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雨音色  作者:
15/17

第15話・真実と現実の狭間で。





「はい、どちらさま・・・」



玄関の扉を開けると、真新しい記憶に残っている女性の姿が、そこに立っていた。



「・・・よくここがお分かりで」



彼は穏やかに言った。



「少しばかし、時間を頂けますでしょうか」



彼は玄関方から外に出て、戸を閉めた。



ガラガラ、という音が大きく響く。



彼女は彼を前にして、何かを躊躇っている様だった。



何も聞こえない。



ただ、鈴虫の歌声のこだまを除いては。



少しして、彼女が静かに話し始める。



「・・・私のせいでございます」



「はい?」



唐突な彼女の言葉が、その場を浮遊する。



「私が旦那様に申し上げました。貴方様が庶民であることを」



突然のタマの発言に、藤木は戸惑った。



鈴虫の鳴き声が、静けさの中で、そのか細さを響かせていく。



「ある日偶然、私は貴方様が庶民であることを知ってしまいました。


私はとても悩みました。


この事を、旦那様に伝えるべきかどうか。


そこで、こう考えたのでございます。


お嬢様は今まで苦労などしたことはございません。


世間知らずのお嬢様がこのまま貴方様に嫁ぐことになれば、必ずやお嬢様本人のみならず、


貴方様までをも苦しませる事になる、と」



頭上に輝く満月が、柔らかく彼らを照らす。



「違う身分同士の結婚は、祝福されません。


下からは妬まれ、上からは恨まれます。


貴方様も学者様であれば、このような事はお分かりでしょう」



タマは吸えるだけの息を胸に取り込んだ。



「わざわざその事をお伝えに・・・?」



「いえ、それだけではございません」



彼女は少し俯いた。



「私は先程、貴方様に嘘を付きました。


お嬢様は元気であると。


しかし、実はお嬢様は貴方様に会えなくなってからというもの、


毎日泣いて暮らしております。


あんなに悲しまれるお姿は、


お母様がお亡くなりになって以来でございます」



タマが悲しそうな顔をした。



「タマは耐えられません。


あんなお姿を見続けるのは。


そこで恥を承知で、


貴方様に頼みたいことがございます」



「何でしょう」



彼が優しく微笑んだ。



これ以上無い程に。



少しの躊躇いの後、静かに彼女が呟く。



「・・・お嬢様に1度、会っていただけませんか。


会って、貴方様を諦めるよう、説得してくださりませんか」



沈黙が再び落とされた。



鈴虫の鳴き声が、彼らの間をさ迷う。



彼は瞼を落とした。



そして瞳を閉じたまま。彼が口を開いた。



「その必要はございません。


僕は早ければ年内に独逸に向かう予定です。


日本には当分帰れません。


僕達は縁が無かった、と。


そう、お嬢様にお伝えください」



藤木は瞼を開き、再び微笑んだ。



開いたその瞳に、迷いは映っていなかった。



彼は分かっていた。



今こそ幕を引く時なのだ、と。



所詮、身分違いの恋など、西洋の映画のように実るはずがない。



現実とは、そういうものなのである。



「・・・承知いたしました。タマの無礼、どうかお許しくださいませ」



タマが、深く頭を下げる。



「いえ。僕の方こそ、故意ではございませんが、


身分を偽っていた事を謝罪しなければなりません」



彼も同じく、頭を下げた。



そして、彼女は顔を上げ、出口の方にその足先を変えた。



「・・・藤木様」



しばらく歩いて、タマが立ち止まった。



「貴方様は、お嬢様のことを好いていらっしゃいましたか」



暫くして、彼女の背中に暖かな言葉が反射した。



「えぇ。そう・・・だったようです」



何も言わず、タマは再び歩き始めた。



彼はその姿を、見えなくなるまで見送った。



暫くの間、彼はその場で、



胸の奥でじわりと疼く締め付けてくる痛みを、噛み締めていた。









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