小さなラブレター
1
マスター、またきたよ。
マスターは、皿を洗いながら「いつもの席、空いてるよ」と言った。
すると、僕の隣にいる泰弘が「当たり前だよ」と笑う。
この店は、僕ら以外、いつもほとんど客が入っていない。
僕と泰弘はいつもの特等席に座った。
窓際の、入り口から1番遠い席。ここが1番落ち着く。誰にも邪魔されない空間。
それに、ここの珈琲は、格段に美味い。
静かに流れるジャズが、また僕のお気に入りでもある。
しかし僕の1番の目的は、美味しい珈琲でも、心安らぐジャズでもない。
1人の女性だ。
かすみさんと出会ったことで、僕の青春に火がついたのだ。
どう転ぼうが、今日が僕の正念場である。
これから僕は、どうなるのだろうか。
かすみさんと出会ったのは、始めてこの店にきた時だった。ちょうど2年前の今日。
大学に入学してすぐ、僕はキャンパスで出会った泰弘と意気投合した。あの日は、共通の趣味だった歴史を語るため、どこかの喫茶店に寄ろうとしていたのだ。
だが、その時はあいにくの雨で、僕らは店をさがすのを諦めかけていた。正直、こんな雨のなか喫茶店を見つけなくても、いつか大学のキャンパスで話せればいいし、どちらかの家へ行けば良いと思っていた。
しかしその時偶然、ここが目に入った。薄汚れたドアのガラスに『雨模様』と雑な字で書いてある看板が僕の目を引いたのだろう。
あの雨のなか『雨模様』という名前が良かったのかもしれない。
なぜならこの店、普段なら絶対に見つけられないほど、立地条件が悪いのだ。大手ビデオ会社と、外見が派手なカラオケ店に挟まれて、小さくまとまるようにポツンと建っている。看板も斜めにかかっていて、見た目に華がない。普通に歩いていたら、目にも留まらないと思う。
しかし、入ってみればまた別だった。外見と違って、この店の中はきれいだし、清潔感がある。カウンターにはサボテンが置いてあり、窓際にはゴムの木が並んでいる。店内には、ジャズと珈琲豆を挽く音が聞こえていた。何か西部劇に出てきそうな、そんな雰囲気だ。
「あれ、見ない顔だね」
急に話しかけられて、僕らははっとした。
目をやると、そこには小太りの中年の男が立っていた。
「どうもはじめまして。喫茶店『雨模様』の店長、小倉雅敏です。36歳独身です」
それがマスターとの出会い。最初は少し気味が悪かった。黒縁メガネをかけ、頭には赤いバンダナを巻いていた。正直、喫茶店のマスターというよりは、売れないおじさんバンドマンといった感じ。
マスターの急な自己紹介に僕らが呆然としていると、「学生はこっちの席がいいよ」とマスターは特等席に案内してくれた。
僕らはマスターの言われるがまま、特等席に連れていかれた。
「今、水持ってくるから」
マスターはそういうと、カウンターへ戻って行った。
僕らは不思議な感情を抱いたまま、特等席に座り、濡れた傘をテーブルの脇に置いた。
その時、マスターの大きな背中を目で追い呆然としていた僕は、あるものが目に入り、水泡が破れる様に意識が戻った。
カウンターに女性がいたのだ。今まで店の内装と変なマスターに目がいってしまい、全く気づかなかったが。
そのウェイトレスはお盆に水の入ったグラスを置き、僕らのところへ持ってきた。
背は高くもなく低くもない、容姿端麗ともいうべきだろう。
その日から彼女は僕の憧れの的になった。
「この店、今日がはじめて?」
彼女が聞いてきた。
「はい、そうです」
「へー」
彼女はお盆をテーブルの上に置いた。
マスターと同じ赤いバンダナを付けているが、マスターより格段に似合っていた。
茶色に白い水玉のエプロンをしていた。
「実は私も、今日がはじめて」
「へ?」
僕と泰弘は思わず声を揃えて聞き返した。
「どういうことですか?」
僕は彼女に聞いた。
「浅野かすみさん。24歳独身。今日からここで働く事になったんだ」
僕らと彼女の会話の間に入るようにして、マスターが言ってきた。
「そういうこと。よろしくね」
なるほど、と僕らは頷き、
「よろしくお願いします」と声を揃えて言った。
マスターが会話に入ってきたことに少し不快感はあったが、そのときは、かすみさんの魅力がそれを上回っていた。
かすみさんは、僕と泰弘の前に水を置くと、お盆を片付けに戻った。
長い栗色の髪が、僕の目を引き寄せたまま離さない。
泰弘に肩を叩かれ、やっと意識が戻った。しかし、やっぱり気になってしまう。その日は、歴史どころではなくなった。
あの人、綺麗だな・・・
「あの人、綺麗だね」
僕の心を見透かす様に、泰弘が言ってきた。
「翔平。気になるんだったら、狙っちゃえば?」
泰弘はクスクスと笑いながら、試す様に僕を見てきた。
マスターも、僕らの会話が聞こえているのか、面白そうにこっちをみてくる。
僕はなんと答えればいいかわからず、とりあえず「ここ、明日も来よう」と無責任な事を言った。
2
いつしか僕らは、ここの常連客となった。
カウンターからはいつも、珈琲豆の匂いがする。その日の客が何を頼むのかによっていつも違った香りがして、それが僕らにとっては楽しみの1つになっているのだ。
最後の客が頼んだのは、キリマンジャロだろう。
香りの中にコクがあり、その奥にフルーティーな甘味を感じることができる。
「今日はキリマンジャロにしよう」
僕はカウンターで座りながら新聞を読むマスターに向かって言った。
マスターは黙って親指を立てた。
「かすみさん、キリマンジャロよろしく、翔平くんたちに」
「はーい」
普段なら僕はアメリカンしか飲まないが、ここでは違う。
ここの珈琲は、外れがない。
酸味の強いコロンビアから、苦味の効いたイタリアンローストまで、全ての珈琲が美味いのだ。
それはもしかしたら、かすみさんの挽いた珈琲だからかもしれないが。
かすみさんが挽いた珈琲を、マスターが持ってきた。
「ありがとうマスター」
僕はマスターの手からカップを受け取った。
珈琲を飲み終え、僕は泰弘の顔を見た。
泰弘は、僕の言いたいことがわかっているらしい。「グッドラック」と言い、マスターと同じように親指を立てた。
ふぅ。
僕は短くため息をついた。
両手で軽く頬を叩く。
「マスター、フォームミルクコーヒー追加」
マスターは、おっという顔をした。
フォームミルクコーヒーとは、いわゆるラテアートのことで、コーヒーの上にフォームミルクの泡をのせ、その上からチョコレートソースで絵を描いたものである。
マスターは新聞をたたみ、メガネのレンズをエプロンでふくと
「面白いものを頼むね」
と笑った。
そして「かすみさーん」とまた彼女に仕事を任せ、新聞を読みはじめた。
フォームミルクコーヒーは、かすみさんがこの店で働き始めてから1年たった時に、彼女の要望でメニューにいれたものだった。
このメニューが追加された時、僕はこれを使ってかすみさんに告白することを決めていたのだ。
「フォームミルクコーヒー?わかった。どんな絵がいい?」
かすみさんが聞いてきた。
「いや、僕、1回それ描いて見たいんですけど」
僕は思い切って聞いてみた。きっと無理だ、と思いながらも、きっと心の何処かで期待をしていた。
かすみさんは少し首を傾げたが、
「うん、じゃあ好きな絵を描いてみて。」
と、快くOKサインをくれた。
その瞬間、僕の中の緊張が解けた。ふぅとため息をついてみる。
かすみさんから受けとった、オーブンペーパーで作ったしぼり袋には、チョコレートと温めた牛乳を溶かし混ぜたものが入っている。
僕は不器用ながら、自分の思いをその小さなカップの中に書き上げた。
僕の人生初のラブレターだ。
僕はそれをかすみさんのもとへ持って行く。
「どう、絵は上手にかけた?」
「はい。」
「良かったね、ちょっと見せて」
笑いかけてくるかすみさんに、僕は少し戸惑った。
でも、見せないことには始まらない。
「はい、どうぞ」
僕はこの、暖かく小さなラブレターを両手で包み込みながら、かすみさんの手の元へ、それをゆっくり動かしていった。
僕は
「
今日は僕たちの2周年記念ですね」
と言葉を添え、かすみさんの手の中へとそれを移した。
こんなベタなことばでいいのかな。
大きな不安を抱えたままうまくいくこと心の中で祈った。心臓が張り裂けそうだ。
特等席に目をやると、泰弘も両手を握りしめ祈ってくれている。
どうにかうまく行ってくれ。
ところが、現実はそう甘くなかった。
かすみさんは、頬を赤らめたとおもうと、「ごめんなさい」とつぶやいて急に店を飛び出してしまったのだ。
・・・。
はじめは、この状況が理解できなかった。
しかし、少しずつ、自分の置かれた状況が理解できた。
どうやら恋は終わったらしかった。
それがわかった瞬間、
僕は空っぽになった。
全てを失ったような、そんな気持ちが胸を引き上がってくる。
言葉を発せず、呆然と立ち尽くす僕に、
「ドンマイ」
と、さっきまで祈っていた泰弘が、僕をあざ笑うかのように笑顔で言ってくれた。
ふぅ。
どうやら、ため息が癖になってしまったらしい。
希望は、絶望のかたまりである。
僕はそう知った。
僕は特等席に戻り、ふぅとため息をつく。高鳴る鼓動を抑えられない。2年に渡る恋は片思いのまま散って行った。
まったく、儚い夢を見たな、と反省する。
すると、カウンターから声がした。
「翔平くん、泰弘くん。こんな時に悪いけど、大切な話があるんだ。」
マスター、見てたのか。
自分が振られる無様な姿をマスターに見られたと思うと、何だか少し不快だった。
僕は乗り気ではなかったが、
「え、なに?」
気を紛らわすために、その話を聞いてみる。
「ぼくね、結婚することになった」
ん?
マスターが結婚!?
僕らは一瞬にして仰天した。
「え、誰と!?」
「えっと・・・それは言わない方がいいと思うんだ」
そういうとマスターは、かすみさんが出て行ったドアの方をに視線をやった。
「結婚の相手は・・・言ったら君ら、もうこの店にきてくれそうにないから」
マスターはそういうと、頭を右手で掻き、照れ臭そうに笑った。
その瞬間、僕は立場をなくして、ひたすらうろたえるしかなかった。
3
それからしばらくして、マスターは結婚式をあげた。
しかし、相手がかすみさんかどうかは白状してくれない。
そして、僕らも大学4年生になった。泰弘と揃って追試が決まった。
僕らはまだ、素敵な出会いがあるかもと、勉強もせずに『雨模様』に通い続けている。
2代目ミス雨模様はまだ現れないが、きっといつか現れるだろう。
その日まで、僕らはこの特等席で美味しい珈琲を飲み続ける。きっと。
この作品は、ぼくの大好きな歌を元に書きました。
頭の中でわかっていても、それを文章にするのが思ったより難しくて(笑)
思ったこと全部書くと、長くなっちゃうし。
短くしすぎると、展開が早くなっちゃうし。
結果、展開が早くなっちゃいました(笑)
だいぶ読みにくい文章になってしまいました( ̄◇ ̄;)
意見などありましたら、よろしくお願いします。