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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【短編版】婚約破棄は合言葉

作者: 蘇枋

「キリアン・カルフーンの名において、エイファ・マクラウドとの婚約を破棄する!」


 自分の王立貴族学園卒業パーティーという舞台において、白銀色の髪と青い瞳をもつ容姿端麗な第二王子が、常日頃の優雅さとはかけ離れた声を上げた。

 突きつけるその指の先にいるのは婚約者であるエイファ・マクラウド侯爵令嬢。巻き毛の黒髪は艶やかにその背を覆い、森のような緑色の瞳を細めて美しく微笑んでいる。


「理由をお聞きしても?」

「お前がサーシャにした仕打ちの数々を忘れたのかっ」


 キリアンがしっかりと腰に手を回し抱きかかえるのは栗色の髪をもつありふれた顔立ちのサーシャ・セルド男爵令嬢。

 今年入学したエイファと同学年の令嬢はどんな手段を使ったのか、瞬く間にキリアンとその側近三人を虜にした。その様子を婚約者であるエイファは傍観するばかりと思われていたので周囲からは騒めきが起こる。

 常に四人の誰かと共にいた令嬢は、茶色の瞳で周囲を見回し、どこか困惑した表情を隠せずにいた。


「どんな仕打ちをわたくしがセルド男爵令嬢にしたとおっしゃるのでしょう?」

 少しの動揺も見せないエイファにキリアンたちの周りにいた男が進み出る。


「サーシャへ何度も暴言を吐いた」

 宰相補佐官の弟であるコルムが告げる。


「サーシャの教科書を破り捨てた」

 第二軍団長子息であるオーエンが問い詰める。


「サーシャのドレスにわざと飲み物をこぼした」

 外交事務官の孫であるニールが突きつける。


「平民上がりの男爵令嬢ごときに、侯爵令嬢であるわたくしがそのようなことをするとでも?」

「彼らが見ているのだから間違いはない!」

「で、殿下……」


 キリアンが離そうとしないサーシャの方が、エイファよりもはるかに動揺していた。


「ああ、サーシャは何も言わなくていいよ。怖い思いをたくさんしたのだからね。すべて私に任せておきなさい」

 側近三人からの矢のような糾弾を追い風にしてキリアンは宣言した。


「国外追放を命じる! お前のような者が愛する我がルフェヴ王国で息をしていることすら耐えがたい! 早々に連れ出せ」


 その命を受けてエイファの腕をつかもうとするオーエンを素早く扇で制すると、キリアンに向けて極上の笑顔とともに言い放った。


「殿下、これでみなさまとは今生の別れとなるやもしれませんので、ご挨拶だけでもさせてくださいませ」

「よかろう、忌々しいお前の望みを叶えてやる寛容な私に感謝するのだな」

「せっかくの場にてお騒がせいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。そしてこれからのみなさまのご多幸をお祈りいたします」


 少しも悪びれず、見事な礼をするエイファこそがその場の主役だった。





******





 何の根回しもしていない勝手な婚約破棄。政略的なものではなかったキリアンとエイファの婚約だったが、父である国王の怒りは周囲の予想以上に大きかった。


「キリアン! お前は何ということをしたのだ」

「なぜお怒りになるのですか、父上。あのような女を王族に迎え入れたら我が王家の恥になります!」

「黙れ!! この愚か者めが……」


 国王の厳命でキリアンは王族としての身分を剥奪され、サーシャとともに僻地へ送られた。母親である王妃は一年ほど前から体調を崩しており、このような事態になっても姿を見せることはなかった。側近三人もそれぞれ生家から放逐され、何処かへ姿を消した。


 一方国外追放されたエイファもまた行方が知れなかった。

 卒業パーティーから退出したその足で国境近辺まで移動させられ、そのまま放り出されたということはすなわち死ねということと同義であった。


 父親のマクラウド侯爵は娘の悲劇に心身を壊し、爵位の返上を願い出た。

 もともと野心もなく要職についているわけでもない侯爵の望みはあっさり叶えられ、気候の穏やかな保養地へ隠棲することになった。





******





 まだ朝靄の晴れぬ時間、国境付近の街道から少し離れた森の中で、若い男女が言い争う声がする。


「殿下、私がいてはご迷惑になるばかりです。どうか私のことはお捨ておきくださいませ」

「サーシャ…、君まで僕を捨てるのか?」

「そうではありません!」

「逃がさないよ、絶対……」

「殿下…」


 エイファと同じようにと、身一つで放り出されたキリアンとサーシャである。

 足手まといにならぬよう身を引く、と訴えるサーシャの腕を強く掴むとキリアンは少し口角をあげた。


「だって君、これからエイファを探すように命じられているだろう?」

「なっ、なぜっ」


 聞いたことのない凄みのある声とともに見つめてくる深い青の瞳には、剣呑な光が宿っている。

 これが今まで恋に溺れていた王子だろうかと、サーシャは自分の目を耳を思わず疑った。


「男爵令嬢なんて作られた身分で、お前が王家の工作員かつエイファの監視役だったことは知ってたさ。本当は目立ちたくなかっただろうに、表舞台に引っ張り出されて慌てただろう」


「遅くなりました。殿下」


 キリアンの言葉に息をのむサーシャの背後から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「殿下じゃないだろう、オーエン」

「ニールの言う通りだ。これからは誰の耳がどこにあるかと、より一層慎重にならねば」


 現れたのは、コルムにオーエン、そしてニール。

 キリアンの取り巻きでサーシャのご機嫌伺いばかりするような男たちだった。

 特筆すべきことのない凡庸な人間、そのはずだったのに。


 背後にいた二人に両脇を取られ、残りの一人に口を塞がれたサーシャの目に鈍く光る剣先が映る。


「どうせ俺を殺すように命じられていただろうから、まったくの冤罪でもないしな」


 キリアンの言うことを否定する時間も、すべて事実であると肯定し慈悲を乞う時間も与えられなかった。

 ためらいなく差し出された剣は抵抗もなくサーシャの胸に刺さった。


「お別れだ、サーシャ。お前に生きていられると面倒だ」


 ずっとサーシャに愛をささやいてきていた愚かな王子という仮面はきれいに取り払われて、ああこれが本性なのかと理解する前にサーシャの鼓動は止まった。


 

「やはり持っていました」


 身元が分かるような物を身に着けていないか確認していたコルムが、サーシャの服の隠しポケットから小瓶を取り出す。


「毒、だろうな。俺がいつか持ち主に返そう」


 コルムから瓶を受け取るキリアンの顔は自信に満ち溢れていた。



「オーエン、エイファは?」

()()()にてお待ちです」


 その言葉通り、国境を越えて馬で半刻ほど行った先の街でキリアンとエイファは再会した。


「エイファ!!」

「キリアン!」


 駆け寄って抱き合う二人のあとから側近たちが追い付く。


「キリアン様、早すぎです……」

 思わず愚痴をこぼすニールにキリアンは当然という顔で応えた。


「一秒でも早くエイファに会いたかったからな。馬にも伝わったんだろう」

 キリアンが騎乗したのは一番足の速い馬であるのは間違いないが、その応えも嘘ではないのだろう。寄り添うエイファの頬に軽く手を添えると、晴れやかに笑っていた。



 隣国のリドゥア帝国は国力も充実した大国であり、地方都市もルフェヴ王国よりはるかににぎわっている。五人は人であふれる食堂で食事をとりながら自分たちが起こした騒動について振り返った。

街の食堂に溶け込めるよう、目立つキリアンはフードをかぶったままだし、エイファも豊かな黒髪が目立たぬようきつく編み込んでいる。何より五人ともこういったことには慣れていた。


 口火を切ったのはエイファである。


「あの嫌がらせは少々弱くありませんか?」

 エイファは自分を糾弾した三人に苦笑いを向ける。


「あの場だけでのでっち上げですけど、わたくしのしたこととしてみなさまの記憶に残るのですからもう少し……」

「申し訳ありません。我々には令嬢の嫌がらせというものがいまひとつ理解できず、つい子供のいたずらのようなことを言ってしまいました」


 コルムが応え、同感だと生真面目にうなだれる他の二人の姿にキリアンが助け舟を出した。


「そんなことより、エイファが予定外のことを言い出したから俺は焦ったぞ」

「あら、あれはわたくしの本心ですわ」

「本心ですか?」


 オーエンが不思議そうに問いかけると、エイファはあの場にいた面々を思い出し、憐れむように続けた。


「ええ、きっと今生の別れになる方々ばかりでしたから、少しでも早く目が覚めて正しい方へ進めることを祈って差し上げましたのよ」

「ふっ、そうだな。今まで何も考えずに好きに生きてきた貴族の子女ばかりだったからな」


 キリアンのその言葉に側近たちも力強く頷いた。




 宿の一室で二人きりになったあと、エイファがキリアンに問いかけた。


「それで彼女は?」

「置いてきた」

「そうですか」


 どこへどうと言わないキリアンにエイファも簡潔に応えを返した。そんなエイファをじっと見てキリアンがつぶやくように問いかける。


「俺が怖いか?」

 

 ごくわずかにある不安な想いを敏感に感じ取ったエイファは、それを打ち消そうとキリアンの手を握りしめた。人を殺めてきたであろうその手を強く。


「いいえ。キリアンの望みがわたくしの望みです。そのためなら何ひとつ怖くありません」


 きっぱりと言い切るエイファをキリアンはきつく抱きしめた。



 ニールが祖父を通じて帝国に用意してくれた邸に到着したキリアンは、婚約破棄を告げた時よりもずっと穏やかにしかし力強く宣言した。


「さあ、始めようか」





******





 最初の発火地点は旧マクラウド領だった。

 マクラウド侯爵家が爵位を返上したのちは王領となり管理官が派遣されていた。

 それまで侯爵家が治めていたころの領内は王国一税率が低い土地だった。

 大きな産業もなく、決して肥沃な土地柄でもなかったマクラウド領では高い税金など課してしまえばすぐに立ち行かなくなる。

 それを十分知っていた侯爵家同様に、領民も贅沢をせず暮らしていけることに満足していた。


 しかし管理官はそんな事情を理解するわけもなく、王家の威を借り好き放題にやりだした。

 一年目、以前の1.5倍の税金を課せられたがそれまでの蓄えでなんとか永らえた。

 しかしニ年目にさらに課税されることが発表されたとき、領民の不満は頂点に達した。


 豪奢に作り替えられたかつての侯爵邸に、武器を持った領民が押し寄せ、管理官は重傷を負って逃走した。

 鎮圧に向かった地方の駐在部隊が、あろうことかあっけなく敗走し、戻ってきた指揮官が泣き叫ぶように報告した。


「農民の暴動ではありません。武装もしっかりとした正規の軍人たちの集団でした!」


 その報告は軍が箝口令(かんこうれい)を敷く前に、旧マクラウド領から地方へ伝わり、不満の多い領地のあちこちで同じような事態が発生していった。


 宰相補佐からの指示で第二軍団が各地へ派遣されることになり、暴動は沈静化するかと思われた。

 しかし鎮圧に向かったはずの第二軍団は刃を交えることなく、そのまま敵へ合流した。

 王家を中心とした中央の高位貴族たちはようやくこれが『反乱』であることに気がついた。

 もはや軍隊といっていい勢力の先頭に立っていたのは、二年前に行方不明になったキリアン第二王子であったのだから。


 第二軍団だけでなく、隣国リドゥア帝国の正規軍を連れたキリアンは堂々と宣戦布告した。


「王家などなくなっても困りはしないが、そこで生きる民がいなくては国など成り立つわけがない。そんな簡単なことを忘れて、私利私欲に走る貴族や王家を一掃する。誇りで腹が膨れるのなら、誇りとやらだけで生きていくがいい」





『婚約破棄』それは反乱計画実行開始の合言葉だった。





******





 エイファがキリアンの婚約者となったのは8歳のときだった。

 年頃の令嬢を集めたお茶会の後、キリアンから指名されたのである。


「婚約の件、了承してくれてありがとう。マクラウド侯爵令嬢」


 二つ年上のはずだがその年齢以上に物おじしない堂々とした態度に、エイファは固い微笑みを返すのが精いっぱいだった。

 そんなエイファにキリアンはどこか作り笑いめいた笑顔を向けた。


「僕、この国が苦手なんだよね」

「えっ?」

「父上も母上もぜいたくが大好きで、血統が大事で、自分たちが一番偉いと疑わない。上がそうだから貴族も同じような考え方で。君を選んだのは数多くいた令嬢の中で、一番地味な装いだったから。そんな理由で選んじゃってごめんね」


 子供らしくない笑顔はそのままだったが、言葉にうそがないことは感じられた。


「い、いいえ、殿下。我が家はあまり豪華な生活ができるわけではないので…。ですからわたくしは殿下のようにちゃんと考えていたわけではなく……」


 エイファはぜいたくができない環境であるといった高位貴族としては恥ずべきことをキリアンにきちんと伝えた。その真摯な態度に自分の目は間違っていなかったと満足した。

 

「君となら苦手なこの国でも生きていけるかも。僕と一緒にいてくれる?」


 柔らかく微笑んだその顔はエイファから見てもちゃんと嬉しそうだとわかる顔で、そのことにホッとしたエイファはごく自然に笑って頷くことができた。





「エイファ嬢、頼みがあるんだ」


 そう言ってキリアンがエイファに引き合わせたのは男女二名だった。

 壮年の男性は左腕がなかった。若い女性は額から右頬にかけてひどい火傷の痕があった。


「父上の命の恩人と、母上の暴力の被害者だ」


 二月ほど前、王宮で国王暗殺未遂事件が起きた。護衛騎士の一人が毒が塗られた剣から身をもって国王を庇い、国王は無傷だった。騎士も命は取り留めたが、引き換えに左腕を失った。

 

「『片腕の騎士など見苦しい』と父上は彼を辞めさせた。『護衛なら当然で、むしろ国王の身を危険にさらした』と何の恩賞も報酬も与えずにね…」


 エイファは女性のことは知っていた。王子妃教育の一環として出席している王妃とのお茶会の席で、何度か見かけたことのある侍女である。

 もちろんその時は火傷などなかった。むしろたいへん愛らしく可愛い顔立ちだった。


「母上が父上を誘惑しただろうと言い出して…。どうせ父上が彼女のことをそんな目で見ていただけだろうに」


 まだ12歳のキリアンが大人のような溜息をついて嘆いている姿にエイファは胸が痛んだ。


「おまかせください、キリアン様。お二人は我が家で働いてもらいますので。たくさんお給金は出せないかもしれないけどそれでもいいかしら」


 少しでもキリアンの負担を軽くしたくて、頼まれるだろうことを先に口にした。そんなエイファを見て二人も納得した表情を浮かべる。


「ご厚情に感謝いたします」

「喜んでお仕えさせていただきます」

「ありがとう、エイファ嬢」


 礼を言うキリアンの笑顔にエイファは胸が温かくなるのを感じていた。





「いつもありがとうございます」


 月に一度行われる侯爵家でのお茶会に、必ず花束を持ってやってくるキリアンから、エイファは嬉しそうにそれを受け取った。


「花束しか贈れていないけどね」


 キリアンが贈るのはいつも王宮の庭で咲き誇る季節の花々だった。いまもエイファの手ずから部屋に飾られている。


「兄上が予算以上に遊興費を使うせいで、その埋め合わせがこちらに来ているから。先日そのことに苦言を呈した文官を『王太子に不愉快な思いをさせた』と強引に僻地へ左遷させたらしいし」


 キリアンより4歳年上の王太子は、これ以上ないほどの王族だった。自分が特別な存在で、思い通りにならないことは何一つないと信じ込んで、人を傷つけることに罪悪を感じず、人から傷つけられることなど決して許せない。

 婚約者であるキリアンとは正反対の王太子を思い浮かべ、花を生けるエイファの表情も曇った。

 

「キリアン様…」

「エイファがそんな顔しなくていいよ。笑ってくれたら元気が出る」


 エイファを慰めるように止まってしまった手を軽く握ると、キリアンは聞こえない程度の声で呟いていた。


「……愚かな君主なんていない方がいいのに」


 左遷させられた文官をエイファはこっそりマクラウド領に引き抜いた。元々必要があって僻地に赴任したわけではないので周囲には何の疑問も抱かれなかった。



 キリアンとエイファが婚約してから五年、15歳になったキリアンは学園へ入学した。

 夏季休暇でマクラウド領を訪れたキリアンは、領地にいたエイファに学友を紹介してきた。コルムとオーエンとニールの三人である。


「お初にお目にかかります、マクラウド侯爵令嬢」

「殿下から貴女様のことは聞き及んでおります」

「我々三人、貴女様へ最大級の感謝を捧げます」


 エイファに侍女として仕えてくれている火傷を負った女性ユリアは、コルムとその兄の幼馴染であり、兄とはお互いに憎からず思い合う仲だった。

 あんな事件があり、自分から身を隠してしまったユリアをコルムもその兄もずっと探していたそうだ。


 エイファの剣の師匠となった隻腕の元護衛騎士グレッゾは、オーエンの父が就任する前の第二軍団長であり、オーエン親子はたいそう世話になっていたらしい。グレッゾに会って誰よりも大きな体のくせに号泣するオーエンにエイファは感激して涙ぐみ、キリアンは少々呆れていた。


 ニールは父である現マクラウド領官に会って、元気そうな姿に安堵していた。母方の祖父である外交事務官は母子は守ってくれたが父のことまでは庇いきれなかった。僻地で冷遇され、いいように使い捨てられる前にマクラウド領に移れたことをとても感謝していた。


「キリアンはわたくしを使うのが上手ですわ」

「不満か?」

「こんな手をした婚約者でもご不満でなければ」


 差し出したエイファの手はキリアンの薦めで剣を習っているせいで、美しい手とはいいがたい状態になっている。いまは公式の場では手袋を外すこともできない。

 けれどキリアンがそれを瑕疵とするはずがないことをエイファは十分に知っていた。


「世界一美しく優しく愛おしい手だよ」


 指先ではなくいびつになった手のひらに優しく口づけを落とされ、エイファも蕩けるような笑みを浮かべていた。





******





 王家や貴族がどれほどの力があると言っても、動くのは『人』である。高位貴族たちが身分をかさに着て命令したとしても、それが実行されなければ力ではない。

 強制徴兵された民衆が唯々諾々と従うはずもなく、逃亡し反乱軍へ従うものが大量発生した。

 キリアンたちは帝国から援助を受けているらしく、膨れ上がる人数を養うだけの財力もあった。


 賢明な思考ができる貴族たちは、むやみな抵抗で血を流すことを避け、そういった貴族に対してキリアンたちも礼節を守った。

 一方で領民を虐げる貴族や、自らの既得権益を奪われることに我慢できないような貴族たちは容赦なく制圧していった。


 結果キリアンが姿を見せてたった三月で、反乱軍は一度も敗北することなく王宮へ到達した。


 

 王宮の奥向きはかなり複雑な構造をしている。それは侵入者を惑わせ、王家の者を逃がす時間稼ぎとするためである。

 しかしそこで育った者には何の意味もないことで、キリアンはすぐに父である国王と相対することができた。


 剣を鞘に納め、ガクガクと震える父親を熱のない目で見降ろす。国王を守ろうとする者はもはやどこにもいない。


「さて、国王、あなた次第だ」

「余次第とは」

「潔く自裁するか、民衆の前で処刑されるか、どちらがいい? ちょうどここにあなたが俺に使おうとした毒もあるが」


 予想通り、サーシャが持っていた小瓶を見せつけると疑問ではなくさらなる怯えの表情を見せた。


「よ、余は」

「ああ、王太子は一足先に行ってるはずだ」

「なに?」

「そうだな? エイファ」


 キリアンの後ろには二年前と変わらぬ鋭利な美貌のエイファが立っている。ドレスとは程遠い服装で細身の剣を帯刀したその姿がキリアンには何よりも美しく見えた。


「はい、こっそり抜け道を使って逃亡されようとなさっていましたが、出口で待ちかまえておりました」

「敬語なんか使わなくていい。で?」

「民衆の前に置いてきました」

「さすが。よくわかってる」


 ほめられたエイファの頬は喜びで赤く染まる。もしもの時はとエイファに抜け道を教えた王妃は半年前に没しており、もはやこの世にはいない。決して尊敬できる人物ではなかったがそのことには感謝していた。

 

「お前はこうまでして王という至高の座に座りたかったのか?」

 贅を尽くすことも権力を振るうことにも興味がなかった己の息子の変貌が信じられないが、結局その程度の理由しか思いつかないらしい。

 自分と同じ価値観の中でしか人をはかれない父親にキリアンは呆れたように応えた。


「この国が嫌いだった俺が王になりたいわけあるか。最初に言った通り国王なんかいらないんだよ。今後は帝国の属国になるかもしれないし、一領土になるかもしれない」

「ルフェヴ王国を滅亡させるというのか!」

「言ってもわからないだろうが、手始めに議会とか設立していければいい。王家や貴族という血統で支配することをやめるために」


 血統による支配が根幹をなしている身分制度しか知らないのだから、国王にはわからないだろう。なまじ『民主主義』など()()()()()からキリアンはこんな手段に出た。望みを叶えるために。 



「これからのことはあなたが気にすることじゃない。ただ事態の原因を作ったのはあなただ」

「どういう意味だ」

「俺からエイファを奪うつもりだっただろう。あなたがエイファを見る目がどんなに薄汚かったか、気づかれていないと思っていたか?」

「余がなぜお前の婚約者を奪うだなど」

「女帝の配偶者としてリドゥア帝国の共同統治者となるため」

「っ! やはり知っておったのか…」


 公になっていないがエイファはリドゥア帝国皇家の直系なのである。

 幼少期に亡くなった母親は末の皇女で、使節団として訪れたマクラウド侯爵に一目惚れしたらしい。

 小国の侯爵では帝国皇女の降嫁先として許されるはずがなかったのだが、妙な行動力があった皇女は侯爵の元へ身一つで転がり込むという暴挙にでた。

 当然皇帝は激怒したが、皇女が連れ戻されたら自害しかねないほどだったため、皇女は死んだものとして帝国と今後一切の係わりを持たないことを条件に黙認した。 

 皇女の暴挙から十五年、エイファが生まれた頃にはその存在はすっかり忘れ去られていた。 


 陰謀か、はたまた偶然かはわからないが、皇家は近年不幸続きで老年の皇帝の他は、まだ赤ん坊の男子一人だけになっていた。

 そこへ直系の孫が現れたら、次代への繋ぎとしてでもエイファが帝位につくことを認めるかもしれない。そんな打算が国王の胸中で膨らんだのである。

 実際にキリアンとエイファが皇帝と対面した際、懐かしさからか皇帝は冷静な表情を保つのが難しそうであった。しかし為政者として下した判断はエイファを皇家と認めず、むしろキリアンの存在を認めて帝国として支援することだった。


 国王が王子妃教育中のエイファに会いに来たと聞いたとき、キリアンはすぐに気がついた。

 時を同じくしてそれまで健康だった王妃が急に体調を崩しがちになったことで確信に変わった。

 嫉妬深く容色も衰えた王妃よりも、若く美しく皇家の血を引くエイファを手に入れようとしていることに。キリアンが一番許せないことをしようとしていることに。

 だからキリアンはエイファを帝国へ逃がした。婚約破棄からの国外追放などという騒動で、目論見を崩された国王が怒り狂うことはわかりきっていた。


「俺とエイファの婚姻が済んだあと口出ししようとするくらいならここまではしなかったよ。せいぜい強引な隠居くらいでおさめてやった。だが、あなたはエイファを自分のものにしようとしていた」

「キ、キリアン……」


 たちこめるようなキリアンの怒気にあてられて、息子を呼ぶ声としてはあまりに弱く細い声しか出ていない。


「誰が渡すものか。エイファは俺のものだ」


「ええ、わたくしはキリアンだけのもので、キリアンはわたくしだけのものですわ」



――お互いがともにあること。それが二人の望みなのだから叶えられねばならない。







 ルフェヴ王国最後の国王キリアンは即位後、王制廃止と寡頭制に移行することを発表した。王家であったカルフーン家も一貴族として国の運営に携わり、次代は血統ではなく能力で決定することを遺訓とした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

誤字報告感謝いたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「この国が嫌いだった俺が王になりたいわけあるか。最初に言った通り国王なんかいらないんだよ。今後は帝国の属国になるかもしれないし、一領土になるかもしれない」  現実をよく知る故に否応なく王…
[一言] 王政を廃止し一足飛びで民主主義を、というお話を読んだことがありますが、現実的には実現は極めて困難ですよね。 民主主事を実現するには封建社会を土台に国民の教育水準が一定以上高くないと運営する…
[良い点] 正義感から現状の政治制度を破壊したのならこの後被害者をみて後悔するかも、と思っていたのですが好きな子を守る為だったなら耐えられるかなと思いました 彼の立場ならどんな道を進んでも血の道だっ…
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