一三
ビリーさんはあれから、丸一日眠り元気になったらしい。
元気になった途端、溜まっていた仕事を片付けると言って、レナードさんの部屋に書類を持ち込んで仕事に励んでいる。
「今までは、俺が三階の療養者の世話をしてたんだ」
「ビリーさん、世話、する、人か?」
「いや、レナード殿下の補佐だ。俺の属性は光だし、療養者の診察をしてたら、いつの間にか世話をする羽目になったんだ」
「一人、世話、するか?」
「昔は、世話係がいたらしいが今はいない。俺一人では、掃除しようにも手が足りなくて、人を雇ってもすぐに辞めてしまうし、どうしようもできなかったんだ」
確かに思い返してみれば、出会った時のビリーさんはなんだかヨレヨレでくたびれて見えたし、隈があったのを思い出す。
「掃除、私、まかせろ」
「おう、だが、今日は俺も久しぶりに療養者の様子見がてら手伝おう」
「うん、人、たくさん、大変、ビリーさん、手伝う、助かるぞ」
「は? そんなに人がいるのか?」
「人、増える、したぞ」
私がここに来て、三階にいる人が増えることはあっても減ることはなく、日々、仕事が増えている。
今の人数が多いか少ないかはわからないけれど、一人一人をゆっくり見れなくなってきているのは間違いない。
「書類は後回しだ。行くぞ」
「うん、行く、するぞ」
それからは、凄かった。
ビリーさんが。
「おい、こら、魔力満タンになったのなら、自分の部屋に帰れ」
「いやよ。ローズちゃんのマッサージは格別なんだから」
「いやよじゃねえ。帰れ」
「ローズちゃん、私がここにいたら迷惑かしら?」
「迷惑、ないぞ」
「おい、ローズは黙ってろ。いいか、できるだけ喋るな、わかったか?」
上司の命令に私はコクコクと頷いた。
それからビリーさんは、グラマラスな赤髪の美女を追い出した。
「じいさん、あんた、元気だろう?」
「儂はもう歳だぞ、もっと優しく扱え」
「何言ってんだ、いつもは年寄り扱いするなとうるさいくせに。元気なら部屋に帰れ」
青い髪のおじさんを追い出して。
同じようなやり取りを、十人ほどとするのを私は隣で眺めていた。
ビリーさんが口を挟むなと言うので、私は黙って扉近くで待機だ。
「モニカ、部屋に帰れ」
「嫌です。絶対に嫌です」
「ここは療養者が療養する部屋だ」
「だってここにいればローズさんと一緒に居られるんです」
そして、モニカを追い出そうとして、苦戦しているところだ。
口を挟むなと言われたけれど、モニカの熱い視線に耐え切れず、さすがに黙っていられなくなった。
「モニカ、部屋、遠いか?」
「魔塔の中ですけど、私の部屋は上の方なんです」
「モニカ、私、ここ、いつも、いるぞ。会う、する、できるぞ」
「でも、ローズさんも忙しいでしょうし」
「うーん、一緒、ご飯、食べる、するか?」
「一緒にご飯……」
「ご飯、一緒、美味しい、幸せ、なるぞ」
なんとかモニカを説得して、モニカは自分の部屋へ帰ることとなった。
モニカの荷物をまとめるのを手伝ってから部屋を出れば、ビリーさんが言った。
「おい、一体、どうなってるんだ?」
「ん?」
「誰も彼もが、部屋に帰ることを拒否しやがって、今までなら考えられないことだ」
「そうか?」
「ローズは一体何をやってたんだ?」
「私、何も、するないぞ、掃除、ご飯、布団、綺麗、したぞ」
「……悪いことじゃないんだがな」
「うむ、よいことぞ」
「まあいい、とりあえず次の部屋行くぞ」
それから、ビリーさんはみんなの部屋を訪ねて回った。
すると半数以上の人がもう元気になったのに、ずっと三階の部屋へ居座っていたことが判明した。
最後はナッシュの部屋。
ナッシュは昨日まだ体がだるいと言っていたから、居座っているわけではないと思う。
そう、私は思っていたのだけれど、違ったようだ。
「ナッシュ……お前もか」
「なんだよ、いきなり入ってきて」
「元気になったら自分の部屋へ帰れ」
「な、俺は、まだ、体がだるいんだ」
「嘘つけ」
「……うるさい」
「俺の目が誤魔化せると思ってるのか?」
「言われなくても、帰ろうと思ってたんだ」
プイっとそのまま出て行ってしまったナッシュ。
「……ナッシュ、怒る、してたぞ」
「あいつは万年反抗期だからいいんだ。それにしても、居座る奴らが多すぎたことに俺は驚いてる」
「みんな、元気、なる、よいことぞ」
そう言った私を妙な顔で見つめるビリーさん。
「魔塔には魔術師しかいない。ここでは差別されることも、迫害されることもない。ガキの頃にここに連れてこられる奴、物心つく前には魔塔にいた奴、大人になって自分の足で魔塔に来た奴、いろいろいるが、みんなここで暮らしている」
「魔術師、たくさん、いるのか?」
「まあな。魔術師は仲間意識が強い分、外部の人間を内側に入れることはないんだが……今回は違ったようだ」
首を傾げる私に、ビリーさんは、何やら一人頷いた。
「ありのままを受け入れる、きっとそれが心地いいと感じるんだろう」
と、何やら一人納得した様子のビリーさんはスタスタと歩いて行ってしまう。
「ビリーさん、待つ、する」
「なんだ?」
「私、部屋、掃除、する、よいか?」
「ああ」
三階には療養する人が来るから、次の人が使えるように部屋を綺麗にしておかなければならない。
「掃除、私、まかせろ」
その日から、私の生活に少し変化があった。
まず、三階の療養者が減ったことで前より仕事が楽になった。掃除する部屋も、ご飯を運ぶのも数が少なければすぐに終わるから、時間が増えた私は、以前からやりたかったことを実行する。
「髪、洗う、するぞ」
今まで時間がなくて、人の体は拭けても髪までは洗えなかったのだ。大きめのタライを発見した時に、髪を洗うのに使えると思って用意しておいたのだ。
「レナードさん、失礼、するぞ」
ベッドから頭だけ、少し出して、タライを台に乗せて近づけて。
「よい、感じだぞ」
ぐっすり眠っているレナードさんは起きることはないけれど、髪を洗えば気持ちよさそうに見える。
髪をしっかりと拭いて、体も拭いて、服も着替えさせる。
「うむ、綺麗、さっぱり、早く、元気、なる、よいぞ」
タライを外に運んだ私は、その場でしばらく休憩をすることにした。
自分の服も濡れてしまったから、日向ぼっこしながら乾かしたかったのだ。
少し休憩と思って、その場に座った瞬間、不意に声を掛けられた。
「お嬢ちゃん、ちょっといいかな?」
その人は、背が大きく、茶色の長い髪を一つに束ねた男の人だった。紺色の制服は、城の騎士が着ていたものと同じだ。
「なに?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「あなた、誰だ?」
「怪しい者じゃない。王国騎士団の者だ」
紅い瞳ではない人をみるのは久しぶりだ。
「ここにローズという令嬢がいるかな?」
「い、いるぞ」
思わずドキッとした私。
「ローズさんの様子を教えてもらいたいんだが」
「働く、してるぞ」
「へぇ、本当に働いているのか。ローズさんの様子を知りたくてね。詳しく教えてもらえるかな?」
パチンとウインクをしてそう聞かれた私は、多分イケメンの男の人の顔などどうでもよかった。
「お手洗い、行く、する」
「え? ちょっと、待ってよ。やっと聞けそうな人が出てきたのに」
私が行きたい方向に立ち塞がる相手に、私は最後の手段を使うことにした。
「もれる、どいて」
「え?」
「もれる、どいて」
脳裏に公爵様のいたずらが成功したような顔が浮かぶ。
もれるという単語の意味、ちゃんとモニカに聞いて調べた私。
大人の女性として、絶対使わないと思っていた単語だけど、このピンチを乗り切れるなら何度でも言おう。
「も! れ! る! どいて」




