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第2話『想い出』

「しゃ、喋っ——た?」

 その声に応えることなく、それ(・・)は僕の目の前で力無く倒れている。

 彼女から聞こえる一定のリズムを刻む音だけが部屋を支配していた。

 冷たい空気に身体がぶるりと震えた。

「開けなきゃ」

 はっと気が付き、僕は牢の鍵を探し回ったのだった。



 それから一週間。ルルディは僕と一緒に暮らしていている。

「あの時は大変だったなぁ」

 本当に大変だった。身体中埃だらけになりながら薄暗い地下室で鍵を探し回って、鍵を見つけてからも、なんとか彼女を運ぼうとしたけれど、これが見た目以上に重い。

 この家には女の子用の服が無かったけれど、幸いにも大きい人形用に作ってあった服が一着だけあった。あの白いワイシャツと黒いジャンパースカートだ。まさか誰かに着てもらえる日が来るなんて思ってもいなかった。

 結局あの日から工房はそのままで、未だに床にはぽっかりと穴が空いている。

 邪魔じゃないと言えば嘘になるけれど、急いで直す必要もないのでそのままにしておいた。実を言えば、単に修理する気が起きないだけなんだけど……。

「それよりも——」

 今にも崩れそうな古いノートをそっと開く。このノートは、牢の鍵を探している時に見つけた物だ。

 ルルディの身体を見た時に、その正体には薄々見当をつけていた。ルルディは遥か昔、この家の人が造った精巧な人形か機械なのだろう——と、そう思っていたのだけれど……。

 これはそんな次元の話ではなかった。

「まさか大戦の時の兵器だなんて……」

 ページの端には几帳面に日付が書かれていた。今から八百年近く前を示している。

 何かの図や表などと共に、長々と文字が続く。当時の文字はとても読みにくいけれど、文字やら文の構成やらは今とそう変わらない。所々掠れていたり消えかけていたりもしているが、理解できないほどではなかった。

 魔動機関自律人形/魔法と科学の集大成/絶対服従の最終兵器/開花計画まで実行間近

 茶色く燻んだページにはそんな言葉が躍っている。

 ノートの前半には『人類の希望』『終戦の兆し』など、彼女に対する期待が綴られていた。しかしページをめくるに連れて徐々に文字が乱れていき、内容も暗いものになっていく。

  また失敗だ。何度調整

  しても改善されない。

  これでは兵器として扱

  う事はできない。あれ

  ではまるで

 文章はそこで終わっている。「まるで……」何なのだろうか。次のページを捲ろうにも、その後の数ページは破り捨てられ、更にその後には白紙のページが続くばかりだ。

 見る限りの内容としては、日記や日誌に近いのかもしれない。

 このノートが書かれた時期は確か、世界中の種族が対立する大きな戦争が起こっていたはずだ。もちろん人類もそれに巻き込まれていた。どうやらルルディはその為に、人の手によって造られたらしい。

 この文章から察するにルルディ——彼らの造った兵器——には重大な欠陥があったという事だろう。そしてルルディはついに兵器として使われずにここの地下で放置されていたのだ。

 結局、大戦は決着がつかず、有耶無耶になったまま今に至っている。

 彼女は、想像もつかないような長い時間、暗くて、狭くて、冷たい地下牢でずっと、歯車の鼓動を響かせていたのだ。

「ルルディ」

 気が付くと、僕は彼女の名前をそっと呟いていた。

「……はい、なんでしょう」

「わぁっ」

 僕は仰け反った体を慌てて机に引き寄せた。

 振り向くと、ルルディが立っていた。首から提げた銀色の懐中時計を揺らしながら、ゆっくりと僕に歩み寄る。

「い、いつからそこに?」

「……ご主人様(マスター)がそのページを開いた辺りからです」

 ルルディは無表情に、ノートに書かれた文章を見つめた。その視線が『失敗』という文字に集中している気がするのは、僕に後ろめたい気持ちがあるからだろうか。

 そういえば初めて会った時、ルルディも『失敗した』と言っていた。一体何を『失敗した』というのだろう。

 僕は隠すように徐にノートを閉じた。

「……それを隠す必要はありません。それの存在は私も知っています。ここ数日、ご主人様(マスター)が何度かそれを読んでいる事も知っています」

「あ、ああ、そう」

 ——バレてたのか。

 それよりも、とルルディが話題を変えた。

「……配達の件なのですが」

「ああ、ありがとう。どうだった?」

「……はい」

 と、言うなり、ルルディの口は閉じてしまった。

「どうしたの?」

 何か問題があったのだろうか。

 ルルディを一人で外出させるのは今回が初めてだ。

 数日前に数回、ルルディの紹介も兼ねて、僕と一緒に配達を行なった。

 一応、ルルディの事は僕の遠い親戚だと説明しておいた。これなら多少怪しまれても、養子だとか何とか言って適当にはぐらかせる。便利な言葉だ。

 もちろん、ルルディが兵器だという事や、機械であるということは秘密だ。多くの種族が混在するこの社会では、外見の偏見こそ少ないものの、兵器やら機械やらは要らぬトラブルを生みかねない。

 だから、金属骨格が覗く肩と腕の傷は長袖のブラウスで、歯車の音は懐中時計で誤魔化した。

 本当は外出なんてさせずに僕の家でひっそりと暮らさせた方が良いのかもしれないけれど、今後この町で暮らしていく為にも、ルルディには人と変わらない生活をさせて、色々な人と関わらせたいと僕は思っているのだ。

 そこでようやく、ルルディは重い口を開けた。

「……配達先の少女に、ありがとう、と言われました」

「へえ、良かったね」

「……良かった、のでしょうか」

「うん。その子、きっと喜んだと思うよ」

 笑ってたでしょと尋くと、ルルディははいと首肯した。

「……確かにあの少女は、人形を受け取った時に笑顔になりました。……やはりあの表情は、私が品物を渡した事が要因となって生じたものだったのですね」

 その後もルルディは、表情筋がどうとか脳の波長が何だとか、小難しい考察を続けた。

「……つまりあれが、人間の喜怒哀楽の、()、なのですね」

 どうでしょう、と尋ねるようにルルディは僕の顔を窺った。

「まあ、難しい事は解らないけどさ、そうだと思うよ、僕は」

 ルルディはルルディなりに、感情というものを理解しようとしているのだろう。きっと彼女は、感情や気持ちの意味は知っているが、それを自分のものにできないのだ。

 兵器として造られ、失敗と言われ、ずっと独りで地下にいた。そんな彼女が人の感情を知ろうとしている。そう思うと僕は何だか少しだけ嬉しかった。

「次からは一緒に行こうか」

 彼女が少しずつ変わっていく姿を、僕は見続けたいと思った。

「……いえ、私一人で問題ありません」

「そ、そう……」

 最後まで見届けられるだろうか。出鼻から挫かれた感じになり、少し不安になる。

 ところで、と言ってルルディは懐中時計を僕に見せつけた。

「……そろそろ十三時になりますが、よろしいのですか?」

「え? あ!」

 今日はお客さんが、修繕してもらいたいぬいぐるみを持ち込みに来ることになっていたのだ。

「……ちょうど来客ですね」

 ルルディは入り口の方を見遣った。

「え?」

 ドアベルは鳴っていない。

「ドアの前に居ます。足音と呼吸音から推察するに、人種はおそらく——人間です。年齢は八十前後。性別は女性だと」

 思われます——ルルディがそう言い切ると同時に、店のドアベルが来客を知らせた。

「本当に来た」

 はいはーい、と工房からでも聞こえるように僕は大きな声で返事をした。自分の足で躓きそうになりながら急いで工房を出る。

 僕の住む町は、大きな都市からは随分と離れていて畑ばかりの殺風景な所だ。畑で作られる食材以外の物は街まで行って買わなければならないし、本や新聞は週に一回だけ来る移動式の本屋を利用している。

 僕の店は、そんな小さな町の外れの森の中に在る。木々に囲まれた一本道を抜けると、木や風の音だけの空間が現れる。

 正直、立地は良いとは言えない。それでも、時々こうしてお客さんが来てくれるし、場所も気に入っている。

「お待たせしました」

 安物の暖簾をかき分けて駆け込むと、レジカウンターの前で小柄のお婆さんが待っていた。小脇に茶色い紙袋を抱えている。

「修繕の依頼してくれたアゴニアさんですよね。どうぞこちらへ」

 店内の壁際にあるテーブルを右手で示した。

「忙しいのにすまないねぇ」

 アゴニアさんは丸い顔をしわくちゃにした笑顔で、ゆっくりと椅子に腰かけた。

 僕も遅れて向かいの椅子に座る。

「いえ、全然忙しくなんてないですよ。こちらこそ、こんな足場の悪いところまで来て頂いて……」

 そう言いながら僕は、木目が張り巡らされた一枚板のテーブルにノートと鉛筆を用意した。

 アゴニアさんは周囲を見渡して、凄いわねぇと声を漏らした。

 それもそのはずだ。

 すぐ横の壁面は棚になっており、人形がぎっしりと並べられている。

 僕の後ろの壁とアゴニアさん側の壁もそれぞれ同じようになっていて、つまり三方向から大量の人形たちに見守られるような配置になるのだ。

「治してほしい人形があるんですよね」

「ええ、これなんだけどね」

 アゴニアさんは、手に持っていた紙袋から、茶色く変色したぬいぐるみを取り出した。

 テーブルに置かれると、それは自立できずにぐったりと倒れ込んでしまった。

「少し失礼しますね」

 僕はぬいぐるみを手に取り、入念にチェックした。

 色褪せが酷く、元々は白かったであろう猫のぬいぐるみは砂色になってしまっていた。中綿が萎んでいるためか全体的にくたびれていて、まるで衰弱してしまったかのような見ためだ。左耳と左目も取れかけている。

 僕はそれらを細かくノートに残した。

「どうかねえ、だいぶ昔のものなんだけど」

 アゴニアさんは白く乏しい眉をハの字にして、ぬいぐるみを見つめる。

「大丈夫ですよ。これくらいなら問題ありません」

 僕の言葉を聞いてアゴニアさんはそっと胸をなでおろした。

「これはねえ、私がうんと小さい頃に初めて自分のお金で買ったんだよ。こつこつ小遣い貯めてねぇ。——あぁ、ありがとねお嬢ちゃん」

 ルルディは二人分の紅茶をテーブルへ差し出しすと、僕の隣の椅子に行儀良く座った。アゴニアさんの話を一緒に聞くつもりらしい。

 アゴニアさんは紅茶を啜り、ふうと一息ついて、話を続けた。

「私は昔はお転婆でねぇ、これを持ってよく外へ出かけたもんだよ。他の男の子達に混じってねぇ。でも、ある時隣町のガキ大将が私のぬいぐるみを奪っていったのさ。泣きじゃくるだけの私のために、友人の子たちが取り返してくれたんだ。ほら、そこの耳のところ、汚れているでしょ?」

 アゴニアさんの節くれ立った指が示す。その場所には、確かに黒ずんだシミが残っていた。

「懐かしいねえ。毎日抱きしめて寝ていたからいつのまにか萎んでねえ。——ああ、そこのほつれは弟と取り合った時のやつだ。私の母さんは裁縫が大の苦手でねぇ。私が昔住んでた所はこういう店も無かったから、そのままなんだよ」

 その後もアゴニアさんはぬいぐるみについての思い出を一つずつ語ってくれた。

 親が亡くなった時はこれを抱いて大泣きしたこと、息子が生まれ、孫が生まれ、その子たちもこの人形で育ったこと。

 アゴニアさんは紅茶の最後の一口を飲み干して、短く息を吐いた。

「話しすぎてしまったねぇ。こうやって人と話すのも随分久しぶりだから、ついねぇ」

 僕は鉛筆を置いてノートを閉じた。

「いえ、そういった人形との思い出を聴くことも修繕には必要なことなので」

 その人形にはどんな思い出が詰まっているのか。どんな風に過ごして来たのか。これらを聴くことはとても大切なことだと僕は思っている。

「何か要望など、例えば手を加えて欲しくない箇所などもあればお答えしますよ」

「そうだねぇ……」

 アゴニアさんは少し悩んだかに見えたが、すぐに答えた。

「いいえ、大丈夫よ。綺麗に直してあげて」

「そうですか。では四日くらいかかりますけど、いつ頃また来れそうですか? もしくは僕達が配達しますけど」

 そう言うと、アゴニアさんは良いよ良いよと手を振った。

「私が来るから。じゃあその日にするよ。今日と同じくらいの時間に来るからねぇ」

 それからアゴニアさんは席を立ち、僕とルルディに見送られながら店を出た。

「ありがとうございました」

 店に戻ろうと振り返ると、森に爽やかな風が通った。

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