閑話 楓
「――蔵人様」
和姫が寝入った後。
黒脛巾組の忍び・楓は、黒脛巾組を取り仕切る立場である蔵人の元を訪れた。
この蔵人という男。一見すると小役人である。
実際、表向きは金勘定に携わる小役人をしている。
しかし、その本業は、名古屋を中心に活動する『黒脛巾・弐組』を統括する忍びであった。
無論、楓の直属の上司だ。
そんな蔵人が疲れたようにため息をつく。
「姫様がワガママを申されたそうだな?」
和姫に付けられている楓がまだ報告していないというのに、もう情報を掴んでいる。さすがは蔵人といったところだろう。
「はっ、婚約破棄された気分を変えるため、町に出たいと」
「気持ちは分かるがな。その場で諫めることもせず、儂の元へやって来るとは……。楓、絆されたか?」
情に流されるなど、忍び失格。
だが、楓はあっさりと肯定した。
「……はっ、自分としましても、驚くべきことに」
「……自分自身で驚いておるのか」
何を言っているのだ、と。怒る気すら失せてしまう蔵人。
だが、ある程度は仕方あるまい。
元々楓は忍びに向いていないほどに甘い性格であり、こんな風になったとしても不思議はなかった。この程度は最初から織り込み済みであるし、それを飲み込んでもなお楓の『才』を欲したのだ。
忍びとはいえ全員が暗殺などの黒いことに携わるわけではない。
むしろ、護衛などの任務は楓のような人物の方が適しているのだ。情を抱けば抱くほど、『守るために』力を発揮できるのだから。
さらに言えば。
情に流されやすくなる事情もあった。
様々な情報を考慮して、蔵人は和姫の中に別人が入っていると察している。
そして、それはおそらく楓にしても同様だろう。
いや、彼女の場合は蔵人ほどの情報に接していないので理詰めによる確信ではないだろうが……楓は元々護衛に付いていたから和姫という人物をよく知っている。むしろ気づかぬ方がおかしいだろう。
普通であれば『姫様』の中に入った別人に怒りや嫌悪感を抱くはずだ。
だが、忍びに相応しくないほどに甘い楓は、その『別人』に深く同情してしまったのだろう。訳の分からないうちに、全くの別人として生きなければならなくなった、中の少女に。
仕方のないやつだ、と蔵人はため息をつく。
「楓。殿は和姫様のことをお疑いだ」
「……と、申されますと?」
「男子を殴ったことや、喧嘩の仲裁をしたことが『和姫らしくない』らしい」
「はぁ」
あんな理由で婚約破棄をされれば、『中の少女』でなくとも張り手の一つもするだろうに。と、内心で呆れてしまう楓。いやさすがに拳はないか? とも思うが。
そんな楓の心を読んだかのように蔵人がどこか楽しげな目を向けた。
「偽物だと確信されれば、和姫様を『処分』しろと言い出すかもしれぬ」
「そんな!」
「その時、おぬしはどうする? 主君の命令通り和姫様に手を掛けられるか?」
「…………」
楓が思い出すのは、新しい和姫との日々。
忍びである楓に名前を問い。『人間』として扱おうとして。
家臣でしかない藩士のために魔法を用い、さらには楓の回復までしてくれた。
いくらでも換えのいる忍びのことなどさっさと使い捨てればいいのに、楓が攻撃魔法の巻き添えを食ってからは新しい魔法を開発してまで楓を守ろうとしてくれた。
どの攻撃魔法を勉強するか決めるときや、町に出ようとしたときは、真っ先に楓に相談してくれた。……一番近くにいる存在という理由はあるだろうが、それでも、忍びである楓を頼りにしてくれているのだ。
そんな少女を。訳の分からぬまま『お姫様』として生きて行かなければならなくなった少女を――どうして殺すことができようか。
「できぬか?」
心を読んだかのように蔵人が問う。
「…………。……はっ、できませぬ」
馬鹿正直に答える楓。
ここで口では同意しておき、後の対策を考えればいいのに……と、蔵人は呆れてしまうが、逆にその馬鹿正直さが好ましくもあった。――本来なら必要のない手助けをしてしまうほどに。
「そうか。ならば、必ず守ってみせよ」
「……は?」
「殿が処分を決められたら、我ら忍びに命令が下るはずだ。その時、おぬしは和姫様を守り切ることができるか?」
「…………」
楓の腕は黒脛巾組の中でも高く、一番と言っても良い。だが、それでも多勢に無勢となれば勝つことはできないだろう。実戦経験のない少女を守りながらともなれば尚更だ。それが分からぬ楓ではないし、それが分からぬ蔵人ではない。
守ろうとしても、無駄死にでしかない。
だが。
「……見捨てることは、できませぬ」
「そうか」
どこか嬉しそうな声を蔵人が上げた。
「ならば、おぬしは配置換えだな」
「配置換え、と申しますと?」
「これからおぬしは和姫様専属だ。以後、何があろうとも殿の命令を聞かんでよい。――常にお側に侍り、和姫様をお守りすることを第一とせよ」
楓は現在も和姫専属だが、それでも主君は伊達吉村だ。殿が召集を命じれば和の元を離れなければならないし、万が一和を殺せと命ずれば、楓もその命令を受けなければならない。
それを、無くすという。
――実質的な主君替え。
そんなことが許されるのか。楓には分からない。
だが、楓の心はもう決まっている。
「上司は蔵人様のままでよろしいのでしょうか?」
「一応な。俸禄(給料)も出るので安心せよ」
「……よろしいのですか?」
「伊達家の血を引く和姫様にお仕えするのだから、当たり前だ。……それに、細かいことを言えば殿から支給された俸禄の中から、儂がおぬしらを雇う俸禄を出しておるのだ。誰を雇うかも、誰にどれだけの銭を渡すかも儂が決めている。……つまり、おぬしの正式な雇い主は儂ということになるのだ。その儂が言うのだから気にするでない」
「は、はぁ……」
未だに納得し切れていない楓に対し、蔵人は急かすように手を叩いた。
「ほれ、さっさと主君の元へ戻らぬか。この隙に姫様が町に出てしまったらどうする?」
「……はっ、では、失礼いたします」
深々と頭を下げてから――楓の姿はかき消えた。
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