一六
それから二日後。
三階の廊下の掃き掃除をしている時のことだった。
「スズ」
誰かに呼ばれた気がして振り返るけれど、そこには誰も居なくて。
気のせいだったかなと思っていたら、また声が聞こえてくる。
「スズー」
「ん?」
この声はもしかしてと思って、慌てて階段を駆け下りる。
そこにいたのはローズ様だ。
持っていたであろう荷物を放り出して、駆け寄ってくる。
「スズ」
「ローズ様」
私と同じぐらいの背丈のローズ様が、走った勢いのまま抱き着いてくるものだから、私は受け止めるので精いっぱいだ。
「ごめんなさい。わたくしのせいで、スズが身代わりに」
下を向いたまま涙声でそう話すローズ様の顔を覗き込む。
真っ白な美しい頬に、涙が一筋。
「ローズ様、泣く、よろしい、ないぞ。可愛い、顔、泣く、ダメぞ」
キョトンとした顔も可愛いのだから、さすが美少女。
「ローズ様?」
「ウフフフ、なんだか懐かしいわ。スズのそのお話の仕方が、とても懐かしくて……ずっと会いたかったわ」
「うむ、会う、久しぶりだぞ。元気か?」
「ええ。おかげさまで、ゆっくり休ませてもらいました」
そっと涙を拭うローズ様は、相変わらず透き通るような白い肌だ。
服は煌びやかなドレスを着ているわけではなく、動きやすいワンピース姿だけれど、気品を感じさせるのはさすが公爵令嬢である。
私とローズ様が顔を見合わせて笑い合ったタイミングで、公爵様がそっと近づいて来た。
「スズ、ローズのことを頼んだよ」
「私、まかせろ」
ドンと胸を叩いてそう言った私に、ローズ様は相変わらずねと笑う。
カイリー殿下が魔塔を訪れるのは一週間後だそうで、ローズ様は一週間私と一緒に魔塔で過ごすこととなった。
ローズ様は私よりも五つ年下の十七歳、しっかりしているとはいえ、日本で言えばまだ高校生だ。
仕事はもちろん、私はローズ様のお世話をする気満々である。
「ローズ様、部屋、案内、するぞ」
ローズ様が来ると決まってから、隣の空き部屋もバッチリ掃除して、ローズ様を迎える用意をして待っていたのだ。
「部屋、行く、前、ビリーさん、会う、するか?」
「ビリーさんとは?」
「うむ、ビリーさん、上司。体、とても大きい、男。髪ライオン、とても良い人」
私の説明に首を傾げるローズ様に、公爵様は言った。
「今回の件、協力してくれる方だ。私とこの後、会う約束をしている、ローズも荷物を置いたら、スズとおいで」
ということで、私はローズ様の手を引き、二階の個室へ案内する。
「ローズ様、部屋、ここぞ」
ローズ様を案内した部屋は私の隣の部屋で、全く同じ造りである。
庶民の私からすれば、十分な部屋だけれど、公爵令嬢であるローズ様から見れば、多分恐ろしく狭い部屋に感じているであろうと想像できる。だって、公爵邸のローズ様の部屋に比べるとあまりにもお粗末なのだから。
けれど、部屋を見渡したローズ様の口から文句が出ることはなかった。
「ローズ様、隣、私、いる。困る、する、助けて、いつでも、よいぞ」
「フフフ……スズ、頼もしいですわ」
「うむ、私、頼る、よろしい」
「はい、よろしくお願いしますね」
「具合、悪い、すぐ、言う、しろ」
ローズ様はとにかく体が弱い。ここには侍女がいるわけではないから、私がたくさんお世話をする予定だ。
「ビリーさん、部屋、行く、するぞ」
「ええ、ご挨拶に伺いましょう」
ゆっくり歩いて移動しながら、私は魔塔の説明をする。
と言っても、一階が食堂で、二階が部屋、三階が仕事場ということしかわからないけれど。
「三階より上は何があるのかしら?」
「知る、ないぞ。四階、上、立ち入り禁止、聞く、した」
一番最初に魔塔の説明を受けた時に、四階からは立ち入り禁止と言われたから、私は三階までしか行ったことがない。
そんな話をしながら、私とローズ様はビリーさんと公爵様がいるであろう一階の応接室へと移動した。
私は忘れていた。
魔術師が普通の人に恐れられている存在だということを。
だから、部屋に入ったローズ様がビリーさんを見た瞬間、後ずさった理由がわからなかったのだ。
「ローズ様? どうした?」
「あ、いえ、な、なんでもないわ」
胸の前で組んだ小さく震える手に、違和感を感じたけれど、私が考えるより先に、その場に明るい声が響いた。
「おいおい、スズとローズ嬢では、全く違うじゃないか。よく身代わりになろうと思ったもんだ」
「私、ローズ様、髪、色、同じ。背、同じぞ」
「同じところが髪の色と背の高さ以外ないと思うが」
呆れたように笑うビリーさんに、私は返す言葉もない。
「お初にお目にかかります。ローズ・トンプソンと申します」
綺麗な礼をしたローズ様は、さすが公爵令嬢だ。
対するビリーさんもにこやかに対応する姿は紳士のようである。
「ビリー・ホワイトです」
「うむ、挨拶も済んだことだし、私はそろそろお暇しよう」
公爵様を見送った私とローズ様。
私は、少し不安そうな顔をしたローズ様の手を引いて歩き出した。
「ローズ様。ご飯、食べる、するか?」
「え? まだ食事の時間ではないわ」
「うむ、おやつの時間、するぞ。食堂、カールさん、料理、うまい、すぎるぞ」
「カールさん?」
「料理長、名前、カールさんだぞ」
「スズは凄いわね。誰とでも仲良くできて、羨ましいわ」
「ローズ様、みんな、仲良しなる、できるぞ」
不安な時や、少し寂しい時は、美味しいご飯を食べると元気が出る。
私はそうだから、ローズ様にも美味しいご飯を食べて元気になって欲しいと思う。
「ローズ様、つるん、さっぱり、美味しい、あるぞ」
食の細いローズ様でも、つるんとして食べやすいデザートがあるのだ。
「いただこうかしら?」
「うむ、行く、するぞ」
甘味は偉大である。
不安そうな顔をしていたローズ様が、カールさんお手製のデザートを口にした瞬間、ごぼれんばかりの笑顔を見せてくれた。
「まあまあまあ。なんと美味な」
「うむ、うまい、すぎる。私、言った、通りぞ」
私が作ったわけではないけれど、自慢気になってしまう。
「私、おすすめ、プリプリ、噛む、ジュワー、口の中、うまい、すぎる、あれだぞ」
私が指さす先にある料理は、私のお気に入りの勝手にエビチリと名付けた料理だ。
「とても、美味しそうね」
「うむ、うまい、すぎる、毎日、食べる、してるぞ」
「毎日食べていますの?」
「うむ、世界一、うまい、すぎる」
「わたくしも食べてみたいわ」
「食べる、しない、一生、後悔、するぞ」
「まあ、スズがそこまで言うほど美味しいということね」
「うむ、カールさん、天才ぞ」
そんな私たちの会話が、厨房に丸聞こえで、その日のカールさんの機嫌が物凄く良かったらしいと知るのは後日である。




