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キュプロ・ミノア文字(I.ことはじめ  II.観光誘致の粘土板)

作者: 板堂研究所(Bando Research Corporation)

 エンコミの粘土板(1885番)に関し、当初、各記号を単音節として読んだら、日本語訳が訥々として、こなれない感じでした。その後、複雑形の記号は、複数の音節を表す合成記号と捉えて、解読し直したら、内容が大幅に変わってしまいました。

 お恥ずかしい次第ですが、クレタ聖刻文字、インダス文字などの研究成果を踏まえ、標準的な記号に追加された支線の数など細かく数えつつ、更新した結果なので、今の内容の方が明らかに正確と考えます。

 I. ことはじめ


 今まで古代ギリシャの線文字Aにつき、日本語として解読する研究を続けてきたが、一定の成果が得られたところで、キプロスの古代文字に目を向けた。古代ギリシャ語との2か国語テキストを見つけたのである。

 キプロス島は、地中海東部でトルコとシリアに挟まれた一角にあり、美の女神アフロディーテ生誕の島として知られている。青銅器時代にはアラシヤ(ALASIYA)と呼ばれ、銅の有名な生産地で、クレタ島、レバント地方、エジプト等と交易していた。島がギリシャ語でKuprosと呼ばれる様になり、その結果、銅がラテン語でCuprum、英語でCopperとなった由。(注)

 ここでは、青銅器時代晩期の紀元前1500年頃から、ミノア文明の線文字Aから派生するキュプロ・ミノア文字 (Cypriot Minoan script)が使用されていた。これを線文字Cと呼ぶ事もある。約80種類で、表音文字に加え、表意文字もあった。背景言語は土着のキプロス祖語(Eteocypriot)で、実態は不明とされる。

 紀元前1200年頃、地中海東部で青銅器文明の同時崩壊が起こり、ミケーネ文明の崩壊と共に、古代ギリシャ語を記録する線文字Bも失われた。紀元前1200年はトロイ戦争の推定年代だが、J.チャドウィックは「線文字B 古代地中海の古代文字」の中で、この戦争後にギリシャ人の植民活動が始まったと伝承され、キプロスの西部に証拠がある旨言及している。紀元前1000年紀初めの青銅器には、キュプロ・ミノア文字でギリシャ語が刻まれており、線文字B喪失の後、漸くギリシャ語の文字記録が復活したと見られる。

 ヘロドトスは「歴史」の中で、紀元前5世紀のペルシャ戦争の原因を究明し、先行要因としてアナトリア(小アジア)の南西でアケメネス朝ペルシャに対する反乱が勃発し、これにアテネが加担した事、またキプロスでも反乱が起きた旨解説している。紀元前4世紀には、アレクサンドロス大王がペルシャを征服し、その後、ヘレニズム時代に入る。キプロスは、エジプトのプトレマイオス王朝に支配され、ギリシャ化が進む中でキプロス音節文字は失われ、ギリシャ文字が残った。(この様な経緯からキプロス音節文字は、線文字Aの系譜で、紀元前3世紀頃まで生き延びたシーラカンスとも言われる)

 1979年にJ.チャドウィックは、キプロスの古代文字と日本語の文字に類似性がある旨指摘したものの、地理的隔たりがあまりにも大きいので両者は無関係、と整理した由。(出典:G.オウェンズ)キプロスの古代文字は、日本では研究者が少なく、紹介する書籍等も少ないと見られる。しかしミノア文明の線文字Aに続き、キプロス祖語も日本語だろうと睨み、ネット情報を頼りに、2か国語テキストを含め解読作業に着手した。


(注)エジプトの新王朝(紀元前1360年-1332年頃)のファラオ、イクナートン(アメンホテプ4世。後継者はツタンカーメン)の都テル・エル・アマルナから出土したアマルナ文書(外交文書のつづり)の中には、アラシヤの王からエジプトのファラオに宛てた、銅の交易に関する親書もある。


(年表)


 紀元前1500年頃~ キュプロ・ミノア文字(線文字C)の使用。 

 前1450年 クレタ島で線文字Aが失われ、線文字Bで古代ギリシャ語を記録。 

 前1200年頃 地中海東部で青銅器文明の同時崩壊(線文字Bの喪失)。ギリシャから植民。

 前10世紀頃 キュプロ・ミノア文字が消え、キプロス音節文字が登場。

 前8世紀初頭 ギリシャ文字(フェニキア文字から開発)の最古の例、土器に。

 前709年 アッシリアのサルゴン2世、キプロスの7人の王に勝利。

 前627年 アッシリアのアッシュルバニパル王、死去。キプロスの解放。

 前570年 キプロス、エジプトにより征服される。

 前525年 アケメネス朝ペルシャにより征服される。

 前499年 ペルシャに対する「イオニアの反乱」。

 (反乱をアテネが支援。キプロスのアマサス王国は不参加)

 前493年 鎮圧される。 

 前490年 ペルシャ戦争(マラトンの戦い)

 前480年 同上(サラミスの海戦)

 前435-374年 キプロス・サラミス王国のエヴァゴラス1世時代。(ギリシャ文字を公用に)

 前431-404年 ペロポネソス戦争 

 前334年 アレクサンドロス大王の東征。

 前330年 アケメネス朝ペルシャの瓦解。

 前323年 アレクサンドロス大王死去。ヘレニズム時代が始まる。

 前294年 キプロス、エジプト・プトレマイオス朝に支配される。

  (キプロス祖語やフェニキア語が消え、キプロス音節文字が失われる)

 前58年 キプロス、ローマに併合される。



 II.   エンコミの粘土板(1885番)


 キュプロ・ミノア文字は、線文字Aから派生し、基本的に開音節(子音+母音)が単位である。簡潔な解説が、「地球ことば村」のサイト「世界の文字」にて、「ミノア文字」中、「キュプロ・ミノア文字」に掲載。

 ここで扱う粘土板(1885番)は、1955年、キプロス・エンコミの砦の中、銅の製錬場で発見され、3行にわたりキュプロ・ミノア文字が刻まれている。紀元前1525‐1425年頃と推定されている。

 J.チャドウィックが「線文字B‐古代地中海の諸文字」の中で、図30に掲載。Y.デゥウー(Yves Duhoux)のネット論文「Cypro-Minoan Tablet No.1885」に も登場する。またB.コレス(Brian Colless)のサイト「Early Enkomi Tablet」では、ローマ字転換されているが、難解な合成記号も多い。ついては音価を調整しつつ、日本語として解読を試みた。


1. 単純な解読


 各記号を基本的に一音節と捉えた場合、次のとおり。


 上:LA A SA NA MU WA LO YA

 中:KA KO TI ME DETE SE TI

 下:NI KE TA E LO I


(右から左へ)


 上:野郎は、無念そうだ。

 中:「らちせい(何とかしてくれ)!」。外に出て、飯、乞うか(乞食になるか)?

 下:火炉が猛るので/ 拾ってやったのに。


(左から右へ)


 上:悩みの原因は、この牢屋。

 中:こんな囲い地から、出てやる。

 下:逃げたら偉い!/ 人間だ、耐えろ。


2.精密な解読


 その後、基本形から逸脱する記号に関し、合成記号(複音節)と捉えて「癒しの」ルールを適用し、改めて解読したところ、以下の通りである。


(1)上の行


(ア)記号の音価


 左から右へ、8つの記号に番号を付せば、次の通り。


 ①舌の形の記号:LA/SITA。あるいは「U」形をインダス文字風にWAとし、その左上から垂れる短い斜線を、I/YA/SI/NOと読み込む。


 ②キプロス音節文字の、(NU/RU)-SI:中央に短い横棒が加わっているので、(NU/RU)-SI -(I/YA/SI/NO)。あるいは橋の形から、HASI-(NI/RA) -(I/YA/SI/NO)。


 ③TAとSAを掛け合わせた記号:SATA。


 ④Y.デゥウーによれば、線文字A風にTO。B.コレスによれば、NA: TONA。


 ⑤ユリの花の様な記号:逆さのTI、インダス文字風のRI(三角屋根)、線文字A風のYUの合成記号として、TI-RI-YU。


 ⑥線文字A風に、WA。


 ⑦LO。あるいは縦横の棒を分離し、(I/YA/SI/NO)- (I/YA/SI/NO)。

 ⑧YA。


(イ)解読(右から左へ)


 YA LO WA   TI-RI-YU  TONA  SATA 

[(NU/RU)-SI)] /[HASI-(NI/RA)]-(I/YA/SI/NO) LA/[WA-(I/YA/SI/NO)] /SITA


 野郎は、ユリ地/湯治里に、との沙汰 知るや、ワシら/記したし。


(注)「野郎」からの便りだが、ユリの花を模した、⑤の記号が「ユリ地」と読めるので、ユリの花の挿絵入りと推測される。


(ウ)解読(左から右へ)


 LA/[WA-(I/YA/SI/NO)] /SITA [(NU/RU)-SI)] /[HASI-(NI/RA)]-(I/YA/SI/NO) SATA TONA


TI-RI-YU WA LO/[(I/YA/SI/NO)- (I/YA/SI/NO)] YA


 NOWA/SITA NO-SI-NURU SATA NATO  YU-RI-TI WA LO/(I-YA) YA


 縄橋に、通そうと、な/ 下の死ぬる沙汰。何と、揺れ地は、いやや。


(2)中の行


(ア)記号の音価


 左から右へ、7つの記号に番号を付せば、次の通り。


 ①キュプロ・ミノア文字のKAを右に倒し、左側を半円で閉じた記号:


 右側の太字の「三角屋根」を独立させれば、KO。中央の十字は、LO。 左側の半円は、SO/I/YA/SI/NO。従って、KO-LO-(SO/I/YA/SI/NO)。


 ②TI。他方、「丸屋根」が左右に分離しているので、下の縦棒を加えた「三画」として、(I/YA/SI/NO)×3。


 ③TI。他方、上部の半円をSO/WAと読めば、(SO/WA)-(I/YA/SI/NO)。


 ④左右の縦線で、NI/RA/HASI。中央は、上下にKO、あるいは菱形でWOと捉え、(NI/RA)- (KOKO/KONI/WO)。


 ⑤TE/DEが2つ上下に繋がっているので、2×(TE/DE)。更に、左右6本ずつの横棒が3本ずつに分離しており、(3×4)本と見做せば、(SA/MI)-(SI/YO)。合わせて2(TE/DE)-(SA/MI)-(SI/YO)。


 ⑥SEとTA/DAの合成記号で、SE-(TA/DA)。


 ⑦TI。あるいはKOに斜線で、KO-(I/YA/SI/NO)。TI/[KO-(I/YA/SI/NO)]


(イ)解読(右から左へ)


 TI/ [KO-(I/YA/SI/NO)]  SE-(TA/DA)  2 (TE/DE)-(SA/MI)-(SI/YO )

(NI/RA/HASI)- (KOKO/KONI/WO)   TI /[(SO/WA)-(I/YA/SI/NO)] 

  TI/3(I/YA/SI/NO)   KO-LO-(SO/I/YA/SI/NO)


 KONO/TI DA-SE DE-TE-MI-YO

  HASI-KOKO  SO-YA

 YASINO/TI KOLOSI/ KOLOYA


 この地だぜ、出てみよう。橋は、ここ。そうや。ヤシの、地の殺し/チンコロや。


(ウ)解読(左から右へ)


 KO-LO-(SO/I/YA/SI/NO) TI/3(I/YA/SI/NO)   TI /[(SO/WA)-(I/YA/SI/NO)]

(NI/RA/HASI)- (KOKO/KONI/WO)   2(TE/DE)-(SA/MI)-(SI/YO )

 SE-(TA/DA)    TI/ [KO-(I/YA/SI/NO)]


 KO-LO-NO I-YA-SI TI/(WA-SI)

 KOKO-NI DE-TE-MI-YO SE-DA KO-TI-YA


 コロンの癒し。ワシら、ここに出てみよう。そうだ、こっちや。


(注)記号④、⑤が、渡ると揺れる、縄の橋の漫画になっている。


(3)下の行


(ア)記号の音価


 左から右へ、6つの記号に番号を付せば次の通り。


 ①同じ地点から、左右上方に伸びるヤシの木。左右それぞれ、SA+(I/YA/SI/NO)とすれば、2×[SA+(I/YA/SI/NO)]。


 ②TIの左右に毛が生えた形。左側では、上下3本ずつで、計6本。右側では(4+2)本に分離しているので、TI-2(MI/SA)-YO-NI。


 ③SA/TAの上部に大きな点があるので、(SA/TA)+(I/YA/SI/NO)。


 ④KOの左右に短い支線。左側は、(2+1)本。右側は、[の形を成す2本なので、KO-(NI/RA)-(I/YA/SI/NO)-(NI/RA/WA)。


 ⑤十字(LO)の末端4箇所に支線で、LO-4(I/YA/SI/NO)。


 ⑥Iの中央に横棒が1本、加えられている。上部に開いた輪が成立しているので、I-(I/YA/SI/NO)-WA。


(イ)解読(右から左へ)


 I-(I/YA/SI/NO)-WA  LO-4(I/YA/SI/NO)

 KO-NI/RA-(I/YA/SI/NO)-(NI/RA/WA)  (SA/TA)+(I/YA/SI/NO) 

 TI-2(MI/SA)-YO-NI  2[SA+(I/YA/SI/NO)]


 I-WA-YA  NO-IYASI-LO  KO-NI-YA-WA  TA-NO

 TI-MISA-YO-NI  SAYA-ISA


 岩屋の癒し楼。今夜は、楽しみさ。世にさよう、言うさ。


(ウ)解読(左から右へ)


 2[SA+(I/YA/SI/NO)]  TI-2(MI/SA)-YO-NI (SA/TA)+(I/YA/SI/NO)   

KO-NI/RA -(I/YA/SI/NO)-(NI/RA/WA) LO-4 (I/YA/SI/NO)  I-(I/YA/SI/NO)-WA


 NI-SA-YA  SA-MI-TI-YO-NI SATA-YA

 KO-NI-YA-WA  YA-SI-NO-I-LO I-WA-I


 兄さんや、寂しい夜に、やったさ! 今夜は、ヤシの慰労、祝い。


(4)まとめ


(ア)3行の通読


「野郎から『ユリ地/湯治里に居る』との沙汰をワシらに記したわ。縄の橋を渡ると、な。揺れ地は、いやや」。


「この地だぜ、出てみよう。橋は、ここ。そうや。ヤシの、地の殺し/チンコロや。コロンの癒し。ワシ、ここに出てみよう。そうだ、こっちや」。


「岩屋の癒し楼。今夜は、楽しみさ。世に、さようなら、言うさ」。


「兄さんや、寂しい夜に、やった! 今夜は、ヤシの慰労、祝い」。


 キプロス/エンコミ旅行の経験者から現地の噂を聞き、自らも行く気になり、訪問した、との話の流れである。因みに保養地として、キプロス/エンコミを宣伝する原典は、他にも見られる。


(イ)物語に沿った漫画


 〇1行目の中央の記号は、ラン/ユリの花に酷似するが、ランは、キプロスの有名な花である由。


 〇2行目の②と③の記号(左右の目)、また3行目の②の記号(髭の生えた口/ ヤシの実)を合わせて見れば、酔っぱらったヒゲ親爺の漫画となる。(この両目は、TI-TIとも読めるが、粘土板を上下逆さにすると、今度は怪しげな漫画に変貌)


 〇 2行目の記号④、⑤は、渡ると揺れる、縄の橋の漫画である。


 〇3行目の左端の記号は、2本のヤシの木。


 〇粘土板を上下逆さにすると、右手の下方、2行にわたり、目の吊り上がった人物の顔が登場するが、出発前の疲れ切った顔だろう。


(ウ)右側・側面の写真


 右側の写真は、粘土板の右側面と見られるが、2つの記号があり、上の行、右端2つの記号と同様で「牢屋」と読め、留置所の扉を模している。


 3.総合


 冒頭1.の単純な解読と比べると、2.精密な解読では「癒しの」ルールにより、かなり違う結果が得られたが、(ほぼ全ての記号を一音節と捉えた)1.の内容は廃棄すべきでなく、2.の内容と繋げて、一つの物語と捉えるべきだろう。

 すなわち「火炉の仕事場に耐えられず、逃げた仲間がいた。その後、彼から保養地にいる旨、ユリの挿絵入りで、便りが来た。それに誘われて、自分も同地を訪問してみた」との筋書きである。

 保養地の宣伝目的の粘土板であり、二通りに読める様に、緻密な計算を凝らし、また隠れた漫画が入る様に、綿密に工夫された逸品である。 

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