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雨音色  作者:
12/17

第12話・儚い夢




「お嬢様」



扉を叩く音と同時に、タマが部屋に入ってきた。



「何?タマ」



幸花は鼻歌を歌いながら、鏡台の前で髪を梳かしていた。



その姿を目にして、心の奥が少し苦しくなるのを、



タマは感じていた。



「お父様がお呼びでございます。居間に来るようにと仰せつかっております」



「居間に?いかがされたのかしら」



彼女は櫛を置いて、立ち上がった。



「ありがとう。今行くわ」



彼女はタマに微笑んで、居間へと向かった。



タマは何も言わず、その後ろを付いて行った。





















「お父様、お呼びですか」



父の英雄が、ソファの上で前かがみになって、座っていた。



その目は厳しく、その焦点がこげ付くように感じられた。



「・・・座りなさい。話がある」



顔も上げずに、そのまま話し出す。



胸騒ぎがした。



険しい様子の横顔が、これからの話の内容が良くないことを伝えてくる。



「・・・いかがなさったのですか」



恐る恐る尋ねてみた。



父は直ぐには口を開かなかった。



しばらくして、二人の間を流れる沈黙が破られる。



「今までのことは、なかったことにする」



彼女は、父が何のことを喋っているのか、分からなかった。



「・・・どういう意味ですか?」



「・・・彼との見合いは、無かった事にする」



「え?」



ようやく、父が意味する事が明らかになってきた。



同時に、彼女の手に、冷たい汗が滲み出す。



「お父様。おっしゃっている事が、私にはよく理解できません」



気がつけば、手足が小刻みに震えていた。



「とにかく、また違う人と見合いをしなさい。そういうことだ」



父はそう吐き捨てると、突如立ち上がり、部屋を出て行こうとした。



「待ってください!お父様。


一体どういうことなのですか?


幸花には理解できません。


何故そのような事をおっしゃっているのですか?」



必死の思いで、彼女は叫んだ。



父の足が止まる。



刻まれた眉間の皺が、一層深くなる。



「・・・彼は幸花に相応しいとは思えない」



「お父様!幸花は納得できません!お父様だって、食事の時・・・」



「口答えをするな!」



突然の大声に、彼女は押し黙った。



生まれて初めて、父の怒鳴り声を耳にした。



「とにかく、もう彼とは会ってはならない。


彼のことは忘れなさい。


それだけだ。戻りなさい」



ばたん、と大きな音をたてて、扉が閉まる。



「・・・どうして・・・」



一言、それだけが彼女の口から零れた。



目の前の世界が、果ても無く回り続ける感覚に襲われる。



彼女はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。





















「おはようございます」



牧の研究室のドアを開けた。



「・・・藤木君か」



椅子に座っていた牧が顔を上げる。



心なしか、普段より声に張りが無い。



「どうされたんですか?元気が無いようですが」



牧が一度口を開け、閉じる。



何かを躊躇しているようだった。



「・・・君に伝えることが2つある。


良い事と、悪い事だ。どちらの方を先に聞きたい?」



そんな二者択一、出来ればあって欲しくなかったが。



そう、彼は考えた。



しばらくして、彼が答えた。



「悪い方から、お願いします」



彼がにっこりと微笑む。



牧は大きなため息をついた。



珍しく緊張した面持ちを、牧はしていた。



「・・・先ほど山内殿から連絡があった。


見合いの話は、無かった事にして欲しいということだ」



牧が、光の刺す窓の方に目を遣った。



「理由は?」



藤木は落ち着いた様子で尋ねた。



「・・・先方に君の情報が誤って伝わっていたようだ」



「僕の?」



牧は窓の外を眺めたまま話し続けた。



「私に実際見合い相手を探すよう頼んできた者が、


君についての誤った情報を山内殿に伝えていたようでな・・・。


その、ほら、君の・・・」



藤木は、電話が掛かっている方を一瞥した。



断られた理由。



誤った情報。



大方の予想は付く。



何の情報についてか、なぞ。



「・・・そうですか。それは残念です」



彼は静かに微笑んだ。



「先生、そんな済まなそうな顔をしないでください。


元々僕は女性とは縁がない人生です。


それに、元々不可能ですよ。


僕みたいな貧乏学者で、あのような女性を養う事は。


むしろそれで良かったかもしれません。


ところで、良い話の方とは?」



牧が我に帰ったように、藤木の方を向いた。



「あぁ。昨日、友人に君の論文を見せたら大層興味を持ってな。


是非君に今度の学会で発表するように言っていたよ」



「本当ですか?」



彼が大きな声をあげた。



「あぁ。それも、友人は・・・ほら、彼だ。野村君だ」



「野村先生ですか?それは光栄です」



野村教授は、政府でも法学者として立法分野で活躍している教授だった。



「それに、学会の発表が成功すれば、


今度の国費留学対象者に、君を推薦したいとも言っていた」



「・・・本当ですか?」



昨年、1年間大学から留学を経て、更なる研究を進めたいと思っていた彼には、



願ってもない機会だった。



「お母様の心配はするな。


また前の留学のときの様に我々の所に来れば良い。


内の家は、部屋は腐るほど空いているから」



牧はそう言うと、立ち上がって藤木に近づいて来た。



そして、彼の肩を軽く叩いた。



藤木は、ただその唇に微笑を称えていた。



「では先生、僕はそろそろ授業の準備をしなければ」



彼は自分の研究室へと戻って行った。



ばたん、と扉の閉まる音が研究室に響く。



その音は、いつもより小さく、牧には聞こえていた。





















後20分もすれば、今は夕焼け色に染まるその場も真っ黒い闇で染め上げられていく。



藤木は大学近くの土手にいた。



帰り道に寄る事は初めてだった。



授業が終わって、帰路に付いていた途中、



何故か無性に、ここに立ち寄りたくなった。



夕日色の光の中に腰を下ろす。



その橙色の光が、胸の奥をざわつかせる。



何故だろう、藤木は考えてみた。



思い当たること。



今朝、見合いをした女性に断られた旨、告げられた。



これだけしかない。



でも、それは同時に、



それだけの事に過ぎない。



これは、それ以上の、又はそれ以下の意味も成さない。



その事は痛いぐらい、良く承知している。



ふと、彼女と会った時に感じた眩しさを思い出す。



眩暈にも似た感覚を生じさせる、強い輝き。



不意に胸の奥底が苦しくなった。



ぎゅ、と締め付けられるような苦しみが、



全身へと広がっていく。



ゆっくり、ゆっくり。



じわり、じわり、と。



「もう、会えないのか・・・」



あるがままの事実を言語化させてみた。



不思議なことに、胸の痛みが更に強まっていく。



息ができなくなる位、それは胸を締め付けていった。



彼は両膝を抱え込んだ。



顔を膝に埋める。



目頭が痛いぐらい熱く感じられた。



生暖かい風が、彼の傍を吹き抜ける。



夏の残り香が、その場を渦巻いていた。













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