決意
「では姫様。藩医が来る前に湯浴みなどいかがでしょうか?」
お湯の準備ができたそうなので、爺がそう提案してくれた。こちらとしても汗だらけの身体でお医者様に診てもらうのは気が引けたので素直に頷いておく。
……長期入院していた前世(?)ではそんなことを気にする余裕もなかったのだから、やはり人間には健康が必要ってことなのだと思う。
布団から出て、爺の案内で屋敷の中を進む。『私』が歩くのは久しぶりだったのでちょっとだけフワフワした感じがしたけれど、この身体の持ち主は普通に生活していたらしく足は問題なく動いたし、息が上がるようなこともなかった。
思ったより肉体的には問題がなかったので、自然と周囲を見渡す余裕もある。
……やはり、和風な世界観だ。
セットのような作り物感はまるでなく、実際に人が住んでいる、重量感とでも言うべきものが感じられた。安っぽくないというか、ちゃんと何十年も生活できるようしっかり作ってあるというか。
庭の木を剪定している男性も、忙しそうにすれ違う女性もみんな髷を結っていた。よく見ていた時代劇――とは、すこし髪型も違うような気がするから、あれは時代劇用にデフォルメされていたのか、あるいはこの世界がまったく違う歴史を歩んでいるせいで細部が異なってきているのだと思う。
ちなみにこの屋敷は仙台藩の名古屋屋敷(江戸屋敷?)らしく、名古屋城の近くに建っているのだとか。
方角が違うのか名古屋城天守は見えない。
(やっぱり江戸時代が耳に馴染んでいるから『名古屋時代』は違和感が凄いなぁ)
そんなことを考えているとお風呂場らしき場所に到着した。
出迎えてくれたのは恰幅のいい中年女性。『おかみさん』とでも呼びたくなる風貌だ。
そんな中年女性は私を見て目を丸くした。
「姫様!? その御髪は!?」
慌てふためく女性と私の間に割り込むように爺が一歩前に出た。
「お里。姫様は目覚められた影響で髪色が変わり、記憶を失っておる。少し妙なことを口走っても気にするでないぞ?」
「まぁまぁ! そうでしたか! そんなことが……。よく分かりませんが、こういうときは湯船で気分を落ち着けましょう!」
私の両肩を気安くバンバンと叩いてから、お里と呼ばれた女性は爺に厳しめの視線を送った。
「片倉様。姫様はお召し物を脱がれますので」
さっさと出て行け、とその目が語っていた。直接口に出さないのはやはり身分制度とかあるのかしらね? いやそれにしては『お姫様』の肩を気安く叩きすぎだけど。
「おっと、儂は外で待っているのでな。後は任せたぞ」
いそいそと爺が出て行ってからお里さんが私の着物を脱がしてくれる。
正直、他人に服を脱がせてもらうのは恥ずかしさしかないのだけど、洋服ならともかく、和服を自分一人で脱げる気がしなかったのでお任せした感じだ。
いや病人服というかシンプルな白い和服なので脱げそうではあるのだけど、なんだかお高そうというか、これ、たぶん絹。下手に弄って破ったり痛めたりしたら大変だからね。
お里さんが着物を脱がしてくれたので、改めて『自分の身体』を確認する。
――貧相な身体だな、というのが第一印象。
いや他人の身体(?)に対して失礼か。スレンダー。スレンダーな体つきだった。そういえば『信春騒動記』の悪役、和姫もこんな体型だったわね。
しかし、スレンダーとは言っても病気による痩せぎすという訳ではなく、成長途中だからこその痩せ形というか、身体が出来きっていないという感じだ。よく覚えてないけど、私も中学生くらいはこんな体型だったはず。
「ささ、姫様。どうぞこちらへ」
お里さんに促されるまま浴室へ。……全てが木製の浴室と浴槽。もしかしたらヒノキ風呂かもしれない。
「せっかくですから御髪も洗いましょうか」
当然のように一緒に入ってきたお里さんがそんな提案をしてくる。ちなみに服は着たまま。入浴ではなく私のお世話をするためって感じだ。
お里さんも仕事なのだろうし、なんだか断るのも悪いので頷いておく。
「はい。お願いします」
「あらまぁ、ずいぶんと丁寧な口調で」
「……口調で言えば、お里さんもずいぶんと、その、砕けていませんか?」
「あらあら、あたしは元々町娘なのでね。ちょっと御武家様の口調とは違うかもしれません」
「あ、そうなんですか……」
「姫様は他の者と直接言葉を交わす機会などそうはないでしょうけど、少しずつ『お姫様』らしい言葉遣いを思い出していった方がいいかもしれませんね」
「……頑張ります」
「はい。頑張りましょう」
朗らかに笑いながらお里さんは慣れた手つきで私の髪を洗ってくれた。浴室に鏡が付いていなかったのでよく分からないけど、背中くらいまでの長さがありそうだ。
「お里さん。鏡ってありますか?」
自分の髪束を一掬いしながら質問する。
「お部屋に鏡台があるはずですよ。……あぁ、銀色になった髪が気になるんですね? ちょっと手鏡を持ってきましょう」
髪を洗い終わったタイミングでお里さんが浴室から出て行く。そのまましばらく待っていると、いかにも高そうな装飾が施された手鏡を持ってきてくれた。
湯気で曇った鏡を拭き、自分の姿を確認する。
――悪徳姫。
間違いなく、『信春騒動記』の悪役、和姫だった。
銀色の髪。真っ赤な瞳。真っ白な肌。そしてちょっとつり上がった目つき……。何度も何度も若様に立ちふさがった強敵だ。見間違うはずがない。
笑ってみたり、眉間に皺を寄せてみたり。私の思い通りに表情を変えていく和姫。つまりは私。
転生、したのだろうか?
しかも、物語でよくあった――悪役転生?
そんな、馬鹿なことが……。
「……ん?」
ふと気づいた。今までは銀髪や赤い瞳にばかり意識が向いていたけれど、私の首に、傷痕があったのだ。
これは――刀傷?
手で触れてみると、指先からは刀傷らしい窪みを感じられた。
傷口を確認する私を見て、お里さんが僅かに悲しそうな顔をする。
「ささ、冷えてしまいますから湯船に入りましょう」
「……そうですね」
そんな悲しそうな顔をされては傷について質問するのもなぁ。
お里さんに促されるまま湯船の中へ。温度は丁度いい感じだった。
長期入院をしていたので、精神的には久しぶりのお風呂。このままずっと浸かっていたかったけれど、お里さんは私の髪が湯船に入らないよう支えてくれていたのであまり長湯はしにくい。
「……もう出ます」
「あら、駄目ですよ。入ったばかりじゃないですか」
お里さんが身を乗り出して私が立ち上がるのを防いできたので、浮かせかけた腰を大人しく下ろす。
すぐに出るわけにもいかないし、気持ちいいし、なんだか頭もぼんやりしてきた。
――考えるのは、前世のこと。そして、この世界のこと。
たぶん私は死んでしまって。転生してしまったのだと思う。
それについて特に思うことはない。どうせ長生きはできない身体だったのだし、むしろ今みたいに健康な身体を得られたのだから喜ぶべきだと思う。
ただし、問題はこの世界。
もしも私が『悪徳姫』だとすると、幕府転覆を謀って様々な悪事を重ね、最終的には磔になってしまうのだ。
ただの磔ではない。長い槍でブスッと刺されてしまう処刑方法だ。しかもそのあと死体を晒されるというおまけ付き。
そんなの、嫌だ。
せっかく転生できたのに。やっとあの苦しみから解放されたのに、また若いうちに死んでしまうのなんて……絶対に嫌だ。
悪徳姫としての最後を迎えないためには……。そもそも、悪事を働かなければいい。
(善人になろう)
悪いことなんてせず。
なるべく良いことをして。
そして、できれば――
(若様みたいな、正義の味方になりたい)
せっかく物語の世界にいるのだから。
物語のように、格好良く。ど派手に。
勧善懲悪。
弱きを助け強きを挫く。
大好きな時代劇の、主人公みたいになりたい。
私は、そう決めた。
◇
「そういえば、そろそろ保教様とのお顔合わせですが……」
ちょっと心配そうな声を上げるお里さん。
「やすのり?」
「はい。池田保教様。岡山藩の次期藩主で、姫様と婚約されている御方ですよ」
「うへっ」
そりゃあ政略結婚もしなきゃいけないかなと覚悟したばかりだけど、まさかもうすでに婚約までしていたとは……。元々の和姫ちゃん、12歳とか13歳くらいじゃないの?
「やはり覚えていませんか」
「はい。え~っと、顔合わせというと、まだ会ったことはないんですよね?」
「えぇ。手紙でのやり取りだけで。相性が良さそうで良かったねぇと。ずいぶんと嬉しそうなご様子で」
「……私、銀髪になっちゃいましたけど、平気ですかね?」
前世だったら銀髪も『萌え』だったけれど、この時代、黒髪以外の人ってほとんどいなさそうだし。いるとしても南蛮人の金髪とか? お見合いということは年も近いだろうし、銀髪だと怖がられちゃうんじゃ……?
少し不安になった私の両肩を、お里さんが励ますように叩いた。
「平気ですよ! 姫様はお可愛らしいですから! もし文句を言うようならあたしが殴ってやりますよ!」
「いやいや、殴るのはマズいですって」
次期藩主を殴ろうものならその場でズバッと斬られても不思議じゃない。ここはそういう時代なのだ。
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