それでも、その奇跡に縋りたい
take1
期末試験の結果、補習が無かった事に胸を撫で下ろしたら、落とし穴はもう一つ用意されていた。
「なんだよそれ⁈ 俺聞いてないし‼︎」
半分切れ気味に言って、俺…楢崎新は小学校からの親友の渡部健を睨みあげた。
悔しい事に、健は俺より5㎝程背が高い。
夏休みは初日からずっと一緒にいれると思っていたのに、健は勝手にバイトの先輩と海に行く予定を入れていた。
「だって、お前試験勉強に必死で夏休みの予定を聞いても後で後でって、ちっとも俺の話を聞かなかったじゃないか」
反論されて、言葉に詰まる。
「そんな事言ったって、毎年一緒に過ごしてたから、まさか放ったらかしにされるなんて思わないだろ⁈ 何で勝手に決めちまうんだよ‼︎」
「だからお前が聞かなかったんだろうが⁈」
「返事をテスト明けまで延ばせよ」
「一緒に行く奴らの都合もあるだろ。タダでさえ宿泊先の予約が取れるかギリの時期に誘われてんのに、試験後まで返事延ばして宿が取れると思ってんのかよ?」
なんだよ⁈ なんだよ⁈なんだよ‼︎
「勝手に怒ってる俺が悪いのかよ?」
睨みながら言うと、健は小さな溜息を一つついた。
「お前の都合を聞かずに決めちまったのは悪かったよ。でも、俺にも、バイト先の先輩との付き合いや、クラブの奴らとの付き合いがある。いつまでもお前とだけつるむわけにもいかないだろう」
分かってる。
俺の世界もお前の世界も、高校に入って今までよりもさらに勢いをつけて広がって行ってる。
俺もクラブの付き合いもバイトの付き合いもあるけど、今のところ健を優先させない事はない。
つまり、健にとっての俺のポジションと俺にとっての健のポジションは違うと言う事だ。
「勝手にしろ」
吐き捨てるようにそう言って、俺は健に背を向けて家に向かって駆け出した。
健が何かを言った様だったが、振り返る事はしなかった。
そして、それが俺たちの最後の会話になった。
境の間
「まじか〜」
頭を抱えて蹲み込んで、俺は情け無い声を上げた。
海から帰って来た、少し小麦色に焼けた健が横たわる俺の側に静かに腰を下ろしている。
そっと俺の頬に右手の甲を当てて、その冷たさに一瞬体を硬らせた。
そんなつもりは無かったのにな。
苦しげに目を細める健。
俺の横に座る健の横に、オレが蹲み込んでいる。
変な絵面なのはわかっているが、実際そうなのだから、他に形容しようがない。
黙ったまま俺の横に座る健は、もうずっと俺の傍にいた。
旅行先で連絡を受けた健は、聞いた足で旅行を中断してすぐに帰って来てくれた。
それが昨晩で、家族に付き添われて一旦家に帰ってから、今朝また来てくれた。
「ごめんな」
黙って俺の傍に座り続ける健に、声を掛けてみる。
ちょっとくらい何か気が付いてくれたらとも思ったが、案の定、全く聞こえてはいない様だった。
泣くわけでもなく、怒り狂う訳でもなく、健はずっと黙ったままそこにいる。
あんな別れ方をしなければ。
それだけが悔やまれた。
健と俺は、地元の小学校で初めて出会った。
家は近所だったが、健は幼稚園だったし、両親とも共働きだった俺は保育所に通っていたから、小学校に入るまでは接点が無かった。
1年で同じクラスになった。
背の順に並んだ時、俺のすぐ前が健になった。
比較的背が高かった俺達は、席替えをしても後ろの方に座らされる事が多く、よく席が近くなった。
学校の行き帰りの方向が同じで、当時習わされた空手教室が一緒だったこともあり、俺達はよく一緒にいるようになった。
家に帰っても誰も家に居ない俺を気遣って、健はよく自分の家に俺を連れて帰ってくれた。
2人で宿題と程々に予習をして、俺の親が帰る頃までゲームをして。
休暇にはキャンプに一緒に参加したり、家族ぐるみで山登りに行ったり。
これって、走馬灯ってヤツかな。
楽しかった思い出がいっぱい思い浮かんでは消えていく。
どの場面でも、思い浮かぶ健の顔は清々しいまでの笑顔だ。
変なの。
オレもう、死んでるのに。
走馬灯って、死ぬ直前に見えるんじゃ無かったっけ。
健のいない夏休みは初めてだったから、どう過ごせばいいのかわからなかった。
ただ、あのやり取りがずっと胸を掻きむしっていて、どうにもむしゃくしゃしていた。
アイスでも買おうと、コンビニに出たんだ。
苛々しながら歩いてたからか、気がつくのが遅れて、居眠り運転のトラックが当に俺目掛けて突っ込んで来るのを咄嗟に避けきれなかった。
気が付いたら、オレはもう俺の中には居なかった。
「もう、帰れよ」
日が西陽になっても、健はそこから動こうとしない。
明日には慰問客が来るだろうから、今日ほどずっと傍には居られないだろう。
そうだ。
誰も居ない家に帰る俺を気遣って、一緒にいようとしてくれたヤツだ。
きっと今も、俺が寂しくないように傍に付いていてくれているんだ。
健は、優しいヤツだから。
本当に、本当に、あの日が悔やまれる。
あんな別れ方さえしなければ。
健が俺よりバイト仲間を優先したからどうだっていうのだ?
たった3、4日の事じゃないか。
夏休みは長いのだから、その後埋め合わせをすれば良い。
健だってそう思った筈だ。
何故あの時の俺は、そう考える事が出来なかったんだ?
唇を噛みしめながら、オレは視線を蹲み込んだ自分の足元に落とした。
当然の事ながら、俺と健にはある影が、オレには無かった。
そして、影の無い、鎌を持った青年がもう1人。
「ん?」
「おや?」
気が付いた? とばかりに、青年がひらひらと鎌を持たない右手をオレに向けて振った。
「初めまして。僕は壱太。この度はご愁傷様でした」
あまりと言えばあまりのラフな挨拶に、オレは暫し呆然とその壱太と名乗った青年を見つめた。
「鎌持ってるし、もしかしてアンタ死神?」
件の青年は質問に、ニコニコしながら人差し指を振り立てて『チッチッチ』と呟いた。
「その表現はあんまり好きじゃないんだ。まるで僕たちが殺すみたいで不名誉な感じだし」
不名誉って。
「じゃあ、どんな呼ばれ方が名誉なワケ?」
質問に、壱太さんは下唇に一本だけ立てた右手の人差し指をあてた。
何故『さん付け』かと言うと、大体この手の類の人は、見た目が年齢を裏切っているのが当たり前だと思ったからだ。
「こっちでは、納棺する人の事を『おくりびと』って言うんだろ。そこで行くと、僕らは『むかえびと』かな」
「むかえびと?」
「そ。送り出された君たちを、君たちの言うところの『あの世』へ連れて行くためにこうやってお迎えに来るからさ」
ああ。これが俗に言う、『おむかえが来た』ってヤツか。
「じゃあオレ、今からもう壱太さんと『あの世』に行くの?」
このまま健を置いて行くのは絶対に嫌だ。
でも、主導権は自分には無い様に思われた。
オレは今、俗に言う『未練』があったり、『後ろ髪が引かれる』状態なのだろう。
壱太さんはにっこりと微笑んで、オレの正面に座った。
「僕はね、君が…君たちが、気に入ったんだ。だから、1回だけチャンスをあげるよ。よく聞いて…」
take2
ほんとに、あのやり取りだけなんだな。
「なんだよそっ…それ。俺聞いてないし」
言いかけで思い出し、一瞬言い澱んだ為に語尾に力が入らなかった。
テスト結果と成績表を受け取った終業式の日の帰り道。
何度も悔やんだあの瞬間を、壱太さんはやり直ししておいでと言った。
ただし、一度起こった事実は変えられないから、言葉のやり取りの内容は変わらないし、健を海へ行かせないようにする事とかは出来ない。
ただあの時と同じセリフをあの時と同じタイミングで言うやり取りをするだけなのに、チャンスとは?
でも今、少しだけ分かった気がする。
言い方を変えられることによって、ニュアンスを変えられるのだ。
それに今、オレは健を睨み上げてない。
ただ、言葉は変えられないから、そのまま言ったけど。
考えろオレ。
ほんとうにささやかなチャンスだけど、俺は今『あの日』をやり直している。
どうすればいい?
どうすれば、後悔しない?
「だって、お前試験勉強に必死で夏休みの予定を聞いても後で後でって、ちっとも俺の話を聞かなかったじゃないか」
ああ‼︎
本当に‼︎
悪かったよ。でも、俺も必死だったんだよ。お前と一緒の高校に行きたくてちょっと無理して入った高校だったから、受かったのが奇跡みたいなもんだったし。
補習になったら夏休み削られてお前と遊べなくなるかもとか、かっこ悪いとか思って、勉強、本当に必死だったから。
「そんな事言ったって、毎年一緒に過ごしてたら、まさか放ったらかしにされるなんておもわないだろ。なんで勝手に決めちまうんだよ」
言いたくないけど、決まりだから言わざるを得ない言葉。
あの時言った言葉の全ては、一言一句間違いなく再現される。
何故、あの時俺はこの言葉を選んだんだろうと思い、噛み締めながら、俺はこの言葉を吐いた。
あの時の俺は、たぶん寂しかったんだ。
一緒にいたいって気持ちの大きさに、差があるんだって気が付いて。
「だから、お前が聞かなかったんだろう?」
ふと、ニュアンスが柔らかくなった気がした。
健を見上げると、その瞳に困惑の色が見て取れた。
もしかして、健も『やりなおし』に気が付いているのか?
「へ…んじを、試験明けまで、延ば…せよ」
変に言い澱んで健の様子を伺う。
健は手を口に当てて少し黙ったが、意思に反して動く口に戸惑うように俺を見た。
「一緒に行く奴らの都合もあるだろ。タダでさえ宿泊先の予約が…取れるかギリの時期に誘われてんのっに、試験…後まで返事延ばして宿が取れると思ってんのかよ」
セリフは、変えられない。
だけど、明らかにあの時のやり取りじゃない。
「勝手に怒ってる俺が悪いのかよ?」
言いながら、気が付いた。
頬に伝う温かいものは、涙なのか。
向かいに立つ健には、まだ困惑の色が濃い。
このままでは駄目だ。
言いたい事は言えない決まりだが、せっかくやり直させて貰っているのに、望んだ結果にならない。
もどかしい。
どうすれば。
このままでは、やりとりが何も伝わらないままに終わってしまう。
「お前の都合を聞かずに決めちまったのは悪かったよ。でも…俺にも、バイト先の先輩との付き合いっや、クラブの奴らとの付き合いがある。いつまでもお前とだけ連むわけにもいかないだろう…」
健の目にも、涙が滲んだ。
俺は何を伝えたいんだ?
俺は、どうしたいんだ?
「勝手にしろ」
言いながら、俺は渾身の力と想いを込めて、満面の笑みをのせた。
笑え。
健。
俺は、お前の笑顔が大好きだ。
俺は、もうお前と一緒に未来を歩けない。
だけど、もしお前が躓いた時、もしお前が挫折した時に、お前を包み込んでやれるような思い出になれたら。
言葉には出来ない。
でも、伝えたい。
俺は、健に背を向けて走り出した。
『いい子だね』
壱太さんの声が聞こえた気がした。
『だから、一つだけささやかな奇跡をおこしてあげよう』
「また会おう‼︎」
背中に掛けられた言葉に、俺は弾かれたように振り返った。
「あらた‼︎ また会おう‼︎」
涙目で満面の笑みを浮かべる健の顔。
明らかに無理して嗤ってるのが分かる顔に、俺も涙目のまま苦笑いした。
「ああ‼︎ 迎えに行く‼︎ ゆっくり来いよ‼︎」
あの日、俺は振り返らなかった。
あの日、あいつは違う事を言ったのだろう。
でも、今回、壱太さんのお陰で、俺たちはちゃんとお別れが出来た。
別れの時
「大丈夫?」
壱太さんが、そんなに心配そうでも無く聞いてきた。
お父さんやお母さん、同級生達にもささやかな別れを告げて、俺はまた、棺の横に佇む健の傍にいた。
「大丈夫」
「いい子だね」
ぽんぽんと頭を優しく叩かれて、オレは叩かれた頭に手をのせた。
「やっぱ、お迎えって、身内が来るもんなの?」
訊ねると、壱太さんは笑顔のまま首を傾げた。
「だって、壱太さんって、俺の爺ちゃんだろ?」
静かな沈黙の後、壱太さんは一瞬驚愕に見開かれた目を、愛しくてたまらないと優しげに細めて綺麗に微笑んだ。
「なんでやり直しとかさせてくれたの?」
「この鎌はね」
疑問を遮って、壱太さん…俺の爺ちゃんは左手に持つ大きな鎌を見上げた。
釣られて俺もその銀色に輝く鎌を見る。
「むかえびとが、あの世に連れて行く人の『未練の糸』を切る為に、お迎えに行く際に持たされるものなんだよ」
魂を狩るためのモノでは無いのか。
「お前たちは2人とも、自分の後悔の為ではなく、相手の後悔の為に、あの日をやり直したいと、強く願っていたんだよ」
言葉に、健もあの時、横たわる俺の傍に黙って座っていた間、俺と全く同じ後悔をしていた事を知った。
あの別れ方のままでは、オレが心残りに違いないと。
「それに、僕はお前たちを気に入ったと言っただろう? お前たちは2人とも、とても素直で、正直で、そして感謝を知っている」
感謝?
首を傾げたオレに、爺ちゃんは苦笑した。
「普通、ああいうやり直しをすると、生き返りたいって輩が多いから気を付けろって先輩方からは言われてたんだが、新も健君も、そんな心配は全く無かった。ちゃんと、やり直しの機会に感謝して、ちゃんとお別れをすることができた」
また、いい子いい子と、頭をぽんぽんする。
そう、これは爺ちゃんの癖みたいなものだ。
「オレ、健の身内じゃないけど、健のむかえびとになれるかな?」
迎えに行くって言っちゃったし。
途端に、爺ちゃんは難しい顔をして腕組みをした。
「まず、鎌を使えるように修行してからかな? おまけくらいには迎えに連れて行ってもらっても大丈夫なんじゃないか? お前、健君のご両親とも懇意にしてもらってたんだろう?」
「やっぱ基本は身内なの?」
「そんな感じかな?」
棺が出棺される時。
じっと静かに俺の顔を覗き込んでいた健が、ふいに目を閉じた。
声には出していなかったが、唇が『またな』と紡いだ。
オレも、爺ちゃんに手を引かれて、もう行かなきゃならなかった。
またな。
また、会おう。
必ず、また会えると信じてる。