」
「行ってきます」
とりあえず言葉が通じればいいと思っている私と違い、公爵様は細かい。
最後まで言葉を教えてくれながらも心配そうな顔の公爵様に手を振り、荷物に紛れるために馬車の荷台に入る。
ガタゴトと馬車の車輪が動き出し、公爵邸が小さくなっていく。
「みんな、いる」
今回の入れ替わりを知る人は少なくした方がいいからと、使用人のみんなには何も伝えなかった。
それなのに、まだ薄暗い早朝、みんな出てきて馬車に向かって手を振っている。
温かい人ばかりいた公爵邸に私は小さく手を振った。
そして、馬車の荷台には、大きめの麻袋が用意してあるから、私はその中に入り、できるだけ身を小さくした。
馬車に揺られながら考えるのは、私がこの世界に来た理由だ。
最初は何か特別な理由があって私はこの世界にきたのかと思った。
もしかしたら誰かに呼ばれてここにいるのかなとか、何かをするためにここに来たのかもしれないと考えたのだ。
けれど、実際は、言葉を教えてもらって、使用人のみんなの雑用を手伝うだけのただの居候だった。
だから、今回の身代わりの話を聞いた時、私はこのためにこの世界に来たのかもしれないと思った。
この世界に来て、初めて人の役に立てそうな気がしている。
「頑張る」
そう決意を新たにして考え込んでいたら、いつの間にか馬車は王城に到着していた。
私によく言葉を教えてくれた御者のおじさんは入れ替わりのことを知っているから、安心だけれど、外から人の声が聞こえた瞬間、一気に緊張感が増す。
小さく深呼吸して、外の会話に耳を済ませれば、ボソボソと話し声が聞こえてくる。
内容まではわからないけれど、おじさんは誰かと会話しているようだ。
しばらくすると、馬車の荷台に陽が差し込んだ。
誰かが荷台の布をめくったのだ。
私は心臓が激しく波立つのを感じながら、声が漏れてしまわないように口を手で押さえた。
「荷物が多いですね」
「ローズ様が困らないように、衣類や寝具を積んできたのです」
「寝具までですか?」
「ええ、ローズ様は体が弱いので」
「荷物運びの手伝いの手配をしておきましょうか?」
「いえ、荷物運び込みは私が引き受けているから大丈夫ですよ。それよりローズ様は?」
「あ、ちょうどいらっしゃいましたよ」
差し込んでいた陽の光がなくなり、荷台は暗くなった。
そして、次の瞬間、ローズ様の声がした。
「ありがとう」
「よくぞご無事で」
ローズ様の声は細く、ささやくような小さな声で、体調があまり良くないのだろうと想像できた。
それでも少しずつ近づいてくる声に、ローズ様が近くまで来ていることを知る。
その時だ。
この場に新しい声がした。
「ローズ」
「……カイリー殿下」
この声の主は、どうやら元婚約者の第二王子のカイリー殿下のようだ。
「自分の犯した罪を認める気になったか?」
「何度聞かれようとも、わたくしはやっておりません」
「はぁー、証人も証拠も揃っているというのに、君はまだ認めないと言うのか?」
「やっていないことを認めることはできません」
ローズ様のその声はさっきまでの細く小さな声ではなく、自信に満ちた大きな声だった。
「元婚約者のよしみで情けをかけに来てやったというのに、君は昔から可愛げがない。反省し、心を入れ替えたら、心優しいロゼッタは謝罪はいつでも受け入れると言っている」
カチンときた。
だって、カイリー殿下はローズ様の言うことなんか一ミリも信じていない。
しかも、浮気した自分のことを棚にあげて話しているところがさらに気に食わない。
怒りたくなるのを我慢している私の耳に、ローズ様の滑らかな笑い声が響いた。
「フフフ」
「何を笑っている」
「わたくしはお優しいロゼッタ様と違い、心の狭い女ですから、わたくしの無実が明らかになっても、謝罪を受け入れるつもりはございません」
私はローズ様の顔を見ていないのにローズ様が今どんな顔をしているかわかる。
だって声音が不機嫌さを凝縮して、凄みさえ感じさせるんだから。
「フ、フン、後悔するがいい」
その声を最後に、カイリー殿下の声は聞こえなくなった。
「失礼します、お嬢様」
暗い馬車中が明るくなる。どうやらおじさんがローズ様を抱きかかえて荷馬車に乗せたようだ。
「お嬢様発熱しています。薬湯を飲んで、今は少しでも体を休めてください」
「ありがとう、そうさせてもらうわ」
それから、馬車が出発してしばらくたった頃、馬車が止まった。
麻袋から顔を出すと、荷台にはローズ様が横になっていた。
ローズ様は寝ているけれど、顔色が悪い。
「薬で深く眠っているからしばらくは起きません」
そう言ったおじさんは、ローズ様をそっと布団に包んだ。
それから、私は荷台で顔色の悪いローズ様を見ていた。
辛そうな呼吸が可哀そうで、私は、額をなでることしかできなかった。
「ゆっくり、休む、しろ」
「ん……」
「私、まかせろ」
多分ローズ様には聞こえていないけれど、私なりの決意表明だ。