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雨音色  作者:
10/17

第10話・眩しく、輝く。

「・・・あぁ、おいしかった!」



エリーゼを後にして、二人は再び大学の方へ向かっていた。



時はまだ、昼時のピークを迎えたばかりだった。



通りは昼食を求める人で混雑している。



「藤木さん、どこへ向かっていらっしゃるのですか」



彼女はきょろきょろとあたりを見回した。



「大学の側にある土手です」



「土手?」



「えぇ。実は、そこ僕のお気に入りの場所で、よくそこで昼寝をしたりしてるんですよ」



彼が楽しそうに話し出す。



同じ歩調で、夏の日差しの中を二人は進んで行った。



「春は桜が満開で、夏は青々とした緑の絨毯が出来るんです。


そこで寝転がっていると、本当に幸せな気分になります。


傍には川も流れてて、水の流れが子守唄になるんですよ」



「素敵ですね」



「もうすぐ着きますよ。ここを曲がれば、ほら」



道を曲がると、先ほどまで混み合っていた道とは一点、



閑静な街路樹のアーチがある通りが真っ直ぐに伸びていた。



そして彼が指差した先は、彼女が今までに見てきたた絵の中の世界が広がっていた。



「わぁ・・・。東京にもこんな場所があるなんて知らなかった。


絵にしたら、どんなに素晴らしいかしら」



「えぇ。きっと素敵な・・・て、あれ?幸花さんって、おーい」



彼女は土手の柔らかい芝生の上に乗ると履いていた靴を脱いだ。



そして斜面を一気に駆け上り、川に向かって下って行く。



彼も急いで彼女の後を追った。



その背が視界に入る。



同時に、自分の心臓が強くその音を全身に響かせていた。



それが走っているせいなのかは、良く分からないが。



ふいに、前方を走る彼女が立ち止まった。



肩で息をしながら、彼女の横に立つ。



「山内さん、一体どうされたんですか・・・。突然、走り出されて・・・」



切れ切れの息をする彼をよそに、彼女は真っ直ぐに、広がる風景を見つめていた。



ちらり、とその横顔を見た。



その時、彼は自分の心臓が強く音を打つ理由を悟った。



一瞬、立ち眩むほどのまぶしさを覚える。



ホテルのロビーでみた光よりも、まぶしいほどのものを。



そして、初めて判った。



自分の心が、彼女と再び会うことを、切に願っていることを。



「貴女は・・・すごく・・・」



夏の匂いを僅かに強い風が、二人の間を吹きぬける。



「はい?」



長い髪を抑えながら、彼女が顔を向けた。



「いえ、あの・・・。幸・・・花・・・さん」



名前を呼ばれた。



彼女は思わず彼を見つめた。



初夏には珍しく、強い風がまた吹いた。



「もしよろしければ・・・また、この土手に、二人で来ませんか。


その、今度は・・・スケッチをしに」



彼は自分の胸が、今さっきよりも速い速度でその鼓動を奏でているのを感じていた。



自分の頬が赤く染まっていくのが分かる。



そして、気のせいか、彼女の頬も少し赤いように見えた。



藤木は無性に自分の髪の毛をぐしゃぐしゃにしたい気分になった。



「幸花さんがよろしければなのですが・・・」



「あ、はい。是非喜んで・・・。壮介・・・さん」



きらきら輝く水面に、二人の姿が見えた。



そこには、微笑み合う彼等が映し出されていた。






















「お嬢様」



タマが彼女に話し掛ける。



明らかに分かる、彼女の怒っている様子が。



このようなタマの声を聞くのは久しぶりであった。



「本当にあの方なのでございますか?藤木様というのは・・・」



「えぇ。そうよ。それについて何か?」



静かな車内の中、助手席のタマの声が響く。



「いえ・・・。ただ、何故今回はかような方なのかと・・・」



今度は彼女の機嫌が悪くなる番であった。



「私の自由です。あの方が今までで1番良い方なのだから」



「しかし・・・」



「タマ。だまってて」



後部座席からの声は、鋭く尖っていた。



「・・・はい」



それから二人は屋敷まで一言も交わさなかった。





















「先生、いらっしゃったのですね」



「おぅ。お嬢さんとはもう別れたのかね」



試しに研究室を覗いてみると、牧が何かを読んでいた。



「えぇ。今日は4時から絵のお稽古があるようで・・・。


先生、何を読んでいらっしゃるのですか?」



彼が近づいてみると、それは藤木の論文であった。



「明日、同じ刑法学者の友人に会うんでね、君の論文を読んでもらおうと思っているんだ」



「本当ですか」



彼は喜んだ。



「あぁ。今回のは中々興味深い」



そう言うと、牧はその論文を机の上に置き、藤木の方に向き直した。



「それはそうと、お嬢さんとはどうなんだ」



しかし、彼は答えを聞く前に、既に分かっていた。



みるみる内に赤くなるその頬が、彼の気持ちを全て物語る。



牧は自分の口髭を触り始めた。



「良い事だ。近いうちに二人で飲もう。


いや、家内もお前のお母様も混ぜてやろう。


今度家に着なさい。何なら彼女も連れてきて良いぞ」



「からかわないでください、先生」



彼はその恥ずかしさを隠すかのように、ぼさぼさの頭を掻いた。



その姿を見て、牧が声をあげて笑った。



「良いじゃないか。二人とも相性が良さそうだ。


また来週も会いたい旨伝えておこうか?」



「・・・」



藤木は何も言わず、ただそっぽを向いていた。



「これも刑法を勉強するにあたって有効な事だぞ」



牧が再び笑い声を上げた。



その声が部屋中に木霊していた。



「そうだ。藤木君、君に課題を課そう」



「課題ですか?」



牧からの久しぶりの課題という言葉に、思わず反応する。



学生時代以来の課題。



その頃はあまりに難しいそれに毎度頭を悩ませていたな、と



懐かしく感じる。



「次にお嬢様に会う時には、彼女に口付けをする事」



藤木は一瞬、その言葉の意味を飲み込めずにいた。



「・・・」



しばらくして、彼の顔は湯気が出るかのように赤くなった。



「ま、ま、牧先生。な、な、何を突然・・・」



彼が牧に詰め寄る。



「何を驚くのだ」



牧は論文のページを捲りながら言う。



「君は奥手だから、それぐらいしておかなければ、お嬢様に逃げられてしまう恐れもある」



「い、いや、だからといって、そ、そのような事は・・・」



藤木が物凄い勢いで頭を左右に振る。



「まぁ、そこまでではなくとも、手ぐらいは繋いでも良いだろう。


君はそういうことに関しては素人も良い所だからな。


こうやって助言してもらって感謝して欲しいぐらいだ」



牧が冷め切った紅茶を啜る。



藤木は何も答えず、ただ真っ赤になりながら、その場に立ち尽くしていた。



「さ、そろそろ私も帰るが、藤木君は帰るかい?」



「・・・」



「藤木君!」



「は、はい!」



彼の両肩が同時に上がる。



「君も帰るかい?」



「え、あ、はい?」



まるで電波の悪いラジオから聞こえる様な、歯切れの悪さだ。



そう、牧は思った。



同時に微笑ましい気持ちにもなったのだが。



「全く、君は冗談も通じない男だったかねぇ」



牧はコート掛けに掛けられた帽子を被りながら言った。



「は・・・冗談・・・ですか?」



「ほら、ぐずぐずせんで、付いて来なさい」



「は、はい」



軽いため息をつきながら、牧がドアを開けた。



しかし、その顔には、



悪戯っ子の様な笑いが浮かんでいるのを、



外気温よりも高いそれを感じている藤木に知る由もなかった。












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