【1幕1場】
「探偵さん。とある女性の妹から、電脳記号を取り上げてほしい」
「本題はそれかい。猫島めい嬢。電脳事件には、もう関わらないよ」
猫島は、妖しい小舌で、棒付き飴を舐めている。彼女は30分も居座っていた。
昼間の探偵事務所で、私は薬酒を飲んでいた。
「話だけは聞きなさいよ。それだけでもお金を払うわ」
「財閥令嬢とはいえど、財布が厚すぎないかい」
「女の秘密よ。100円札、6枚で払うわ。1ヶ月は暮らせるわよね」
猫島めいは、黒のドレスだ。野性的な目鼻をしている。
対して、私は平凡な容姿だ。精悍さだけは褒められる。格調高い背広を着ていた。
私の机は、窓を背にしている。
「電脳事件は、もう御免だよ。これまでは、他に選択肢がないので仕方なしだ」
「20歳までに貴方は、電脳事件を、何度も解決してみせたわ。今回も、大丈夫よ」
私は薬酒を煽る。するとあと1口で飲み終える量だ。
弱音を吐くとき、私は暗に冗談交じりにしている。
「話を聞くだけだ。依頼は断るよ」
「貴方は依頼を受けるわよ。もう界隈の人間だもの」
「ジンクスに不幸あれ」と本心。
私はグラスを掲げる。飲み干した。
「外で持たせているからすぐに話を聞いてちょうだい」
「人を待たせながら30分もいたのかい」
「女の生活スタイルには、情感が必要だもの」
女は立ち上がる。彼女は、事務所の扉へ、指を向けた。ベルを鳴らす動作記号だ。電脳を介して、ベルは鳴る。扉はノックされた。私は「どうぞ」と告げる。猫島めいは、窓辺に腰掛けた。口出しはしないつもりだ。ありがたい。私は、彼女が嫌いだ。
入室したのは品のある淑女だ。細身には貞淑さを宿している。白い、ドレスと小帽子だ。髪は金色で、白い肌は、血の気が引いているようでもあった。目尻には苦労ジワだ。
私は立ち上がる。彼女をソファーへ促した。
私と淑女は、対面のソファーに座る。
「探偵の寺井すけろくさんでよろしいのよね」と淑女。
「はい。探偵稼業はまぐれ当たりしました」
私は自分の名に苦笑いした。獅子は、子を崖から叩き落とすらしい。両親は名付けで、それを実行したのだ。青春時代を、嘲笑われてすごした。誰でも親を嫌いになる。
「もっと派手な方を想像しておりました」
「私はどこにでもいる男だ。そうでないと尾行もできない」
「なるほど。探偵様はプロなようだ」
「20歳で事務所を構えられるほどにはね」
「資金は、電脳事件の解決で得たそうで」
「なぜご存知だ」
「いきなり事務所を構えた探偵は、区間で噂になる」
私はほころぶように笑みを向けた。本心の笑みだ。
彼女は頭がよい。応答がはっきりしている。私は頭のよい女性が好きだ。淑女は細く笑っている。色白の肌は、それを際立たせていた。
「妹さんが、電脳記号に接していると聞いた」
「私は探偵様に、妹の電脳記号を取り上げてほしい」
「記号はどのようなものだ」
「話に納得してしまう記号だ」
「それは話術として?」
彼女は首を横にふる。
「いいえ。『宝石』だ。見た者をどんな話にも納得させる」
「貴方も被害には遭われましたか」
「はい。妹が電脳記号の購入を伝えてきた。返品を命じる両親と私に、『宝石』を見せた」
私は彼女を解した。
家族内での力関係を当たり前としている。善人にも近い。つまりは大多数の1人だ。
彼女は、言葉が詰まっている。私は話を導いてあげた。
「それで返品しないことを納得した」
「妹は自慢をしたかったのでしょうね」
「本物の『宝石』でしたか。種類や大きさは」
「種類はダイアで、赤ん坊の拳ほどの大きさだ。妹は本物だと」
「その大きさで本物は高価だ」
「ダイア代だけで済んだと言っていて、私も納得してしまいました」
私は口端を上げる。
「電脳代はなし。そんな上手い話はない」
「はい。聞いた値段も、ダイアにしては少額でした」
「しかし貴方達は『宝石』を見せられたらダイアと納得した」
「してしまいました。記号が原因だというのにも納得している」
「なるほど。事情は分かりました。依頼を受けるかは後日お答えしたい」
私は立ち上がる。話はおしまい、の動作記号だ。
淑女も立ち上がる。潔い女性は好きだ。私は彼女を扉に導いた。
歩きながらも話は続く。
「即決はして頂けないと」
「電脳事件は即決できる事柄でありません」
「分かりました。最後にお聞きしたい」
「何なりと、お聞きください。可能な範囲で、お答えする」
私は扉を開けた。彼女を、戸口へ促した。
戸口で、彼女は私を見上げた。
「『宝石』は本物なのやら未だに分かりません。私は今でも納得している」
「偽物だね。もちろん。妹さんも騙されている。電脳記号とは『先端』だ。倒錯もいる」
「倒錯。それはそうだ。でもやはり私は本物と納得している」
「納得間で喧嘩をしない記号だね」
「何卒、記号はお取り上げください」
私は彼女に会釈する。扉を閉めてあげた。
扉の横には猫島めいがいる。私は心の沈む気分だ。同じ美人でもこちらとは近すぎる。
「なぜ『宝石』を偽物だと推理するの」
「推理以前の想起だよ。電脳記号には倒錯が必要と聞いている」
私は歩き始めた。机の椅子に座る。
猫島めいはついて来た。机の上に腰掛ける。
「貴方は、妹さんも騙されていると言っていたわね」
「倒錯とはひっくり返りだ。今回は、本人が水晶玉を『宝石』と思い込んでいる、だね」
「確証はあるの。話を聞いただけよね」
「話ほどに大きなダイアは、少女に買えないよ。『宝石』が偽物なら、倒錯もそれだ」
「『宝石』は符号でしかないという訳ね」
「電脳上の記号においては『宝石』なのだろうさ」
「どう解決するの」
「私は依頼を断るが?」
私は目尻を下げた。表情は本心を表している。
「よい笑顔で何を言うのかしらね。そこまで危ない事件ではないわよ」
「私は怖がりでね。どうなるか分からない電脳事件はお断りだ」
「納得するだけよ。それも納得は上書きされない程度のね」
「考えたらきりがないのは分かる。だから電脳事件は断る」
私は椅子を回した。窓の外を眺める。魔都の空には浮遊車だ。光看板は、曇天下で輝いていた。いつ見ても魔都の光景はチープだ。しかし私も魔都を構成する記号にすぎない。
「貴方も、電脳文明の内側で暮らしているのよ」
「なので記号からは逃げられないと」
「現代の電脳は、コードネットではない。シンボルネットよ」
「理解はしているさ。人類社会からは胡散臭くすら思われている」
「インターネットは、正に胡散臭くすら思われる地位に至りえた」
「超先進的な科学は、魔術に等しいものね」
猫島めいは、私の右肩に手を置いた。少し叩く。こちらを見ろとの動作記号だ。社会風紀を守る大人として振り返るしかない。すると、猫島めいは、目を細めていた。
「女々しいことは言わないで、依頼を受けなさい」
「人間は、女々しさで命拾いすることもある」
「なら追加で支払うわ。妹さんとも話をしてちょうだい」
「妹さんと、何を話すのさ」
「あちらの言い分も聞いたら、追加で600円を払うわ」
「なぜそこまでする。君の利益はどこからきている」
「私は利益のために動いてはいないの」
「まさか。だって君は君だろう」
タフな笑みを向ける。
私は席を立つ。窓辺に寄りかかる。彼女と距離を取り直したのだ。私は腕組みをした。
女は、口元を歪めている。
「見た目で女を判断しないでよ。痛い目をみるわ」
「女運が悪い覚えはない」
「貴方も、探偵の癖に平凡よね」
「君も、博愛主義者にしては見た目が派手だ」
「高等遊民にも仲間意識があるの。件の妹は見すごせない」
「本人のために敵へ回るのかい」
猫島めいは、机から降りた。机の椅子に座る。
私は腕組みを解いた。話ながら肩をすくめてみせる。
「いいえ。高等遊民の縄張りを荒らし始めているの」
「納得するだけの電脳記号で、何をしたのさ」
「無銭飲食をカフエで繰り返しているの」
「カフエとは、いわゆる性的サービス込みの?」
「本当はヤクザの仕事なのだけれどね」
「財閥1族の君がヤクザの代わりをしている」
「結果論よ。高等遊民の集まりで彼女を懲らしめると決めたの」
「高等遊民のギャングがあるのかい」
私は机に移動した。私は引き出しで捜し物を始める。
猫島めいは、ため息を吐いていた。女は爪を気にし始める。女は話を続けた。
「いいえ。ギャング未満の素人集団よ」
「ヤクザも、商売にならないね」
「今どきはその程度の集まりが多いわ」
「ヤクザのシマを荒らしてはいないかい」
「みかじめ料なんてもう古いわよ」
「本人達で自衛していればよいと」
「今どきはそうよ。今どきは」
私は他の引き出しも見てゆく。横では女が遠い目をしている。
「ヤクザを飼う財閥1族がそう言うのかい」
「そのほうが経済的だもの」
「今回の懲らしめは、ヤクザに話を通しているのかい」
「いないわ。当たり前よ。だってヤクザは怖いもの」
「ならヤクザに任せるとよい。仕事を奪われたら、ヤクザも動きかねない」
「そうなる前に、解決をしてほしいのよ」
私はハッとした。小切手を見つけたのだ。
私は素早く「1200円」と走り書きした。
「妹さんとは話をするだけでよいのかい」
「あら、600円がほしいのかしら」
「今どきは、紙幣の最高も100円札だ。物価安で、600円もバカにならない」
私は、小切手を彼女に渡した。
彼女は、額面を確認して署名する。
私に小切手を返した。私は小切手を受け取る。
「1円が、紙幣でなくて硬貨の時代もあったらしいわね」
「昔は円より下の銭単位が省かれていたのを信じられない」
「科学完成運動の前と後ではね」
「今も昔も、運命とエネルギーに、融通は効かないよ」
私は、扉へ目配せした。退室を勧める動作記号だ。
女は眉をひそめた。私へ苦い顔を向けている。
私は、目を逸らしておく。
愛憎のこもる目で、猫島は退室をした。
上げ直し。頭を冷やすので、当分は更新なし。