今、どの返事?!時差令嬢〜前世はナマケモノ〜
「リーリア様、エリーナ様のハンカチを勝手に盗んだという件についてご説明をお願いします!」
委員長がそう詰め寄ると、教室中がしんと静まり返る。
今日開かれているのは、最近話題の悪女疑惑のあるリーリアへの糾弾会である。本来ならば委員長、副委員長とリーリアの三人のみだったのだが野次馬として十数人程が参加している。
そして、当の本人であるリーリアはいつものようにゆっくりと瞬きした。
彼女、実は前世がナマケモノである。そして今世は悪役令嬢。だが、リーリアは知らない。なぜならナマケモノだったから。そもそも、自分がナマケモノだったことも覚えていない。
どうやら体が前世に引っ張られているらしい彼女は何もかもが遅かった。移動教室は時間一杯使ってギリギリだし、会話もワンテンポどころかスリーテンポ遅れ。
もはや一人だけ違う時空を生きているのではと思うほどに遅い。
――なんで、みんなここに集まっているのだろうか。
放課後になってから、教室に呼ばれて約五分。怒ったような委員長の姿と、何人もの野次馬。そして、まるで罪人のように立たされたリーリア。ただでさえ遅い理解が困惑によってさらに遅れていた。
そして、リーリアは今更、ここに呼ばれたことを不思議に思っていた。
先ほど言われたことはまだリーリアの脳みそにはインストールされていない。なぜなら頭での理解が追いついてないから。そもそも耳に入るまでと耳に入ってからが遅い。そしてそれからの行動も遅い。そのラグ総合でなんと十五秒ほど。
「……」
「やっぱり、何も言わないんですね。何かやましい事でもあるんですか?まあいいです。まだあるので」
……はんかち。はんかち?
ここでようやく、リーリアは委員長が初めに言い放った言葉を理解した。そしてまた困惑した。ハンカチを踏みつけたとはなんぞや、と。私、そんなこと……したの、かしら?身に覚えがない。なぜなら移動の時は、どうしても遅くなってしまう足を速く動かそうと意識するので精一杯であるから。
「リーリア様、では、エリーナ様の靴に虫を入れた件はどうなんですか?!」
そう委員長が再び詰め寄るも、残念ながらリーリアにはまだ届いていない。リーリアはその言葉を、十五秒前の世界から聞いている。
「……ひろった、から…あげようと……思って」
リーリアは、ハンカチをたまたま拾ったから返そうとした、と説明したつもりではあった。
「虫を?!エリーナ様は虫が嫌いだというのを知っていますよね?そんなエリーナ様の靴の中に入れたんですか!」
が、いつものラグが発揮され、全く違う時に言葉を発してしまった。それがまた最悪な方へと解釈されてしまっている。
そしてこの時、ようやく届いた先程の委員長の言葉。
くつに、むし?靴?靴……?私、靴に虫なんて入れたのかしら。
のんびりと、でも確かに困惑しているリーリアはその遅すぎる言動のせいでやけに堂々としているように見える。それがまたこのおかしな状況を作り上げているのだ。
そして、その事をまだこの場の誰もが理解していない。
入学から今でちょうど一ヶ月。そりゃあまだまだリーリアは理解されないだろう。
逆に、たった一ヶ月でここまで人からの信頼を得たエリーナが凄すぎる。
「犯行が明らかになってきましたね。まだまだありますよ!どうやらノートにインクが撒き散らされたんだとか。そんなにエリーナ様のことが気に食わないんですか?!」
なんとその時、リーリアはエリーナは虫が苦手だと言うこと、靴に虫を入れたということについて、記憶をゆっくり辿っていた。ゆっっっくり辿って、ようやく思い出して、そしてゆっっっくりと言葉を発した。
「......嫌い……だった。……私も……嫌い…」
確かに、エリーナは虫が嫌いだった。でも私も嫌いで、たまたま付いてきていた虫を払ったらこうなったんだ、とリーリアは言った。つもりではあった。が、もちろん伝わってはいなかった。
リーリアも早く喋らなければと焦っており言葉を端折ってしまっていたのだ。リーリアにだって自分は人より遅いのだという自覚はある。どうしようもできないことであるが。
だが、その結果、割とまずいところで切ってしまっているし、発した言葉がまたあらぬ方向へと誤解を招いてしまった。
「き、嫌いだった?エリーナ様がってこと?!そんな訳ないじゃない!彼女は誰にでも優しくて平等な女神様なのよ!!向こうが嫌いだったから自分も嫌いって、あなたはどれだけ幼稚なの?!」
そうやって委員長はありえないものでも見るかのような顔で叫んだ。
彼女の名誉のために弁明しておくと、委員長も悪い人ではないのだ。ただ強すぎる正義感とエリーナへの愛が彼女をこのようにしてしまった。
そして、先程からなんという噛み合い方をしているのだろうか。一度でも食い違えば互いに違和感を感じられるのに噛み合いすぎてそのまま話が進んでしまっている。
委員長は顔に悔しさを滲ませたまま、叫ぶ。
「エリーナ様は、女神のような人なんです!!王女でありながらみんなに平等で、気遣いもできて、しかも美しい!私が落ち込んだ時も親身になって話を聞いてくださいました!!そんな神様のような人が、こんな目に遭うなんて。私は絶対に許しません!!私はぁ!絶ッ対に!許しません!!」
周りの野次馬も、委員長の熱意には引きつつ、このエリーナ評にはうんうんと深く頷いている。
もう一度確認しておくが、まだ入学から一ヶ月しかたっていないはずである。エリーナ、何をどうやってこんなに大勢から好かれているのか。
と、その時。噂をすればなんとやら。そんなエリーナがバン!と扉を開けてズンズンとリリアの方へ一直線に近付いていった。急な登場に野次馬も、先程までエリーナへの愛を叫んでいた委員長も目を丸くしていた。 そして、エリーナはリーリアの手をぎゅっと握った。
ちなみに、リーリアだけは、まだ委員長からの問い詰めを聞いている最中だった。
「ちょっと待った!!私はリーリアちゃんにいじめられてなんかないわよ!誤解よ!」
「……あれは、私が……壊した…」
そしてリーリア、圧倒的にタイミングが悪い。
彼女は今更、ペンを壊してインクを飛び散らせてしまったことについて話していた。
「ほら!エリーナ様、リーリア様は故意にペンを壊したんですって!そして、リーリア様ではなく私の手を握ってください!応援してください!」
「違うわよ!私ちゃんと見たもの。リーリアちゃんはたまたま壊しちゃっただけよ!だって、壊した後、暫くして驚いてたわ!」
エリーナの姿とエリーナが握るリーリアの手ばかり見るようになった委員長と、とにかくリーリアを守ろうと声を張るエリーナ。
そんなエリーナの姿を見て周囲の野次馬もコソコソと話し出す。
「エリーナ様、多分庇ってんだよ。優しいよな」
エリーナはリーリアを助けるために入ったのだが、それはなんの意味も無かった。ただただ、エリーナの株が更に上がっただけだった。
――これは、リーリア様が良くないんじゃないか
そんな雰囲気が流れ出した。そして、誰かがふと、こう言った、「こんな婚約者、あの方にも相応しくないのでは」と。
――その瞬間。
「ちょっっと待てええええええええええい!!!!!」
そんな叫びのような奇声を発しながら窓を突き破って入ってきた人影。
そして、割れたガラスと共に血塗れでそこに立っていたのはリーリアの婚約者である、アルベルト王太子だった。
「だァァれだッ?!?!俺のリィィィリアを傷付けているのはァ!!そして!リーリアが俺に相応しくないと言った愚図は!!」
ガラスに傷付けられた自らの肌など気にもとめず、そう叫びながらアルベルトはリーリアの元へと歩いていく。
そして、手を握っているエリーナをベリっと剥がし、リーリアを腕の中に抱いた。
「リーリアはなぁ!!全てが人より十五・七秒遅いんだよ!!ぅお前がぁぁぁー!!!!」
そう言って叫びながらアルベルトは委員長を指差す。
「お前がぁぁぁあ!!!!そうやって捲し立てるから、リーリアも焦って言葉を端折ってしまったではないか!!!一ヶ月もリーリアと同じクラスであったのに、そんなのも分からなかったのか?!一ヶ月だぞ?!羨ましい!!俺だって同じクラスが良かった!!同じ学年が良かった!!もう一つ下の年で産まれればよかった!!」
そう言って叫びまくるアルベルトに、いつもの爽やかでスマートな王太子の顔は一ミリたりとも見当たらない。
一方、リーリアは十五秒ほど遅れた世界でも分かる怒涛の展開にもはや脳がショートしていた。
なぜ、ここに自分の婚約者がいるのか。さっきまで手を握っていたエリーナがいつの間にか婚約者に変わっているし、なぜか腕の中に収まっている。何が何だか分からない。
ただでさえ鈍い脳みそが頑張って情報を得ようとするも、情報過多で結局何も得られない。
「リーリア。大丈夫だったか?」
そんな、脳みそがショートした状態でふと、そんな声が聞こえた。いつものような、優しくて落ち着く声だった。きっと、十五秒前にアルベルトが聞いてくれたのだろう。
「うん」
そう言う私に、彼はまた優しく笑いかける。
大丈夫だったかと聞いてから暫く、彼は何も言わずただ私のことを見ていた。
彼はいつも私の返事を待ってくれる。
なんだか安心して、彼の制服をギュッと握る。
すると彼にはまた、先程までの激しさが戻っていった。
―― 「ほぉぉら!!!言っただろ?!待てばちゃんと返事は返ってくるんだよ!捲し立てたら会話がズレるに決まってるだろ!!と、いうか!、見たか?!見たかこれ!!俺が話しかけたら制服ギュッって!握ってくれたんだが!!!」
アルベルトは止まらない。なぜなら愛しの婚約者を守るため。あと、合法的に惚気けるためである。
「俺もな、最初はどんどん会話しようとしてたよ。婚約者顔合わせの時も、リーリアのスピードに合わせず俺ばっかり話してたし、逆に話せないリーリアを疑問に思ってたんだ。あの時の俺はバカだった。もっとリーリアに寄り添うべきだった!!!!でも、会話を重ねていって、それじゃあダメなんだと気が付いた!!いつもゆっくりの言動と帰ってくる返事のチグハグさから気付けたんだ!!」
アルベルトの頬には赤みが差している。かなり興奮しているようだった。
「と、いうことで!!つまり俺の婚約者は悪くないということになる!!それに、本人であるエリーナ嬢がそう言っていたのに、お前が信じなくてどうするのだ?」
そう言われた委員長は、グッと言葉に詰まっていた。
「委員長、いや、コーデリアちゃん。私は大丈夫よ。あなたの気持ちは十分伝わった。でもね、私のお友達を疑うのはちょっとダメかな」
そう言って笑いかけるエリーナ。きっとこういう、何事も一旦受け入れるという姿勢が信者を作るきっかけになるのだろう。もしこれをあえてやっているならば怖いが、実際はそうでも無い。
その言葉を聞いた委員長――コーデリアは感極まったように泣き出した。
「な、名前…!!!なまえ、呼ばれた、うわああああああ、嬉しいよぉぉぉぉぉぉ!!!エリーナ様ぁああ、リーリア様を、疑ってしまってぇぇえ、すみませんでしたああああああああああ」
涙と鼻水でグチョグチョになったコーデリアはエリーナに頭を撫でられ、更にベチョベチョになった。
そんな中、婚約者に抱き締められながらリーリアは思う。
結局、どういうことだったんだろうか。
なんかいっぱい聞かれたと思ったらエリーナに手を握られて、かと思ったら次は窓から婚約者が現れて、なんかいっぱい喋っていた。
チラリと見たアルベルトの顔は血に塗れながらどこか満足気だった。私の視線に気がついた彼はこちらを見て笑った。
「怖かったか?」
きっとまた私の返事を待っているのだろう。だから私もいつものように返事をするのだ。
「大丈夫。アルベルトが来てくれたから」
――今日も私は、十五秒前の世界を生きている。