第二話 北島家 其の一 姉妹
此処は北海道の地方都市、冬はとにかく寒い。
ダイヤモンドダストとか蓮の葉氷などは珍しくもない。
それでも最近の住宅事情で玄関にさえ入れば、家の中は何処も同じ温度、ちょっと暑い位だ。
俺 北島優留 三十一歳 現在は独身
この地で生まれ、高校までは親元で暮らし、その後は札幌の大学に進学し寮生活だった。
親はこの土地で水田農家をしていたが、俺が中学生頃から周りの水田がみるみると住宅街に変貌を遂げていった。
親父も住宅化の波には逆らわず土地成金に成った様だ。
俺はと言うと、農閑期の親父の趣味のスキーに子供の頃から半強制的に付き合わされた。
そしてスキーの魅力に取り憑かれるのにそう時間は掛らなかった。
中学からスキー部に入ってアルペンスキーの選手に挑戦したのは必然的だった様な気がる。
大会の翌日、新聞のスポーツ欄に俺の名前は結構載ったが活字は小さく探さないと誰も気が付かない程度の成績だった。
大学選びもスキー部を優先して選んだ。
周りの友達はみんな色恋沙汰で楽しんでいる様に見えて多少羨ましかったが、競技に打ち込んでいた。
あの日までは…………
競技成績がイマイチで俺は焦っていたのかも。
大学二年の初冬、競技シーズンが始まる前に早い時期から雪のある大雪山系で一人で足慣らしをしていた。
周りには雪を待ちきれない輩がちらほらと居た。
思い返せば多少吹雪気味で視界が悪かった。
急斜面で滑っていると突然雪の無い土のブッシュに足を取られた、そして体が何回転かして立木が右側の沢への滑落を止めた。
我に返ると右足が痛い、痛いと言うより何かに突き上げられる様だ。痛みで段々意識が遠のく。
微かに誰かの声が聞こえた。
「大丈夫ですか……」「大丈夫ですかぁ……」
――良かった、目撃者がいたようだ――
何度も同じ質問を受けたが、その質問には応えられないまま、少し安心して気を失った。
気が付いたのは、ドクターヘリの中だった。
医師が右足を触りながら質問してくる。
「此処は、ここは、こっちは」と言いながら足を触る。
「分かりません。全部痛いです」
孅声でそう答えるのが精一杯だった。
そう答えて眠りについたみたいだ。
痛くて眠る事は出来ないはずなのに、寝たのか気を失ったのか判らない。
次に気が付いたのは病院のベッドの上だった。
「気が付かれましたか?」
優しい声で質問された。
「あっ はい」
その顔は天使に見えた。
まさに白衣の天使だった。
そして声を掛けてくれた看護師さんの、巨乳が隠れていると思われるナース服に付いている名札が目に入った。
――五十嵐紗枝――
「右足の脛骨と腓骨骨折でしたよ。手術終わりましたから後は良くなる一方ですよ」
「後で先生から処置の説明と今後の治療とかリハビリのお話が有りますから」
「今ご家族の方に声掛けて来ますね」
天使は優しい言葉を発して病室から出て行った。
入れ替わりに両親が入ってきた。
心配して色々言っていたが、右の耳から左の耳へと言葉が抜けて行った。
俺の頭の中は、天使、いや紗枝の存在で一杯になった。
これが巷で言う一目惚れと言う奴か、間違いない。
先生から、骨はボルトで固定したとか、ギブスは暫く外せないとか、落ち着いたらリハビリして退院とか、日常生活は大丈夫だけど選手は無理とか聞かされた。
それを聞いて、自分でも意外だと思うが、選手への復帰は簡単に諦められた。
紗枝はいつも優しく接してくれた。
仕事だから誰にでも一緒の対応のはずだが、俺の目には、俺にだけ特別の様に映った。
今までスキー一筋で恋愛音痴の俺は紗枝の存在が本当に愛おしかった。
入院の間、紗枝とは会話を多くしたりして、さり気なくアタックを繰り返し、退院の前日に連絡先交換が出来た。
後で聞いたのだけど、紗枝も俺の事が少し気になっていたそうだ。
そして紗枝が非番の日には条件付きでデートを重ねた。
条件とは、遊園地、動物園等、子供が楽しい場所に行く事と三人でデートする事だった。
メンバーは、紗枝二十七歳、史絵七歳、俺二十歳
紗枝はシングルマザーだった。
一途に紗枝に惚れた俺はそれをあまり気にしなかった。
最初の頃は、史絵には敬遠されていたが、デートの回数を重ねて行くうちに史絵は俺と手を繋いでその手を放そうとしないまでに懐かれた。
もちろん川の字、いやМの字の繋ぎ方だった。
「すぐるおにいちゃん、しえのパパになって」
紗枝が言わせているのか、自分の気持ちなのか判らないけど、毎回別れ際に史絵の口から同じ言葉を言われた。
俺には二人の気持ちに聞こえた。
今日は、桜の花びらが舞い散る動物園からの帰り道でのカミングアウトだった。
史絵に告白されなくても、俺の気持ちはすでに固まっていた。
そして次のデートで史絵が俺の背中で眠っている時、紗枝にプロポーズした。
「今はまだ大学生だけど、卒業して社会人になったら直ぐ結婚してほしい。三人で幸せになろう。いや、必ず幸せにするから」
間もなく涙ぐむ紗枝が隣に居た。
「史絵、よかったね…………よかったね」
そう言って、紗枝は眠っている史絵の背中を摩りながら、俺の手を強く握った。
それから両親に報告した。
両親は、社会人に成ってから結婚するのは構わないが、やはり相手が子持ちだという事実が引っ掛かっていた様だ。
頃合いを見て両親に二人を会わせた。
やはり親だ、紗枝に対しての質問が史絵の父親の事とか紗枝の親の気持ちに集中していた。
紗枝は、やんわりとうやむやに答えていた。
紗枝の母もシングルマザーで紗枝の父はもう他界していると、それ以上は母から聞かされていない。
史絵の父は生きているが、もう縁を切って二人の前には顔を出さないと約束している。
南米に居るみたいだが、はっきりと縁を切っているので心配ないと、そこははっきり言った。
俺には聞けなかったことを父が聞いてくれた。
そして父は、俺が社会人になった時に三人の気持ちが変わっていなければ認めると言ってくれた。
斯くして二年後に三人の共同生活が始まった。
父は自宅の土地が余っていると言って、農業で使っていた納屋を壊して俺たち三人の新居を建ててくれた。
紗枝の提案で、両親の家と新居を往来出来る屋内の渡り廊下も付けた。
寒い冬でも便利だと言う事だったが、将来を見据えて親の介護まで考えているのかなと、紗枝に感謝した。
新社会人の職場は新居からそう遠くない地元では名前の知れた、ビジネスホテルと自動車整備工場とタクシー会社を経営しているグループ会社の本社で、大学が商学部だったので経理に配属された。
何もかも順調だった。
結婚して一年後に妻の紗枝には、看護師を辞めて専業主婦になってもらった。
史絵は両親にも懐いていたけど、やはり母親が家に居た方が良いと考えたからだ。
妻が家に居るように成ってから、新居に引っ越した直後から史絵とよく一緒に遊んでいた向かいの家の、史絵より一学年下の娘が新居に出入りする様に成った。
妻はいつもその娘を快く受け入れていた。
私も休日に、家族サービスで夏の遊園地や動物園、私が先生の冬のスキーなどに連れて行ったが、必ずと言っていいほどその娘も一緒だった。
史絵の事を「お姉ちゃん」と呼んでいて、二人は本当の姉妹みたいだった。
――小野寺彩夏――
向かいの家の一人娘です。