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保健室シリーズ

続 保健室のふたり

※ https://ncode.syosetu.com/n1221ey/ 『保健室のふたり』の続きです。先にこちらをお読み下さい。

 文化祭。


 青春という名前の分厚い本があるとすれば、きっとこの三文字には蛍光ペンが引かれている事だろう。誰もがその場の空気に浮足立ち、普段会話しない連中と肩を組み、それから訳もなく涙を流して好きな子に告白する。それを愚かだとは言わないが、どこか冷めた自分がいるのはなぜだろうか。


 いや、嘘。理由はわかってる。


「藤井! 次4番テーブルにこれお願い!」


 クラスの出し物である喫茶店、店員は不都合により俺一人で。


「おい藤! クッキーどこしまってんの!?」


 むしろ色々仕切ってしまっていた上、物の配置やら何やらが俺しかわからないブラックボックスと化してしまっていて。


「すいませーん! まだコーヒー来てないんですけどお!」


 客は苛立ち、露骨に舌打ちしてくるのだから。


「えーっと……よろこんでええええっ!」


 叫ぶ、叫んでしまうじゃないか。冷めた心で青春なんてクソ喰らえと、両手にコーヒーを抱えながら。




 正午。本来なら飲食系の出店は書き入れ時なのだが、俺の場合は少し違った。なぜなら九時からずっと一人でウェイターをやっていたのだから。誰だろうな、皆でやるの正午からで良くね? って提案した人。


「はい藤井君、お疲れ様」

「ああ、深川ありがと」


 クラスメイトの深川が、廊下の壁にもたれかかりうなだれていた俺に紙コップに入ったアイスコーヒーを差し出してくれた。ちなみに今日の彼女の格好は、大正カフェというコンセプトのせいで袴にブーツと成人式みたいなものだった。ちなみに俺は書生っぽい地味なやつ。


「いやーごめんね? なんかこう、ひどい目に合わせちゃって」


 人懐っこい笑顔で深川がそんな事を言うから、つい許してしまいそうになる。


「まぁ俺も悪かったなって反省してるよ。もっと話し合ったりすれば良かったかなって」


 究極的なことを言えば、悪いのは俺なのだ。接客の班長は俺なので、最終的に首を振ってしまった自分のせい。


「そんなことないよ、正直藤井君がいなかったらクラスの出し物目茶苦茶になってたもん」

「……どうも」


 少しだけ顔が赤くなったような気がしたので、手で顔を覆う。冷たいコーヒーを口に含めば、少しだけ冷静になれたような気がした。


「そう言えば、そろそろ妹さんの所行くんじゃなかった?」

「あと50分ぐらいはあるかな」


 妹の美術部の手伝いは13時からだ。まぁ部活の友人と見て回る間の代打なので、一人で待ちぼうけするだけなのだが。


「じゃあ、色々回れるね」

「どうかなぁ」


 とりあえず一時間美術部を手伝えば、次は先輩の劇の手伝いだ。それから別のクラスに顔を出して、後輩との約束を終わらせて、後は何だっただろう。


「おい聞いたか? ここの生徒で、すっげー可愛い子いたらしいぞ」

「本当か、どんな子?」

「いやもう、なんつーか芸能人並だってよ。川崎って美少女らしいぞ」


 指折り予定を数えていると、遊びに来たのだろう他校の生徒からそんな噂話が聞こえてきた。


「藤井君、ああいうの興味ある?」

「今の噂話?」

「うん」


 今度は女子にしては珍しいぐらいの下世話な顔で深川さんがそんな事を聞いてきた。


「ある……人を知ってる」


 ただしそれは、美少女に興味がある人の事ではない。いや、沢山そういう人はいるけど。


「スケベな男子?」

「んーどうだろ。いやでも俺もちょっと興味あるかな」

「なんで?」

「だって、確かだけど」


 思い出す。流石に全校生徒と友達だって言えるほど顔が広い訳じゃないけど、目立つ生徒ぐらいは言える。だから、この噂話は多分。


「川崎って名前の美少女なんて、この学校に確かいないから」


 桜庭に次会うときの、土産話になると思えた。

 




「葵いる?」


 美術部。充満する絵の具の匂いに不快感はなく、むしろ居心地の良ささえ覚えた。美術部の展示といっても一から三年生合わせた五人の作品展なのでそこまで大々的物ではないが、静物画に風景画に人物画と色々な物があって意外と飽きない。ちなみに妹が美術部だからといって、俺に絵心と呼べるものは全く無かったりする。


「兄さん、随分早いね」


 葵は少し意外そうな顔をして、肩まで伸びた髪を指に絡ませながらそんな当然の反応をした。


「2時からまた来るよ。その前に一つ聞きたい事があって」

「何?」

「一年生に……川崎って名前の可愛い子いる?」


 さて、先程の噂話の答え合わせその1。他学年にいるという可能性を第一に消したかった。


「あの、私兄さんみたいに交友関係広くないから流石に全員わからない」

「それもそうだな」


 妹に聞いたのが間違いだったのかなと少し後悔する。若干、人によっては付き合い悪いと愚痴をこぼすことになる我が妹藤井葵。見た目は贔屓目抜きにしたら中の上か上の下ぐらい。そのせいでちょっと男子に隠れファンが多いらしい。多分、自分でも行けそうだなって思えるギリギリのラインの見た目なのだろう。すごい美人よりある意味罪作りなのかもしれない。


「知ってる人?」

「いや、知ってたらこの質問はおかしいだろ」

「流石今日は形から入っているだけあって冴えてるじゃん」


 書生の服の裾を引っ張りながら、茶化してくる葵。何故か俺の周りには、人を茶化したがる女性しかいないような気がしてきた。


「まぁ、いないなら良いか。他当たってみるよ」

「いや、一年生じゃないけど川崎って美少女ならいたよ」

「え?」


 葵と別れようと踵を返す瞬間に、突然衝撃的な事実を口にする。


「だって、さっき来てたんだもん。大して絵も見ないで、すぐに出ていったけどね。何だったんだろう? いやそれにしても、モデルにしたいぐらいの美人だったなぁ……」


 そんな女子高生がうちの学校にいたのかと、思わず驚いてしまった。制服が特段可愛いわけでもない私立の進学校に、まさかそんな女の子がいるとは。


「川崎って美人さん?」

「川崎さんだったよ」

「いや……なんで?」


 ここで、疑問点が出てくる。美術部にやってきた謎の美人が大して絵も見ずに帰りました。それは良い、そこまでは解るのだけど。


「何が?」

「何ですぐに出ていった美人の名前が、川崎ってわかったの?」


 誰も名乗っていないのに、どうして川崎さんなのかと。だが、現実はあくまで残酷で。


「そりゃあ……何でだっけ?」


 我が妹は、どこかの誰かのように回る頭の持ち主ではなかった。




 川崎さん。こうして校舎内をうろついていると、美少女の噂がちらほらと聞こえているというのに、誰が名付けたかやはり川崎さん。最早都市伝説のような扱いだなと思いながら、自分だけは何とか冷静な頭を持とうとする。


 まず、名札。しかしこれは現実的ではなく、文化祭実行委員会すら『スタッフ』程度しか書かれていない名札を首からぶら下げている程度。だから川崎さんは何らかの方法で自分の苗字を大々的に知らしめている事になる。


 そこで、気になる事がもう一つ。一番最初にクラスの前で聞いた、他校の生徒の噂話の一節。


 ここの生徒で、すっげー可愛い子。


 重要なのは、何をもってここの生徒と認識したかである。普通に考えれば制服を見てだが、日々桜庭との無駄話と書生のコスプレのおかげで少しだけ冴えた俺の答えは違う。


 そう、ユニフォームだ。部活のユニフォームであれば、背中に自分の苗字がでかでかと書かれていてもなんら不思議はない。むしろ当然と言った良いだろう、そうしなければワールドカップやオールスターゲームで誰を応援していいかわからなくなるからだ。


「あ、手塚さんいたいた」


 と、言うわけで。俺は同じ二年生で女子バレー部の手塚さんの所に顔を出した。ちなみに隣のクラスの友達の彼女で、まぁ一緒にカラオケぐらいは行ったかなぐらいの仲。


「おや藤井君、君もこの2年D組の執事喫茶の門を叩きに来たのかね?」


 ちなみに手塚さんは背も高くて超男前で執事服は何一つ違和感なく着こなしていた。なお俺の友人である彼氏はなんというかハムスターっぽいが今はそれはどうでもいい。


「なんか妙にキャラが定まってないよね」

「まぁ……誰も現実の執事みたことないから仕方ないって」


 あははと笑ってくれる手塚さん。さて、早速だが本題に入ろう。


「女子バレー部に、川崎さんっている?」

「あ、いるよよく知ってるね」


 思わず拳を握りしめ、小さなガッツポーズをする。当たった。こうも自分の推理が的中するのはこんなにも気持ちのいい事だったのかと考えてしまうことに。


「川崎がどうしたの?」

「いやさ、今噂になってるんだよ。川崎って美少女が文化祭でうろついてるって」

「えっ?」

「ん?」


 聞き返されて、反射的に首を捻る。どうした手塚さん、確かにその思い悩む表情は耽美派のロマンチック執事みたいだけれども今はその表情はいらないよ。


「美少女……かどうかはわからないけど、川崎さんにそういう噂が立つって事はないんじゃないかな……」


 女子特有の褒め合い馴れ合い確かめ合いはどこに行ったのかと思わず聞きたくなる。なるが、表情で察してくれたのか手塚さんは忙しなく両手を振って全否定してくれた。


「川崎ね、まぁ同じ二年生何だけど……ほら、うん、高校からバレー始めた理由がダイエットで……」

「成功した?」


 苦笑いする手塚さん。あ、いや待てと思い出す。女子バレー部に確かいた。こうソフビ人形がプレミア価格で取引されてそうな怪獣のあだ名が暗につけられていた女子が。あれか、川崎さん。妹がモデルにしたい美少女だというのなら、もしかすると俺の妹の性格は人間的に最低の所に位置するかもしれない。


「なんか……ごめんね藤井君、夢壊したみたいで」

「壊れたのは夢じゃなくて推理かな」

「ご愁傷様です」

「ご愁傷様ついでに聞きたいんだけど、部活のユニフォームって名前入ってる?」

「まさか。普通は学校名と背番号だけ。名前なんて入れたら次の代使えないから、そんな部活うちにはないよ」


 ごもっともで。


「まぁ何が知りたいのかよくわかんないけど、今度はお客さんとして来てくれると嬉しいかな」


 そう言って手塚さんは持ち場に戻る。残された俺は大正時代の書生らしく、絶望した面持ちで天を仰いでいた。




 気がつけば、自然と保健室の扉の前で小学生の劇の木の役みたいに突っ立っていた。きっと桜庭なら、この難問を解決してくれるだろうという淡い期待があったからだ。だが、そもそも彼女は今日来ているのかという疑問があって、なぜだか扉をいつものように開ける気概が俺には無い。


 それは年頃の男子らしく、探しに来たと思われるのがどこか恥ずかしいからだろう。どこか体調が悪いわけでもないのに保健室に顔を出し、何とかさんいますかいません帰りますって行動が。


 なんて高校二年生らしい悩みに頭を悩ませていると、保健室の女神明石先生が扉を開けてくれた。まぁ、結構いい年だけど。


「あら藤井くん、今日も桜庭さんに会いに?」

「まぁその……います?」


 そう聞くと、先生はクスクス笑った。


「いますもなにも、今日は珍しく横になっちゃって」

「体調悪いんですか?」

「そうなのよ。文化祭少し見て回ったんだけど、人が多すぎて気分悪いって」


 それはまぁ、笑う。あの頭のいい桜庭が、何というか間抜け過ぎたのだから。


「これから私も少し校内見て回るの。折角だから笑ってあげて?」

「ええ、こんな機会はなさそうなので」


 というわけで俺は意気揚々と保健室の扉を開ける。あの桜庭のぐったりした顔が、どうしても見たかったからだ。


「桜庭いる?」

「……藤井ね」

「正解」


 カーテン越しに聞こえる声と会話する。いつもの定位置に彼女がいないから、妙な感覚に襲われる。


「それで、何の用?」

「そりゃ桜庭の間抜けな顔を拝みに……ってそうじゃない、また桜庭の頭脳を貸してほしいかなって」

「……よく聞こえないからこっち来て」


 声が促されるまま、笑顔でカーテンを開ける俺。


「そう言えばさ、文化祭で美少女のうわ……」


 言葉が止まる。ベッドの脇に、丁寧でハンガーでかけられた薄いジャンパーのロゴに。Kawasaki。たしかバイクのメーカーだ。


「それ? 今朝肌寒かったから、父さんの借りてきたの」

「あ、そう……」


 ベッド脇の丸椅子に腰を掛け、俺はため息をついてしまう。それからジャンパーのロゴと毛布にくるまった桜庭の顔を見る。確かに黙っていれば、絵になる美少女なのだろう。


「下もジャンパー?」

「普通に制服よ」


 女子の制服といえば、グレーのチェックが入ったスカート。まあ確かにこれだけ見れば、うちの学校の生徒だと判断するには十分すぎる。


「何よ、変な顔して」

「別に……何でもないです」


 ここで一つだけ、情けない事実が浮かび上がる。


「それにしたって、文化祭って人が多くてうるさいだけね。知らない男は話しかけてくるし、藤井がいると思って前言ってた美術部行ったけどいないし、もう散々」


 矢継早な桜庭の愚痴はもう遠く、ぼんやりと眺めた時計は妹に怒られる事を教えてくれていた。


「まぁ藤井は、さぞ充実した時間を過ごしたんでしょうけれどね」


 けど、もうどうでも良くなった。これからの予定とかクラスの出し物の評判は、保健室の窓の外のずっと遠くに追いやられて、ただの思い出に成り下がる。


「いや、今日は」


 自分に心底嫌気が差す。結局の所俺は、文化祭の三文字に蛍光ペンを引いて浮足立った大勢と同じで。


「ずっと桜庭を探してたよ」


 好きな女の子の後を、ずっと追いかけていたのだから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最後の一言は気が利いている。 [一言] せっかくなら、ジャンパーを見つける→最後の一言、でも良かったかなーとか。
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