お嬢と俺
執筆中の眠ってたやつがもったいないので掲載
「一徹さんですね」
「え、ああ、…は?」
はいと言おうとして、は?と思わず声を上げてしまった俺を責めないでほしい。
一応はいと言う気はあった。
とりあえずご丁寧に名前を呼ばれてしまったわけだし。
ただ、それを言ってきた人物が想像もしてない人物すぎると、人間は言葉を失って固まるらしい。
現に俺は家の戸を開けようと鍵を扉にぶっ刺したポーズのまま、首だけ横に回転させたところで間抜けに停止している。
そこにいたのは女の子。
セーラー服を着ていることから中学生か高校生であることは分かる。
長い黒髪を後ろに流した、少し釣り目の、しかし他のパーツが小さく整っているせいか気の強そうな雰囲気は全くしない、可愛らしい少女。
手は白く細く、スプーンより重たいものを持ったことが無さそうな手というのはこういうものなのだなとかアホな感想を抱く。
足もそこらじゃお目にかからないほど長く、俗にいうモデル体型というやつだろう。
胸元は…まあ発達途上だと思われる。
流石に長時間見るのはためらわれたので一瞬目をやっただけだが。
残念ながら日に日に授業に、バイトに追われるよれよれの大学生活を送っている俺に、こんな子とのかかわりなんぞあるわけもなく、面識は0だ。
しかし、その子が可愛いとか、面識がないとか、そもそも誰やねんとか、色々言いたいことはあるものの、そんなことがどうでもよくなるのが今の状況。
なんか、めっちゃ女の子の周りに黒服がおる。
全体的に体格が良い人物ばかりで、見ているだけで威圧感がすさまじい。
うわすごい。
これ付き人ってやつか。
リアルで初めて見た。
「お嬢様、本当にこの方なのですか…?とてもお嬢様とかかわりがある方には…」
「いいえ、間違いありません。よれよれのシャツ、ぼさぼさの頭、剃り残しの見える顎、いまいちぱっとしない顔。見間違いようがありません」
「さようで…」
その中でも一番女の子に近かった白髪の初老の男性が、女の子に近づき小さく問いかけた。
いやそこ、聞こえてんだよ。
仮にも初対面でそんなぼっこぼこに言われる筋合い無いはずなんだが。
しかし、残念ながら事実なので否定もできないのがつらいところである。
「えっと…その、俺なんかに、何の用、っすかね?」
とりあえずどっからどうみてもやんごとなきご身分の感じがしまくってはいるものの、気圧されっぱなしだと状況が意味不明なため、とりあえず要件を聞いてみた。
おかしい、少なくとも俺はこんなSPに囲まれたお嬢様に目を付けられるようなことはしていないはず。
「話すと長くなります。続きは家の中でいたしましょう」
要件聞いたらいきなり家に入ると言い出した。
おいまて。
「え、ちょ、俺何かしましたか?それにそんな急に…」
「いえ、あなた様は何もしておりません。これは私の問題です。しかし、あなた様にはちゃんと知っていただかなければ…ああ、しかし、こんな多人数では狭いアパートでは少々手狭ですね…じい」
「はい、お嬢様」
「彼らと共に車で待機していてください。それほど時間はとらせません」
「しかし、こんなどこの馬の骨とも分からぬ男とお嬢様を二人きりには…!」
「安心してください。彼のことはよく存じております。いきなり訪問した女性に手を出せるような男ではありません」
さりげなく女の子が言ったセリフに次々とクリティカルヒットを貰う。
確かに手狭なアパートだがこちとら学生ぞ学生。
仕方ないだろう。
それに最後の言葉は聞き捨てならん。
確かに女っ気ゼロな上に、女と会話することが無さすぎて、どんな会話していいか分からないとか色々あるがそれでもだ。
周りの黒い人たち怖いから何も言えないが。
「さあ、これでいいですよね?」
「いや、よくないです…そもそもどちら様なんですか…」
「話すと長くなりますと言いましたよね?全部話しますのでさあ、ご遠慮なさらず中へ、さあ」
「はぁ…」
これ以上の押し問答は無駄だと考えた俺は、とりあえず刺さっていた鍵を回して家の扉を開ける。
まあ黒服の威圧に耐えながら会話するよりかは、女の子一人と会話する方が心持的には楽なので、さっさと退散したかったというのもある。
下手なことをしたら海に沈められそうだが。
「どうぞ?」
「ありがとうございます。では、じい。後ほど」
我が家にすたすたと入り込んでいく女の子。
待機命令を出された黒服たちからの眼光を背中に食らいながら、なんとか家の扉を閉めた。
こええっての。
「ふぅ…ようやくまともに話せますね?」
俺の家に入るや否や、いい笑顔でこちらに振り向く少女。
大変眩しい笑顔である。
元々整った顔をしているため、その破壊力は洒落にならない。
だが、見惚れるのを一旦置いておいて、聞いておかねばならないことがどうしてもあった。
「あー…開運の壺なら間に合ってるけど」
「そう言うたぐいの悪徳業者ではありません。純粋にあなたに用があります」
「はぁ…」
詐欺とかそういう類ではないらしい。
いやまあ仮にそうだとしてもここで言うわけないが…
「まあ…とりあえず上がったら?。立ち話もなんだし…」
「失礼します」
玄関口までは完全に押し掛けだったので今更感がすごいものの、存外礼儀正しく部屋の中へと足を踏み入れる女の子。
「変わってませんね…」
何故かどこかほっとしたように呟く女の子。
少なくとも俺の家にこんな子を上げたことは一度も無いのだが。
おかしい。
もしかすると電波系のヤバいのかもしれない。
そもそもよく考えてみたらお嬢様が見ず知らずの男の家に、おつきをわざわざ引き離してまで入ってくるのが意味が分からない。
…追い出した方がいいのでは?
しかし無下に扱えば黒服に沈められそうだと思いとどまる。
とりあえず俺に対しての用とやらをさっさと聞いて外に放り出そう。
それがいい。
「…まあ、用が何にせよ、座りなよ。そこで話は聞くから」
そう言って指さす先は一つの座布団。
ごあいにくだが、座り心地のよいソファーなどは存在しない。
こちとら貧乏学生なんだ、そんなところに金なんてかけてられるか。
というわけでベッドを腰かけ代わりに使うこと以外はほぼ地べた。
乱雑に置かれた座布団が唯一の座るスペースなのだ。
「分かりました。お気遣い感謝します」
いや気遣いなのかこれは。
どう見ても良家のお嬢にしか見えない女の子は、いそいそと指さした座布団の上で正座で座り込む。
正座って。
いやしかし、女の子だし普通なのか?
あぐらはありえんだろうし、女の子座りも何か違う気がするし…
分からん。
くだらないことを考えながらも一応お客様なので、俺と女の子の分のお茶だけ持ってきて彼女の前に座り込む。
「あ、そんな、お構いなく」
「いや流石に構う。俺が構う」
既に色々粗相をしまくっている気がするので、今更遅い気もするが、一応もてなしの心ということで一つ。
いや決してもてなしたいわけでは無いが。
これで東京湾に沈められる確率を少しでも下げようという魂胆なだけだ。
さて、舞台は整った。
とりあえず話は聞ける体制だ。
俺に用がある見知らぬ少女の口からはいったいどんな爆弾が飛び出すのかと身構えていると、彼女が口を開いた。
「突然の来訪をお許しください。私、竜神真琴と申します。真実の真に和楽器の琴の琴で真琴です。今年東栄女子高に入学した高校1年生です」
「はぁ…竜神」
その苗字を聞いてすぐ浮かんだのは俺の親友の顔。
散々くだらないことでバカ騒ぎをしてきた間違いなく俺の一番親友。
小学生以来腐れ縁の親友との縁は、何故か大学に通う今に至るまで続き、その名を竜神誠という。
その壮大すぎる苗字は小学生の時初めて会ってから常に語り草だった。
実際相当珍しい苗字らしく、俺もその苗字はあいつ以外知らない。
それだけでも相当珍しいのに、名前まで同じとは。
漢字こそ違うけど。
もしやあいつの親戚とか?いやでもこんな子がいたらあいつだって今までに一度くらいは話に出してるだろうし…
そんな風に巡らせていた考えは、目の前のJKの次の一言で粉々に砕かれることになる。
「そしてまたの名を竜神誠。漢字は誠実の誠。小学生以来のあなたの親友でもあります」
「はぁ…は?」
ん?誠?そっちの?
え?
「え?なんて?」
「ですから、あなたの親友です。誠です誠。竜神です。ゴッドドラゴンです。分かります?」
「いや、待て待て待て、なんでその、あっちの誠の名前がお前から出てくるんだ。なんで小学生時代のあいつのあだ名が出てくる」
「本人ですので」
わたわたする俺を尻目に、至って真面目に目の前の女の子はそう答える。
ちょっと待って理解が追いつかない。
「いや本人ておま、あいつは俺と同級生の至って普通の男だぞ!?しかもどっちかって言うと体大柄の大男!身長180超えてる肩幅無限に広いタイプのな!少なくともこんな小柄で可愛らしい黒髪大和撫子ではない!」
「あ、それ私褒められてます?ありがとうございます」
「褒めてる!褒めてるけど違う!大事なのそこじゃない!反応ずれてる!」
思わず叫んだが、飄々とかわされる。
とは言え、流石にあの男と目の前の少女が同一人物というのは受け入れがたい。
というか無謀だ。
あらゆる面で差がありすぎる。
そもそも年も違えば性別も違う。
唯一の共通点は苗字と名前の響きだけだ。
「困りましたね…今日はあなたが私を受け入れてくださることが前提で来たもので…どうすれば信じていただけますか?」
「信じるも何も…うーん…」
俺の焦りと困惑が伝わったのか目の前のJKは困ったような表情を浮かべていた。
何故この流れで今の話が信じられると思った。マジで。
困ってんの俺の方なんだけどほんと…
しかしそのまま待っていては埒が明かないので、一つここは本当に俺の親友の方である爪の先ほどの可能性を信じて、絶対に俺とあいつしか知らないことで攻めてみることにした。
「…じゃあ、今まであいつが付き合った、元カノの名前全員。流石にこれは本人じゃないと分からんだろうし」
「えー…まあ、いいですよ?それで信じてくださるなら」
目の前の少女は、少し困ったように眉をひそめつつ、しかしすぐにおっけーを出してきた。
おいおい。
「え、ほんとに言う気か?というか言えるのか?」
「ええ、もちろん。それにあなたには彼女たちと別れるたびに泣きついてましたし、あなたも嫌でも覚えていますでしょうし。なんなら、彼女たちとの別れの詳細も言いましょうか?」
コホンと一つ咳ばらいをした目の前の少女は、そのまま聞き覚えのある名前をゆっくりと正確に羅列し始めた。
「まず一人目は三条美鈴。小学生の時のことですね。まあ、実際に恋愛かと言われると…まだまだ子供でしたけど。中学生になったら自然解消してしまいました。二人目は静原野乃花。中学2年生の時です。そこそこ良好な仲でしたが、彼女の束縛が強すぎて私から別れを告げました。三人目は数週間前から。綾瀬雫さんで、今もお付き合い途中…だったのですが、私がこんな風になってしまいましたし、元カノ、なんでしょうか?」
「いやそれ俺に聞かれても困るんだけど…」
「ようやくまともに彼女できたと思ったのに…ショックです」
ふぅとため息を吐く目の前の少女。
憂いを帯びた顔も元が整っているせいか様になっている。
しかしすぐに顔を上げて俺の方を真っすぐに見つめてきた。
「…とまあ、私の事情は置いておいて、信じていただけましたか?」
「えぇ…?いや、マジ?うそぉ?」
思わず変な声が喉から飛び出る。
流石に今の情報を知っているということは本人だ。
それは間違いない。
あれを俺以外に話すわけがないと本人も豪語していたし。
しかし、鏡を見たら他人が映ったとかそう言うレベルで、理解はしても、心がそれを拒んでいる気がする。
「信じていただけないのでしょうか…?」
うぐっ。
その悲しそうな顔はずるい。
男にとってそれは会心の一撃である。
なので俺は、とりあえず慌てふためく己の心をいったん押し殺して、脳みそで出た結論を目の前の彼女――彼?に返すことにした。
「…いや、信じる。信じるわ。流石にその情報は俺とお前しか知らないはずだしな」
「そうですか!良かったです!」
パッと顔を明るくして笑顔になる彼――彼女?
先ほどの見るもの全ての庇護欲をそそるような表情とは違う、見惚れるような可愛らしい笑顔。
というか見惚れていたのだろう。
顔が熱い気がする。
――いかんいかん。仮にこれがあいつならば、見惚れるなど男の恥。顔、赤くなってないよな?
心を落ち着かせるためにも、改めて目の前の少女に当然の疑問をぶつけてみることにした。
「しかし、本人だとして、どうしてまた、そんなことに」
「どうしてこうなったか聞きたいですか?」
「そりゃもう、ものすごく聞きたいですが」
そう聞いてみたら、親友を名乗る少女は目を閉じて、思い出すように語りを始めた。
俺はそれに集中しようと耳に神経を集中させようとして――
「では順を追ってこうなった経緯を話しましょう。あれは今から1週間前のこと…私は普段通り、自分のお部屋の中で全身の衣服を脱ぎ去り、就寝いたしました」
「全裸!?」
一瞬で集中が砕け去った。
頭の中に目の前の少女の裸がよぎりかけたので大慌てで拭い去る。
「あ、その時はまだ男ですよ。元々家の中では裸族だったこと、知っておられますよね?」
「あ、ああ、びっくりした」
その言葉を聞いた俺は、頭の中で再度形成されかけた少女の裸体を、大慌てで男の竜神の裸体へと切り替える。
あいつの体は何度か見たことがある。
大柄でありながら筋肉もしっかりある、ザ・男な体系だ。
そちらのイメージを強く頭に流し込み、少女の裸体のことを極限まで考えないように努力する。
「今は花も恥じらう乙女ですからそんなこといたしませんよ」
「花も恥じらうって…まあいいや続けて」
色々突っ込みたいことは多いが、これ以上今の箇所で止まっていると、再びイメージが形成されそうになるので、とりあえず話を促した。
「…それから、何か不思議な夢を見ました。…内容はあまり覚えていませんが、誰か、と話をしたような、そんな夢です。ただ一つ覚えているのは、何かの質問に対して私が了承をしたということだけですが…」
「夢…」
「続けますね。そしてその夢が終わり、しばらくして、私は、誰か、聞き慣れぬ声に起こされることになりました。『お嬢様、お目覚めください』と。目を開ければ、そこは見知らぬ天井でした」
「み、見知らぬ天井…そんなアニメや漫画みたいなセリフを実際に聞くことになるとは…」
「あ、いえ、言ってみたかっただけです。実際は寝ぼけていて、あと5分…とか言っていたので、その時はまだ起きるどころか、目をあけてすらいません」
「いやそこはスッキリ目覚めてくれよ。もともと一人暮らしだろ。誰かに声をかけられている時点で違和感の塊だろう」
たとえ違和感があろうが、睡眠欲の方が勝っていたらしい。
図太すぎないだろうか。
「それから数分後…いえ、もしかしたら数十分後かもしれませんが、あまりにも起きない私に対して、誰かが体をゆすりながら呼びかけるのです。『お嬢様、お嬢様、起きてください。朝食の時間に間に合わなくなってしまいますよ』と。焦った感じの声が聞こえたわけです。私は、まだ眠たかったので、もう少し、と寝ぼけながら返します」
「そこは早く起きろよ」
いや滅茶苦茶困らせてんじゃん。
今の話本当だとするならば、最初っからお付きの人滅茶苦茶困らせてんじゃん。
というか普通こういうのってすぐ起きるもんじゃないのか?
俺がおかしい?
「そこから体を揺さぶられ続けたので、異変に気付き、私は両目を開きました」
「もっと早く目覚めてくれませんか。結構、分かりやすく一大事起きてるが?」
「目を開けてみれば、そこにいたのはなんと、とても可愛らしい顔をしたメイドさんだったのです。私の気分は、朝一とは思えないほど高揚しました。実際はまだ夢だと思っていましたが」
「ああ…うん」
気分が高揚する前に普通驚かないかと思うが、突っ込む気が失せた俺は、そのまま話を促した。
「何を言うのか非常に迷いましたが、寝ぼけた頭では考えがまとまらず、『おはよう』と言ってみました。そうしたら、『おはようございますお嬢様』と、どこかほっとしたような顔で言われました。と、そこで、私は寝ぼけた頭のまま、そもそも目の前の彼女が誰なのかということについて考え始めます」
「遅い。凄く遅い」
遅すぎだろう。
最初に見知らぬ誰かに声をかけられてから既に数十分以上経過してる換算だ。
俺なら最初に声をかけられた時点で飛び起きる自信がある。
誰もいないはずの部屋で話しかけられるとか普通に恐怖だろ。
「体を起こして周りを見てみれば、見知らぬ部屋でした。部屋のサイズからして、既に元々いたワンルームの数倍に広がっておりました。その時はまだどこか夢のような感覚だったので、ただ周りを考えがまとまらぬまま、眺めておりました。そうしていたら、メイドの女の子に、服をどうするかと聞かれたので、自分でもなぜかは分かりませんが、自分でやるから戻っていいよと自然に伝えていました。メイドの女の子が出ていくのを見ながら、覚醒を始めた私の頭が、これが現実であると訴え始めました」
「…それで?」
「とりあえず下を見たら、服を着ていましたので、その時点でおかしいと気付きました」
「遅いし、気付く場所おかしくないか」
「その後、細すぎる手を見て、足を見て、後ろに普段はしない感覚があったので、手を伸ばしてみれば、髪が長く伸びており、部屋の中に置いてあった鏡まで慌てて走りました。そうしたら、鏡の中にこれまた見たこと無いほどの美少女が立っていたのです。驚きました」
「いやそれ君自身だよね?」
「あ、はい。結果的には。その時は私だと信じれなかったので、目の前で色々ポーズをとって確認しました。色々やりましたので、大変眼福でした」
「おい、何した」
「こほん、とにかく、このような感じで、私は気が付いたら女の子になっていたのです。ご理解いただけましたか?」
「ご理解いただけるわけなくない?え、というか結局、理由部分は不明ってことか?今のあくまでもなっちゃった後の話だよね大半が」
「まあ、そうなりますね。原因は全く分かりません。前日まで、特別何かしていたわけでもありませんでしたから」
「…そうか。とりあえず整理するから少し待ってくれ」
「分かりました」
彼女に了承を貰って、少し考え込む。
どうも今の話しぶりや、どこかぼけた感じの内容。
そしてさっきの歴代彼女たちの話といい、目の前の少女が誠であるということはおそらく疑いようのない事実なのだと思われる。
しかし、俺を違和感が襲っていた。
何かどこか魚の骨が引っ掛かるような違和感が…
「あ」
「どうかなさいましたか?」
「そうだ、うん、あのさ、仮に君が男の誠だとして、なんで、俺の前までそんな、女の子してるんだ?」
「え?」
きょとんとした顔になる誠。
いやでも俺としてみれば当然の疑問だ。
仮に、仮に今の滅茶苦茶な話が真実だとして、それはつまり彼が彼女になったということには間違いなさそうだが、だったら猶更変な話。
事情を知らなさそうな周りと一緒にいる時ならともかく、こうして事情を知った俺に対してもその女の子の仮面をかぶり続ける必要は無いはずだ。
「あいや、変な意味じゃなくて、滅茶苦茶口調丁寧だし、正座だし。たたずまいが完全に女の子だからさ…ほら、男の誠は割とその辺ガサツだったから」
「ガサツで申し訳ありませんでした」
「いや別に謝る必要ないけど…」
「ただ、これについては説明できます。私は、確かに先日まで男の誠でした。これは間違いありません。しかし、それと同時に、16年間、女の真琴として生きてきた経験も確かにあるのです。今のこの仕草、口調、そう言ったものは、この身体に刻まれた経験です。なので身体としては男よりも女としての動作の方が自然なものとして記録されているようなので、何も意識しないとこうなります」
「つまり、今は完全に女の子ってことか?」
「いえ、精神的には男ですよ?以前のような男友達の時と同じように話してもらって構いません。ただ、口調とかはこっちの方が楽なので…一応、戻そうと思えば、記憶はあるので戻せるのですが…その」
「その?」
「やってみたのですが、違和感が凄くて…この顔と体で自分のことを『俺』とか呼ぶともう…私の16年分のイメージがこう、邪魔をして、ですね。なんというか、わざとボタンをかけ間違えているような感覚になるんですよね…」
「ああ、うん。分かった何となく分かった。おっけ」
つまり、彼はやはり彼女であるということらしい。
お嬢様として生まれた今の彼女にかつての彼の記憶や性格がひっついた、そんな状態なのだろう。
そう考えれば、彼女の反応も説明がつく。
ベースが彼女の方だとするならば、その体に染みついている行動から逸れたものは、違和感として受け取ってしまうのだろう。
まあ今の誠の見た目で、以前のようなガサツな男っぽい態度をとられたら違和感は半端ないだろうというのは想像がつく。
正直今のままでいてくれた方が俺は助かると言えば助かる。
「…今私から話せることはこの程度ですね。何かご質問はございますか?」
「ご質問しかないと言えばご質問しかないが、まあ突っ込んでも分からないことしかなさそうだから一旦置いとく。…しかし、数日間連絡が無いと思ってたらこんなことになってるとは…いや、おかしいとは思ってたんだ。変なメッセージを最後に全く反応なくなったから…」
「ああ、あのメッセージのことですか」
「そう。滅茶苦茶急だったし、意味わからなさすぎて驚いたんだからな」
数日前俺の使っている携帯の下に突然届いたのは誠からの謎のメッセージ。
ただ一言、『俺が誰か分かるか?』というものだった。
当然俺はただの悪ふざけだと思って『誠だろうが。ふざけてんのか?』と返したわけであるが、『そうか。ありがとう』の返信を最後に一切連絡のないままだった。
俺もあれ?と思ってはいたものの、まあただのおふざけだったのかなと思って放置していたのだ。
まさか、女の子になってるとか思うまい。
「あれは申し訳ありませんでした。どうメッセージを送ろうか悩んだのですが、結局あのような文言になってしまって。でもあの時、あなたは私のメッセージに対して、『誠』と、男の時の私の名前で呼んでくださいました。とても嬉しかったんです、それが」
「…というと?」
「今の私は女としての『真琴』です。以前の男の『誠』ではないのです。先ほどの私の話を聞かれてどう思われましたか?」
「…まあ、ヤバい話とは思ったけど。女になったというか、別人として生まれ直したというか。だって今のお前、お嬢様みたいだし。前の貧乏学生とはえらい違いだし」
元々誠という存在は俺と同じ貧乏学生であった。
しかし先ほどまでの話、今の目の前の少女の様子、先ほどまでの黒服たち。
全てを総合して、どう考えても目の前の少女はお嬢様のそれである。
しかも相当な。
ここまで元々の存在と違うと、女になったというより、もはや別人になったという方がしっくりくる。
俺の言葉は的を射ていたようで、俺の言葉に誠は大きく頷いた。
「ええ、その通りです。今の私は、以前の私とは似ても似つかぬ女です。かつての私の存在は、今はほとんど残っていません。両親すら、かつての私を知りません。一人の娘として接してきます。かつての私と同じものは、苗字と、記憶。それくらいなものなのです。他はほとんど、以前の私とは違うものです」
「…」
「家も、学校も、生活も、今の私の容姿も、能力も。何もかもが全て、私にとっては馴染みのない物です。でも周りはみんなそれが普通だと、いつも通りだとそう私に伝えてきます。それが私だと訴えるかのようにです。私は、そんな状況がとても辛かったんです」
先ほどまでのふざけた雰囲気を引っ込め、少し悲しそうな顔でほほ笑む誠。
なまじ今の整った美少女の顔でするその姿は、寂しげで、痛々しさすら感じられる。
俺はそんな姿を目の当たりにして、押し黙るしかなかった。
先ほどまではふざけた雰囲気で話していたが、誠は、かつての自分というものをほとんど失っている。
今の話を聞く限り、真琴の中に残された誠という記憶や性格、そういった不安定なものを除くと、彼が彼であった証拠はほぼ無いと言ってよいのではないか。
辛い、そう言った誠の心境がどれほどのものか、推し量ることは俺にはできない。
空白数秒。
空気が重い。
無駄に乾いた喉を、目の前のお茶で無理やり潤わせる。
気まずい。
そんな空気に耐えかねて、何かを語ろうと口を開きかけた俺を、誠の声が遮った。
「このままでは、こんな面白い状況を語れる相手がいない…それはもう、新手の拷問でした。本当に辛かったのです」
がくんと体が揺れた気がした。
恐らく立っていたら漫画みたいな効果音と共にこけていただろう。
先ほどもの悲しいように見えた彼女の笑みが、今ではこちらを小馬鹿にしているようにしか思えない。
先ほどまで真面目に少しでも考えようとしていた俺自身を殴りたくなる。
そうだ、こいつはこういう奴だった。
「そこかよ!辛かったって言うのは!ちょっと真面目に考えた俺の時間を返せ!」
「え?だって、体が女の子になって、しかも美少女ですよ?しかもお嬢様ですよ?さらにさらに高校生2回目!しかもお嬢様学校!なのに普通に生活できてるこの状況!面白すぎませんか?誰かに話したくなりませんか?この面白さを共有しようと思いませんか?」
「ごめん俺は実際に自分にそれが起きたらその反応できる自信はないわ」
「え?そういうものですか?」
「そう言うものだと思いますが?普通こうもっと思い悩んだりするとこだろそれ絶対」
「そうですか…?これが悲しみに暮れた50過ぎの無職おじさんとかになっていたら発狂していた気がしますけど、美少女お嬢様とか良物件過ぎてそんなこと思いもしませんでした。貧乏学生と比べたら数百倍以上はパワーアップしてると思いますよ?」
「俺が言いたいのはそういうことじゃなくて…いやもう、なんかいいわ。続けてください」
ものすごくきょとんとした顔をする誠
その顔をしたいのは俺の方である。
目の前の美少女が急に珍獣が何かに見え始めたのは気のせいではないと思いたい。
何がどうしたら、自分の人生が急に滅茶苦茶になって面白い!となるのだろうか。
俺なら発狂する自信がある。
こいつのメンタルは鋼鉄製なのだろうか。
「じゃあ、続けますね。ことの重大さに気付いた私は、この面白さを共有できる相手を求めて、とりあえずインターネット掲示板で書き込みを行いました。タイトルは「目が覚めたらお嬢様だったんだが」です」
「クソスレ臭しかしない」
「伸び方は微妙でしたね。完走しきる前に落ちてしまいました。それに、どうやら冗談と思われてしまったようでした。現実見ろおっさんとたくさん書き込まれてしまいましたし…思わず怒っていたらメイドさんに心配されてしまいました。でも現役女子高生に向かって失礼だと思いません?」
「いやそりゃそうだろ。俺だってネット上でそんなの見たら間違いなく冗談だと思うわ。失礼も糞もないわ。あとさりげなくそんな下らんことでメイドさんに迷惑かけんな。仕事の邪魔すぎるだろ」
掲示板でそんなタイトルを見たら間違いなく冗談だと思うこと請負である。
まあ気になって覗くかもしれないが、信じることはおそらくないと断言できる。
というかこんな異常事態でいきなりネット掲示板に書き込むか普通?
「そこでネットでバズって人気者作戦は諦めて、かつての友達たちに連絡をしてみました。でも、おかしなことに、大体の人たちが『人違いじゃないでしょうか』とか『詐欺?』とか言ってきて会話にならなかったんですよね…そんなにこっちの世界の私って薄情者だったのでしょうか?これでも男の時は交友関係、割と大事にしていた気がするのですけど」
「そりゃお前性別変わって歳まで変わってるんだから、元々の交友関係消えてるだろ…俺だってなんで元々のお前を覚えてるのか分からないんだから…」
「あ」
本気で驚いた顔をする誠。
どうやらこの能天気は本当に気づいていなかったようだ。
性別と歳がずれている時点でかつての交友関係はほとんどが失われているだろうということに。
「あ、じゃねえだろ。ここまでの流れで大体わかるだろそれは!」
「えへ?」
「えへ?じゃねえよ急にかわい子ぶってんじゃねえ。誠って分かってるんだから何にもならんぞ」
「え、でも可愛くないですかこういうあざといの」
「うるさい」
小首をかしげて笑顔を浮かべる誠。
以前のあの男がやっていると考えると吐きたくなるが、正直凄い可愛いと思ってしまう自分が嫌になった。
脳で理解しててもやはり見た目はまぎれもない美少女。
脳でないところが受け止め切れていない感じがいまだにある。
「話を戻しますね。というわけで、このことを話せそうな相手がいなくて途方に暮れていたのですが…先ほどあなたがメッセージを返してくれて嬉しかったと言いましたね?あれは本当です。私のメッセージにぶっきらぼうに返してきたあの感じ。そして前の私の漢字で名前を返してくださったことであなたがまだ前の私を覚えていると分かったのですから。ようやくこの面白さを共有できる相手を見つけたわけですから。もう居ても立っても居られなくなってしまって、爺やに無理を言ってここに連れてきてもらい、いまここに至るというわけです」
「…つまり、お前は、俺にこれをわざわざ喋るためだけにここに来たと?お付き大量に引き連れて?俺を社会的に殺すおつもりで?」
「まさか、流石に私もそこまで馬鹿ではありません。無論、話がしたかったのもありますが…本題は別にあります。会話するだけだったらこんなリスクしかないことせずに、それこそ普通に携帯から連絡をとりますよ」
「ああ、まあ流石にそうだよな…というかあんな謎のメッセージが送れるなら来る前に連絡よこせよ!こんなこと起きてるなら猶更!そうしたら多少は心の準備してたかもしれないだろ!?」
「サプライズしたくて。家に帰ったら美少女が押し掛けてくるっていう。男の人だったら一度くらいは想像しますよね?」
「…ほんとのとこは?」
「さっさと喋りたくて頭から抜け落ちてました」
「ほんと、もうお前なぁ!」
思わず声を上げたが、目の前の少女の顔はどこ吹く風。
全く持っていい笑顔である。
家に帰ったら黒服の大群に囲まれた男の気持ちを考えろと言う話だ。
「…まあ、終わったことだし一旦置いとく。それで、来た理由ってなんだよ?今の俺とお前って多分接点らしい接点無いだろ?こんなことしたらヤバいんじゃないのか普通に考えて」
「ヤバいですね。良家のお嬢様たる今の私が、見ず知らずの怪しいおっさんの家に一人上がり込んでる状態ですし。あと数分間経ったら、おそらく黒服たちが様子確認のために家の扉を破壊してくる気がします。私、そこそこ大事にされているものでして」
「おい!?洒落にならないぞ!?」
予想はしていたが、仮にそうなったらかなりまずい。
家の前に黒服大集合の時点で既にヤバいが、この後家に侵入される騒ぎまで発展したら間違いなく大事である。
そうすれば結果はどうであれ、俺は社会的にたぶん死ぬ。
流石にそれは勘弁してほしい。
「なのであなたを我が家に連れていこうと思います」
「…?」
「どうされました?」
「え?なんで?」
「なんでって、あなたを今の我が家へ迎え入れると言っているのです」
「はあ?」
話の流れが読めない。
何故この状況で俺を家に連れていくという話になるのだろうか。
「いえ、ですから、あなたを私の家に雇ってしまおうかなと思っているのですよ」
「は!?」
耳を疑い、思わず固まる。
だが、そんな俺の状態を知ってか知らずか、完全無視で誠は話をつづけた。
「私はせっかくかつての私を覚えているあなたを手放す気はありません。なので私の家に雇い入れることに決めました。あなたには私の便宜上の使用人になって住み込みで働いていただきます。そうすれば、かつてのように遊んだり、喋ったりしても違和感は持たれませんから」
「いや、いやいや、そんな急に。というか絶対周辺が納得しないだろそれ…」
急展開過ぎて頭がついて行かない。
既に誠が女になっている時点で脳みそのキャパがやばいのだ。
追加で頭を使わせないでほしい。
俺はそんな回らない脳みそをフル回転させて、なんとか誠に対して異論を唱える。
当たり前だ。
そんな無茶苦茶なことを周りの人間が許すとは到底思えない。
しかし誠はというと、どや顔をかましながら話を続ける。
「ふふふ…今の私はあの家のお嬢様なのですよ?しかも基本品行方正のお嬢様で名が通っているようです。早い話がとってもいい子なのです。そんないい子が、初めてするおねだり…受け入れられないはずがありません」
「自分で言うのかそれを」
「ええもちろん。今のお父様は私にとてつもなく甘いですし、勝算はあります。いい作戦ですよね?」
「よくねえ!俺はどうすりゃいいんだ!?急に引っ越しなんてできないし、そんな屋敷の仕事なんざ出来ねえぞ!?」
「大丈夫です。あなたは家事が一通りできますし、そんなとんでもない仕事を押し付けたりは決してしません。家の方も引っ越しの費用は持ちますし、愛着があるようでしたら私の方でこの建物ごと買い取っておきましょうか?」
さらっと言い出す内容は無茶苦茶も無茶苦茶。
今の誠にとって、このおんぼろアパート一軒を買い取るくらいわけないのかもしれない。
しっかりお嬢様してやがる。
「いやいやいや横暴すぎるって!」
「…とまあ、あなたが望むのならばその程度は可能です。ああ、あと働いていただくのですから、無論お給金は出します。あなたが行っている今のアルバイトの数倍から数十倍はお約束しますが…駄目、でしょうか?」
申し訳なさそうな顔でこちらの様子を伺うような角度で見つめてくる誠。
若干距離が離れているが、俗にいう上目遣いというやつだろうか。
美少女のそう言う顔ってホント絵になるよなぁとかアホなことを考えながら、しかし俺の返答は先ほどの内容を聞いた時点で決まっていた。
「謹んでお受けいたします」
「流石。現金ですね」
「うるさい。貧乏なの分かって言ってんだろ」
残念ながらこちらは貧乏学生。
家賃を払えば手元に残るお金は雀の涙。
お金の話にはとことん弱い生き物なのである。
「となれば、早速こんな手狭な部屋を出て参りましょう!私の家へ!」
「手狭は余計だ手狭は!」
「あら、申し訳ありません。ここ数日、このような狭い空間にいたことがないもので」
「お前も元々同じような貧乏学生だろうが!」
そこまで話すと誠は、正座の状態から音もたてずに立ち上がると、こちらに細く白くなってしまったその手を差し伸べてきた。
男の手とは違う、柔らかい、女の手。
前の誠とは全く違う。
そんな手を差し出す誠本人は、こんな状況だというのに、無駄に上機嫌に、いい笑顔を浮かべていた。




