結:繋ぐ徒花 弐
「すおうはね、人を食べるだけで…とてもいい子なんだ」
森の奥深く、少し開けたそこに見晴らしの良い湖があった
春の陽気は満ち満ちて、気持ちの良い風が吹き抜ける
見飽きた無数の徒花の蕾も、一層赤が映えて見える
遠くではすおう、と呼ばれている鬼の子が無邪気に蝶と戯れている
それを愛おしそうに眺めながら、彼―シロは話した
「意味がわからない、なんて一蹴しないでほしい
本当のことなんだ」
心を読まれてる
そんな異常を目にしてても、物腰が柔らかい彼に危機感は抱けなかった
私を食べようとした、すおうにしてもそうだ
「君はずいぶんと変わってるね」
「それでねクチナシ、すおうはとてもいい子だから、傷ついているものを助けようとしてしまうんだ」
「食べるときは別だよ
彼女は口に含むまでに覚悟を決める
そして口に含んで初めて、食べ物になるんだ」
「そう、まるでちぐはぐだろう?
でも、それが彼女にとってのこの世なんだ
彼女にとっての、ニンゲンなんだ」
日が昇り
日が沈み
日が昇り
日が沈むたびに、すおうは人を口にする。
初めは見ていられなくて、ずっと目を瞑って隠れていた
聞こえてくる叫び声、断末魔、蛙の潰れたような音
そして水を打ったような静寂が訪れる
その静かさに耐え切れずに出てみれば
目に入ったのは、一面血に濡れた社の床などではなく
その真ん中で力強く抱きしめるシロと
何もかも失ったような顔で抱きしめられる、すおうだった
彼女が私から目をそらすのがどうしてか嫌だった
村にいた自分を、重ねてしまった
お前は私たちとは違うものだと、相手にされない
いつしか誰とも目を合わせようとしなくなった、自分
すおうの生き方を見ないことにしようとした自分が、嫌になった
私も人を食べるすおうを、ちゃんと見ることにした
人が食べられるのを見るのは、正直苦しくてしょうがなかった
自分と同じ形をしたものが、“食べ物”になる
何も知らなかったら叫んで逃げ出していただろう
でも、すおうはもっと苦しい顔をしていた
彼女は飢えを満たす唯一の方法が、地獄の道だったのだ
でも、彼女は地獄を進む
生きているから
それが彼女の生きることができる道だから
それがシロと歩むことができる、唯一の方法だから
でも、それでも
すおうは人間をただの食料と見ることはなかった
口をきけない私は世の中に絶望していた
でもすおうの地獄はそれが馬鹿らしく思えるような惨状で
それでもなお、心を持ち合わせながら生きることを選んでいたすおうを、ただ支えたいと思った
私は彼女と遊び始めた
口をきけないことが何か、いくらでも遊ぶ方法などある
私は、彼女が笑っているほうが好きなのだ
いつしか、すおうは私のことを名前で呼び始めた
「―――クチナシ!文字を教えてあげる!」
「それはいいね、僕の教えの復習になるだろう」
「クチナシともっと話したいからね!」
いつしか、シロも優しい笑顔を向けてくれるようになった
「クチナシ、具合が悪そうだな、今日は僕のぶんも食べなさい」
「具合悪いの?じゃあ膝枕してあげる!」
「ふふ…クチナシ、嬉しそうだね」
食べごろの柿をかじり、嘔吐し痛みに転げまわるすおう
抱き締めて、そんなことはしなくていいと叫ぶシロ
痛みに耐えながらとシロに笑いかける、すおう
「いつか、一緒にいられるよ」
あくる日の昼下がり
いつか来たあの湖に呼び出したシロは、私に言った
「クチナシ、もう君は一人でも生きていけるだろう」
ああ、もうこの日が来てしまったのだ
暖かい関係だった
家族でなくとも、人でなくとも、こんなに幸せな気持ちになることはあるのかと思ってしまうほどだった
でも、ずっとは続かないのだ
私はニンゲンで
シロはきっと神様で
すおうは、鬼なのだから
けど
「このままじゃすおうはいつか、ニンゲンを食べたくなくなるだろう
それは、僕が許さない
すおうは、生きてていい存在なのだと、僕は信じてる
だから」
心が読めなくてもわかる
きっとシロは名残惜しく思ってくれてる
すおうも、私がいないと知ったら、落ち込みそうだ
それでも、シロは決断する
心を読めてしまう孤独さも、私に対する優しさも
すおうに対する有り余る愛情も、全て抱えて
彼女が幸せになるように決断するんだ
最初はあんまりに大人びて見えたものだけど、シロの年齢は、私よりも少し上ぐらいだった
すおうは、食べてる量が少なすぎて幼く見えるが、シロと同い年らしい
それでも二人は残酷な世界を歩む
立ち止まらない
わかってるよ、シロ
私もすおうに生きてほしい
すおうに人間の友達はできちゃいけないんだ
ニンゲンは食べ物なんだから
だから、出ていくよ
シロは、悲痛そうに顔を歪める
ああ、こんな時も隠そうとするからそんなに表情にでちゃって…
でも、きっとそんなシロだから、すおうも好きなんだろうね
頑張れ、シロ
私を救った神様は、もっと自信を持たなきゃ
「それこそ、クチナシに言わなきゃいけない言葉じゃないか」
その物言いがあんまりに優しすぎて、つい笑ってしまった
そのまま私は振り返り、歩き出す
口がきけなくても、お別れが言えなくても
思いが通じ合うことを噛みしめながら
私は二人の元を去った
ここまで読んでいただきありがとうございます。
すおうとシロは、ずっと二人で暮らしていたように見えて、その生来の優しさから人を生かしてしまう時がありました。
大抵はすおうの“食事”の景色に耐えられず、逃げだしたり、すおうを殺そうとしたりします
(そんな心の機微はすぐにシロに悟られて対処されてしまいます)
これはその中でも、唯一すおうに向き合ったクチナシという女の子の話です
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