表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨音色  作者:
9/17

第9話・Knowing each other

「おはよ〜。母さん」



朝の8時30分。



いつもなら未だ布団の中で夢を見ている時間である。



日曜は昼まで眠るのが彼の趣味であり、楽しみであった。



「おはよう。早くご飯を食べてしまいなさい」



ちゃぶ台の上には湯気を立てた味噌汁とご飯、その隣には少量の漬物が置かれていた。



「はぁい・・・」



寝ぼけまなこの彼は、欠伸をしながら正座をする。



「今日お嬢様に会うんでしょ?髪もきちんと整えて行きなさいね」



母が心配そうな様子で彼に言う。



彼は味噌汁をすすりながら頷く。



「前回は牧先生が一緒だったから良かったけど、心配で仕方ないわ。


くれぐれも迷惑をかけてはなりませんよ」



彼は黙ったまま漬物を白米の上に乗せ、それをかきこむ。



「分かった?壮介」



「ふぁい」



最後の米粒と味噌汁を同時に飲み込み、彼は茶碗を持って立ち上がった。



「片付けは良いから、早く着替えてらっしゃい。


待ち合わせに遅れたら、それこそ大変だわ」



彼は苦笑いをしながら、茶碗を流しの所に置き、洗面所へ向かった。





















「・・・すみません・・・。遅れてしまって・・・」



門の前には、一台の車に白い洋服姿の女性と和服の女性が立っていた。



和服の女性が彼を凝視する。



講堂の壁に掲げられた時計は、



待ち合わせ時間である11時から既に30分を過ぎた所を指していた。



「いいえ。今来た所ですよ」



幸花がにっこり笑った。



「本当に申し訳ありません。色々ありまして、つい・・・」



息を切らしながら、彼が深々と頭を下げた。



彼女の隣に立っている、中年の女性があからさまに機嫌を損ねているのが分かる。



「・・・お嬢様を待たせるなんて。車でお越しになれば宜しいものを。


それに、そのような・・・」



「タマ、申し付けた時間になったらここに迎えにきてちょうだい」



幸花がタマの言葉を遮る。



「・・・かしこまりました」



そう彼女は言うと、しぶしぶ車の中に戻っていき、その場を走り去った。



彼らの姿が消え去ると同時に、彼女は彼を見ながら言った。



「今日は先日と違って髪を整えてきていらっしゃらないのですね」



彼女の言葉に、彼は一瞬その意味を飲み込めないでいた。



「え?・・・あ、すみません。走ってきて、それでこんな状態に」



藤木が恥ずかしそうに頭を掻く。



ぼさぼさな髪が、その状態に拍車をかけた。



ずり落ちていた眼鏡をそっと元の位置に上げる。



丁寧に上げないと、壊れてしまうからだった。



「でも、仕方ありませんね」



彼女は満面の笑みを称えながら、彼の隣に来た。



「どこか案内してくださりませんか?


出来れば私が知らないような場所に」



しばらく悩んで、彼が答える。



「・・・それじゃぁ、お腹空いてません?」



「え?」



彼女は目を丸くする。



昼に近いとはいえ、出会ってすぐに昼食とは考えていなかった。



「おいしい洋食屋があるんで、案内します」



彼女はまるで、奥の見えない山林の入り口にいるような気分がしていた。





















「・・・いつもここでお食事を?」



午前11時45分。



『エリーゼ』と書かれた暖簾が掲げられたと同時に入ったその食堂には、



当然のことながら、客は彼ら二人だけだった。



「オムライス2つ!」と入った瞬間叫ぶ藤木に、彼女は驚いた。



「ここではそういう風に注文なさるのですか?」



「そうです。カフェーでは軽食しかありませんし。


こういう所は、初めて・・・ですよねぇ」



彼らは近くの木製のテーブル席に座った。



店内はカウンター席とテーブル席からなっており、



店の奥には欧州の置物や蓄音機等が飾られていて、



西洋の雰囲気が漂っている、極普通の―彼女からすれば異世界の―食堂であった。



「いえ、ただ驚いただけで・・・こちらにはしばしば来られるのですか」



「えぇ。牧先生に良く連れて来てもらうんです。ここのオムライスは最高なんですよ」



彼が無邪気に笑う様子は、彼女の心を飛び上がらせる。



「そういえば幸花さん。あなたのご趣味は何ですか?」



彼は思いついた様に彼女に質問した。



実は藤木は、見合いの帰りに、牧とその妻晃子に叱られたのである。



趣味を知ることは相手を知る事。



それを知らずに自分の話ばかりするのではない、と。



「・・・絵を描きます」



彼女は少し顔を赤らめて答えた。



「絵?」



「そうです。草花とか、猫とか、人物とか、光景全体とか・・・」



「すごいなぁ。今持ってらっしゃったります?」



彼はそれがスケッチ画のようなものだと思っていた。



「いえ、今は持っておりませんが、私、絵を描く事が好きで、油絵等もするんです」



今度は彼が目を丸くする番だった。



「山内さんは、芸術家でいらっしゃったのですか?」



彼が素っ頓狂な声をあげた。



「いえ。そんな大層なものでは・・・。でも、いつか・・・」



「いつか?」



藤木が少し身を乗り出した。



「仏蘭西に行ければって、思っているんです。


ほら、先日、モネの絵の話、したではありませんか。


あの光景を、実際目にしたいなって。


それで、私も描くのが夢なんです。


同じ風景の、あの絵を・・・」



彼女が少しばかり目を閉じる。



その瞼の裏には、あの光景が浮かんでいるのだろう。



その姿を彼は見つめた。



同時に、ある言葉が脳裏をかする。



『運命』という一言が。



「山内さん、貴女は・・・」



彼が呟く。



眩しそうなものを見つめるかのごとく、少し目を細めながら。



「え?」



その眼差しに、彼女は戸惑った。



そして、混乱した。



「いえ・・・。


それならばエリーゼを出た後、良い所に連れて行ってあげますよ」



彼がいたずらっぽく笑う。



湯気を立てたオムライスが二人の前に運ばれてきた。



「藤木先生、あんた今日はえらいベッピンさん連れてきてるねぇ」



運んできた女性は、ここの店の主人だった。



「お嬢さん、この人、こう見えても頭が良くて面白い人だから。


仲良くしてあげてよ」



「止めてくださいよ、女将さん」



彼が恥ずかしそうに下を向く。



「えぇ、私もそう思っています」



彼女は心の底から、その言葉を口にした。



前に置かれたオムライスの、



湯気に乗せられた美味しそうな匂いが鼻をくすぐってくる。



「ではいただきましょう」



「・・・えぇ」



スプーンを右手に持った瞬間、彼女は不思議な気持ちになった。



きっと、ここから先、未知なる世界が広がっている。



妙な確信が、彼女を微笑ませる。



「あれ?食べないのですか?」



きょとんとした様子で、藤木が尋ねてくる。



「え?いえ、えっと、これはこうやって食べれば良くって?」



彼女は藤木の見よう見まねで、スプーンでオムライスを掬ってみた。



「そう。さぁ、早く食べてみてください」



無邪気な彼の期待に応えんが為に、



彼女はいつもよりも大きな口を開けて、それを食す。



「・・・どうです?」



「おいしいです。とっても」



彼女は満面の笑みで答えた。



それにつられてか、彼も笑い返す。



「あ!そうだ。今日貴女様に会うから持ってきてたんです・・・」



そう言うと、彼が鞄を持って厨房のほうに向かう。



「藤木さん?」



彼は女将さんに何か言うと、店の奥に歩いていった。



そして鞄から大きな黒い何かを取り出し、そこに置かれていた蓄音機の上に載せる。



しばらくして、彼が席に戻って来た。



聞き慣れない音楽を背に載せて。



軽快な旋律に、初めて聞く楽器の音色。



「・・・この音楽は?」



「これがジャズですよ」



「・・・これが?」



彼が席に着いた。



彼女は音がする方に耳を傾ける。



体が軽くなっていく感覚に襲われた。



心が躍りだしそうな演奏に、思わず笑みが零れる。



「いかがですか?ジャズは。僕は好きなんですが・・・」



彼が心配そうに尋ねる。



「・・・とっても素敵です。こんな音楽もあるのですね」



「良かった。今日遅刻した甲斐があった・・・」



彼が照れくさそうに笑う。



「え?」



「・・・あ」



彼が手を口で抑えたが、時既に遅し。



堪忍した様子で、彼は話し始めた。



「来る途中で貴女様にジャズを聞かせる約束をしたことを思い出したんです。


それで家に取りに帰ったら、電車を逃してしまったんですよ」



そう言うと、彼は急いでオムライスを駆け込んだ。



彼女はその様子を見て、心の奥が暖かくなっていくのを感じていた。



「ここは牧先生の馴染みの店で、あの機械も西洋の置物も、


全部牧先生が若い頃欧州で購入したものらしくて。


貴女様をここにお連れするつもりだったから、


ここでお聞かせできると思ったのですが、結局待たせてしまって。


申し訳ありませんでした」



彼は、スプーンを置いて、済まなそうな様子で頭を下げた。



彼女は慌てて手を振った。



「いえ、そんな風になさってくださったのに、謝らないで。


むしろ私の方こそ先日の無礼を貴方様に謝っておりません」



「それじゃあ、お相こということで」



彼の顔に笑みが戻る。



彼女は思う。



この人とならば、姉達とは違った生活を送れるかもしれない、と。



「さぁ、冷めてしまいますよ。早く召し上がってください」



二人はスプーンを持ち直し、目下のオムライスに舌鼓をした。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ