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火傷  作者: 夏草枯々
黒猫
6/6

黒猫 1

「あっ黒猫」


エムは俺の隣で弾む様に言って黒猫を指差した。

ジメッとした街路の暗がりからほっそりとしていて目脂のついた黒猫が俺たちの前を「今から横切るぞ」と言わんばかりに眺めている。

俺は「いるね」と呟く様に答えてからピシャリと頬のあたりを飛んだ蚊を落とした。

昼はうるさかった蝉がいつの間にか静かになり変わりに虫の合唱が始まった蒸し暑い夜、何度目かのエムとの帰り道。


「待ってる間、蚊とか大丈夫だった?」


「今のところは大丈夫そうですね。あっいります?虫除けスプレー」


「持ってるの?」


「はい」


そう言ってエムはカバンから虫除けスプレーを取り出し俺の体にかけていった。

かけた後、俺の腕に腕を絡めてくる。あの海に行った日以来、頻繁にエムはそうする様になった。特に大通りを抜けるとそうする。けれどきっと、エムが本当に欲しいそうしたい相手は俺じゃない。


(恋は罪悪なんだから)


まったく、その通りだ。


「恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」


連絡先を聞いた翌日、クラスで昼飯を食べた時にそう目を瞑り人差し指を立てながらどこか自慢げにコハチは言った。コハチの『心』の好きな所、二つ目。

それからその後の方にある「そうして神聖なものですよ」ももちろん好きだとにこやかに笑いながら言っていた。

あのセリフは俺も覚えていて俺も好きだ、と笑って答えた。


確かに。

俺の腕に擦り付ける様に小さく黒い頭がある。白い肌の見えるつむじにチラリと視線を向けるとシャンプーの甘い香りがして下がじんわりと熱を帯びてきた。心の中でため息をつきつつ前を向く。

きっと俺は今、黒い長い髪で縛られているのだろう。グルグル巻きにされて。

それはまるで捕食だ。


「8月おっきいイベントがあってー


エムは最近、愚痴を言わなくなり、そのかわり取り留めのない話を続ける様になった。

「そうなんだ、楽しみだね」と笑って返す。

その時、俺の腕を握っているエムの手に力が入った。歩調もゆっくりになっていく。

俺は「あぁ」と心の中で頷いた。

もうエムの住むマンションが見えてくる頃だ。

それに気がついてからは、俺の足もここら辺になると遅くなっていく。

理由を知りたくて遠回しに聞いてみたけれど下手な笑顔と共にうやむやに流された。まぁ、うやむやに流すという事は恐らく家族とはあまりうまくいってないのだろう。

闇に煌々と光を放ち聳え立つマンションを見上げる。お別れはもうすぐそこだった。


「…エム」


俺がそう呼ぶと顔を上げて俺の方を向いた。

潤んだ様な大きな目は真っ直ぐ俺を見ていない。

俺は体をズラして顔を近づける。

一瞬、大きく見開いた目と視線が交わったもののゆっくりと俺たちはキスをした。

俺に罪悪を背負う覚悟はなく、けれど寂しさを紛らわせたい。自分の寂しさも含めて。


「この後時間、ある?」


エムは何も言わない。そのかわりに小さく頷く。


「カラオケ行こっか」


それから、狭くて汚いエレベーターの中と部屋に入った瞬間の2回キスをしてそのまました。

俺の上にエムが乗った時、長い髪が垂れて、なんだか本当に絡め取って食われている様な気さえした。


(一般的に見れば食ったの俺なんだけどな)


なんて、馬鹿なことを考えられる様になったのは全てが終わった後だった。


「夏休み、どっか行こうか」


ソファに寝転がったままあくびを噛み殺しつつそう口に出す。

正直、眠い。


「…優しいですね」


そう言った声は今にも泣き出しそうで、俺は跳ねる様に起き上がる。

そういえば大体何か話しているエムが今は喋っていない。

俺が体を起こすとエムは服を着ていてソファの端を掴み項垂れていた。

俺は「付き合ってるならもう少し気にかけて欲しいよな」と背中を摩りながら言って、自分でなんだそれ、と心の中で苦笑いしつつ突っ込んだ。

エムはそれからしばらくそうしていた。泣きそうだったが、涙をこぼすことはなかった。

俺はそれを幸い、と思ってしまう。


「俺、最低だな」


俺の腕に頭を寄せて寝だしたエムを見ながら俺はそう呟く。

俺も寝るかとソファに体を預け天井を見た時、ふとコハチが昨日言っていた公開授業のことを思い出した。


「学期末の公開授業、大丈夫かなぁ」


コハチはそう言いながら頬に手を当てた。


「公開授業?」


俺は弁当からシュウマイを取り上げながら首を傾げた。

そんなものは去年無かったし、中学の時も無かった筈だ。


「え?知らない?」


目を丸くしながらコハチは言う。

俺は変わらず首を傾げた。


「他の先生や保護者の方が見る授業なんだけど、去年無かった?」


「無かったかもしれないですね」


あまり覚えていなかった。

もしかすると去年のゴタゴタで無くなったのかもしれない。


「それは良いねー。今年、多分あるし教頭来るんだよねぇ。みんな大丈夫かなぁ」


「…ちょっとまずいですね」


「まずいよねぇ」


と、言いつつコハチは自分の弁当を口に運ぶ。うん、美味しい、と呑気に頷いたコハチと違い俺の頭はしばらくその件で埋め尽くされていた。

教頭にあの授業を見られたらお説教は免れないだろう。

お説教で済めばいいが…俺は最悪の結末を想像してゴクリと唾を飲む。


「夏休みまで後二週間」


俺はボーッと薄暗い天井を見上げながらそう声に出す。

特に何か解決方法があるわけでは無い。

ただ漠然と何かしなければ、そう急かす俺がいる。


翌日、相変わらず若干寝不足のままに迎えた昼休み。

食堂でテーブルを囲みいつものメンツで昼飯を食べていた時だった。


「次の公開授業なんだけどさ、みんな起きててくれないか」


そう突然、切り出した俺をみんなが手を止め顔を上げ目を丸くしながら見た。


「すげぇ突然だな」

「どうした急に」


そう言って友達は笑う。

ただ笑ったけど笑っていない。やらかした、止まるべきだ、と心が警鐘を鳴らしていた。俺だけいつもと少しズレた朝が続いている。

「あ、いや」と次の言葉に詰まる俺のちょうど前にいた席の昼食を食べていた友達がゆっくり顔を上げ


「まぁ、良いよ。その日だけならな」


と、言ってくれた。

助かったと軽く息を吐く。


「あぁ、悪い。もちろん」


俺は笑いながら助かる、と軽く頭を下げた。本当はずっと起きてて欲しいが、まぁ授業を真面目に受けるかどうかは結局人それぞれだ。

顔を上げると友達が苦笑いしつつ「いや、キジョウが頭下げることじゃねぇよ」と言った。


「そーそー」

「間違いない」


周りは同調している。俺は一瞬何を言っているか分からなかった。

俺がしたかった事だから頭を下げただけだ。他に誰が下げるのだろうか。


「本当はみんなに向かってコハチが頭下げたら終わりの話じゃんなぁ」

「なんでキジョウが頼むことになってんだよ」


「気負いすぎだって」と肩を叩かれ、おう、と俺はなんとなく頷いた。

俺はみんながそんなことを思っていたのを初めて知った。

なんでコハチがみんなに向かって頭を下げる必要があるのか分からない。

学生なら真面目に受けろよ、普通だろ、そんな言葉を飲み込む。


「まぁキジョウいたから言ってなかったけどさ、みんな思ってたんだわ。コハチが担任になった時に言った言葉、ありえないだろって。キジョウそれ聞いてなかったからさ。その話になった時、キョトンとしてたけど」


「へー知らなかった。何言ってたの?」


俺はなるほど、と心の中で頷いた。

俺がボケーッとして聞いてなかった時に何かヤバいことをコハチは言ってしまったらしい。それくらいで俺の心が変わる事は無いけれど、授業をサボるにもやはり理由があったらしい。それを知れば納得できる様な気がする。


「俺たちさ、めっちゃ田中先生と仲よかったじゃん。担任だし授業上手いし、面白いし、あの事件で別の所に飛ばされたけどさ。全然、今でも田中先生が担任であって欲しいし」


「あぁ」


俺は頷く。

田中先生は一年の二学期後半まで担任をしていた男性の先生。久々にその名前を聞いた。

部活内での指導と称した暴力、しかも結構、日時的に暴力は行われていたらしく発覚して一瞬でどこかへ飛ばされた。突然の話で驚いたものの「そっか」くらいの反応だったのを思い出す。俺は田中先生とそれなりに話していた方だと思うがあの件で信頼出来なくなった。


「それが新人のコハチに担任が変わって初めの挨拶で一言目『前任の田中先生を超えられるように必ず頑張ります』って、それで本当に凄かったら良かったけど…あれでしょ?ふざけんなって感じだよな」


だよな、と共感を求められても何一つとしてピンとこない。しかもボケーッとしていたけれどその話を俺は聞いていたし今でも覚えている。

現にコハチは反応のないクラスであれやこれやと様々な工夫をしていた。少なくとも宣言通り頑張っていた様に見えた。授業は新人なのに他の先生たちと同じくらい上手くなっている。

教師として少なくともクラスで上手くやって部活でストレス発散していた人よりかは立派だろう。

残念ながらみんなの理由を聞いても俺には理解が出来ない。ただ理由は分かって良かった。


「そうだったんだ。俺、てっきりあの事件で担任変わってショックで受け入れられてないのかと思ってた。みんな田中先生と仲良いの知ってたし」


「いや、な訳ないだろ」


みんなが笑う。

キジョウは天然入ってるからな、と揶揄われ、そうかも、と答える。


「なんだよ、キジョウ。意外と冷静だな」


あいつが澄ました顔で言った。


「好きな人の事、そう言われたら普通キレるぞ。俺ならキレてる」


その言葉にドッと沸き立ちみんなが声を上げて笑う。

恐らくそういういじりなのだと理解して「うざ」と返す。

でも、きっとあいつは俺と同じ状況ならキレるだろう。エムのことを馬鹿にされれば馬鹿にした奴の胸ぐらを掴んで持ち上げきっと怒鳴る。自分の事を言われるより激しくキレる。

それが愛情なだろうか。

分からない。


「そういえば映画であったな。好きな教師馬鹿にされて殴りにいくやつ。で、その後、手当てのために家入ってた」


「おーマジか」

「じゃあキジョウ映画化じゃん」

「それ殴った側がやられてんのかよ」


口々に言葉が飛んでくる。

俺は「へー」と頷く。あまり見たいとは思えなかった。


「結構有名な監督がやってたけど誰だっけ」


首を傾げる友達にふと「それ結局どうなったの?」と言葉にしていた。

その教師は殴った彼を褒めたのだろうか。感謝したのだろうか。俺も怒るべきなのだろうか。


「え、さぁ。なんか曖昧な感じで終わった」


「なんじゃそりゃ」


苦笑いする俺を置いて話は進んでいく。

お茶を飲んで一息ついていると、ふと、あいつと目があった。


「キレるとか子供っぽいって思った?」


「それが正しいんだろうなとは思った」


「そっか。大人だな」


どうだろう、と返した。

俺は大人なのだろうか。

机に目を落とした時「ちょうど大人と子供の狭間にいる」そんな言葉を思い出す。きっと、コハチの言う通りだ。

なら俺はどうすればいいのだろう。

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