1.ハシビロコウは必要か
私がいた世界とは違う、真っ暗な世界。
今まで私がいた場所は、明るく単調な色合いながらも広く平坦な道路。ゴミ一つ落ちていない歩道。確かに私はさっきまで明るい時間、綺麗な開け放たれた場所にいたはず。
でも今私がいるのは、暗闇の世界。
ぼこぼこと段差のある道に、風に舞うチラシの数々。下ろされたシャッターには赤い文字で模様が描かれていて。お店のロゴマークとは違う、乱雑な落書きのような模様。
今までの空気とは比べものにならないほど埃っぽくて、否応なしにむせてしまう。
「コホコホッ」
臭いも独特で。お世辞にも綺麗とはいえないこの世界。
ここは一体、どこなのか――――
道路と歩道の境目も分からない道を、ゆっくりと進んでいく。
そんなに遅い時間なのか、車が1台も走っていないし、人の気配もない。
「痛、」
そういえばと足元を見れば、靴を履いていないことに気がついた。
かろうじて履いていたハイソックスに、ゴツゴツとした地面が食い込んでくるような感触だ。
痛いけれど、このままここでじっとしているのは寒いから、ただ歩いた。
遠間隔に並ぶ街頭でさえも仄暗く、歩いても歩いても、シャッターが閉められたお店か、民家とも分からない廃屋のような家を通り過ぎるばかり。
何時間歩いただろうか。
微かな人の息の音が聞こえてきた。
後ろからか前からか、必死に息継ぎをするような呼吸音が近付いて来る。
「はぁ、はぁはぁッ」
すぐに何か慌てているのだと察知できた。相当乱れた呼吸音だ。
「だれかっ……!はぁはぁ、だれか、たすけてッ!!」
前から乱れた服装と、結んだ髪が今にもほどけそうな姿で走ってくる女性が見える。
こんな真っ暗な夜にも関わらず、ミニスカートに肩の出たニットを着て、私みたいに裸足で駆けてくる女性。
目を凝らせば、ストッキングはどうやらところどころ破れているらしい。
私も慌てて彼女の元へ駆けよった。
「たすけ、助けて!!!」
「あ、あの、どうされたんですか?!」
「お願いッ!!追われてるの!!!」
「誰に?」
「私を殺そうとする奴らよ!!!」
膝に手をつき乱れた呼吸の合間から必死に訴える彼女。
髪の毛がプリンのような金髪で、目元はパープルのマスカラが取れたのかクマのようになっている。
「……ええと、」
「お願い助けてッ!!」
ここがどこなのかと問う状況でもなく、今は彼女を落ち着かせることの方が重要なようで。
今にも倒れ込みそうな彼女の腕を取り、その細い身体を支えた。
助けるも何も今の私に何ができるというのか。そもそも彼女は何に追われているのか――――。
身を潜められそうな場所を探す間もなく、あっという間に目の前が白い光で埋め尽くされていく。
爆音と轟音が入り混じり、道路全体を振動させているのではないのかと思うほどの衝撃で。
「な、なに?!」
「やだ!!もう私は戻りたくないっ!!!」
何が起こっているのか全く理解できない私と、私の後ろで挙動不審になる彼女。
まばゆい光に細めていた目を少しずつ開いていく。
目の前には、数台のバイクが並んでいて――――
光で顔までは見えないけれど、ゴーグル付の赤いヘルメットを被った人物が2人。
でもそれよりも2度見、3度見をしてしまうバイクがもう1台。
そこには。大きなペリカンのような鳥が乗っていたのだ。
いや、そんな馬鹿な話があるとは到底思えない。きっと鳥の格好をした人間なのだろう。
くちばしがやたら大きく、ヘルメットを被れているのかいないのか、頭にちょこんと乗せているような形だ。
大きな身体を支えているのは細くてやたらと長い脚。それこそ仮面ライダーが乗っているような目ざましいバイクを跨いで、ちゃんと地に足をつけ支えている。
今日はハロウィンなのだろうか?
私のいた世界でもハロウィンのイベントはあった。学園の文化祭の中で行われるハロウィンイベント。
皆が動物の衣装を着る中、なぜか私だけ大きく胸の開いた魔女の格好をしていた。
衣装は自分で選べるものではない。元からそういう設定なのだ。
なんせ私はゲームの世界にいたキャラクターなのだから。
そう、私は『あの柿の木の下で。』と呼ばれるゲームの中のキャラクター。
勝手に制作者により設定されたあの衣装。際どいスリットの入った肌を露出するものであったせいか、男の子たちからは軽い目で見られ、女の子たちからは男子を誘惑しているのではと、嫌味を言われる対象になっていた。
唯一普通に話しかけてくれていた主人公の男の子。私が「軽い女」と噂されているにも関わらず、友達として真っ直ぐに接してくれていた彼。
その主人公である彼こそが『あの柿』のプレイヤーだ。
でもプレイヤーである彼は、女の子たちから絶大な人気を誇っていた。
彼はきっと、私を友達としてしか接してくれたことはなかったのだろう。同じ周回ルートを繰り返すうちに、私の心も彼に奪われていった。
しかし周りの生徒たちは、不穏な動きを見せるようになっていく。
ゲームの世界は、決められた範囲での生活しか許されない。
娯楽も、旅行も、多少のイベントはあっても、それも毎度同じ時期、同じ内容であれば誰しも飽きがきてしまうというもの。
私のいた学園内は、ある出来事を境に次第におかしくなっていったのだ。
どんなにここより綺麗な世界であろうとも――――
――――――――
「ッ菊地!!」
後ろの女性の声でハッとした。彼女が"菊地"とよぶその人物が、バイクから降りてきたのだ。
「……」
「ッ、」
「……」
菊地さんが、ゆっくりと私たちに近付いて来る。
そしてこの暗闇の中、間近で見るその姿は。どうやら衣装でも何でもなく、本物の、鳥···――――
「えっ?!…と、とり??」
今この状況で鳥に「とり??」と聞くのは間違っているだろうか?
この世界が人間と動物が共存する世界ならあり得なくはない話だけれど。私にとっては"菊地"と呼ばれた彼を目の当たりにするのは初めてのことだ。
「ちがうッ、菊地は、ハシビロコウなのよ……。」
後ろの女性が私の腕を掴みながら、全身を震わせそう言った。
はしびろこう?聞いたことがない。
「……はしびろこう?とは??」
「ぺ、ぺりかんの一種よ!ほら、嘴がやたらでかいでしょ?!」
「え、ええ。」
「菊地は流星界の追跡係。菊地から逃れるなんて最初から不可能だったのよ……!」
りゅうせいかい……?追跡係……??
理解できない単語を並べられても、頭の中がうまく落ち着かない。
だって、その"はしびろこう"が今目の前にいるという事実だけでもいっぱいいっぱいなのに。
何を疑問にしていいのか、何から質問すべきなのか。私は頭で考えるよりも先に、その言葉を口にしていた――――。
「追跡係で、鳥の仲間であるのに、なぜバイクに乗っているのですか?」
「ア"ーーーーッ」
菊地さんの「ア"ーッ」という鳴き声で思わず後退してしまった。後ろの女性も思わず「ヒッ」と喚き声をあげる。
でも私は、どうしても聞かずにはいられなかった。
「あ、あの。気分を害してしまったら申し訳ありません。ただ、せっかく大きな翼があるのですから、飛べばいいと思うのです。」
「……」
「つ、追跡係をなさっているのなら尚のこと、きっと空から追跡した方が早いと思うのです。。」
「……」
何の反応も示さない、菊地さん。
そして彼とは反対に後ろでは、『あ、あんた殺されるよっ』と私に小声で引き留めようとする女性がいて。
もちろん、怖くないわけではない。
初めて見るこの"はしびろこう"という種類の菊地さん。大きすぎるくちばしと、細く長い脚が歪さを極めているのだから。
さっきの鳴き声でまた威嚇されるかもしれないし、もしかすれば彼女の言う通り、本当にくちばしでつつかれて殺されるのかもしれない。
それでも、私にはもう何もないのだから。どうなってもいいと、半ば自暴自棄になっていたのだろう。
沈黙を続ける菊地さんの目は鋭く、バイクのライトにも負けていない黄色の閃光を放っている。
空を飛べばいいのに。
素直に言ってしまったこの言葉を、今さら後悔することなんてなかった。
「ひぃあ"あッッ」
そうおののいて、私からさらに後ろへと飛び退く女性。
菊地さんが私の頭を、カプっと一口、噛んだのだ。
私の頭なんて丸呑みできてしまいそうなほど大きなくちばし。
160度ほどに開かれたくちばしの中に、私の頭と顔が入って。ああ、このまま、食べられるのか―――そう思っていたのに。
菊地さんは数秒、私の頭を甘噛みしてから、そっと離して。そして、こう呟いた。
「ア"ぁ~~~~」
その「ア"ぁ~~~~」が何を意味しているのかは分からない。だって菊地さんは無表情だし、何より鳥なのだから。
ただそれだけ呟いて離れていってしまった菊地さん。光の中へと戻って行く姿に、ほうっと見とれてしまう自分がいた。
後ろにいた女性がゆっくりと立ち上がって、少し震えの落ち着いた手でまた私の腕をつかんだ。
「あ、あんた、すごいね……。」
「え?」
「あの菊地に楯突くなんて、すごいよ。」
そうなの?すごいの?人の基準はいつだって不透明だ。
でも今度もし動物園に行って"はしびろこう"に出会ったら、一緒に写真を撮ろうと思う。
はしびろこうに気を取られていたせいか、それ以外のメンバーの状況を今になって把握した。
前3台のバイクの後ろには、少なくとも10台以上のバイクが並んでいる。
たかが女性一人にこんな複数の人数で追いかけてくるなんて……彼らは一体何者なのだろうか。
「まさか、菊地を手懐けるとは。」
今の、手懐けたうちに入るの?
停めたバイクのエンジン音直後に聞こえてきた声。
真ん中にいた人物が、ヘルメットを取りながら私に近付いて来る。
「あんた、こんな夜更けにセーラー服のまま何してんの?」
私の目の前に迫ったその人物は、マッシュルームのような個性的な髪型をした男性だった。
大きめのストライプのシャツに、だぼついたズボン。そしてゴーグル付の可愛いヘルメットを手に持って。これが今時といっていいのかは分からない。
無表情でも菊地さんとは違って鋭いそれではなく、表情を作るのがいちいちめんどくさいという様に、気だるい雰囲気のある若そうな男性だ。
その髪型や服装が、アンニュイそうな彼には似合っている気がした。
「聞いてんの?」
「あっ、と……」
「まあいいや。とにかくその後ろの女、こっちに渡せよ。」
「ヒッ」とまた恐怖の声色になった彼女が、私の背中に密着しながらふるふると頭を横に振った。
「……あの、彼女は、なぜあなたたちに追われているのですか?」
「通りすがりの他人に言う必要ある?」
「ええと、はい。あると思います。」
「ほーん、肝の据わった奴。」
もう一人、同じゴーグル付のヘルメットを被った男性も私に近付いて来る。
私は、何を言っているのだろう。
こんな囲まれている状況で何をされるのかも分からないというのに。これこそがテンションの高くなった外国人観光客、いや異世界観光客の気分なのかもしれない。
もう一人の男性もヘルメットを取ると、今目の前にいる男性と同じような姿の顔が現われた。
髪型や服装だけじゃない。どこか気だるい雰囲気も同じ。双子、なのだろうか?
「君さ、ここで僕らの邪魔立てするようであれば君にも同行してもらうことになるけど。」
「どこに、ですか?」
「どこって、僕らの巣だよ。」
姿は同じでも、一人称が違う。
無反応な私を見てか、彼ら2人で顔を見合わせた。
「見ろよ竜馬、コイツヤバくね?なんか着てる制服ボロボロだし靴履いてねーじゃん。」
「てかこんなセーラーの襟見たことないよね?」
「……」
まじまじと見つめられ、しまいには「幽霊じゃないよね?」と軽く頭を叩かれた。
「あんたに関わるとろくなことなさそう。いいからさっさと後ろの女渡せ。」
「か、彼女が、何をしたっていうのですか?」
「あんたには関係ないだろ。」
「もう関わってしまったので、あ、あると思います!」
「逃げたんだよ。俺らとの契約を破って逃亡した。悪いのはその女だから罰を受けて当然。」
「もういいだろ?」と後ろの彼女の腕を引く彼ら。そして彼女が恐怖の表情で叫んだ。
「や、ヤダっ、もうあんなとこには戻らないッ!!」
「はあ?そっちから契約しといて任期中に逃げるなんて卑怯だぞ?」
「あんなとこにいたら精神が持たないッ!!もうヤダヤだぁッッ!!!」
「身体はまだまだ元気だろ?どの口が言ってんだよ。」
一人称"俺"と言う彼が、容赦なく彼女の腕を掴み上げ引き寄せる。
でも一人称"僕"と言っていた男性が彼女に歩み寄ると、何のためらいもなく彼女の頬をビンタした。
男性の威力では女性の比にならない。その衝撃に、女性が思わず横に倒れこむ。
――――あまりの光景に、息を呑んだ。
私は彼女の元にしゃがみ込んで、そしておそるおそる彼らを見上げた。
「あああのっ!!いくらなんでも女性に手をあげるなんて酷くないですか?!」
しゃがんだ身体を支える自分の脚が震える。ぶるぶるぶるぶる
それでも私は、簡単に手を上げることに黙ってはいられなかった。
「はあ?その女はそういう役割の女なんだよ?」
「や、やくわりヒック?!」
「君はもういいや。ウザい。まだうちの連中全員からの罰が待ってるんだから、さっさと立てよモニカ。」
彼女を爪先で蹴ろうとした一人称"僕"の彼。最初話した時とはまるで違う、威圧的なオーラをまとう姿がモニカさんを更なる恐怖に陥れた。
「いやぁあぁあッ!!!もう好き勝手犯されるのも叩かれるのもこりごりよぉっ!!」
"好き勝手に犯される" "叩かれる"。私の元いたゲームの世界も、似たようなものだった。
制限されたゲームの世界で次第に心を乱していった学園の彼ら。
小さな孤島には、必ずそれを支配したがる人間が現れるというもの。
同じような世界に来てしまうなんて、何かの縁なのか、それとも私に逃げ場などないということなのだろうか。
私は考えることが億劫になって逃げたというのに――――。
もしかしたら、1人で逃げた罰なのかもしれない。
そうだ。きっとこれは罰なんだ。どこまでいっても人間の支配欲からは逃れられないのだと、そう神様が教えてくれているのだろう。
それなら私はもうこの運命を受け入れるしかない。きっと逃げても逃げても神様の目からは逃れられない運命なのだ。
せめて彼女のためになるのであれば、私は喜んでこの身を差し出すのが賢明なのでは――――
彼女の泣きじゃくる姿に、私は思わず蹴ろうとする彼の爪先をつかんでしまった。
「なに?君も同じような目に合いたいの?」
彼の低い声色に踏み込むように、私は彼らを見上げた。
「あの、私が彼女の代わりにヒック罰を受けます!」
「……え?」
「私が身代わりになりますから、だから、どうか彼女を解放してあげてください!」
途切れ途切れに伝えると、その場に数秒沈黙が走って、突如モニカさんが驚いた表情で叫んだ。
「ええええええええええ!!!!」
「モニカさん、どちらにせよ私には帰る家もありませんし、待つ人もいません。」
「……え?」
「だから、私が身代わりに彼らの元へと行きますので、どうか安心してください。」
「……あんた、何言ってるの。」
モニカさんの手はずっと震えたまま。
彼女の手を強く握ってから笑顔を見せ、離すと、私は立ち上がって彼ら2人を見据えた。
「今言った通り、私には帰る家がありません。もし置いて下さるというのなら、彼女の代わりにどんな罰も受けます。」
向こうの方では、菊地さんを筆頭にバイクに跨ったままの彼らが騒がしくなり始めて。
目の前の彼ら2人は何やら小声で相談を始めて。ちら、と何度も私を見ては眉間にしわを寄せていた。
「竜彦、これって、異例の事態?」
「そうかもね、竜馬。」
「で、どうする?帷に報告?」
「……の前に、顔を確認しとこう。」
「モニカ以上の不細工なら代わりになれない」と、ビンタを繰り出した彼が、私と同じ目線にしゃがみ、私のだらしなく垂れ下がった髪の毛を掻き分ける。
ぐしゃぐしゃになった髪の毛は湿っぽく、ずっと視界がストライプになっていると思っていたら自分の髪の毛が前を遮っていたらしい。
私のクリアになった視界で見たのは、暗闇なんかではなく、月夜の綺麗な夜空と
切れ長の碧い瞳孔を開かせた、彼の驚いた表情だった。
「これは、異例の事態だ――――。」




