第1話 越後屋、おぬしも悪よのぉ?
――夜。
人々が寝静まった真夜中に。その屋敷では、二人の男が向かい合い下卑た笑いを浮かべていた。
片方は、その身なりの良さから豪商であろう。
片方は、大小の日本刀を携えているから武士であろう。
豪商は「へっへっへっ」と笑いながら、菓子でも入っていそうな木箱を武士に差し出した。
「お代官様。こちら、どうぞお納めくだされ」
「うむ」
大仰に頷いてから、代官と呼ばれた武士が木箱の蓋を開けた。
――小判。
小判。小判。小判。
木箱の中には隙間を惜しむように小判が敷き詰められていた。蝋燭の明かりを受け、まるで自ら光っているかのように輝いている。
これだけの金を庶民が稼ごうとすれば何十年必要か。あるいは一生掛けても不可能か。
くっくっくっ、と代官が笑う。
「越後屋。おぬしも悪よのぉ?」
「いえいえ、お代官様には敵いませぬ……」
この小判がもたらす未来を想像してか、下品な笑みを浮かべ合う代官と豪商。
「おぬしの『誠意』は確かに受け取った。儂の方からも越後屋を強く推薦しておこう」
「へへっ、有難き幸せでございます。その際には、また」
「うむ。しかし、相良親子も愚かであったな。大人しくしておれば美味い汁を啜れたというのに」
「へぇ、まったくでございやす」
こうして。二人の悪巧みが纏まりそうなところで――警備の武士の叫び声が屋敷内に響いた。
「――何奴だ!? 出合えい! 出合えい!」
間髪を開けずに騒がしくなる屋敷内。せっかく『取引』が上手く行って上機嫌だというのに、これでは台無しではないか。
「ええい! 何事だ!?」
悪事を働いているという自覚はあったのだろう。代官は隠すように木箱の蓋を閉めてから立ち上がり、襖を開けた。
代官のいる部屋から、縁側を挟んで存在する中庭。
その中心に、笠を深く被った女がいた。
警備の武士に周囲を取り囲まれながらも、慌てふためいた様子はない。
「なんと、奇っ怪な……」
あまりに場違いな存在に、思わず代官が一歩下がる。
それもそうであろう。
斯様な真夜中。警備の厚い代官の拝領屋敷に。派手な花柄の着物に身を包んだ女が一人立っているのだ。――幽霊妖怪の類いかと思ってしまった代官を誰が責められようか。
しかし、今さら幽霊や妖怪に恐れおののく代官ではない。確かに最初こそ怯んでしまったが、慣れてしまえば大したことはない。
幽霊が本当に存在するならば代官はとっくの昔に呪い殺されているはずであるし、妖怪変化相手こそ武士の本懐。古来より多くの妖魔をその弓で、その刀で退治してきたのが武士という存在なのだ。
「面白い! 妖魔であれば我が武勇伝の足しにしてくれるわ!」
代官は迷うことなく刀を引き抜いた。
すでに太平の世となって長いこの国で、すぐさま武器を取る選択ができたのだから――この男、腐っても武士ということなのだろう。
「――あら」
自分の存在に怯まない人間が珍しいのか、その『女』はどこか楽しそうな声を上げた。
次いで、その顔を覆い隠していた笠を自ら剥ぎ取る。
「お、おお!?」
柱の陰から『女』を見ていた越後屋が驚きの声を上げた。
女は、少女であった。
年の頃は12か、13か。どちらにせよ髪結いの儀式(元服)は迎えていないようだ。
月明かりの下ではよく見えぬが、その肌の白さと唇の鮮やかさは美人と呼んで差し支えない。
だが、そんな美しさをかき消すほどの特徴は、その髪であった。
――銀。
真夜中にあって、目も眩むような白銀の髪。
何と奇妙な!
何と恐ろしい!
人間とは思えぬ!
これぞまさしく妖魔の類い!
越後屋は腰を抜かしそうなほど驚いているというのに……代官は不敵に笑うのみ。
その様子を見て、『女』はどこか満足そうに口端を吊り上げる。
「妾の顔、覚えておりましたか?」
少女からの不敵な問いかけに、代官も不敵に笑いながら答えた。
「いえいえ、こう暗くてはお顔を拝見することもできませぬ。……ですが、その特徴的な銀色の髪、どうして見違うことができましょうか」
「ならば名乗りは不要ですか」
威風堂々と胸を張りながら。少女はこの世全ての悪事を刈り取らんとするかのように右腕を振り払った。
「本間! 代官という大任を拝命しておきながら、汚職に手を染めるとは何事ですか! さらには罪を告発しようとした相良親子の命を奪うなど――事ここに至っては是非も無し! 潔く腹を切りなさい!」
当然のように下された切腹命令。
当然のように本間は拒否する。
「はん! 田舎大名の小娘風情が、何を偉そうに! 一人でやって来るなどしょせんは箱入り娘か! 貴様には長良川に浮かんでもらうとしよう! ――者ども! 曲者じゃ! 女子供とて容赦はするな! 斬れい! 斬れい!」
本間の命に従い、取り囲んだ武士のうち一番の腕自慢が少女に斬りかかった。こんな子供を斬ることにためらいがないわけではなかったが、主君の命であれば是非もないのだ。
「許せ小娘よ!」
男は刀を大上段に振りかぶり、せめてもの情けと全力で振り下ろしたが――
「――お気になさらず。そのようなナマクラ刀では、妾を傷つけることなど叶いませんから」
キィイン、と。まるで刀身と刀身が打ち合ったかのような甲高い音が中庭に響き渡る。
「な、なんと!?」
確かに、全力で振り下ろしたはずの男の刀。
それが、少女を袈裟斬りにする直前で止まっているではないか。まるでその場で凍り付いてしまったかのように。
「さては、もののけの類いか!?」
男が何度も少女に斬りかかるが、白刃が少女に届くことはない。まるで不可視の卵に守られているかのように、刃のことごとくが弾かれてしまう。
その様子を見ていた本間が額に汗を流しながら叫んだ。
「ぬぅ! あれはもしや、伊達政宗公が『スペイン』の僧侶から手習いを受けたという妖術か!?」
本間の言葉に、少女がどこか不満そうな顔をする。――場違いすぎる表情だ。未だに白刃は彼女目掛けて振り下ろされ続けているというのに。
「少し違いますね。これは『魔術』と言うのですよ?」
「なんでもよいわ! 者ども! 囲め! 囲め! 妖術とて無限に発動できるものではなかろう! 一人で通らぬなら、滅多切りにしてしまえ!」
本間の指示通り武士たちが少女を取り囲み、てんでんばらばらに斬りかかったり突きを放ったりする。
だが、どの刃も少女には届かぬし、不可視の卵が壊れる様子もない。
「う~ん……」
決死の形相をした男数人から襲いかかられているというのに、少女の顔は涼しいままだ。むしろ面倒くささすら感じ取ることができる。
「……一気に制圧してしまいましょうか」
広げられた少女の右手にパチパチと雷電が走った、次の瞬間。
「――まぁ、待て。和姫よ。おぬしが本気で魔術を放てば、江戸が大火に見舞われよう」
快活とした。
重みがありながら爽やかさのある。決して大声は出していないのに良く通る。そんな声を上げたのは……一人の青年であった。
なんとも涼やかな顔をした少年だ。
町を歩けばずいぶんと黄色い歓声を集めることだろう。
格好こそ牢人風だが、腰に差した刀の装飾からして貧乏牢人ということはないはずだ。
次から次に現れる闖入者に苛つきを隠すことなく本間が問い糾す。
「おのれ次々と! 何奴だ! 名乗れ! 名を名乗れぇい!」
その声に応えるようにして、どこからか『ベベンッ!』っと琵琶の弦がかき鳴らされた。
「うわぁ……」
と、『和姫』と呼ばれた銀髪の少女が思わず声を漏らす。
おそらくどこかに御庭番(隠密)を潜ませていて、その者に演奏させているのだろう。そもそも本人が出てこなくとも御庭番に『成敗』を命じればいいだけなのに、何と物好きなと呆れてしまう和姫。
そんな琵琶の音色と和姫の呆れた視線に背中を押されるように、闖入してきた少年は見事な装飾が施された刀を引き抜いた。
「はっはっはっ、小悪党。我が顔を忘れたか?」
「なにぃ?」
顔を忘れるも何も、月明かりしかないこの場においては顔の詳細を確認するのも困難だ。
それが分かっているのだろう、
「――灯火」
和姫が不可思議な呪文を唱えると、少年の顔近くに明かりが灯された。燭台もないのに空中に静止しているように見える、不思議な明かりだ。
その明かりで灯された少年の顔を見て、本間が驚愕で目を見開いた。
「わ、若様!?」
本間の驚きを表すかのように『ベベンッ!』と琵琶が鳴った。
切れ長の目。真っ直ぐに伸びた鼻筋。どこか余裕ありげに弧を描く口端……。
斯様な覇気溢れる顔を忘れるものか! この御方こそ若様! 名古屋幕府の次代征夷大将軍ではないか!
「はっ、ははーっ!」
反射的に、幕臣としてその場に両膝を突いて頭を下げる本間。悪事を働いている・いないは関係ない。武士の子として生まれたからには『征夷大将軍』とその一族に対する礼儀は叩き込まれ、身体に染みついているのだ。
そんな本間の態度を見て、若様と呼ばれた少年が鷹揚に頷く。
「本間。和姫の調べ上げた数々の悪事だけでは飽き足らず、我が婚約者である和姫まで始末しようとしたその所業、天が許しても我が許さぬ!」
若様の発言に、思わず和姫が指摘を入れる。
「いえ春様。誰が婚約者ですか?」
半眼となった和姫の指摘など最初から聞こえていないかのように、若様――春と呼ばれた少年が沙汰を下す。
「もはや武士としての情けも不要! 斬首の上、御家取り潰しじゃ! 覚悟しておくがよい!」
「ぬぅ!」
武士としての不名誉である斬首。
武家としての本間家の終焉。
それらを前にして――本間の腹は決まった。
刀を強く握りしめ、立ち上がる本間。
「こ、此奴は若様ではない! よく似た偽物よ! 斬れ、斬れぇい! 斬って捨てい!」
本間の命に従い、配下の武士たちが次々に刀を抜いていく。
彼らからすればこの春という少年が本当に『若様』かどうかは分からない。だが、主君が「偽物」と言うのだから、それを信じるしかないのだ。
そんな彼らの悲哀を理解しているのだろう。
「――憐れなものよ」
春は抜いた刀を『チャキッ』と返した。刃で斬るのではなく、峰打ちするために。
「きぇえい!」
春の背後から男が斬りかかるが、先ほどの和姫のように直前に弾かれる。和姫が防御のための『結界』を張ったのだ。
「春様! 偉そうに出てきておいて、油断しないでください!」
和姫が春に厳しい目を向けるが、春はどこ吹く風だ。
「なに、こうして和姫が守ってくれるではないか」
「…………。こいつは……」
言いたいことは多々ある和姫だが、上様の御嫡男を守らないわけにはいかないし、ことを穏便に済ませるなら春に任せた方がいいのは確かである。――なにせ、力加減が苦手な和姫がやれば、冗談ではなく火事になってしまう可能性があるのだ。
自然、互いを守るように背中合わせとなる和姫と春。自分の婚約者だと吹聴する和姫と共に戦えるせいか、春はどこか楽しそうだ。
「では、一暴れと参ろうか」
「……いえ、春様は暴れていいお立場では……」
ないのですが。と諫言する前にもう春は武士を一人倒している。
いくら刀を返した『峰打ち』であろうが、鉄の棒でぶん殴られているのだから骨折は免れないだろう。
(下手に治療すると予後不良になりそうだし。また私が治癒魔法を掛けることになるのでは……?)
順調に倒されていく敵。
順調に増えていく仕事を目にしながら、和姫は深く深くため息をつくのだった。
どうして彼女が天下の次代征夷大将軍と背中合わせで戦う仲になったのかと問われれば……原因は一年前。和姫が前世を思い出した日に遡るのだろう。
※お読みいただきありがとうございます。
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