一
私はこの度、とある令嬢の身代わりに立候補した。
とある令嬢とは、公爵令嬢のローズ・トンプソン様だ。
第二王子の婚約者だったローズ様は、先日婚約破棄をされた。
第二王子は、ローズ様というものがありながら男爵令嬢と恋仲になっていたのだ。しかも、ローズ様が二人の仲睦まじい姿を目にされ、嫉妬に駆られ、毒を盛った殺人未遂の罪に問われているのだ。
「我が娘のローズがそんなことをするなんてあり得ない。しかし、男爵令嬢の侍女がローズが毒を盛ったところを目撃したと言っている。それが嘘が本当かもわからぬのに、あの小童め」
目の前で、怒り心頭なのは、ロマンスグレーの品のいい紳士。
ローズ様の父親の公爵様だ。
心優しいローズ様が、毒を盛るなんてあり得ないと思っているのは一緒だから私も同意するように大きく頷いた。
現時点では、男爵令嬢の侍女の目撃証言だけだけれど、第二王子は、ローズ様に処罰を言い渡したのだ。
処罰の内容は、なんと労働。
貴族の令嬢にできることではないし、病弱なローズ様に耐えられるわけがない。
そこで、ローズ様に大きな恩がある私は、この度身代わりに立候補したのだ。
「私、まかせろ」
ドンと胸を叩いて笑顔でそう言った私だけれど、なぜかローズ様のお父様の公爵様は乗り気でないようだ。
「髪、色、同じ、背、同じ、ばれる、ないぞ」
グッと親指を立ててそう言った私を見て、公爵様はため息を吐いた。
「気持ちは嬉しいが、却下だ」
「なぜ」
「確かにスズの髪は、トンプソン家特有の黒髪だし、背格好もローズに似ているが……」
「が?」
「喋ると一発でアウトだ」
「うっ……私、言葉、覚える、頑張る、した」
「うむ、スズが頑張って言葉を覚えたのは知っている」
「喋る、難しい」
この国の言葉を必死に覚えたまではよかったけれど、喋るのはどうしてもうまくいかないのだ。
この国の人は、早口で、みんな歌うように喋っている。
微妙な発音の違いで意味が変わるらしく、単語を喋れても、単語と単語を繋いで歌うように喋るのは私には難しすぎたのだ。だって私は昔から音痴だから、同じように発音したつもりでも、違う音程になり、意味が違ってしまうらしい。そこで、意味が通じているのならよしとして、スラスラ喋るのは諦めたのだ。
「私、喋る、しない」
喋らなければバレないから大丈夫だと思うけれど、公爵様は言った。
「スズ、ローズのためにありがとう。しかし、スズが自分の身代わりになったとローズが知ったらどう思う? きっとローズは喜ばないよ」
「でも」
「スズの気持ちは受け取った、いい方法がないか私も考えてみるよ」
そう言って話を終わらせた公爵様に私は何も言えなかった。
けれど数日後、私は、とある噂を耳にし、居ても経っても居られなくなり、公爵様の執務室に突撃した。
「どうした?」
「私、行くぞ」
「スズ、前にも話をしたが」
「ローズ様、お世話、なる、した。たくさん。たくさん」
ある日、突然、世界が変わった。
地球の日本で生まれ育った私、鈴木ひなの、当時の年齢は二十一歳だ。
忘れもしない、一年前のあの日は仕事が終わって家に帰り、いつも通り寝た。
そして、起きたら異世界の公爵家の庭園にいた。
最初は夢を見ているかと思ったけれど、目覚めた時に、知らない外国人に囲まれて、知らない言葉で話しかけられて、混乱して泣きそうになった。
そんな人生の大ピンチの時に、私を助けてくれたのが、ローズ様なのだ。
ローズ様は優しくて、使用人にも気づかいを忘れず、とても年下とは思えないほど、しっかりしている。小さな頃から体が弱いらしく、色白で線の細い守ってあげたくなる女性だ。
言葉が通じない私に、根気よく言葉を教えてくれて、この家に住まわせてくれたのだ。
だから。
「ありがとう、したい」
「スズ」
「恩返す、今」
真っ直ぐに公爵様を見つめてそう言ったら、公爵様は、大きく息を吐いた。
「スズ、本当にローズの身代わりになるつもりかい?」
「うん」
私は公爵様とローズ様に、救われたのだ。
公爵様だって、突然現れた言葉も喋れない私がこの家に住むことを許してくれた。
だから、二人が困っていたら助けたいし、役に立ちたいのだ。
「しかし、スズはまだ子供だ」
「子供、ちがーう、二二」
「なに?」
「二二」
「……そうか、スズはまだ数字は習ってないんだな」
習った。バッチリ習った。百までは完璧に数えられるけれど、今は年齢はどうでもいいのだ。
「噂、聞く、した。ローズ様、熱出た」
「……まったく、どこからその話を聞いてきたんだか」
「みんな、話す、してる。ローズ様、働く、体、無理」
処罰を言い渡されたローズ様は、城で軟禁されているらしいけれど、心労からか発熱しているらしい。
体が弱いローズ様は、普通に生活しているだけで季節の変わり目には体調を崩すし、少し無理をすればすぐにベッドの住人になっているのだ。
「私、体、元気、たくさん、たくさん、元気」
力こぶを作ってそう言った私に公爵様は驚いたように目を見張った。
ここまでくれば、もう一押しだ。
「身代わり、探す、知ってる、でも、難しい」
「私がローズの身代わりを探していると、屋敷で噂になっていたのか?」
「うん、みんな、話す、してる」
屋敷の中はローズ様の噂で持ち切りだ。
みんなに好かれているローズ様の身代わりになりたい人はたくさんいた。
「ターニア、メリー、ララ、みんな、身代わり、行く、言った」
侍女長だって、メイドのみんなだって、男の人さえも、みんなみんな、代わりになりたいと言っていたのだ。
「みんな、無理、でも、私、髪、色、珍し、同じ」
トンプソン家特有の黒髪と同じ色なのは、私だけなのだ。
髪を一房掴んでそう言った私を見て、公爵様が諦めたように苦笑いを浮かべた。
その瞬間、私は自分の勝ちを確信した。
「私、まかせろ」
ドンと胸を叩いてそう言った私を公爵様はなぜか微妙な表情で見ているから、心配いらないよとわかるように、ニッコリと笑った。
そんなこんなで、入念な打ち合わせに入ることになった。
「スズ、労働とはわかるか?」
「働く、する」
「そうだ」
「山、穴、掘る?」
「なぜ、山で穴を掘るんだ?」
なぜって、厳しい労働のイメージは、鉱山で働かされるぐらいしか思い浮かばなかったのだ。罰と聞いたからてっきり厳しいものかと思ったけれど、どうやら違うらしい。
「魔塔はわかるか?」
「あ、うん、魔法、使う、変な人、住む、高い場所」
「誰だ、スズに言葉を教えたのは」
言葉を教えてくれたのはローズ様をはじめ、公爵家の使用人の皆さんだけれど、これは言わない方がいいだろうと思った私は黙った。
「まあいい、魔塔の中に介護施設がある、そこは万年人手不足で、そこでの労働をと言われている」
介護施設という単語に、私の思考は停止した。
「これでもましな選択をなんとか、もぎ取ってきたのだが、すまない。塔にいてくれれば安全は保障されるはずだから」
「最高、いい、嬉しい、好き、素敵、気持ちいい、楽しい、カッコいい、かわいい」
「は?」
介護施設だなんて、嬉しすぎると思った私は、嬉しい時に使う知っている単語を並べてみた。
「前、働く、する、した」
「なに? スズは働いていたのか?」
「働く、する、した。嬉しい、たくさん」
そう、私は、こちらの世界に来る前は介護の仕事をしていた。
両親は共働きで忙しく、祖父母に育てられた私は小さなころからお年寄りが大好きだった。
だから介護施設で働いていた。もっと利用者さんの役に立ちたくて、スキルアップを目指し、いろいろな介護の資格をとろうと日々頑張っていたのだ。
こちらの世界に来てから、介護施設で働くなんて無理だろうと思っていたから、これからまた介護の仕事ができるなら嬉しくてたまらない。
「スズ、今から大事なことを話す」
「大事、聞く、する」
浮かれていた私だけど、大事な話と聞いて、佇まいを正した。
「ローズは、病弱で社交界にはほとんど顔を出していない。魔塔にローズの顔を知っている者はいないと思っていい」
「うん」
「が、油断大敵だ」
「私、喋る、しない」
口の前でバツ印を作った私を見て、公爵様は何とも言えない顔をした。
「……できるだけ喋らないのは大事だ」
「まかせろ」
「本当に大丈夫か?」
私はその言葉に、グッと親指を立ててニコリと笑った。