第6話『もう一つの』
——先に下に降りたのかな?
そう思って店に降りたけれど、そこにもルルディはいなかった。見渡してみても、棚やキュリオケースに並べられた人形が視線を返すだけだ。
「工房かな」
ここにいないとすれば残るはそこしかない。
——でも何で工房に?
疑問を抱きながら工房に行ってみる。
廊下の先にルルディの後ろ姿が見えた。作業机を見下ろして、一人ぽつんと立っている。
——ああ。
その時にようやく、ルルディがここに来た理由が判った。
「それが気になる? 」
ルルディは机を見つめたまま、こくりと頷いた。
今机にあるこれこそが、この店に受け継がれて来た特別な作業工程。そして僕が唯一、ちゃんと扱える魔法。
「……修繕が終わってから、どうしてこれを作ったのですか? 」
ルルディは机に置かれていたぬいぐるみを抱えて僕の方へ振り向いた。ルルディに抱かれた真新しい真っ白な猫のぬいぐるみもこちらを向き、僕と目が合う。
それはアゴニアさんのと全く同じデザインのぬいぐるみだ。違うのは、そのぬいぐるみには生地の弛みや汚れが一切無い、全くの新品であるという事。
「ルルディ、人形が死ぬ時って、どんな時だと思う? 」
七歳の時に、母さんは僕に同じ質問をしたことがある。当時の僕はもちろん答えられなかった。
今にして思えばひどい質問だと思う。こんな質問が七歳の子供に答えられるわけがない。
しかしルルディはすぐに口を開いた。
「……死ぬ——が比喩だとして、それを人形に当てはめるなら……人形の死とは、壊れてしまった時…… ではないでしょうか」
答えつつも、ルルディは首を傾げた。
「まあ、治せなくなったらそう言えるね」
損傷が激しく修繕ができなくなる。確かにそれも人形の死だと言える。むしろその答えは正しい。
けれども、この店では違った答えを教えられる。
人形を作る職人——少なくとも僕は人形に、誰かの大切な友人になれますように、という願いを込めて作っている。人形はそんな、造り手の願いから生まれるのだ。
つまり人形の死とは……。
「人形が死ぬときはね、誰からも必要と思われなくなったときだよ」
たとえ壊れてしまっても必要としてくれる誰かがいれば、その人形は修繕され、持ち主の傍にいることができる。
けれども、必要とされなくなった、忘れ去られた人形はその役割を終える。それが、人形の死。
「アゴニアさんのぬいぐるみとルルディが今持ってるぬいぐるみにはね、少しだけ仕掛けがしてあるんだよ」
「……仕掛け、ですか?」
ルルディは抱いたぬいぐるみの中身を確認するように、手でふにふにとぬいぐるみのお腹を押した。
僕はルルディのそんな姿が少し可笑しかった。
「中身じゃないんだなぁ。仕掛けがしてあるのは——これ」
僕は作業机から、それを取り出した。
「……糸、ですか? 」
「そう。糸」
軸にぐるぐると巻かれた糸の束だ。ぬいぐるみを作る時や修繕など、全ての作業で使っている。もちろん、アゴニアさんのぬいぐるみにも、これを使った。
「この糸は、所々が魔法でできていてね。人形への想いとか執着とかが、この糸の形状を保つエネルギーなんだ。で、それらが途切れるとその魔法は消えて糸も消える——ていう仕組みになってるんだ」
僕の曽祖父ちゃんよりも前の人は、糸の全部を魔法で作っていたらしいけれど、僕の魔力じゃ到底無理だ。
「……同じぬいぐるみを作る事とどんな関係があるのですか? 」
「一方の糸が切れると、二つめに作った対になっているぬいぐるみの糸も切れるんだよ」
来て、とルルディを誘う。僕らは工房から出て、店の壁棚に来るように手招きをした。
ここにはぬいぐるみだけでなく、球体関節人形に編みぐるみ、操り人形などの様々な人形が並んでいる。
ルルディから新しく作ったぬいぐるみを受け取って、空いている場所に置いた。
「ここの棚に置いてあるのは売り物じゃないんだよ。ここにあるのは、お客さんが依頼したり注文した人形を僕が新しく作ったモノなんだ」
「……店内の壁の棚全部ですか? 」
「そう、全部。この前ルルディが配達してくれた人形もあるよ。ほら、あそこ」
僕は、棚の左下の段に座る赤い服の人形を指差した。
ルルディは床をきしませてゆっくりとその棚へ寄った。
「持ち主と人形はずっと一緒ってわけじゃない。いつかは離れ離れになっちゃうんだ」
「……人形を、捨ててしまうのですか? 」
「最終的にはそうなるかな。でもね、離れ離れって言うのは、実際の距離だけじゃなくて気持ちの距離の事でもあるんだ」
僕は一度ルルディを見てから続けた。
「要するに、その人形の周りで、関心を持つ人とか必要と思っている人がいなくなった時、魔法が消えて糸が切れるんだ。するとその人形はばらばらになる。それと同時にここの棚にある番いの人形もばらばらに崩れて、その人形の最期を教えてくれるんだよ」
ここに並ぶ人形たちは、その人形が役割を果たしたという証拠を残してくれる。——人形の最期を僕に知らせてくれる。
「……どうして人形を崩すのですか? 」
この仕掛けを教えられた時に僕もそう尋ねた事がある。けれど、答えてはくれなかった。
確かに、ばらばらになるのは可哀想だ。僕もこの工程に疑問を持ち続けていた。
でも最近ようやくその意味がわかってきた気がする。
それは——。
「役割を終えて、誰の記憶にも残らないまま、必要としてくれる誰かを待ち続ける方がもっとつらいから、かな」
この答えが正しいかどうかはわからない。もしかしたらお父さん達の考えとは違うかもしれない。でもこれは、今の僕にとって揺るぎない一つの答えだ。
この棚にあるのはほぼ全部僕が作った人形だ。今のところ、作った時のままで残っている。工房に残ってる、お父さんや祖父ちゃん達の人形の数は、まだそれなりに有る。けれど、それよりも前の人形は、もう殆ど無い。
僕の作った人形もいつかは……。
「さて、と。お客さんも来なそうだし、工房の掃除でもするかな。手伝ってもらってもいい? ルルディ」
「……はい、ご主人様」
床に穴の開いたままになっている工房の埃たちを一掃するべく、僕らは箒を用意した。
「……ところで、ここに有るのはぬいぐるみ以外にも、球体関節人形などがあるのですが、その場合は魔法はどうしているのですか? 」
「お、良いところに気が付いたね」
ルルディの抱いたのは当然の疑問だ。球体関節人形は布ではなく粘土で作っているから、あの糸は使えない。
じゃあ、どうするのか。
球体関節人形の中にはゴムが通っているのだ。手首から反対側の手首へ、足首から頭で折り返して反対側の足首へと各パーツを繋げている。
「つまり、球体関節人形にはそのゴムに魔法を使っているんだよ」
「……なるほど、よく考えられていますね」
「まあ僕が考えたわけじゃないけどね」
ルルディは近くのキュリオケースに入れられた球体関節人形を観察し始めた。
「作ってみる? 」
「……良いのですか?」
「勿論。時間ならたっぷり有るからね」
「……是非」
ルルディはまっすぐこちらを見つめた。
「じゃあ、まず球体関節人形の構造から説明しようか。これは関節が——」
結局この日も、僕たちは工房を掃除することはなかった。




