魔女図書館の最強賢者、二度目の人生は見習い司書に
ある日、一人の魔女が死んだ。
その魔女は世界でただ一人〝賢者〟と呼ばれた人物。
そして〈魔女図書館〉と呼ばれる知の宝庫の創設者にして、初代館長。
彼女は様々な偉業を成し遂げ、ありとあらゆる魔法を会得したと謳われる、世界で最も偉大な魔女だった。
されど遂に老衰には勝てず、誰に看取られることもなくひっそりと息を引き取る。
その最期は、数多くの〝本〟に囲まれていたという。
▲ ▲ ▲
「ヤバい、もう無理。死ぬ」
――人生には今際の際がある。
しかも往々にして、その瞬間は突然訪れるモノだ。
私の場合のソレは、「今日は種から植えた果物を一日で成熟させる魔法でも本に書き記すか~」なんて呑気に考えていた矢先のことだった。
いきなり胸が苦しくなり、すぐに動悸が激しくなって上手く呼吸できなくなった。
たぶん心臓という臓器が寿命を迎えたのだろう。
いや、よくよく考えれば突然の出来事でもなかったかもしれない。
この時私の年齢はとっくに百歳を超えており、魔法を使ってどうにか肉体年齢を三十歳くらい若返らせていたのだが、それでも老衰には勝てず身体の節々にガタが出始めていた。
不老不死の魔法なんかも研究したりしたけれど上手くいかず、その方法を記した本も見つからなければ成功したという話も聞くことはなかった。
どうやら魂というのは必ず肉体から離れようとする性質があるらしく、それを阻止する研究を行うには流石に時間も資料も少なすぎた。
私ですらそんな状態なので、不老不死は今後しばらくの間は実現できないと思う。
少なくともあと数百年は無理なんじゃなかろうか。
だから若返りの魔法を使って誤魔化していたが、それも限界らしい。
なんかもうすぐお迎えが来そうだな、と薄々感じてはいたけど、そんなことより私には魔法に関する本を読んで書き記したり集めたりすることの方がずっと大事だった。
そうやって目を逸らし続けてきたが、いよいよ我が人生も大詰めっぽい。
周囲に人の気配はないし、目につく物と言えば大量の本ばかり。助かる見込みはないだろう。
「うぅ……こんな時のために、用意していたあの魔法を……」
不老不死の魔法は、終ぞ成し得なかった。
けれど私だって魔女の端くれ。
実現できないなら仕方ないよね、などと安直に受け入れられるほど素直な性格はしていない。
不老不死が無理ならと、その迂回策は既に研究しておいた。
まだ人体には試していないので完成とは言い難い魔法だけれど、この時のために用意してきた魔法なのだ。
ならば今使わずにいつ使うというのか。
「……〝生・死・生〟〝真実〟〝二度の誕生〟。我が魂、我が知能を新たなる肉体へと宿し、新たなる生を歩ませ給え――【転生の魔法】」
魔力を練り、詠唱し、発動。
次の瞬間、私の身体は白い光に包まれる。
これはちゃんと魔法が効果を発動した証拠。
つまり成功の証だ。
自分の魔法の成功を見届けた私は、
「ぐふっ」
もはやここまで、と床の上に倒れる。
ああ、儚い人生だったな、などと思いながら。
そうして意識が徐々に遠のいていくが……そんな時にふと「あっ、やべ」と思った。
よりにもよって、死の間際に思い出してしまったのだ。
死ぬまでにはどうにかせねばと思いつつ、結局ほったらかしになってしまっていた――私が若い頃に書いた〝黒歴史本〟たち。
アレを処分していなかったことを。
あの本は文字通り私の黒歴史であり、恥ずかしい過去。
若気の至りで書いてしまった、我が人生の汚点。
捨てねば燃やさねばとずっと思っていたのだが、それでも自分が書いた本であり文章。
可愛さ余って~などと言うつもりはないが、中々踏ん切りがつかず今の今まで大事に取っておいてしまっていた。
アレが人様の目に触れるのは……。
……でもまあ、大丈夫かな?
どうせ誰の目に留まることもなく塵となって消えていってくれるでしょ。
恥ずかしいからこれまで誰にも読ませたことなかったし、世間に一度も公開していない不出の本だし。
っていうかお願いだから、誰にも知られることなく消滅していってくれ――そんなことを薄れゆく意識の中で考えつつ、私は深い眠りについた。
▲ ▲ ▲
――私は本が好きだ。文章が好きだ。
子牛の革が使われた表紙をめくり、ややくすんだ白色の紙に記された文字の列に目を落とすと、スッと心が和らぐ。
そしてザラザラとした感触の紙を指先で摘まんでページをめくる、あの瞬間をこよなく愛している。
なんというか、本を読んでいると自分の世界に入り込めるのだ。
本に記された文章は書き手である著者と対話させてくれるし、またその文章を咀嚼する自分自身とも対話させてくれる。
ある意味では、本という存在は自分を見つめ直す機会を与えてくれていると言えなくもない。
私は幼い頃から本の虫だった。
何故それほど本の虜になっていたかと言うと、遊び相手がいなかったから。
私は孤児だった。
物心つく前に両親が他界し、孤児院に引き取られたけれど、幼い頃は身体が弱く病気がちであまり外に出られず、他の子たちに交じって遊ぶことができなかった。
ハッキリ言って、私は孤児院の中で浮いた子供だった。
一緒に遊ぶ友達がいない、会いに来てくれる親族もいない、加えて孤児院での生活はお世辞にも裕福とは言えなかったので、必然的に時間を潰す趣味は限られた。
そんな私が孤児院の本棚に置かれた書物に関心を抱くのは、当然だったのかもしれない。
本棚から全く知らない本を手に取り、最初のページをめくった瞬間、私は本の虜となった。
だから私は本が好きだ。
本ばかり読んで、読んで、読んで……気がついたら本の虫となっていて、分厚い紙の束が表紙という名の二枚の板に挟まれてさえいればとりあえず目を通すという、我ながら恐ろしい雑食ぶりと暴食ぶりを発揮するまでになっていた。
十二歳で孤児院を出た頃にはある程度体力もついて外に出られるようにもなっていたが、それでも変わらず本ばかり読んでいたので、施設の大人たちからも子供たちからもすっかり変人扱いされていたほどだ。
まあ、そんな私でも好きな分類くらいはある。
それは魔法だ。
魔法に関する知識が記された本は、特に読んでいて面白いと思えた。
魔法のなにがそんなに面白いのかと問われると少々答えに窮してしまうが、敢えて言うならば〝世界観〟であろうか。
私が生きるこの世界『アルカディア』において、魔法とは学問の一つだ。
魔法という学問を一度学び始めた者は、その魅力に抗えなくなる。
知れば知るほどもっと知りたくなるし、その根源もその行き着く果ても見たくなってしまう。
人を魅了してやまないなにかが、魔法にはあるのだ。
魔法という存在には魔力がある。
ここだけ切り取って聞くと「なんのこっちゃ」と思われるだろうが、人を魅了してしまう魔力がある、という言い方をすればニュアンスが伝わるだろうか?
魔法とは、魔法という名で呼ばれる一つの世界。
一度その世界に足を踏み入れれば出られなくなる、果てなき探求心の渦の中。
そしてその渦の中に、無限とも思える知が広がっている。
なればこれを独自の世界観と称さず、なんと称すればいいだろう?
かく言う私も、そんな魔法の魅力にすっかり盗り憑かれてしまった者の一人。
魔法に関する本を読み漁っている内にただ読んでいるだけでは満足できなくなり、自分で魔法を研究するようになって、遂には自分で魔法に関する本を書き記すようにまでなった。
本の虫がいつしか書き手になるという現象は珍しくもないし、魔法の魅力を知ればさもありなんだと思う。
まあ、もっとも……私の場合、他の人々と比較してちょっと常軌を逸していたかもしれないが。
なにせ、自分で書き記した本を含め世界中の魔法に関する本を集めて、図書館まで作ってしまったのだから。
魔法に関する本を読み、魔法を会得し、魔法に関する知識を本へと書き記す――。
世間ではそんな女性を指して〝魔女〟と呼ぶ。それは私も例外ではない。
だから私が創設した図書館はこう呼ばれた。
――〈魔女図書館〉と。
▲ ▲ ▲
「おめでとうございます、元気な女の子ですよ」
私が聞いた第一声は、そんな言葉だった。
直後、自分の身体がヒョイッと持ち上げられる感覚。
手足が自由に動かせず、首に力が入らない。
あと瞼が異様に重い。全然目が開けられない。
でも、これは間違いない。
私の魔法が成功したのだ。
意識はハッキリしてる。
自分が何者であるかの記憶もちゃんとある。
魂が新たな肉体に定着した証拠だ。
私が死ぬ直前に自らにかけた魔法、【転生の魔法】。
これは肉体から魂を切り離して新たな肉体へと定着させることで、生き物を〝転生〟させる魔法。
前世では人体に対して使ったことがなく、最初の被験者が自分自身という一発勝負だったが、どうやら上手く成功してくれたらしい。凄いぞ私。
よーし、自分の転生を祝って、ここは盛大に産声を上げてやろう。
「おぎゃあ」
「よしよし、元気に泣いてくれたわね」
おそらく助産婦さんらしき人が、優しい手つきで頭を撫でてくれる。
しかしすぐに私の身体は彼女の下を離れ、新たな人物へと手渡された。
「さあロベリアさん、娘さんを抱いてあげてくださいな」
「ああ……私の可愛い赤ちゃん……」
どうやら私を産んでくれた母親らしい。つまり二度目の生を受けた私のお母さんということだ。
前世、私に子供はいなかった。
そもそも結婚自体をしなかったし。
けれど、お腹を痛めて子を産む大変さは理解しているつもりだ。
同業の魔女の出産に立ち会ったことが何度かある。
魔法で出産を手助けするというのは私が暮らしていた地域では一般的だったし、私自身様々な魔法の心得があるからぜひ、と頼まれることが度々あったからなのだが……一番最初に立ち会った時には、当事者でもないのに思わず失神しそうになってしまった。
赤ちゃんを産むのってこんなに大変なのか……私無理かも……と心底思ったものだ。
だから私を産んでくれた彼女に感謝するし、尊敬する。
本当に凄いと思う。
前世で私は孤児だった。
だから親孝行というモノができず、親の顔すら碌に知らずに一生を過ごしてしまった。
なら今世ではちょっとくらい親孝行してもいいだろう。
自分を産んでくれてありがとう、と礼をしたって罰は当たるまい。
なにか考えておかなきゃ。
「ほらあなた、抱いてあげて」
「ああ」
「優しくね?」
「わかっているとも」
そんな会話を聞いたすぐ後、また別の人物の腕に抱きかかえられる。
今度はゴツゴツとした感触のたくましい手で、おそらく母親の旦那さん――私のお父さんだろう。
「うん、いい子だ。キミは俺とロベリアの希望だ」
「トドックさん、お子さんの名前はもう決めておいでなのですか?」
「ああ。この子は――メルティナ。メルティナ・ロウレンティアと名付ける」
メルティナ・ロウレンティア――。
それが今世での私の名前か。
なんだか変わった名前かも?
メルティナという響きの名前は珍しいように思う。
それにロウレンティアという性も聞いたことがない。
名も性も珍しいとは、少々不思議な心地である。
でも気に入った。
せっかく二度目の人生なのだ、親がつけてくれた名前を堂々と名乗ってやろう。
今この瞬間から、私はメルティナ・ロウレンティアだ。
「メルティナちゃん、いいお名前ですね。それではそちらで出生記録をつけさせて頂きますね」
助産婦さんがそう言うと、カリカリというペンで文字を書く音が聞こえてくる。
まだ目を開けられないので不明瞭だが、彼女の言葉を信じるなら私の出生記録を書いているのだろう。
ふーむ、わざわざ出生記録をつけるとは、なんと几帳面な。
私が前世で生まれた地域では貴族や富裕層などの上流階級以外、そんな律儀なことはしなかった。
都市部か田舎の農村かによって差はあれど、基本的に中流階級より下の人間の出生はざっくりとしか記録されず、せいぜい地域の首長に当たる人物が把握している程度だったのに。
もしやこのロウレンティア家というのは、貴族の家系なのだろうか?
裕福なのは助かるが、貴族特有の品行とかマナーとか社交辞令を押し付けられるのはちょっとな……。
前世でもそういうのが面倒くさくて、貴族とは距離を置いていたし。
私からしてみれば、本を読んで魔法を研究する以外のことは大概時間の無駄だから。
親孝行はしたいが、できれば自由に生きられると――なんて思っていると、
「メルティナ・ロウレンティア。パトラ地方ノースウッド領リサリ村、ロウレンティア家長女、帝暦1017年7月10日生まれ……と」
助産婦さんが出生記録を書き終えたらしい。
……のだが、彼女の発言を聞いた私は「ん゛?」と思った。
帝暦という暦には聞き馴染みがある。
前世において私の臨終の地ともなった『聖プロトゴノス帝国』にて使われていた暦であり、国の建国年を帝暦1年とするため、帝暦1017年ということは『聖プロトゴノス帝国』の建国から1017年が経過したということになる。
そんな帝暦で暦を数えているということは、ロウレンティア家の人々は『聖プロトゴノス帝国』国内の人間であり、私が二度目の生を受けた地域もまた同国の領地内と見て間違いないだろう。
しかし、しかしである。
記憶が正しければ――私が倒れた年は〝帝暦517年〟だったはずだ。
……え? あれ?
助産婦さんの言葉が本当なら……私が一度死んでから、既に五百年が経過してるんですけど?
▲ ▲ ▲
私は致命的なミスを犯した。
というか、歴史に残るレベルのうっかりをやらかした。
なにをやらかしたかって?
死の間際で自分に【転生の魔法】をかけた時、死亡してからどれくらいの期間を置いて転生するか……その調整を一切しなかったのだ。
――【転生の魔法】は私がこれまで研究して発明してきた魔法の中でも傑作の一つと呼んでいいと思う。
意識や記憶を保ったまま魂だけ新たな肉体という別の器に入れ替えるなんて、そう易々とできるものではない。
事実、私の教え子たちにこの魔法を教えて実践できた者は一人としていなかった。
とはいえ、【転生の魔法】は完璧な魔法ではない。
もし思い通りの転生をしたいなら生まれたばかりの赤ん坊を用意し、その場で器から器へ魂を入れ替えねばならない。
だからもし赤ん坊を用意できなければ、どんな場所でどんな赤ん坊に魂が入るか見当もつかなくなる。
要はどんな国のどんな地域でどんな両親から生まれてくるのか、完全なランダムとなってしまうのだ。
魂に足はなく、距離の概念はない。
肉体という器から離れてもその場に留まり続ける魂もあれば、器から離れた瞬間どこへともなく消えていってしまう魂もある。
私が知る限り生まれ変わりの検証に成功した例はとても少ないので確固たることは言えないが、生まれ変わってみたら全く違う国の子供だった、なんてことはザラだとされる。
魂は個体ごとに挙動が異なる。
その違いはなんなのか、どこから来るのか、魔法を用いた魂の研究自体は活発に行われていたが、その本質はまるで掴めていない。
私個人は、これはそう簡単に答えなど出ない問いだと思っている。
なにせ人間の根源や真理を探るようなモノだし。
私が死ぬ時、勿論すぐ傍に赤子などいなかった。
新たな器を用意できなかったため、どんな風に転生するのかは運任せで、出たとこ勝負になる、それは理解していた。そこはいい。
しかし、私はうっかりしていた。
転生する器を指定こそできなかったが、それでも時間は指定できたはずなのだ。
私が死んでから転生するまで、どれくらいの期間を空けるか? いつまでに新たな器に魂を定着させるか?
この指定は可能だったし、やらねばならなかったのである。
新たな転生先を指定できずとも、例えば【転生の魔法】を使ってから一ヶ月後に転生と指定すれば一ヶ月後に生まれ変わっていただろうし、一年後なら一年後、十年後なら十年後と、転生するタイミングだけなら自由に魂を操作できた……はずだった。
……が、私はそれをしなかった。
しなかったというか、忘れていた。
いやまあ、あの時は今にも心臓が止まりそうだったので、そこまで考えている余裕なんてなかったとも言えるけれど。
なんならそんな極限の状況下で超高度な魔法を発動できただけでも、かなり頑張った方だと思うよ。うん。
だが結果として――私の魂は、死亡してから五百年後に生まれた赤ん坊に定着してしまった。
五百年だよ? 五百年。
その間、私の魂はいったいなにをしていたというのか。
魂の休息と称して優雅に宙を漂ってでもいたのだろうか? だとしても五百年は長すぎだろ。
なにはともあれ、私はかつて私の生きた時代から五百年後の世界に転生した。
メルティナという名前が珍しいと感じたのも、長い歳月の中で人名の付け方が変化していったからなのだと思う。
ロウレンティアという性も、おそらく外国から入ってきたソレが綴りや発音などの問題で変わった当て字として定着したのであろう。
幸いにも転生した地域は以前暮らしていた国と同じ『聖プロトゴノス帝国』のようで、その点においてはラッキー。
――この世界、つまり『アルカディア』にはざっくり東西南北に分けて六つの大陸がある。
西方
・エリュシオン大陸
・アトランティス大陸
南方
・オケアノス大陸
北方
・タルタロス大陸
東方
・オリエント大陸
・ケイオス大陸
『聖プロトゴノス帝国』はこの中のエリュシオン大陸の中に存在する国であり、もっと言うとエリュシオン大陸の中でも西の果てに位置する国だ。
なので『聖プロトゴノス帝国』よりさらに西へ行こうとすれば、そこには広大な海しかない。
大陸の東西南北の分け方はエリュシオン大陸と『聖プロトゴノス帝国』を世界の中心として、地図を広げた場合のモノ。
自国を世界の中心とするなど傲慢にもほどがあるが、ぶっちゃけ住んでいる国が地図の中心にあると見やすいので助かる。
それに実際に大きな国土を持つ強国ではあるのは事実だし。
――『聖プロトゴノス帝国』は〝魔法統治国家〟などと称されるほど魔法が普及した国だ。
少なくとも、私がかつて生きていた五百年前の時代はそうだった。
魔法を扱える者、魔法に詳しい者、魔力が多い者が優遇され、国家主導で日々魔法の研究を行い、魔法が日常として国全体に定着していた。特に都市部においてはその傾向が顕著であった。
とはいえ、魔法とは学問である。それも中々に難しい学問だ。なので誰もがおいそれと気軽に扱えるというワケではない。
まず小難しい勉学をこなせる頭脳が必要とされるし、なにより魔力量はその人間が生まれた瞬間に決まってしまう。
魔力量というのは個人差が大きく、中には強大な魔法を三日三晩発動しっ放しにできるほどの魔力を持つ者もいれば、少し消費量の多い魔法を一度発動しただけで魔力切れを起こしてしまう程度の魔力しか持たない者もいる。
つまり魔法には先天的な資質というのが存在するのだ。
もっとも魔力量だけ多くてお頭がアレという人間もいたりするので、先天的な資質が全てではないのだけれど。
それに後天的に魔力量を増やす研究も前世の頃から行われていたし。
そんな風に頭脳も資質も求められるからこそ、魔法に精通し、魔法を扱いこなせる者というのは重宝がられる。
故に、魔法に関する本を読み、魔法を会得し、後世のために魔法の知識を本へと書き記す――これができる女性たちのことを、世間は尊敬と畏怖の念を込めて〝魔女〟と呼ぶのだ。
ちなみに魔法を扱う者が男性である場合は〝魔導士〟と呼ばれる。
『聖プロトゴノス帝国』では魔女と魔導士の立場や扱われ方に差異はないが、世界には魔女の方が権力を持って優遇される国があったり、はたまた逆に魔導士の方が優遇されたりする国も存在するんだとか。
五百年経った今、世界がどうなっているのか知らないけれど。
――さて。
兎にも角にも、私は五百年後の未来にロウレンティア家の娘として生まれたワケなのだが、
「ね~むれ~♪ ね~むれ~♪ 私の可愛い赤ちゃん……♪」
今世の母であるロベリアが、ベビーベッドに寝そべる私に対して子守唄を歌ってくれる。
その歌声はなんとも耳心地よく、彼女が本当に私を愛してくれていることが伝わってくる。
現在、だいたい生後一ヶ月くらい。まだ首が座らないので、思うように身動きが取れない。
しかしこの一ヶ月の間で、それなりに色々なことがわかった。
まずは私の生家であるロウレンティア家。
この家は『聖プロトゴノス帝国』国内の田舎に暮らす家であり、家族構成はお父さんであるトドック、お母さんであるロベリア、そして第一子である私ことメルティナの三人家族。
それなりに立派な一軒家で暮らしているが、どうやら階級的には中流~下流階級くらいらしく、お世辞にも裕福というワケではないらしい。
ちなみに父トドックの職業は木こり。あと割とどうでもいいがウチのお隣さんはハスクバーナさんという性らしい。
言葉を選ばずに言ってしまうならば、私たち一家はちょっと貧乏な田舎者といった感じか。
とはいえ食べていくのに苦労しない程度の収入は得られているみたいだけど。
この家が建っているパトラ地方ノースウッド領リサリ村という場所は、聞き覚えがない。
しかしかなりの田舎であることには間違いないらしく、住民の多くが農業や林業などを営んでいる様子。
村の規模感や暮らしている村民数もまだ正確には掴めていないが、おそらく暮らしている住民の数は二~三百人くらいだと思われる。
私もかつては『聖プロトゴノス帝国』国内で暮らしていたのだから、村の名前はともかく領地名や地方名くらいは概ね把握していたつもりだ。
なのに知らないということは、おそらく五百年経って国内の地方区分や土地名が変わったのだろう。
そしてなにより肝心な、国内情勢。
まず安心したいのは、現在の『聖プロトゴノス帝国』はとりあえず平和であるということ。
少なくとも他所の国と戦争状態には陥っておらず、両親の会話を聞く限り治安は安定しているようだ。
戦乱に飲まれたりなどすれば、せっかく転生したのに生きていくのが困難になっていただろうから、そこはありがたい。
次に、もう一つ肝心な事。
それは――『聖プロトゴノス帝国』において、魔法の立場と重要性が五百年前とそれほど変わっていないということだ。
なんなら私にとっては、国内が平和だという事実以上にこっちの方が嬉しかった。
私が慣れ親しんだこの国において、未だ魔法は重要視され、日常に溶け込んでいる。
両親は会話の中で「メルティナも将来は魔女になってくれれば~」といった話を冗談交じりにしていたので、魔法を会得した者は今でも花形として扱われるらしい。
聞くところによると、お母さんの出産を手助けしていた助産婦さんも魔女だったのだとか。
私にとって、魔法とは生き甲斐だ。本を読むという行為と並び、生きる意味の一つだ。
未だ魔法が世間に浸透していると知った時、私はもう一度魔女になろうと決心した。
魔女になって、五百年後の魔法を存分に学び吸収して、そして本に記してやろうと。
正直、ワクワクしている。
五百年という長い長い年月を経て、魔法はどう変化しどう進化したのか?
もしかすると私の知る魔法は廃れてほとんど消失し、全く新たな魔法が広まっているかもしれない。
だがそれならそれで面白い。また一から学び直す楽しみができるというモノ。
この先どんな魔法と出会えるのか、想像するだけでも胸が躍る。
そのためにも、自由に動けるようになったらたくさん本を読まなきゃな。
……あ、本と言えば。
私が創設した〈魔女図書館〉は、いったいどうなっただろう?
五百年の経てば、流石になくなってしまっているかな?
いや、普通に考えればなくなってしまっていると思うが、だとしたらだいぶ悲しい。
〈魔女図書館〉は私が一生涯をかけて集めた宝の山だ。
魔法に関する本が百万冊も貯蔵された知の宝庫だ。
中には空気を水に変える魔法を記した本もあったし、はたまた巨大なドラゴンを一撃で倒してしまう魔法を記した本もあった。
あそこに貯蔵されていた本たちが、『聖プロトゴノス帝国』の発展にどれほど貢献していたことか。
二度目の人生でまた同じ規模の図書館を建てられるかと考えると、正直あまり自信がないかも……。
「ただいまロベリア、今帰ったぞ」
私がそんなことを考えていると、父であるトドックが家に帰ってくる。
夫の帰宅にロベリアは「はーい」と返事し、玄関の方へと歩いていく。
「おいおい、出迎えは大丈夫だって言ってるだろ? まだメルティナを産んで間もないんだから、安静にしてだな……」
「相変わらず心配性ね。私ならもう大丈夫ですよ」
なんとも仲睦まじい様子で会話する夫婦二人。
見せ付けてくれるねぇ、と内心で思ったりするが、特になにも言わないでおく。
っていうかまだ赤ちゃんなので碌に喋れないし。
「そういえば、さっき村長から聞いたんだけどな。カーソンのところの娘が村に帰ってきたらしい」
「え? それじゃあ……」
「ああ、〈魔女図書館〉の司書試験に落ちてしまったらしくてな。えらく凹んでいるようだ」
――おや?
おやおやおやおや?
お父様や、今なんと仰いましたかな?
〈魔女図書館〉と――そう言ったよね?
「残念だわ……。あの子、村で一番魔法を扱うのが上手だったのに」
「物覚えもよかったのになぁ。それだけ〈魔女図書館〉の試験に合格するのは難しいということだろう」
トドックは肩に担いでいた斧を壁に立てかけ、
「なぁに、田舎暮らしも悪くないさ。それにこの村から〈魔女図書館〉の司書試験に挑んだ者が出ただけでも充分凄いことだ。村の皆も、あの子のことを誇りに思うだろうよ」
当人が目の前にいるワケでもないが、励ますような口調で言う。
これは……もしや、私の〈魔女図書館〉がまだ現存してる???
私が前世を過ごした五百年前、『聖プロトゴノス帝国』の首都『魔法都市クロノス』にはとある建物が建っていた。
その名は〈魔女図書館〉。
かつて私が創設した、魔法に関して記された本のみを貯蔵する場所。
私は本が好きだ。特に魔法について記された本は大好きだ。私は本の虫なのだ。
読んだり集めたりするのは私の趣味であり、生き甲斐でもある。
前世ではそんな趣味が転じて、魔法ついて記された本を収集する仕事を始めた。
そうして創設したのが〈魔女図書館〉であり、私はその初代館長だったりする。
私が創設した当初〈魔女図書館〉の蔵書数はたった数千冊程度にしか満たなかったが、見る間に数は増えていって、私が死んだ時には百万冊を超えていた。
おそらく五百年後である現代ではもっと増えているだろう。
何故それほどすぐに増えていったのかと言うと、自分の本を預けておくにはこれ以上の場所はないと、世界中の魔女たちがこぞって自ら書き記した本を預けていったから。
私としてはなにもせずとも勝手に本が集まってくるので、大助かりだった。
つまり〈魔女図書館〉には数百万冊を超える魔法の知識が蓄えられていることとなる。
おそらく世界中探しまわっても、これほどの蔵書数を誇る魔法専門の図書館は他にあるまい。
本が好きで、魔法が好きで、読んで、書いて、集めて、図書館まで建てて――そんなことをしている内に、いつの間にか私は他の魔女たちから〝賢者〟なんて呼ばれるようになっていった。
別に私は好きなコトを好きなだけしていただけだから、そんな高尚そうな呼び方をされると正直鬱陶しいと思っていたのだが。
そんな感じで、私は本と魔法に人生を捧げてきたワケなのだけど――
トドックの今の発言を聞く限り、どうやら〈魔女図書館〉は今でもちゃんと残っている様子。
流石にその情報だけでは私の知っているそれと合致するかどうか断定などできないし、名前だけ同じで違う建物という可能性も充分あるだろう。
しかしそれでも、私にとってはこの上ない朗報だ。
だって、私が心血を注いできた〈魔女図書館〉が残っているかもしれないのだから。
ああ、もどかしい!
今すぐにでも首都に飛んで、この目で確認したい!
でも流石にそれは無理だ。なにせまだ赤ちゃんだし。首も座っていないし。
幸いなことに、私が転生したこの肉体には魔力がある。
私には魔法の知識があるから、少し成長すればすぐに魔法を発動できるようになるだろう。
魔力の大きさ、つまり魔力量というのは先天的なモノなので、正直に言うと当たり外れがあるが、この肉体は当たりだ。
メルティナ・ロウレンティアの身体には、かなりの魔力が宿っている。もしかすると前世の私と大差ないほどの魔力が宿っているかもしれない。
これは未検証の事柄であくまで一説に過ぎないのだが、かつてとある魔女が「先天的な魔力の保有量とは、実は肉体ではなく魂に依存するところが大きいのではないか」という仮説を提唱したことがある。
この説を裏付けるには魂を解明する必要があるので、五百年前は仮説の域を出ていなかったが、いざ転生してみるとその通りな気がしてくるな。これも後々本に記したい。
それにしても、五百年後の〈魔女図書館〉かぁ……。いったいどんな風になっているんだろう?
やはり、なにもかも変わってしまっているんだろうか?
名前だけ同じな、まったく別のなにかになっているのだろうか?
それとも――
……いや、考えても仕方ないか。
とにかく今は成長することだけ考えよう。赤ちゃんのままではなにもできないものな。
あーあ、こんなことなら身体の成長を早める魔法でも研究しておけばよかった。
短編版はここまでとなります。
評判がいいようであれば続きである連載版を書かせて頂きますので、何卒応援よろしくお願いします~!