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第1話『少女の名はルルディ』

「じゃあこれ、配達お願いね。場所はこの紙に書いてあるから」

 正午の光が差し込む狭い店内には、ぬいぐるみや編みぐるみ、球体関節人形に操り人形など、多種多様な人形たちが並べられている。

 僕は配達先を書いた紙と手提げのバスケットを目の前の少女に渡した。

 中には、赤い服を着た女の子の人形が、揺りかごに揺れる赤子のように寝ている。

「……わかりました。ご主人様(マスター)

 白いブラウスの上から真っ黒なジャンパースカートを身に纏った少女は、手渡された物を無表情に受け取った。

 腰まで垂れた少女の灰色の髪は、光の加減で銀色に輝いて見える。

「だから、僕のことはマスターじゃなくてテルって呼んでよ。それと敬語も使わなくて良いって」

 彼女と出会ってから一週間になるけど、ずっとこの調子だ。

 僕達の間に上下関係は無い。だから、敬語の必要は無いと何度も言ったのに未だに変化は見られない。おまけに僕のことをご主人様(マスター)だなんて呼ぶのだから、背中がむず痒くてしょうがない。

「……では行ってきます。……テル」

 抑揚のない声でそう言い残し、彼女は店を出た。

 この様子だと敬語はまだまだ続きそうだ。

「行ってらっしゃい。ルルディ」

 僕はルルディを見送って、工房へ戻った。

 作業机に置かれた一冊の分厚いノートを手に取る。

 [λουλούδι(ルルディ)

 異国の古い言葉でそう題されている。

 一週間前。彼女と出会ったのは、全くの偶然だった。

 でも。

 このノートに書かれていることが事実なら、もしかしたら僕は、彼女を見つけるべきではなかったのかもしれない。



 両親を二年前に事故で亡くした僕は、生まれてから十三回目の春を迎えた。

 家は代々人形屋をやっていて、僕はそれを継いで暮らしている。店に並んでいる人形の殆どは僕自身が作ったものだけれど、工房には祖父や父のものがまだ多く残っていた。

 今日もその工房で球体関節人形を作ろうと考えていた。しかしすぐに断念した。

 両親を亡くしてから殆ど掃除をしていない工房は、改めて見ると酷い有り様だという事に気付いてしまったのだ。

 木材で作られた古びた工房はお世辞にも広いとは言えない。図案帳やメモ用紙、作りかけのパーツや道具などが山を作り上げているせいで、余計に狭く感じる。

「うーん……」

 仕方なく掃除道具を引っ張りだしてはみたものの、すぐにやる気が失せてしまった。

「また今度やれば——って、駄目だよね」

 多分やらない。

 今までだってそう言ってやってこなかったのだ。多分、これからもやる時は来ないと思う。

 今のうちにやっておかないと、もっと酷い事になるのは明白だ。

 逡巡した結果、放置されたままのガラクタから先に片付けることにした。

 一歩床を踏むたびに床が軋む。

 工房の奥にはまだ触れた事すらない機械や工具がある。その更に上に、作りかけの人形が積み上がっている。

「この辺のは僕のじゃないのに……」

 ここに荷物を置きっ放しにした先人に悪態をついた。

「よっ、と」

 工具が雑に入れられた箱を持ち上げ、体の重心を後ろにやると……。

 ぎしり——。

 床が不吉な音を立てた。

「大丈夫……だよね」

 そうしている間にも、床はみしみしと嫌な音を立てる。

 一歩踏み出そうと重心をずらした瞬間、床板がついに限界を迎えた。

「——ぬお!?」

 右半身を支える力がすっぽ抜け、直後に右足に衝撃が走った。

 膝から下が床に埋まったのだ。

「お、おお……びっくりした……」

 死ぬかと思った。

 安堵しながら床から脚を抜く。幸いにも床下が浅かったおかげで転倒は避けられた。

 ——これも後で修理しなくちゃならないのか。

 新たな問題の発生に憂鬱な気分になりながら穴を覗くと、床下に異様な空間があることに気がついた。

「何、これ」

 床に顔をめいっぱいくっつけて見てみる。暗がりに不自然な窪みが見えた。

 床下は石でできており、工房の奥に向かって一段、また一段と下へ続いていた。

 ——何でこんな所に階段が?

「地下室、かな」

 ずっとこの家で暮らしていて、そんな物が在っただなんて知らなかった。

 不安にも似た疑問はすぐに、この下に一体何があるんだろうというロマンに満ちた好奇心に変わった。

 床には開閉用の取っ手やそれらしき境目も無い。明らかに「隠してます」という感じだ。

 僕は掃除の事などすっかりと忘れて、今度は落ちてしまわないように気をつけながら、埃だらけの床を乱暴に剥がしていった。

 経年劣化の激しい床板は、僕でも簡単に剥がす事ができた。

 人一人が通れるくらいまで穴を広げ終えたところで、地下へと続く階段が全貌を現す。

「やっぱり階段だ」

 底は暗くて見る事ができない。

「えっと、こういう時なんていう魔法だったかな」

 ——anarthy(アナーシ)

 静寂。何も起こらない。

「……あれ? 違ったかな。じゃあ、anapsi(アナプサイ)?」

 またも静寂。暗闇は暗闇のままだ。

「あ! anarpsay(アナープセィ)!」

 掌を前にかざして唱えると、拳ほどの小さな光の玉が宙に生じた。

 素直にランプを持ってきた方が早かったなと、今更気付く。

 さっそく下に潜って階段を照らしてみた。

 かがんだ姿勢から、ゆっくりと足を下ろしていく。

 主人のいなくなった蜘蛛の巣、羽虫の死骸、すっかりと粉になった木の破片などが、暗闇の端々から確認できた。

 暗い影が階段の底に溜まっている。

 思ったより深いのかもしれない。

 ごくりと唾を飲む。

 またも恐怖よりも好奇心の方が勝り、階段を下った。

 一段降りる度に、冷たい空気に沈んでいくのを感じる。

 息を吸うと、カビ臭い匂いが肺を満たした。砂を踏む音が反響する。

 頼りない光源を頼りに、ざらざらした壁を伝って下りていった。

 そろそろ工房の外の辺りだろうか。脳内に大雑把な地図を描いていると、やっと階段が終わった。どうやらここが最下層らしい。

 どこかで時計が動いているのか、僅かに歯車の音がする。

 光の玉を天井ぎりぎりまで上げると、空間全体が仄明るく照らされた。

 ここは、まっすぐと長細い部屋で、僕が両腕を広げられる程度の幅しかない。

 天井は、傘だけの無意味な照明が一つだけぶら下がっている。部屋の至る所に、埃をかぶった書類が散在していた。

 怖々と部屋の奥へ進む。

 崩れかけの本棚。

 朽ちて骨組みだけになった椅子。

 倒れた机の周囲には、書物やペンが埃に埋もれていた。

 そして——。

「これは、檻?」

 部屋の奥は鉄格子が張られ、牢獄のようになっている。

 格子の向こうは暗くて見えない。

 用途不明のこの檻は、この部屋の異様さを引き立てるのに充分だった。

 檻は、塵こそ積もっているものの、劣化や錆などは一切無い。先ほど見かけた机や棚から感じた時間の経過がまるで感じられない。それどころか、光を照り返すほどしっかりとした光沢を持っている。

 格子の中央にある扉には鍵穴が設けられていた。

 この檻の中には一体何が閉じ込められていたのだろうか。

 ——いや。

 確実に、今もそこには何かが有る。

 そう確信できたのは、この部屋に入った時から聞こえる怪音が、この檻の奥から聞こえるからだ。

「中には何が……」

 鍵を探そうと視線を外した瞬間、視界の端で人のような物を捉えた。

「えっ?」

 思わず飛び退いて光の球を向ける。

 恐る恐る薄暗い檻の中を見る。

「ひっ」

 立っている。

 ——人だ。

 銀髪の少女が、目を閉じてうな垂れるように立っていた。

「……!」

 心臓が肋骨の下で飛び上がるのを感じた。

 少女はぼさぼさの布を肩に羽織っていた。肩や頭には大量の埃が被っている。その様子だけは、この部屋の他の物と同じだ。

「ゆ、幽霊? まさか死体……じゃないよね。も、もしかして、生きて……?」

 白い肌を見て、僕はぎょっとした。

 妙に肌に潤いがあって生々しいのだ。今にも動き出してそうなほどに。

「まさか」

 ——屍蝋(しろう)ってやつ?

 僕の脳裏に一瞬その言葉が浮かんだ。

 死体は長期間空気に触れないでいると蝋のようになると聞いた事がある。

 しかし、状況から見て屍蝋ではなさそうだ。

 ——じゃあ、もしかして。

「にん……ぎょう……?」

 それしか考えられない。

 かなり精巧に作られているけれど、これは人工物(つくりもの)だ。能く観ると、左肩や右の前腕に傷がある。そこから、金属の骨格がちらちら光を反射していた。

 やはり、ずっと聞こえる怪音は、この人形からする。

 ——じゃあ、部屋に入った時から聞こえる音は時計なんかじゃなくて……。

 少女の顔を見上げる。

 瑠璃色の瞳と目が合った。

 ——え?

「さ、さっきは目が閉じていたような」

 それに顔はもう少し下を向いていたような気もする。

 すると突然、目の前の少女の口が開いた。

「……嗚呼、私はまた、失敗したのですね。造物主様(マスター)

 そう言い終わると、少女は膝から崩れるようにして倒れてしまった。


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