表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

閉じた世界

閉じた世界に隠れる日。

作者: 枢木 一颯

閉じた世界シリーズ第三弾。

主人公以外が死ぬ描写があります。主人公の扱いが少し酷いです。

鬱っぽいですね。小説書くのは慣れていないので、それでもOKな方はどうぞ!

誰かが私を見て、こう言うの。


――お人形さんみたいに、可愛らしい――


って。


そして私はね、その言葉ににっこりと笑みを張り付けて、そう言った人の耳もとで囁くの。


――『綾女は、"アヤメ"なのよ』――


お人形さんのように綺麗なの。見た目も中身も綺麗でなくちゃいけないの。

そうであるべきと定められたから、私はこの容姿で、この性格なの。

お人形さんのよう?


それは私にとって、


「最高の褒め言葉なのよ」


だって私は、綺麗な綺麗な、お人形だもの。




×××××


無垢であれ。

無邪気であれ。

華やかであれ。

美しくあれ。

けれども人の記憶に留まらない、人生の中の一時の鑑賞物であれ。

それはまるで、花のように。菖蒲の花のように。


私の両親は、子守歌の代わりにそれを言い聞かすように何度も繰り返しながら、私を寝かしつけた。

多分、寝てる間も、繰り返していたことだろう。

私は自然とこのフレーズを覚えていた。このフレーズはしっかりと私の脳裏に刷り込まれ、暇さえあれば幻聴のように頭の中でリピートされる。

でも幼い頃からずっと繰り返されてきた影響か、完全に慣れてしまっていて、寧ろ何も考えず、何も聞こえない状況に違和感を覚えてしまう。


そのことを、精神的な不眠症で年中睡眠不足の、クラスメイトから不思議ちゃん扱いされている私の親友に話した所、大きな欠伸を一つと、冷静な眼差し、そしてその瞳にちらりと浮かんだ同情を頂いた。

私の親友である吉川咲良は、どこか大人びた雰囲気を持つ子だった。

きっと彼女は色々なことを知っていて、知っているが故の達観や諦観。

それが雰囲気に表れているのだと思う。


彼女が不思議ちゃんというのは、誤解である。

いや、確かに奇妙なことを突然口走ったりはするが、別に天然というわけでもない。

彼女がそういう認識をされたのは、彼女は授業中もお昼休みもお構いなしに寝続け、起きている方が珍しいと言われるくらいに寝ているのと、寝起きのせいで頭が働かなくて、ゆったりとした口調に短い台詞になってしまうのが原因か。

そもそも彼女は寝ているわけではなくて、ただ微睡んでいるだけであり、寝起きというよりかは微睡みから抜け出せずにいるというだけである。

それでも彼女が先生からお咎めを食らうことが滅多に無いのは、授業を聞いておらず、教科書もノートも開かないくせに成績がすこぶる良いのと、彼女の事情を、彼女を引き取った父方の祖父母が学校側に説明しているからだ。

そのあたりの事情は、私は本人から聞いているが、クラスメイトの皆さんは知らないわけで。


だから呑気に笑って彼女をそういう風に扱えるのよ。


なーんにも知らないし、分かっていないのにね?


今日も今日とて私は笑う。

山野に咲く、美しい紫の菖蒲の花のように。


「おはよう、咲良!」

「……ん。お、はよぉ」


とは言っても既にお昼なのですが。

珍しいことに眠っていたようで、彼女の反応がいつも以上に眠そうだ。

眠気を飛ばすように身体を伸ばし、目をこする。

何度かの瞬きで少し冴えてきたのか、先程よりもすっきりした目がこちらを向く。


まるで心のうちをすべて見透かされているみたいだ、と彼女に見つめられるたびに思う。事実、彼女は『物知り』だ。それゆえの達観と諦観に滲んだ瞳が、私は好き。


「ごはん、食べよっか」


だって『彼』も、同じ目をするから。


にっこりと、いつもと同じ、寸分違わぬ笑みを浮かべる。

それを見た咲良は、ゆったりと瞬きをしてから、眠たげに欠伸を一つ、零した。

さり気無く逸らされた眼差しに一瞬浮かんだのは、憐憫の色。




×××××


可哀想に、と誰かが言った。

なんであの子が、と誰かが言った。

あんなにも良い子なのに、と誰かが言った。


この台詞に、私はいつも笑顔を浮かべるだけだった。

ちょっとだけ眉を寄せて、無理やり笑っているように見せかけた笑みを。


運命だったのだ、とでも言おうか。

彼女がそうなることは、神が定めた運命なのだと。

だから、仕方がない。こうなってしまったのは、仕方がない事なのだ。


なのに、そんなに泣き腫らしながら慟哭されたら、ちょっと、困ってしまう。

泣かないで。ねぇ、お願い。

じんわりと私の瞳にも涙が溜まっていく。


「大丈夫、すぐに元通りの生活に戻れるよ。家族みんなで笑い合う、幸せに満ちた生活に」


蹲る『彼ら』の肩をそっと抱きしめながら、二人の耳もとでゆっくりと優しく囁く。


うん、すぐに戻れるよ。だって、そうなることは必然なのよ。

そうでなくてはいけない。そうであるために、私は、わたしは。


『家族みんな』で笑い合う、幸せに満ちた生活。


そんな生活に想いを馳せながら、私は彼らから離れた。


「綾女は、アヤメなのよ」


安心して。すぐに良くなるよ。当たり前じゃん。

だって私、こんなにも元気なんだよ?

だから、だいじょうぶ。だいじょうぶ。だいじょうぶ。


「ねぇ、お願いだからさ、そんなに泣かないで」




×××××


咲良とおしゃべりをしながら病院へ向かう。

様々な分野の治療が受けられる、大きな総合病院へと。

咲良とは精神科のところで別れ、私は一人、とある病室へ向かった。

私の、もう一人の親友がいる場所へ。


「あら、今日も来たのね。お人形さん」

「綾女だよ。もう、いい加減名前で呼んでくれたっていいじゃない?」

「いやよ。貴方はお人形さんなんだから」

「ちぇー、まぁいいや。体調はどう?…杏菜」


私の問いに彼女は青白い顔にうっそりと笑みを浮かべた。

返答はない。でも私は気にしない。

だって彼女の顔色で、今日の体調が悪いことくらいわかる。

それでも問い掛けたのはいつもの習慣の所為。


「そういえば、貴方のお友達…咲良さん、だったかしら。今日は会えるの?」

「うーん、多分無理。今回はいつも以上にヤバかったから」

「あらそう。なんだかんだ、タイミングが悪くて会えていないのよね…」

「なに?そんなに会いたかったの?」

「当たり前じゃない」


からころと鈴の鳴るような笑い声を病室に響かせる。

相変わらず、綺麗な笑い方をするものだ。

杏菜は意味ありげにこちらを見つめながら、ゆったりと唇を開いた。

そしてごく自然に…毒を吐きだす。


「『お人形』の貴方の親友なのでしょう?どれだけ歪んで壊れているか、気になるじゃない」


類は友を呼ぶのよ?と言った彼女もまた、その一人。

同じ年とは思えない程の色香を纏う彼女は、近くにあったペットボトルを手に取り、中の水を飲み干した。


「異常の傍には、異常が集まるの」


そして空っぽのペットボトルを。


「私のお人形さんも大概だけど、貴方ほどではないわ。貴方ほど歪んだ人は珍しいわよ。そんな貴方の親友よ?気になるに決まってるでしょう」


ぐしゃりと握り潰した。


私はただ、いつも通りの笑顔を浮かべるだけ。




――結崎奏と呼ばれる少年の事を、私は一方的に知っている。

それこそ、基本的なプロフィールから、細かい癖まで。


別に彼と話したことなんて一度もない。

同じクラスで一番目立つ人だけど、だからといって、興味なんて欠片も湧かなくて。

生年月日、身長、体重、座高、家族構成、好きなもの、嫌いなもの、趣味、癖。

けれども私はこれら全てを知っている。

それはなぜか?

私の親友の吉川咲良が、私にその情報をもたらすからだ。


咲良が結崎奏を好きと知ってから、私は時折結崎奏を観察するようになった。

そこで気づいたのだが、彼はどうやら別の女子の事が好きらしい。好きというよりかは完全に歪な関係を築いていて、それにはまって身動きが取れずにいるようだ。

自分を騙してまで愛を捧げる彼を、咲良は深く愛しているらしい。


彼が愛を捧げる『茉莉愛』は、杏菜のお姉さん。彼女の事は知っている。杏菜がよく話すから。

茉莉愛は杏菜のお人形。結崎奏は茉莉愛のお人形。

なんて歪な関係。けれど、最初から壊れていた人なんてきっといなくて、だからこそ、この関係の異常さに笑いそうになる。笑わないけれど。

そして、更に気が付いた。


結崎奏の張り付けた笑みが、『彼』にとても良く似ているってことに。


(はるか)くん!」


と呼ばれているから、名前が悠なのは知っていた。

あと知っていることといえば、彼が私の姉と同じ年齢なのだということ。だから私の二つ上。

年の割には落ち着いた雰囲気を纏っていて、その雰囲気が、咲良と似ていること。仕草に気品があって、理知的。制服は偏差値が恐ろしいほど高い高校の制服なので、おそらくというかほぼ確実に頭が良いということ。

優しく微笑むその瞳が、とてつもなく冷たいこと。


私が彼について知っていることといえば、これだけである。


―――嘘。本当は、あともう一つだけ。

でもね、私はその事実を『認めたくない』って思っている。

それが確固たる事実なのは理解している。

けれど、それでも。


「認めたく、ない」


それは何故?と杏菜が魅惑的な笑みを浮かべて問い掛ける。

私はその質問に対して、静かに首を横に振るだけだった。

杏菜は私のその反応を見て小さく肩をすくめた。

ぐしゃりと潰されたペットボトルを、白く細い指で弄ぶ杏菜。いつの間にか話題は、結崎奏と天川茉莉愛と吉川咲良の恋物語の話になり、そしていつの間にか『悠くん』の話になっていた。


「認めたくないってことはつまり、"好き"なんでしょう」

「悠さんのことが、好き?私が?」

「そうよ。だって、貴方の姉とその悠とやらが付き合っていることを認めたくない、って思っているのなら、それはつまり、そういうことに他ならないわ」


口元に手を当て鈴の音のような笑い声を病室に響かせる度に、彼女の茶色の髪が揺らめく。

伸びきったその髪は綺麗に手入れされていて、ふわりと真っ白な布団に広がっている。

そっと手を伸ばし、宝物を扱うように優しく撫でれば、杏菜は笑みを深くした。


「好きになるのは、いけないこと?」


その問いに、杏菜と視線を交えながら答える。


「…心は正直だから。好きになるのはきっと一瞬のこと」

「それは体験談?」

「……そんなわけない。だって、駄目だもの。私は、駄目なの。私の恋が、綺麗であるはずがないから」

「その通りね。純愛なんてものが、『私達』にあるわけがない」

「うん。だから、私は人を好きになってはいけないの。愛してはいけないの。だって私は、無垢で無邪気で清純でなきゃいけないから」

「でも、もう――――――手遅れ?」


首を傾けた杏菜に、私は曖昧に笑った。苦虫を噛み潰したような、それでいて、綺麗に見える笑み。

全くをもってそのとおり。

私はすっかり彼に惚れこみ、無垢と無邪気を装いながらその裏では歪んだ愛情がぐるぐると渦巻いている。何をどうあがいたって、姉の彼氏である彼の隣に立つことなんか出来やしないというのに、個の気持ちは一向に消えない。

彼は、絶対に手の届かない人。分かってる、そんなこと、

だから誤魔化す。心の奥に潰して隠して鍵をかけて、誰にも触れられないようにして、意識の外に追いやる。取り繕うのは得意なの。だから、きっと平気。


「ちゃんとこの気持ちを押し殺して、接することが出来ると思うよ」


ペットボトルは既に杏菜の手から離れ、飽きた玩具がゴミ箱に捨てられたように、床にぽつりと落ちていた。

杏菜はおもむろにその艶やかな唇を開く。


「―――馬鹿で、愚かで、憐れな、私の親友さん。そろそろ、検査の時間よ?」


時計を指さし、杏菜は私に退室を促す。


彼女は愛され過ぎて歪んだ。いろんな愛を与えられ、その愛に押し潰されて壊れてしまった人。

彼女は愛され方を知っている。でも、愛し方は知らないの。

天川杏菜は不器用な人。不器用で、それでも私の大切な親友。


「うん、じゃあ、行ってきます!」


声のトーンを調整しながらにっこり笑う。

うん、きっとちゃんと、笑えてる。

私の言葉に答えるように白い手をひらひらと振り、杏菜は目を閉じて横になる。


さて。


「行かなきゃ、ね」


その顔に浮かぶのは、『いつもと寸分違わぬ笑み』。

一ミリたりともずらすことなく、私は綺麗に笑う。


―――ちゃんと、そっくりに笑えてるかなぁ?




×××××



結崎奏は、代替えの愛を茉莉愛に捧げるお人形。


―――私は、『代替え品そのもの』である。





鋭く名前を呼ばれた。低い、疲れの滲んだ男の声。私の父の声だ。

振り向いて、お父さんと呼ぶ。いつも通り、変わらぬ声音と、抑揚で。


「何処に行っていた?検査の時間はもう迫っているというのに!」

「……ごめんなさい。少し、寄り道を」

「怪我などはしていないな?」

「してないよ」


そう答えれば、目に見えて安堵の表情に変わる。

けれどもそれは一瞬の事で、すぐに顔をしかめるとそのまま私の肩を抱いて押すように歩き始めた。


父は決して私を手荒に扱ったりはしない。

正確に言えば、私の『身体』を手荒に扱ったりはしない。

怪我を負わすわけにはいかないから。怪我をして、無駄に血を流すわけにはいかないから。

『私』を見たことなんて、生まれてこの方一度もないでしょう?


様々な機械がある部屋に到着し、父は白衣を着た女に私を預けるとそのまま何処かへ居なくなった。


あぁ、そろそろか。

これで何回目だっけ。


一つ一つの間の期間は決して長くはない。

私の体調を第一に、なるべく早く行われるそれにより、私から色々なものが消えていく。


「―――四回目、かな?」


これが、最後か。それともまだ続くのか。


忙しなく動く白い服を纏った女性たちに聞こえぬよう、小さく溜め息を吐きだす。


「次に入れ替えるのは、どこだろ」


胸にそっと手を当てて、場にそぐわない無邪気な笑みを敢えて浮かべる。

きっと、もうそろそろだ。

私の役目は、もうすぐ終わる。





×××××




検査も終わり、息抜きに病院に設置されている小さなカフェに入る。

偶然にも、利用者は私を除いてただ一人。

―――悠さんだ。


彼はカップに口付けながら、本を読んでいた。厚めの、ハードカバーの本。

何を読んでいるのかな。話しかけたい。けど駄目。嗚呼、でも。

思い悩む私に気が付いたようで、彼は顔を上げこちらを見た。


「綾女ちゃん、かな?」


彼の口が、私の名前を紡ぐ。それだけで、感情の起伏が少ない私の中に、歓喜が巻き起こる。

悠さんはゆったりと目を細め、こっち来なよと私を手招いた。

その瞳は相変わらず、冷たい。


「百合華の妹だよな。久しぶり。何度か会ってるけど、会話する機会、無かったからね」

「…そうですね。改めて、三宮綾女です」

「俺は結崎悠っていうんだ。百合華と同い年。よろしく」

「………結崎?」


あれ。聞き覚えがある苗字だ。

聞き覚えがある、というよりは咲良によって脳裏に刻み込まれたそれは。


「結崎奏くんの、お兄さんですか?」

「ああ、もしかして同級生?そう、結崎奏は、俺の弟」


前から似ているなとは思っていたけれど、兄弟だったとは。


「話したこととか、ある?」

「私はそんなに…友達が、多分何度か。同じクラスなんですけど」

「そんなに関わりはないのか。あいつ、学校ではどう?」


本を閉じ、カップを戻し、一呼吸おいて。

彼は、言った。


「相変わらず、茉莉愛って子に絡めとられたまま?」


―――思わず、息を飲んだ。


彼は、知っているのか。

でもこの言い方だと、全てを知っているわけではない…?

だが確かに核心をついている。

にっこりと、笑顔を浮かべたまま、彼はつづけた。


「その様子じゃ気付いてるみたいだな。奏がその茉莉愛って子に縛られてること。結構純粋なあいつは、その子の所為ですっかり歪んじゃってさ。だれか盲目なまでに奏を愛し、奏に愛される子がいればいいんだろうけど、それでもそんな子いなくて、ずるずる引きずって、もう高校生だよ。そろそろ抜け出せればいいのに」

「…知ってて、放置しているんですか」

「まさか。全部は知らない。勿論放置もしていない。何度かあいつと話したりもした。その結果がまぁつまり、こういうことなんだけど。今じゃ話す機会も殆ど無いよ」

「殆ど無い?」

「俺、一人暮らしをしてるんだ。結崎は医療方面で結構有名でね。お金には余裕があるし」


自分の学校の近くのマンションにね、と続けた彼はおもむろに鞄からノートを取り出した。

ページをぺらぺらと捲り、とあるページを私に見せてくる。


「……奏、百合華、茉莉愛、杏菜、雨音、梢、穂鷹、瀬人…咲良?……綾女?」


ページに書かれているのは、様々な名前だった。覚えのある名前もある。そして私の名前も。


「本当はまだまだいるんだけどね。まだ書いていないだけで。このノートね、とある条件に当てはまる人物について纏めてるんだ。分かる人は分かるだろうね」


意味ありげに微笑む。


「まだ途中なんだけど。百合華には、内緒だよ」

「…分かり、ました」


やっぱり、この人は咲良と同じ類の人間だ。達観して、色々なことを深く知っている。

彼の言うことはいまいち理解できない。

けれどこうして話せるだけで満足だった。


「さて。恋人としての務めを果たそうかな」


―――そう、話せるだけで、満足しなくちゃ。


「まだ百合華の病室行ってないんだよね」


―――だって、悠さんは、駄目なの。


「一緒に行く?」


―――悠さんは…おねえちゃんの、彼氏だから。


「いえ、行きません。私はこのまま帰るので」

「そう。じゃあまたね」


はたして、動揺は隠せただろうか。声は震えていなかった?いつも通りに笑えてる?

分からない。今、自分はどんな顔をしているの。上手く繕えないなんて、そんなわけ、ないはず。

必死にいつも通りの笑みを浮かべる。

ねぇ、笑えてますよね。ちゃんと、そっくりに、笑わなきゃ。


手を振って、悠さんと別れる。

悠さんが背を向けて歩きだした時、私はようやく上手に呼吸が出来た。

ぺたり、と顔に手を当てる。懐から鏡を取り出した。

鏡に映った私の顔は、ちゃんと笑えていた。

ちょっとだけ、歪んだけど、きっと気付かれていないだろう。


鏡の中には、『姉とそっくりな笑み』を浮かべた私が映っていた。





×××××


私には、二つ年上の姉がいる。小さな頃から整った容姿だったという。だからたいそう可愛がられていたそうだ。

姉は生まれた時こそ健康体だったけれど、一年と少し経ったころ、唐突に発病した。

それは身体の中の臓器が壊れていく病気だった。全てというわけでもなく、徐々に壊れていく臓器は小腸と肺、そして心臓だった。

そして運の悪いことに姉の血液は希少な血液型で、血の補充も逐一行わなければならないのに、その血のストックが足りなかったのだ。このことが分かった時点で、既に姉には余命を宣告されていた。

このままだと、十五歳になるまで生きられない、と。

臓器もそんな都合よく手に入るわけでもない。このままでは、姉の命は尽きてしまう。

両親は焦り、動揺し、困惑し、怒り、悲しみ、そして、結論を出した。


―――それならば、もう一人、『作ろう』。


姉の臓器といつでも交換出来るように。

生けるお人形を作った。その身体は、姉のパーツと入れ替えるためのもの。


それが、三宮綾女。―――私の事。


姉の代替え品。臓器を提供するためだけに作られた。運よく血液型も一緒で、私の臓器は姉の身体と相性が良かったらしい。

だから私の生きる意味とはつまり、姉に臓器を提供すること。

姉の為の私。『家族みんなで笑い合う生活』を取り戻すためのお人形。


ねぇ、お父さんとお母さんは何の話をしているの?

旅行なんて、一度も行ったこと無いじゃない。

だって遠出して、事故にでもあったらって。だから私と旅行なんて、行ってないんだよ。

ねぇ、お父さんとお母さんは何のお話をしているの?

外食なんて、一度もしたこと無いよ。

身体に悪いからって。いつもケータリングされた、栄養の事だけを考えて作られたメニューじゃない。これ好きだったわよねって、私それ、一度も食べたこと無いよ。

一度も―――お母さんの手料理、食べたこと無いんだよ。

ねぇ、ねぇ、ねぇ。


姉がいたから、今ここに私はいる。

だから私は姉に全てを捧げるの。臓器も、人生も、命も。全部、初めから、私のものじゃない。

不満なんてないよ。だって生きている意味だもの。これ以外に意味なんて無いの。

だから、私は姉の為に全てを捧げることに不満なんて持たないよ。これは、れっきとした私の本心。


でも、出会ってしまった。

欠け落ちていたはずの心がざわめいてしまった。

貴方を見つけてしまった。

―――愛して!と叫ぶ声がする。それは紛れもなく自分の声で。

姉の為に生きる私が、初めて意志を持ってしまった。

捨てなきゃ。忘れなきゃと思うのに、姿を見かけるたびに、声を聞くたびに、私の心の中が貴方で埋め尽くされていく。


「好き、なんです…」


私の命は、姉のもの。

けれど、愛してしまったの。叶うなら、貴方に命を捧げたいと思うほどに、愛しているの。

姉の為に死ぬのではなく、他でも無い貴方に、殺されたい。


「それぐらい、愛してるの。悠さん…」




×××××



死んでしまった。


私の二人の親友のうち、病弱な方の一人、天川杏菜が。


私、多分そろそろ死ぬわ――と、彼女が息を引き取る三日前に訊いたばかりで、彼女の言葉通りだった。

まるで、みんなみんな。彼女の掌の上だったかのよう。

杏菜はあっさりと死んでしまった。


杏菜とは親友だけれど、その死の間際に立ち会うことは出来なかった。

でもどうしても見守りたくて、杏菜の病室を覗き込んだ。

杏菜は結崎奏に何かを囁いて、一瞬、こっちを見て、笑って、そのまま息を引き取った。


その時の天川茉莉愛の顔。複雑そうな顔だった。


―――でも瞳には、確かに喜色の色が見て取れた。


「…っ!」


そのまま踵を返して歩く。

その先には咲良がいた。咲良は私の顔を見てハンカチを差し出す。


「なんでもないよ」


けれどそれを断る。思いのほか、平坦な声が出た。

咲良の前で涙は見せられない。涙なんてとっくに枯れたと思ってたのに、今にも零れ落ちそうだ。


綾女はお人形。

無垢で無邪気なお人形だから。

涙は見せてはいけない。

綺麗じゃないから。


杏菜の両親の慟哭が聞こえた。


その慟哭が、私に杏菜の死を明確に突きつけた。





×××××


「おめでとう!」


久々に、姉そっくりの笑顔ではない、自分の笑顔が浮かんだ気がする。

慣れてないからかな、ちょっと、頬が引きつる感覚。

でも心から祝福する。


「ありがとう。綾女が大変な時に言うのはどうかなって思ったんだけど」

「気にしないで、隠される方が嫌だから」


結崎奏と、咲良が私の前に並んでる。幸せそうな顔。

ねぇ、二人はちゃんと救われた?救われたのなら、心残りはもう無い。


「二人は今…しあわせ?」


分かり切った事を、敢えて尋ねる。


「勿論」


その答えが聞けることが、こんなにもうれしい。大丈夫、もう、二人は幸せ。

さて、これからどうしようか。

天川杏菜と結崎奏と吉川咲良。私にとって、大事な人達。


杏菜は死にたがっていた。管につながれ、ベッドの上から二度と動けないのに、それでも生きていることに絶望していた。でも彼女は、ついに死ぬことが出来て救われた。

結崎奏は天川茉莉愛の呪縛から解放されたかった。随分と前から、彼はそれを心の奥深くで望みながら見てみぬふりをしていた。でも彼は、本当に自分を愛してくれる人を見つけて救われた。

咲良は永遠の愛が欲しかった。過去に囚われて、永遠の愛以外を信じることが出来ずにいた。でも彼女は、永遠に愛し、永遠に愛されたいと願い、そんな人を見つけて、手に入れた。


全員、もう、幸せ。


私の大事な人達の幸せを見届けることが出来た。

さぁ、私も。

最後の義務を果たすとしようか。


嗚呼でも……悠さんの幸せを見届けることが出来なかったのは少しだけ悔しい。

そういえば、私は知らない。

知らないから、見届けることもかなわない。見届ける資格すらないのだけれど。

でもせめて、知りたい。

―――彼の『幸せ』って、何なのかなぁ。




×××××


姉が心底嬉しそうに笑ってる。お父さんも、お母さんも笑ってる。


「綾女、ついにね、見つかったのよ」


心臓のドナーが。

姉の百合華が頬を薄ら染めながら報告してくる。


あぁ、そう。ようやく日程が決まったんだ?


咲良と結崎奏の交際宣言を聞いたあの日から、一週間が経過していた。

姉は何も知らない。今までのドナーが誰なのか。血の提供者が誰なのか。その肺と腸が、そしてこれから手に入れるであろう心臓が、誰のものだったのか。

私はもう走ることが出来ないことも知らない。姉は、なーんにも、知らない。


百合華は優しいから、提供者が妹だって知ったら、罪悪感を抱くでしょう?だから何も教えてないの。でも、綾女は良い子だから。それが最善なんだって、分かるわよね。


お母さんが私を抱きしめた。


百合華は知らなくていい。それが、百合華の為。綾女、お前なら分かってくれるだろう。純粋な百合華が一番綺麗なんだ。そうであるためには、教えないほうがいいって、お前も思うだろう。


お父さんが私の頭を撫でた。




無垢であれ。

無邪気であれ。

華やかであれ。

美しくあれ。

けれども人の記憶に留まらない、人生の中の一時の鑑賞物であれ。

それはまるで、花のように。菖蒲の花のように。


私はアヤメ。一時の鑑賞物。

代替え品として生まれ、使い終わったら捨てられる、アヤメだ。



「ねぇ、手術が終わって、私が外を出歩けるようになったら、家族みんなで旅行に行きたいわ」


そうだねと、笑う。姉とそっくりの笑顔。

『家族みんな』。その中に、私は含まれないのよ。

なんて、言えるわけがない。


「三日後よ。海外から有名なお医者様を呼んでいるの。頑張りましょうね」


お母さんは姉にそう笑いかけ、私にも、笑いかけた。

はい。勿論、怪我をしないよう、家の中で大人しくします。念の為に。過保護なんだから。

あーあ、三日後か。咲良に会えそうにないな。

姉の心臓はもう殆ど限界。ほら、苦しそうだもの。姉は笑顔を浮かべながら、苦しそう。このまま交換したら、きっと心臓は限界を迎えて、私の身体の中に入る前に、機能を停止することだろう。


でも私の分の心臓はない。姉の心臓は壊れて、私の心臓は姉の中に。


姉が病気になった時、適合する心臓は誰かの予約が入っていて、手に入れられなかった。

最近新しく適合する心臓が見つかったそうだが、すぐ傍に新鮮な心臓があるのだ。わざわざ買う必要もないと両親は笑った。

そうこうしているうちに、その心臓は誰かに買われてしまったようだったけれど。


「三日後、ね。楽しみだね、おねえちゃん!頑張ろうね!」




うん。『一緒に』頑張ろうね?




―――おねえちゃんは、可哀想な人なの。

生まれて、一年と少し。おねえちゃんの世界は閉じられた。

閉じられた世界は完璧じゃない。時折その閉じた世界が開かれるものだから、おねえちゃんの苦しみは大きくなる。自分の閉じられた世界が完全に開かれることを強く望んでいる。

おねえちゃんの閉じた世界は、両親を狂わせて、そして、私を生み出した。


私はおねえちゃんの、三宮百合華の代わりに生きてきた。

絶対に、『三宮綾女』として生きることは出来ない。

私は、三宮百合華の閉じた世界に隠れるようにして生きてきた。


その役目も、もうおしまい。





×××××


姉が、手術室へ運ばれていく。私と、両親と、悠さんに見送られて。

泣きながら、笑っていた姉。ゆっくりと死んでいく恐怖から、解き放たれることへの喜び。

姉は生きたがっていた。杏菜と真逆。死ぬことを恐れ、生にしがみついた。


良かったね、おねえちゃん。

長年の望みが、ついに叶うね。


両親の手を握って、私の手を握って。最後に、悠さんの手を握って。

姉は手術室の中へ消えていった。


「さて、と」


用は済んだとばかりに、悠さんは踵を返す。

その背中を見送って、私も準備に向かおうとしたとき、突然、悠さんは足を止めた。

そしてこちらを振り返って。


姉の前ですら見たことのない、とても柔らかくてあたたかな笑みを浮かべた。


「また、後でね。―――――綾女」


驚きに、目を見開く。彼は悪戯っぽく笑うと立ち去っていった。

初めて見る、子供らしい笑み。想像したこともない、表情をいくつも見てあっけにとられる私の腕を、両親が強く引いたことで我に返る。


また、後で―――――なんて、無理。彼は姉同様、知らない。

知らないのだ。悠さんは。私の心臓が、姉のものになることを。


知らないから、そんなこと、を。

そんな事言われたら、欲しくなっちゃうじゃん。また、会いたくなっちゃうじゃん。


あーもう、かき乱さないでよ。

恨んじゃいそうだよ。

私の心臓を手に入れる姉が、憎らしく思えてしまう。


大きく息を吐きだす。心の中の仄暗いそれらを、一緒に吐きだすように。


綾女は、アヤメなのよ。

―――――綾女は、殺女(あやめ)なのよ。




私は、姉の為に、殺される女。











だからこれは、都合のいい夢。


「おはよう、綾女。また会えたな」


悠さんが優しく微笑みながら私の頭を撫でてくる。


麻酔で眠るときも夢を見るのか。何度か全身麻酔を経験しているけど、夢で見たのは初めてだ。



最後にこんな夢が見られるなんて。



幸せって、こういうことなんだ。



ぐらり。

意識が暗闇に沈んでいく。



「また寝るの?まぁいいか。おやすみ、綾女」



悠さん。貴方を好きになれて、本当に良かった。

代替え品として生きてきた私が幸せを知ることが出来たのは貴方のおかげ。



――――――おやすみ、なさい。




誤字脱字がありましたら教えてくださると幸いです(*´ω`*)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] えっ、生きている人間から心肺を取り出す? 闇医者……?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ