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雨音色  作者:
8/17

第8話・展開

「お嬢様」



部屋で髪をとかしていると、タマが部屋に入ってきた。



「何?」



鏡台に映るタマが、彼女を見て微笑んでいた。



「お嬢様が鼻歌を歌ってらっしゃるのは、久しぶりでございますね」



両手にベッドシーツを抱え、目を細めてタマが言う。



「そうだったかしら」



出鱈目な旋律に乗せたその歌を、彼女は恥じることなく歌い続ける。



長い髪を丁寧にブラシでとく。



丁寧に、丁寧に。



「・・・好青年だったそうですね。今日の方は」



ベッドの上に真っ白なシーツが勢い良く広がった。



髪を梳く手が、一瞬止まる。



「・・・お父様がそう仰っていらしただけでしょ」



幸花がブラシを鏡の前に置いた。



長い髪を三つ編みに編んでいく。



「お嬢様。恋は女を綺麗にしますよ」



幸花は勢い良く彼女のほうを向いた。



心なしか、その頬が赤く見える。



「タマ!そういう事じゃないわよ。私はただ・・・」



「はいはい。早くお休みになられてくださいな」



レースが施された寝巻きが、床の上をかする。



「・・・タマ」



「はい?」



二人がベッドの上に腰掛けた。



「・・・お父様に伝えといて。幸花はまたお会いしたいと言っていたって」



「はい。承知いたしました」



タマは吹き出すのをこらえるのに必死だった。



「誤解しないで。


ただ、面白い方だからまたお話しを聞きたいだけ。


助教授だからお話もお上手なの。


それに私の好きな画家も知ってらっしゃったし。


新しい西洋音楽についても勉強したいし・・・」



幸花が早口で話し出す。



いつになく雄弁な彼女を、タマが落ち着かせる。



「はいはい。今度お会いになる時も、タマが綺麗にして差し上げますよ」



「・・・ありがとう・・・」



溜息にも似た呟きが、彼女の口から零れ落ちる。



「もうお休みなさいませ」



タマが立ち上がった。



「お休みなさい」



薄いブランケットを幸花の上に掛けた。



彼女が目を閉じる。



気のせいか、その口端はいつもより少し上にあがっていた。





















「おはようございます・・・」



頭はぼさぼさ、古びた和服姿で現れたのは、藤木であった。



着用しているのは、ひびの入ったいつもの眼鏡だった。



「おう。おはよう!」



そんな彼をいつもよりも明るい笑顔で迎えるのは牧であった。



「・・・何で今日はそんなに機嫌が良いのですか」



頭を掻きながら、欠伸をする藤木の背を勢い良く牧が叩く。



「痛いですよ、先生」



「何を言う。私はずっと心配していたんだ」



彼が藤木の肩に手を回す。



「お前みたいな、優しいけどどこか頼り無さそうで抜けている感じのする男は


女に好かれないからな・・・。しかし、これで一安心だ」



「・・・どういうことですか?」



妙な胸騒ぎがした。



「来週の日曜日、幸花お嬢様がお前に会いに来たいとおっしゃってるらしく、


女中の方から都合は付くかと電話があってな。もちろん大丈夫と答えておいた」



「・・・はい?」



再びその背をぽん、と軽やかに叩く。



「いや、実は彼女、かなり難しい性格だと他の見合いした助教授が言っていたが、


君はどうも好かれたみたいだ」



ははは、と明るい笑い声が研究室に響き渡る。



「・・・ちょっと待ってください。僕はまだ・・・」



藤木が口を尖らせる。



「良いじゃないか、女性とは付き合ったこと無いのだろう。


女と遊ぶこともしないで勉強ばかりしていては、つまらん人生になってしまう。


女と酒は人生の必需品なのだから」



「・・・」



適当な反論ができず、ただ黙っているしかなかった。



牧の言う事は図星だった。



勉学に明け暮れた学生生活、女性との交流は実の母と嫁いだ姉ぐらいであった。



「お前も彼女は嫌いではあるまい。


君はああいうお嬢さん、元気で芯の強そうな女性が好きなのだろう。


私は無論お断りだがな。


気軽にお茶でも飲んで街を歩けば良い。


嫌なら断れば済む話だ」



「何故元気で芯が強いとお分かりなのですか?」



妙なことを聞く、といわんばかりの表情で牧が答える。



「財閥のお嬢様で、あんなに端麗な容姿であるにも関わらず、


今回の見合いが初めてではないと聞いている。


それに見合いの席ではずっと膨れっ面。


一言も喋ろうとはしない。


きっと今までもあんな調子だったのだろう。


それに帰って来た時、彼女の靴は土で汚れていた。


よほど二人で歩いたに違いない。


普通お嬢様は靴が汚れるほど歩くことはない。


体力が無いからな。


しかし、彼女はそれほどまでに歩けるほどの体力がある。


以上の要素からかかる結論を導き出せないのであれば刑法学者失格だ。


加えて、君のお母様も嫁がれた御姉様も、同じような性格をしていらっしゃるからね」



彼の顔が仄かに赤くなる。



病気になる前の母も、嫁いでいった彼の姉も、



女性にしては珍しく、したたかであった。



それに比べて、父は温和で、怒鳴ったりしたことはなかった。



事実、彼女から叱られた時、彼は一瞬懐かしい気持ちになった。



幼い頃、



母からよく「堂々と物を言えるように」と怒られた事を思い出したのだった。



それ故なのか、どうも良家のおしとやかなお嬢様には苦手意識があった。



一度だけ、父親が存命の頃、



親戚の勧めで他大学の教授の娘と見合いをしたことがある。



しかし、足が痺れた事しか記憶に残っていない。



それ以来、見合いの申し出は全て断ってきた。



彼女に会いたくない、と言えば嘘になる。



正直に言えば、会った瞬間、その美しさに目を奪われた。



あのはっきりした性格も、嫌ではない。



むしろ、いわゆる『好み』の婦人なのかもしれない。



しかし、『結婚』という文字は、未だ彼には遠く感じられた。



それを語るには、未だ早過ぎる気がしてならない。



牧が自分の机に戻った。



彼は昨日借りた洋服を牧の机のそばにあるコート掛けの所に置く。



「先生、昨日の服、ここに置いときます」



「いや、それは返さなくて良い。また会う時にそれを着用しなさい」



彼は笑った。



藤木は自分のこめかみが少し痙攣しているのを感じるのであった。



「おっと、もうこんな時間だ」



壁に掛けられた振り子時計が、荘厳な音を鳴り響かせる。



「先日の大審院の判例について、


講義してくれるよう頼まれておるからの。行くぞ、藤木君」(*)



牧が帽子を被り、片腕に数冊の本を抱える。



残りの大量の本を、藤木が抱え込む。



その足取りは、いつものそれより軽く、まるで踊りのステップを踏んでいるようだった。



藤木は小さく溜息をつきながら、その後に付いて行くしかなかった。





















*注

大審院

現在の最高裁判所の前身。

1875年(明治8年)に設置され、1947年裁判所構成法の廃止に伴い廃止。






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