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雨音色  作者:
7/17

第7話・意外な返答

「・・・あの・・・」



そこは、静けさが漂う閑静な庭園だった。



川のせせらぎが、涼しげに響く。



二人は川の上に掛けられた橋の上を歩いていた。



「・・・はい?」



彼女は立ち止まることなく歩き続ける。



「・・・あ、いえ・・・」



思わず彼は口ごもった。



「・・・」



再度の沈黙が切って落とされる。



「あの・・・」



二人の間だけ、気まずい雰囲気が漂う。



「何ですか?」



「・・・いや・・・」



彼女はそのまま先に進んでいった。





















ここに到着してから既に30分が過ぎている。



庭園に来てから、二人の間にあるのは、呼びかけだけの繰り返し。



幸花は足早に藤木の前を歩く。



藤木は彼女の数歩後ろを追いかけるかのように歩いていた。



まるで鬼ごっこをしているかのように。



幸花は藤木の方を見ようともしない。



それもそのはず。



彼女の心は、部屋を出たときにした1つの決心で占められていた。



『必ず相手方から断らせる』



父が気に入ってしまった以上、残された手段はそれしかない。



彼女は頭の中でその言葉を先ほどから呪文のように何度も繰り返し唱えていた。



そして彼が話し掛けてくる度に相手を睨み、



語尾を強くする、



しかし暴言は吐かない・・・出来る限り。



これが彼女の戦略だった。



「あの・・・山内さん」



それは何度目になるかも分からなくなるほどの呼びかけだった。



彼女のいらつきは既にピークを超えていた。



「・・・何なのですか、さっきから。


言いたいことがあればさっさと仰ったらいかがですか?


殿方であればはっきりと物怖じせずに物を言うのが通でしょう。まったく・・・」



彼女は初めて彼の方を振り向き、強く睨み付けた。



彼が困ったように自分の頭を掻く。



「すみません」



彼が頭を下げる。



その態度に、彼女の怒りは益々湧き上がる。



「そういう意気地の無い殿方では先が思い遣られますわ。


そもそも、貴方様は大学の助教授でいらっしゃるのでしょう?


だったらはっきり言うべき事を言うのが当然でしょうに」



彼が呆気にとられたような顔をした。



「申し訳ありません。


それでは、先ほどから気になっていたことをお尋ねしますが・・・」



彼が一呼吸置く。



「お見合い、嫌でなさってるのでしょう?」



「は・・・」



肩の力が一気に抜けていく。



今度は彼女が呆気にとられてしまう番だった。



まさかここまで直球に尋ねられるとは予想しておらず、多少面食らってしまったのである。



彼女はこれまでの見合いの経験上――それも助教授ばかりだったのだが――



上る話題は自己の研究課題と海外留学のことだけだと思っていたからだ。



「無理なさらないでください。正直なことを言っていただいて構いませんよ」



「・・・」



そこまで言われてしまうと、本当の事が言えなくなってしまう。



彼をまじまじと見つめた。



「・・・父にそう言われたのですか?」



彼女が怪訝そうに尋ねた。



「いえいえ。貴女様の様子からすれば明らかですよ」



彼が朗らかに答えた。



食事中、彼女は一度も彼の方を見向きもしなかった。



一言も発することなく。



一応相手は学者。



それだけすれば気が付くに決まっている・・・。



彼女は恥ずかしさで自分の頭に血が上っていくのを感じていた。



「実を言えば、僕もです」



「・・・はい?」



予想だにもしていない発言。



「今日のお見合い、僕も突然入れられて、訳も分からずここに連れられて来て


今貴方と此処で散歩するに至っている次第です」



彼がにっこり笑う。



「・・・そう・・・でいらっしゃるのですか」



突然の彼の話に、彼女は戸惑っていた。



今まで全ての相手が、自分の家の名誉と財産欲しさに



見合いを申し入れているのかと思っていた。



いや、正確に言えば、



彼が初めて、そのような目的を持たない相手だった。



「えぇ。だからお互い、普通に会話して、この時間を乗り切りましょう」



立ちすくむ彼女の隣に、彼が隣に来た。



その時、彼女の心が一瞬震えた。



「あ、そうだ、クロード・モネという画家をご存知ですか?」



「え?えぇ、まぁ・・・」



突然の話題の変更に、彼女はまた驚かされた。



「私達が今立っているこの橋、似てませんか?


彼の作品の・・・えっと、何でしたっけ、作品名」



「・・・睡蓮・・・ですか?」(*)



「そう、それです。僕、去年まで欧州にいた時、見る機会があったのですが、


とても素敵でした。それで、そう、それを思い出したんです」



「・・・」



「僕、あまり絵心無いんです。


何てったって、学生時代、僕の美術の成績は『丙』でしたし。


でも、あの人の絵には感動しました。


何と言うか、あの柔らかな光の描き方、というか、西洋画独特の・・・」



優しく笑う彼に、思わず彼女は見入ってしまった。



「あれ?僕何か変な事言いました?すみません。


僕、普段は男ばかりの生活で、あまりご婦人の方々と話し慣れておらず・・・。


ご無礼をお許しください」



男が深々と頭を下げる。



「いえ・・・。あの、私、モネが好きなんです」



内心では、彼女はかなりの動揺を覚えていた。



彼は、少なくとも今まで見合いをしてきた男性の中では、初めての例である。



仕事の話をしない。



正直に物を言う。



そして謙虚な姿勢。



これまでの男性の中には、自分の専門分野しか話せないつまらない男や、



普段から遊女と一緒にいるのだろう、明らかに女性の扱いが慣れている、



挙句の果てには傲慢、といったそのどちらかだった。



学者馬鹿と不潔且つ傲慢な男の識別は、既に彼女の得意技となっている。



しかし、彼はそのどちらにも属さなかった。



「そうですか。それでは、美術に興味がおありなんですね」



「・・・えぇ、女学校時代は美術の成績は『甲』でした。特に西洋美術は」



男は嬉しそうな声を上げた。



「本当ですか?凄いなぁ・・・。僕には無い才能をお持ちなんですね。


あ、それではもしかして、西洋音楽には興味ありますか?」



「ピアノとバイオリンは習っております・・・」



「それでは、『ジャズ』というのは、ご存知ですか?」



「え?ジャ・・・」



「ジャズです。


僕が独逸にいた時、一緒に留学していた亜米利加人の友人が教えてくれました。


サックスという・・・うーん、大きな笛、とでも言いましょうか、


そのような楽器とか、ピアノとかも使うんです。


黒人音楽なのだそうですが、クラシックとはまた違って何というか・・・。


あぁ、こういう時に芸術的な表現力があれば良いんですけど」



彼は恥ずかしそうに頭を掻いた。



その仕草があまりに子供っぽく、彼女は思わず噴出してしまった。



「え・・・。あ、ごめんなさい。また何か僕・・・。


あ、牧先生に頭を掻くのは止めろと言われているのに、またやってしまった・・・」



彼が恥ずかしそうに自分の頭を掻く。



「いえ。面白い方だと思いまして。・・・ねぇ、藤木さん」



「はい」



一回胸に息を溜め、言葉と同時に吐き出す。



「専攻は刑法でいらっしゃいましたよね」



「えぇ。独逸刑法が中心ですが」



「刑法の研究についてはお話なさらないの?」



「え、興味がおありなのですか?」



彼が意外だ、と言わんばかりに目を丸くした。



「いえ、ただ・・・」



彼女はますますたじろいた。



いつもには無いパターンである。



今まではそう吹っかけた瞬間に、目を輝かせるのが通例だった。



「聞きたくないでしょう。興味が無い話なんて」



「・・・」



彼が声をあげて笑う。



「僕も経験があるんです。


興味の無い講義を取らされて、危うく『不可』になる所でした。


特に刑法は物騒ですから、女性は好まないかと。


あれ、もしかして興味がおありで?」



「いえ、そういう訳では・・・」



彼女は考えた。



彼を形容する言葉を、『多少』から修正する必要がある、と。



『大分』彼は今までの見合い相手とは異なる、という言葉が相応しいようだ。



「あの・・・藤木さん」



彼女は俯き加減で言った。



「はい」



「宜しければ、その・・・ジャズ・・・でしたっけ?」



「えぇ」



えへん、と軽く彼女が咳払いをした。



「聞いてみたいですわ、そのジャズという音楽を」



「もちろん。友人からレコードと蓄音機を貰ったので、機会があれば是非」



彼が微笑んだ。彼女もそれにつられて微笑み返した。

















注*

『睡蓮』について。

フランスの画家クロード・モネ(1840年11月14日-1926年12月5日)の代表作。


本作品中の『睡蓮』は『睡蓮、緑のハーモニー』(1899年)を意味します。



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