第9話 なぜお前が
「うわっ、炎も出せるようになった!でも、自分では熱くないわ」
ノエルは小さな手を掲げると、掌からふわりと紅蓮の火球を灯らせた。それは空気を震わせるように揺れ、天井近くまで舞い上がると、自然に消える。だがその炎が部屋の絨毯に触れることも、家具を焦がすこともなかった。
「ノエル様、お願いですから屋敷で危ない魔法を使うのはやめてください!」
あわてた様子の侍女がノエルに駆け寄り、止めに入る。
ノエルは、火の出現に驚いたというよりも、星涙の加護の力を楽しんでいるようだった。
「大丈夫、大丈夫。ちゃんと加減してるから」
彼女はにっこりと笑いながら、今度は指先を小さく動かし、水の球体を浮かべてみせた。それが部屋の空中でふわふわと舞い、次には氷となり、風となり、雷となってはじける。
ノエルは屋敷に帰宅してすぐに、水・炎・氷・風・雷——五つの自然属性を、念じるだけで自在に操れるようになっていた。まるで童話の中の精霊のように。
「これなら、魔獣が出ても私がやっつけちゃいますよ!」
腕を腰に当て、ふんと胸を張るノエル。その様子は、まるで子供のように無邪気だった。
だがその頃、屋敷の奥の執務室にいたエヴィリオは、重たい空気の中で机に向かっていた。机上には報告書や古書が散乱し、蝋燭の光が揺れている。
エヴィリオの表情には、どこか影が差していた。
無理もない……
生まれながらに「力」がないとされ、王族の中で「欠陥」と揶揄され、王宮を追われた。王族として、力の適正の為に、どれだけ努力を積んできたことか。
作法、学問、武術、礼儀。そのすべてを叩き込まれながらも、彼には神脈の加護さえ与えられなかった。
だというのに。
(あの娘には……)
ノエルは、貧乏貴族の娘でありながら、作法もろくに知らず、常識にも疎い。けれど、彼女は今や神脈の加護を超える「星涙の加護」を持つ存在になった。正統王族ですら持ち得ぬ、書物の中だけで記された力。
そして、命を救われた——己が情けないほどに。
(いっそ……あの時に死んでいればよかった)
そんな思いすら、ほんの一瞬胸をよぎる。だが、その感情を押し殺すように深く息をつく。
「エヴィリオ様? 何か考え事ですか?」
ふと、背後からノエルの声がした。さっきまでの火遊びはどこへやら、彼女は扉の前に立ち、少し心配そうな目を向けている。
エヴィリオは視線を逸らし、皮肉っぽく笑った。
「良かったな。星涙の加護の適性者であれば、お前の大好きな王宮で暮らせるぞ?今、馬車を手配してやる。」
「……ちょっと。何勝手に決めてるんですか?エヴィリオ様、何かおかしいですよ」
ノエルはきょとんとしながらも、エヴィリオの方を見つめる。
「お前も俺を“能無し王子”と思っているんだろう?今や力を得て、神にでもなったつもりというところか」
「え? 何ですかその気持ち悪いセンスのない言葉選び」
「なっ……」
エヴィリオは、まさかの返しに思わず絶句する。
ノエルの自分の気持ちを考慮しないデリカシーのなさに、呆れるというよりも、圧倒されてしまった。
だがその直後、彼はふっと笑みを漏らす。
「はは……」
(何を俺は妬んでいたんだ。こいつは力を持っても、いつも通りじゃないか。腐っていた俺は……本当に情けない)
(心も、こいつのように強くありたい)
その笑みは、自然と彼の胸を軽くした。
「てか、私は王宮には行かないですよ?」
「……は?」
「だって、この屋敷には王宮と同じモノが整ってるし、作法を指摘する人もいない。楽しい“妖艶クラブ”もありますし!」
ノエルが満足げに胸を張る。
「それに、強い魔獣が出たら誰がエヴィリオ様を守るんですか?私にお任せあれ」
ノエルは得意げに微笑み、まるで勲章でも受け取ったかのような態度だった。
「……お前のガサツな力など借りるものか、自分で倒してみせるさ」
言葉ではそう言いつつも、内心では無理だとエヴィリオは分かっていた。けれど、どこか強がってしまう。
「どんだけ私の性格イヤなんですか」
ノエルがむっと頬を膨らませて抗議すると、エヴィリオはわざとらしく鼻を鳴らした。
「当然だ! 俺は王族として適切な所作・振る舞いを学んでいる。お前などに憧れはせん!」
ノエルはニヤリと笑って、一歩踏み出す。
「ほう? 先ほど“俺もコイツのように強くなりたい!”って声がどこかで聞こえましたけど?」
エヴィリオはピクリと肩を揺らし、目を見開いた。
「お前……心の声まで聞こえるのか?」
「ええ、まだ慣れてないので、そこしか聞こえませんでしたけど」
ノエルは、まるで大事な秘密を暴いた探偵のように得意げに微笑む。
「聞こえましたよ、ハッキリと」
エヴィリオは顔を引きつらせ、ぎこちなく後ずさった。
「ま……まずいことになった……」
心の声を覗かれるという新たな恐怖に、彼の顔から一気に血の気が引いていくのだった。
エヴィリオは額を押さえ、思わず立ち尽くした。
そしてノエルはその姿を、笑いながら見つめていた。
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