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僕が嫁さんの有難味を書くわけ

作者: DJ克明

 新しい住まいでの八重との新婚生活が始まった。荷物もほぼ片付き、あと残されているものと言えば、ベッドとテレビと、あとインターネットができるようにならなければならない。今この文章はパソコンに携帯をUSB接続で繋げているので、インターネットはできるので、それさえあれば問題はないかも知れない。そうだ、僕はネットさえあれば充たされる人間なのだ。数年前にはこんなことはあり得なかった。しかし、自分がなぜ、ネットに嵌っているか、それを論理的に考えることができない。


 ただ、ネットが「面白い」というだけでSNSや小説を書いている。それだけじゃ不満だが、分からないものはどうしようもない。機械社会というものの構造を見事に捉えてみたい。いや、それを農村社会から都市社会にかけて、現在に至る歴史の移り変わりについて、何か本が読みたい。しかし、たぶんチンプンカンプンだろう。僕は難しい本が読めない。それを誇りに思っているからだ。


 そうだった。こんなことを書いている場合ではない。今日はネットの小ネタで持たすつもりはなかった。僕は嫁さんである八重との甘い新婚生活について、書き方次第で何とか面白く書きたいと思っていたのだ。僕の書く主題などそんなたいしたことでない。題はいつも立派に付けることが多いが、本文ではそんなことを論じてはないのだ。ただ、書き方である。脱線もそうであるが、大きな主題も書き方次第だ。


 もちろん、哲学的エッセーという態でである。哲学というのは学問の哲学ではない。一般人が含蓄のある世間話をする程度の、あの「哲学」だ。理念はそんなところで良い。ああ、また脱線してしまった。僕はいつ主題に入るのであろうか。つまり、嫁さんとの新婚生活が始まったと。うちの家は結構、静かです。自分の両親と比べると、笑い声もまだ少ないし、深遠なる話題もまだですが、愛はある。嫁は顔に似合わず、エロティックである。火曜日と土曜日の夜はエッチの日だと決めているし、プレイの方もなんだか楽しい。


 まさか、こんな嫁が俺と一緒になるなんて、という感じの妻なのである。それはぴったしに自分と何から何まで合っているのが好ましいと言っているのではない。ただし、こんなめぐり合わせもありがたいと逆に感謝しているのだ。僕が嫁に感謝していようが、していまいが読者の興味に引っかかる部分ではないのかも知れないけど、僕はいつも、照れてしんどいながらも、恥ずかしいのはあるけれども、嫁の有難味は書くべきだと信じてきた。誰も書かないことだけど、こんな普通のことを書く人が少ないのは、やはり照れているからだろうと思うのである。実際、私は妻への感謝を書いた後、かなりの違和感が胸の奥に詰まる。しかし、どうしても書かなければ妻に申し訳ないと思う一点で、鬼のように書き続けなければならないのだ。ありがとう。


 

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