5.《モニカ視点》流星界の天敵
いまだに頭の中に菊地の声が響いている気がしてならない。
『あーあーあーあ"あーア"ア"ア"ーーー』
聞いてない聞いてない聞いてないって!
流星界全員を相手にするのが仕事だとは聞いてたけど、まさか、人間以外を、しかも鳥類相手にするなんて聞いてないっ!!!
ハシビロコウの睾丸はトラウマだ。
菊地に鮭を与えている隙に逃げ出した私は、信じられないくらい天使で女神の女と出会ってしまった。
命からがらに逃げ出した末、運よく身代わりになると言ってくれた女。
これでいい。これでもう私の非女として役目は終わった。
もう晴れて自由だ。帷の拷問に怯える必要もない!
それなのに、
それなのにそれなのに。
私はずっと、あの女のことが忘れられないでいる。
このまま見殺しにしてしまってもいいのだろうか。
いや、見殺しって、今まで実際死んだ女はいないはず。ただ、女としての機能を奪われたとか、マンホールの下に3日3晩閉じ込められたとか、髪の毛も含めた全身の毛を抜かれたとか…。
命さえあれば、それで十分なはずなのに。
そんなの、女としてもう生きられない。
いっそ殺してあげた方がよかったんじゃないかと思う程の仕打ちだ。
私は今、宝泉高校、旧部室棟の前に来ている。
何が正しくて正しくないのかなんて、そんなこと私が一番よく分かっているはずだ。
「あ、あれ~?!九十九折先生ぇっ?!」
「っ、や、八乙女君、それに、有栖川君も……」
「なになにぃ!久々じゃない~??」
この旧部室棟は、5年ほど前まえ使われていた部室棟で、今は新しく場所を移転し新設されている。
錆びれきった、幽霊も出そうな暗い場所で、一般生徒も教師も近付かないと恐れられている場所。でもそれは決して幽霊が出るからではなく、ここには魔王と呼ばれる人物が率いる集団がいるからだ。
「ええと、神哉君に、会いに来たんだけど……」
「藍?それとも、遥斗?」
小柄で明るい、いつも金髪の前髪をピンで留めた八乙女晃大君とは違い、暗い表情で黒髪をハーフアップした気だるそうな有栖川翼君が私に聞いてきた。
「……りょ、両方、かな。」
「あ、そ。」
そのまま部室棟の中へと、かかとを踏みながら入って行く有栖川君。校舎からここまで上靴で来たらしい。
私に聞き逃げ状態で、私は一体どうすればいいのだろう。
「先生~、ボクに用事じゃなかったの?」
「うん、ちょっと、大事な相談があって、」
「じゃあまた今度相手してね!」
八乙女君も有栖川君同様、それだけ言って部室棟に入って行ってしまった。
この宝泉高校、旧部室棟は、流星界の敵、Coilgunの溜まり場だ。
私の名前は九十九折秋華、この宝泉高校で教師をしている。と同時に、地下アイドルをしている。
MONICA、23歳として。本当の年齢は35歳だけど、アイドルをするには何でもサバを読まなきゃやっていけない。まあ23歳も35歳も同じようなものだし。
うちには病弱な母親がいる。女手一つで育ててくれたにも関わらず、私が自立したと同時に入院した。
それまでの疲労が祟ったのかもしれない。私はそのために、昼間は教師として、夜は地下アイドルとして活動してきた。でも地下アイドルなんてのは売れなきゃ時給どころか分給もゼロのまま。
そこで流星界のヒメに名乗りを上げたのだ。
昼間は流星界のメンバーも学校にいっているし、仕事としては主に夕方から夜まで。
月に20万もらえる上に娯楽費用なんかも全て向こう持ち。たった3カ月の我慢だし、しかもヒメをやり切ったのを糧に、地下アイドルとしても名を上げられるかもしれない。そう思っていたけれど。
実際流星界に入れば、元々聞いていたヒメの情報とはまるで違う。
軽々しくヒメと読んでいた2文字は、女として扱われない「非女」だったのだから。
メンバーたちが話しているのを何度か聞いて理解した。
それでハシビロコウである菊地の交尾の相手もしなきゃならないと知って、思わず逃げ出してしまったのだ。
ハシビロコウは動かないことで有名な生き物なのに、菊地に至ってはよく動くんだもの。
「ハシビロコウの交尾」で検索しても全然HITしないくらいに、ハシビロコウは不動の鳥類と言われているのだ。
私が旧部室棟の玄関の前で立ちすくんでいると、中から真面目そうな黒髪の男子生徒が出てきた。
……神哉、遥斗。
とても不良チームに属しているなんて思えないような真面目さ。だから彼に至っては、教師からの評価は決して悪いものではない。
もう一人の神哉、このCoilgunのトップであり魔王と恐れられている、神哉藍とは似ても似つかない。
「先生、何か用ですか。」
「か、かみやくん……」
「僕の国語の成績についてならいくらでも校舎で聞きますけど。」
「ち、違うの。その、ちょっと、学校のこととは別件で話したいことがあって。」
「……」
成績関係ならいくらでも聞いてくれると言ったのに、別件と言った瞬間、大きくため息をついた神哉遥斗。
その表情はとてもめんどくい、といった感じだ。
私が何から話そうかと迷っていて、いきなり「流星界」の名前を出してもいいのかと思っている時だった。
「遥斗、その女だろ?新しい流星の非女っての。」
「藍。」
急に空気が重くなる。
たまにしか教室に顔を見せないせいか、その風貌はあまりにも威厳があった。
高い身長にグレーのふわりとした髪。ワインレッドの瞳が隠れるほどに長い前髪なのに。
美しい、と思わず息を呑む。
初めてだ。神哉藍と話をするのは…
「そうやって敵の手のうち平気でバラしてどうすんの。さっさとこの女を絞めとくってこと?」
「お前みたいに泳がせておいて最後の最後で打ちのめす方がよっぽど鬼畜だろ。」
私が、流星界の非女だということを知っている。
なぜ……どうやって、どうしてバレたの?!
「ここで教師が話してたら目立つ。中入れよ、九十九折MONICA。」
「っ、な、なんでそれをッ…」
神哉藍に聞いたのに、神哉藍はそのまま部室棟の2階へと上がって行ってしまった。
「高校生にだって情報社会はあるんですよ先生。いえ35歳を23歳で誤魔化してる地下アイドル。」
「なっ」
「地下で暗いからってばれないとでも思ってるんですか?」
神哉遥斗が、真面目な皮を脱いだ。
いつも教室で見せる神哉遥斗じゃない。
私はそのまま旧部室棟の2階へと案内された。
2階の広い部屋の中へと入れば、もう逃げ場はなかった。
私を取り囲むのは、不良、不良、不良。
流星界とはまた違う空気。
上っ面だけはいい帷のいる流星界は、一見明るく、ある程度歓迎されている感じはあった。まあその後は酷かったんだけれど。
でもCoilgunは、もう入り口が怖すぎる。
全く私、歓迎されてない。そりゃあ流星界の非女だと思われてるんだから当たり前かもしれないけれど。全員のオーラが高圧的すぎて。
自分の足が震えている。なぜこんな日に限ってスカートを履いてきてしまったのだろう。
今私は、Coilgunに周りを取り囲まれている状況だ。
入り口から突き当りの壁際には、神哉藍が座っていて、左端にあるソファには、さっきいた気だるげな有栖川翼が寝転んでいる。
ソファの端には、短髪でオレンジ頭の御園泰地という生徒がゲームをしていた。
彼も神哉遥斗動揺、授業にはよく出ている生徒だ。でもほとんど漫画読んでるかゲームやっているか。背が高くつり目。注意しても無視して、また自分のことをやり始める。
時には絵を描いていることもあった。とんでもなく芸術的な絵や、信じられないくらい上手い漫画のような絵を。でもどれも女性の性器の断面図が描かれていた気がするのは、いまだ私の中で処理しきれないでいる。
「……で?わざわざ流星の非女が真正面から乗り込んでくるなんて、なかなかいい度胸してんじゃん!」
小さな八乙女晃大が、腕を組み大きな態度で私に言った。
「は?晃大、お前が偉そうに言うなよ。前に非女が乗り込んできた時、真っ先に騙されたのお前だろ。」
有栖川翼がソファからぬるい声色を上げる。
「だってあんないい巨乳はそうそういないでしょ?!一回くらい抱いてもらいたいじゃん!」
「九十九折先生。その時の非女、どうなったか知ってますか?」
神哉遥斗が、藍の隣で笑いながら聞いてきた。
「し、しらないわ……。」
「でしょうね。僕らの中で内々に処理したんで。まさか素っ裸で木からM字開脚で吊るされて媚薬投入された野犬10頭に襲われたなんて誰も知らないでしょうね。」
「っッ」
「九十九折先生なら獣姦なんて余裕でしょう。なんせ流星にはハシビロコウもいるくらいなんだから。」
発想がどうして皆動物に行くの―――――?
「一回女の裸にゴキブリ責め、とかやってみたいよな。」
え?!
そう呟いたのは、他でもない御園泰地だった。あの女の性器を必死に書き殴っていたオレンジ頭の不良だ。
「それか蜜漬けのコオロギ塗りたくって、タランチュラに這わせるか。」
あ、これド変態の発言じゃない。
そんな可愛いものじゃなかった。ド糞鬼畜サイコ蟲姦ドクズ野郎だった。
「それよりも、俺はかわいいあの子と紙コップで糸電話したい。」
?!
今の呟きは、どこから聞こえたのか……。と思っていたら、どうやら魔王の神哉藍の発言だったらしい。
皆が神哉藍に注目しているから。
「皆、そんな目で俺を見んな。」
「藍、」
遥斗が"そんな目”で藍を見る。
紙コップで糸電話するよりも、普通にスマホで電話しろ。私はそう思った。
「かわいいあの子とひそひそ話して人生に華を添えたい。」
…死に際なの?
「どうしたの藍。そんな老後を勤しんでるようなキャラじゃないじゃん。」
遥斗が一切眉を動かさず、無表情で隣の藍に淡々とツッコミを入れる。めちゃくちゃ冷め切った声で。
神哉藍……。この辺じゃ魔王と呼ばれる威厳と風貌とそのワンパンで相手をやる強さで有名な男。
そこにいるだけで、こっちは心臓をつかまれた気分になるくらい緊張感を持たされるというのに。
「で、流星の非女がうちに何の用ですか?」
藍の隣で威圧感を放つ遥斗。
なんとなく今は藍よりも遥斗のが怖い気がする。
それでも私は、教師として、人として言わなきゃならないと思った。
「流星界に捕まっているある女の子を、助けてほしいの。」
どよめくわけでもなく、ただ周りにじっと見据えられたままだ。
「実は、私は、もう非女じゃない…。私が逃げ出して、それでたまたま出会った女の子が身代わりに捕まってしまって……」
「それを僕たち生徒にやらせて、先生はそれでいいと思っているんですか?」
遥斗が私を睨みつけた。
さっきまで底が見えない笑顔だと思っていたのに、ここにきて急に本性を現し始めた。
それが何を意味をするのかは、大人の私にはなんとなく分かった。
「お金は、払うわ。20万。」
「20万?たったの?」
「……ええと、じゃあ、40万。」
「いきなり倍ですが。僕らも随分足元見られてますね。」
そこで、藍が両手を前に出し、掌を広げ、5本と5本の数字を突きつけてきた。
それって、まさか……ひゃ、100万ってことじゃ……そんなお金、とてもじゃないけど出せない!
確かに私は元々40万までの金額を提示するつもりで最初に20万といったけれど、いくらなんでも100万は……!
「……5と5で、8。」
スパーン
遥斗がスリッパで藍の頭をはたいた。
どこからスリッパが出てきたのか。
「先生~、自分の尻拭いを俺らにさして人として間違ってるとか思わないんですか~?」
ソファに寝転ぶ有栖川翼が、あくびをするように声を上げた。
「思ってる、思ってるわ。」
「そもそも逃げるんなら最初から非女なんてならなきゃ良かったんじゃん?」
「……」
翼の言っていることは何一つ間違っていない。その通りだ。
そもそも流星界だなんて悪魔のような城に乗り込む方がおかしい。どこかで普通の扱いをされるわけじゃないことを分かっておきながら、たかだかお金と手当に釣られて乗り込むなんて。
私が間違っていたのは認める。そんなことで稼いだお金でお母さんが喜ばない事だってよく分かっている。
でも、だからこそ、あの子に助けられた私は、あの子を放っては置けないのだ。
「お金意外に、何か誠意を見せろってことなの?」
「よく分かってんじゃん。さすが先生~。」
翼が鼻で笑って、言いながらも、そのまま反対側に寝返りを打ってしまった。
「……」
こういうのは、土下座でいいのだろうか?
私はその冷たい床に膝をつき、土下座の姿勢をした。
「お、お願いします…。どうか、流星界に捕まった、いえ、私の身代わりに捕らえられてしまったあの子を、助けて下さい。」
そのまま額を床につけた。
何をしているんだろう、私。
そう思いながらも、数秒、冷たい埃の臭いのする床に額をつけていた。




