悲劇と
「冬様は明るい御方でありました。町で人気の看板娘であり、その評判は伊達家の大名屋敷にまで届くほどで御座いました」
爺が懐かしそうな顔をしながら昔語りをする。
「そうして。お忍びで町に出かけた殿は冬様に一目惚れをされ、妾として召し上げられたのです」
それは、無理やりなのだろうか?
あるいは、二人の間に大恋愛があったのだろうか?
私には分からないし、爺に問える雰囲気でもなかった。
「殿はたいそう冬様を愛でられまして……。参勤交代のときも――名古屋に来るときも、仙台に帰るときも、常に冬様を伴っておられたのです。……そうした日々を過ごされる中で生まれたのが和姫様で御座いました」
「…………」
その和姫ちゃんも亡くなり。今ここにいるのは偽物の私だ。
「しかし、名古屋と仙台を何度も移動することや、正室との確執などは次第に冬様の体や心を蝕んでいったのでしょう。冬様はお倒れになり、そのまま息を引き取りました。幕府に申請した薬も間に合いませんで……」
「…………」
「まだ幼いのに母に先立たれた姫様を見て、殿は決意なさったのです。何としても冬様を蘇らせ、もう一度家族三人での日々を取り戻してみせると」
「それは……」
和姫ちゃんは、本当にそんなことを望んだのだろうか? 自らの死すらあっさりと受け入れ、自分の肉体を『抜け殻』とすら言ってのけたあの子が、母親の復活を望むだろうか?
むしろ、伊達吉村が、冬さんに会いたいという気持ちの言い訳に娘を使っただけなのでは?
そもそも、その頃にはすでに正妻さんが嫡男を生んでいるはず。それを無視して『家族三人での日々』だなんて……虫唾が走る。
私の嫌悪になど気づくことなく爺は語り続ける。
「冬様が亡くなられた後。我らは秘密裏に準備を開始しました。魔術について研究し、信頼できる者の中に魔術を扱える人間がいないか確かめたり、文献を読み込んだり……。そうして、祭壇を組んで儀式を行えば死者を復活させられるのではないかという結論に達しました」
「そのためには、子供三人を生け贄にする必要があったと?」
「……えぇ。そうで御座います」
「爺は、あの男の狂気に賛同したのですか?」
「……いたしました。もう一度、冬様と、姫様の笑顔を見たいと思い……」
「冬さんは、子供三人を犠牲にして蘇ったとして、心から喜べる人間でしたか?」
「それは……。いいえ、違います。冬様も、姫様も、そのようなことは望まれませんでした」
和姫ちゃんも?
私が首をかしげると、爺は私の首へと視線を移した。
そう、和姫の首。くっきりと残された刀傷へと。
「…………」
そっと、自らの首を触れてみると、指先からは刀傷らしい窪みを感じられた。
この世界に来て初めてお風呂に入ったとき。お里さんがあまりに悲しそうな顔をしていたので、どうしてこんな傷ができたのかは聞けなかった。
でも、今なら何となく分かる。
半ば答えを察しながら、それでも私は問わなければならなかった。あんなにも可愛らしい和姫ちゃんの命を奪った罪を、改めて認識させるために。
「どうして、このような傷痕があるのですか?」
ゆっくりと問い糾すと、爺は耐えきれないとばかりに頭をかきむしり始めた。
「我らが……我らが間違っていたのです……姫様の高貴さを、高潔さを、見誤っていたのです……」
「和姫ちゃんは、知ってしまったのですね?」
「はい……はい……。目にしてしまったのです。掘り返された冬様の遺体を。生け贄とするために誘拐された子供たちを。――実の父の狂気を。姫様は、知ってしまわれたのです」
「…………」
その時のやり取りが、和姫ちゃんの心が、まるで自分が体験したことのように思い返された。
隠し部屋に満ちる異臭。
半分ほどが腐り落ちた母親の死体。
泣くたびに殴られていたのであろう、顔の腫れ上がった子供たち。
こんな光景のただ中で。「もうすぐ冬に会わせてやるからな」と優しく笑う父。
あぁ、と和姫ちゃんは理解した。
自分のせいだと。
自分が望んだからだと。
父様が尋ねてきたとき。母親がいなくて寂しくはないかと聞いてきたとき。私は、寂しいと答えてしまったのだ。
――だからこれは和姫の罪。和姫が原因。和姫が悪い。
そう理解した和姫ちゃんは、
自分のために父が外道に落ち、生け贄を捧げ、母親を復活させようとしていると理解した和姫ちゃんは、
「――自分の喉に、刀を突き刺したのですね?」
自分がいなくなればいいと。
自分が消えればいいと。
それが、まだ13歳でしかなかった少女の、結論だった。
その時の光景を思い出してしまったのだろう。爺が憔悴しきった様子で嗚咽を漏らす。
「守り刀で御座いました。健やかなる成長を願い、殿と冬様が用意された、守り刀で御座いました。それが、よもや姫様の自害に使われるなど……」
「…………」
きっと、和姫ちゃんはショックを受けたんだと思う。
子供の命を何とも思わない父親と、爺。よりにもよって、和姫ちゃんにとって最も信頼できる二人が、何の罪のない子供を攫ってきて、生け贄にするなんて……。
しかもそれは、自分のためだという。
自分のために母親を復活させるという、狂気。
自分のせいで、自分のために、二人が狂ってしまった。
13歳の少女が耐えられるものではない。13歳の少女に科していい試練ではない。……正常な判断ができなくなってしまっても、不思議じゃない。
――自分では父の狂気は止められない。
短刀で襲いかかっても武士二人が相手では即座に制圧されてしまう。
――自分では悲劇を止められない。
母親を復活させるための惨劇を食い止めることができない。
――ならば。
自分が、命を捨てて抗議すれば、きっと止まってくれるはずだと。正常ではない精神状態の中で、彼女はそう判断した。判断してしまった。
この時代の人は『命』が軽すぎる。町の子供を平気で生け贄にしようとした二人はもちろんのこと。楓お姉さんにしても伊達家藩士に相応しくない人間を『処分』しようとするし、自分に対しても、深手を負ったら見捨てて欲しいと願った。
そんな世界だからこそ、和姫ちゃんも簡単に『死』を選んでしまったのだ。死んだあとも、まるで他人事のように平然としていたのだ。
自分が死ねば、全て終わる。
でも。
そんな和姫ちゃんの願いも虚しく。
伊達吉村は、爺は、復活の儀式を始めてしまった。
――死したばかりの和姫ちゃんを復活させるために。
和姫ちゃんの想いを踏みにじり。よりにもよって、彼女が嫌悪した手法で復活させようとした。
誘拐してきた子供を殺し、和姫ちゃん復活のための生け贄としてしまったのだ。
「我らは……間違っておったのです……。まさか、姫様が自害されてしまうなど……」
爺の悔恨は続くけど、私は白けてしまった。
この人はまだ気づいていない。
和姫ちゃんの死のあと、その想いすら踏みにじったことにすら気づいていない。
(はぁ……)
つまり、あれだ。
愛妾の死を受け入れられず、それを『娘と再び会わせたい』と言い訳して、罪のない子供を攫って……。そのせいで和姫ちゃんは自ら命を絶ってしまって。
原因は、全てあの男じゃないか。
死んだ人間にいつまでも未練を残して。正妻や嫡男のことなどまるで無視して。それで和姫ちゃんが死んでしまったのだから。
自業自得などという言葉では生温い。悪役などという言葉では甘すぎる。――極悪非道。悪徳姫と並ぶ、悪徳領主だ。
しかも、和姫ちゃんが『さらなる暴挙を止めて欲しい』と願ったということは……もう一度、儀式をやるつもりだったのでしょう? 子供を誘拐して、今度は冬さんを蘇らせようとしたのでしょう?
私が心底冷え切った目で爺を見やると――
「――御免!」
一瞬、何が起こったか分からなかった。
爺が。いつの間にか引き抜いていた小刀で。自らの腹を突き刺したのだ。
否。突き刺しただけでは飽き足らず。そのまま小刀を横へと動かし、傷口を切り広げていく。
――切腹。
言葉は知っている。どういうものかも知っている。でも、初めて目にした切腹を前にして、流れ出る鮮血や飛び出る臓器を目の当たりにして……私は、何も考えられなくなってしまった。頭が真っ白になり、指先一つ動かせずにいた。
「姫様……。回復魔法は不要なれば。この老骨は、自らの死で以て罪を償わなければなりません……」
回復魔法。
そうだ。回復魔法があるじゃないか。
あれ、でも、爺は回復魔法はいらないと言っていて?
でも、とてもいたそうで。
でも、じいはちりょうをひつようとしてなくて。
でも、いたそう。
でも、でも、でも……。
「――姫様」
私の側に、誰かが膝を突いた。
さっき子供たちを救出してくれた忍び……蔵人さんだ。
「片倉様は我らが介錯いたします。姫様には少々刺激が強すぎるかと。――どうぞ、目をお瞑りくだされ」
介錯。
首を刎ねること。
まって。
くびがとんだら、じいをたすけられない。
叫びたくても、叫べない私。
そんな私の背中を、誰かが押した。ような気がした。
『――爺を、助けてあげてください』
その声は。
何度か聞いたことがある。
私にお願いをしてきた声。
私に謝罪した声。
淡い恋心を抱いていた婚約者に振られ、泣いていた声。
若様に一目惚れをして、弾んでいた声。
この、声は――
「――どいてください」
今まさに。爺の首を刎ねようとしていた蔵人さんを止める。
「……姫様。これ以上苦しみを続けさせるのはあまりに憐れで御座います」
「介錯は、不要です」
「死ぬまで苦しみ、咎を受けろと!?」
「違います。死ぬのは許しません」
爺の傍らに膝を突く。ぐしゃりとした、生暖かい血。傷口からは飛び出た腸が見える。
手が震える。
吐き気を催す。
何で私がこんなことをしなくちゃいけないんだと泣きたくなり、でも私しかできないじゃないかと自分を奮い立たせていると――
「失礼いたします」
楓お姉さんが、私に寄り添ってくれた。右手を私の手に添えて、背後から優しく抱きしめてくれる。
「人は、抱きしめられると落ち着くと聞きます」
「……そうですね」
楓お姉さんの心臓の音が聞こえる気がする。添えられた手から体温が伝わってくる。
――大丈夫。
何度も訓練したじゃないか。
私の努力を、楓お姉さんは見守ってくれていたじゃないか。
だから、大丈夫。
いつも通りに。努力の通りに。腸が飛び出ているなら腸を戻し。傷を塞いで。切腹する前の状態に戻してしまえばいい。
「姫、様……」
息も絶え絶えに。爺が信じられないものを見るような目で私を見上げてくる。
「爺には罪があります。罰を受けなければなりません」
「はい……はい……」
「ですが、和姫ちゃんから爺を助けて欲しいとお願いされました」
「姫様、から……? そんな、姫様が、なぜ……」
その口ぶりに、私は確信を深めた。
「やはり、私が本物の和姫ではないと気づいていたのですね?」
おかしな点はあった。
私がこの世界で最初に目を覚ましたとき。爺は言った。「目覚めた者は今までの記憶を失い、別人のようになるとの話もあります」と。
でも、魂・心霊関連の文献を読んでも、そんな話は出てこなかった。
だから。それはきっと口から出任せで。
私という存在が疑われないよう気遣ってくれたのであって。
まるで、私が別人であると最初から気づいていたみたいじゃないか。
「分かっておりました……最初から……。幼き頃から見守ってきた姫様を、どうして見間違うことができましょうか……」
「だから、私が婚約者と会うと言い出したときに慌てだしたのですね?」
「えぇ、えぇ……。家と家が決めた婚約に、貴女様は何の関係も御座いませんでしたから……。どうして無理強いをすることができましょうか」
「…………」
この人は、どこかおかしい。
見ず知らずの子供三人は平気で生け贄にしたくせに、どこの誰かも分からない『私』の婚約を憐れに思っていた。
善人ではない。
間違いなく悪党だ。
でも、そんな中にあっても、確かに人としての情は存在しているようであり。
そんな爺だからこそ、和姫ちゃんも完全には見捨てられないのだ。
「死んで償う、なんてことはできません。――生きてこそ。人は、生きて行動することでしか罪を償いことはできません。死んで終わりなんて……そんな楽はさせません」
「……御意に、御意に御座います……」
深々と頭を下げながら。
そのまま、爺は意識を失った。




