第1話 ミラージュの美しさ
新連載始めました。
白い結婚と言ったのは王子のあなたですよ?
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「なんて美しいの……。あれで17歳ですって。」
「名の通りミラージュ《蜃気楼》のような幻の美しさね。」
ノエル・ミラージュは、17歳の若さでその美しさが街中の噂となっていた。
この日、彼女が小さな美容室を訪れたとき、店の中ではそのような声が飛び交っていた。
ノエルの髪は陽光に輝く銀色で、瞳は深い紫。整った顔立ちと小柄な体躯が、彼女の儚げな魅力を一層引き立てていた。
お店の代表者が緊張した面持ちで声をかける。
「このような小さな美容室に、ミラージュ家のノエル様がお越しくださるとは、光栄でございます。」
侍女がノエルの代わりに応じる。
「本日は結婚式を前に、髪を整えさせていただきたいのです。」
美容師の女性が頷き、ノエルの髪に触れながら感嘆する。
「ノエル様は無口でいらっしゃいますが、その佇まいだけで絵になりますね。」
ノエルは静かなお辞儀を返答の代わりにした。
彼女には、返答出来ない理由があったのだ。
(い、言えない……。私がまともな貴族の振る舞いを知らないから、無口で乗り切っているなんて。貴族のお勉強なんて大嫌いで、今までずっと逃げてきてしまった……。)
彼女の内心はとても陽気だが、知る者は誰もおらず、外見の美しさと静けさから、ただ気品ある令嬢として映っていた。
――数日前――
「お前は王族に嫁ぐのだ。それでこの家は救われる」
父がそう言った時、私は悟った。
貴族の誇りを語るには、あまりにも惨めで、貧しいミラージュ伯爵領。
私、ノエル・ミラージュは王家に“売られる”ことになったのだ。
母は心配そうに言った。「あの子、無口で人見知りだけど、大丈夫かしら?」父は自信ありげに答える。
「ノエルは肝が座ってるから、大丈夫だろう」
だが、彼女の内心は、踊りたくなるほど嬉しかった。
(王族に嫁げば、今よりずっと良い暮らしができるに違いない。なら相手がどんな嫌な人物でも、全然いいじゃん)
これから自分にどんな豊かな生活が待っているのだろう。そう理想を思い描いていた。
――次の日
馬車で、婚姻の契約を行う王宮に到着した。
だか、様子が変で異様な静けさを纏い始めていた。
使用人たちの顔はこわばり、誰もが多くを語ることを避けている。
(私の旦那様はどこだろう)
周囲が重苦しい空気に包まれる中、ノエルは他の誰とも違って、晴れやかな気持ちだった。
私が嫁ぐ相手——
それは【グラウド王国】
第二王子・エヴィリオ・グラウド
その名を耳にするたび、人々は 怯えたように目を伏せる。
——冷酷非道。
——血も涙もない。
——気に入らぬ者は容赦なく切り捨てる。
「……まるで、呪われた王子様ね」
「噂を聞く限り、誰も結婚したがらないのも無理はないわ」
ノエルは、自嘲気味に呟いた。
けれど、奇妙なことに彼の噂はどれも具体性に欠けていた。
誰かを処刑したわけでもない。
残酷な仕打ちをしたわけでもない。
ただ 「冷たい」「怖い」 と恐れられ、距離を置かれている。それだけなのに、まるで怪物かのように扱われているのだ。
(……実際に会えば、答えがわかるだろうけど)
私は 大きく息を吸った。
そもそも、この結婚は 形だけのもの。
「白い結婚」になると聞かされていた。
愛も、温もりも、期待するな―と。
ノエルは全く気に留めなかった。
(あの貧没落寸前の貧乏貴族よりはずっと優雅だろうし……せめて、酷く扱われなければいいかな)
その時――
「これが、俺の妻?」
冷え冷えとした声が降り注ぐ。
漆黒の石畳の広間。
高窓から差し込む光が、金色の髪を淡く照らし出す。
私の前に立っていたのは——
まるで、芸術品のような美貌を持つ青年だった。
高い鼻梁、整った顎のライン、彫刻のように端正な顔立ち。
漆黒の髪が、冷ややかな黄金の瞳を際立たせている。
何より、その佇まい。
無駄のない動き、絶対的な自信。
そして、それが 氷のような冷淡さに見える。
けれど——
どこか寂しげな雰囲気も纏っている気がした。
「……ご、ごきげんよう、殿下」
ノエルは貴族として、明らかに誤った言葉遣いで礼を取る。
「なんだその言動は、おい貧乏貴族、お前も知っているだろうが、この結婚に意味はない。祝い事ではないぞ」
「いつでも、結婚の破棄を申し出るならサインする」
「……ええ」
「俺はお前を妻とは思わない、お前も俺に何も期待するな」
どこまでも無機質な声音。
ノエルが売られた理由を彼も知っているのだろう。
憐れむこともなく、軽蔑することもなく、ただ無関心だった。
「分かりました。私も、愛を求めるつもりはありませんので」ノエルは淡々と返した。
それが 彼の心を揺らす言葉 になるとは、思ってもいなかった。
「……ほう?」
エヴィリオの 黄金の瞳が僅かに細められる。
「お前、ずいぶんとあっさり受け入れるんだな」
「そりゃあ……だって、白い結婚だと聞いてますし?」
私が明るく返すと、エヴィリオは微かに眉を寄せ俯いた。
「……そうか」
彼はそれ以上、何も言わなかった。
(あれ?もしかして、意外と寂しがりの王子様?)