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火傷  作者: 夏草枯々
屋上=聖域
5/6

屋上=聖域 5

「コハチ!」


俺の呼びかけにコハチはゆっくりと振り返った。


「あれ?キジョウくん。どうしたの?」


「いやー弁当をそもそも持ってきてないのに探しててさ、無いの思い出したから今から食堂へ行く所」


軽く笑いながらそう言葉にした後、急激に恥ずかしくなってきた。多分、いつも通りなら止めるはずの頭が回っていない。

咄嗟に、ちょっと色々夜あって、と誤魔化そうとする俺を遮るようにアハハッとコハチが笑った。

口元を手で隠しているもののクシャリと閉じた目の愛らしさだけで思わずため息が出そうだ。


「キジョウくんも、そういう抜けた所あるんだね。いいと思うよ。可愛らしい」


「かっ可愛いって」


俺は何とか笑ったものの頬が引き攣っているのがわかる。きっと不自然な表情になっている事だろう。

俺が隣に立つと同時にコハチは歩き出す。歩調はゆっくりとしていて俺がまるでエスコートされているようだ。

それに情けなく隣をついていくだけ。ホッとするような気もするがそれでは何も変わらない。何か進展させなければ、と急かす頭はハムスターの回し車みたいにカラカラと空虚な音を立て続ける。


「あっそういえば『心』まだキジョウくんは覚えてる?」


「あっえっと、はい」


俺は咄嗟のことで若干、挙動不審気味になってしまう。

コハチから話題が振られるのは珍しい。


「私も『心』を全部分かってるわけじゃないから詳しくは言えないけど二つ好きな所があるの、まぁ細かい所ならもっとあるんだけど」


「それは是非聞きたいです!」


俺は食い気味にそう言った。

本当に珍しい。


「あれって夏目漱石が1914年に書いたものなんだよね」


「え、あぁはぁ」


年号が出てきて上がっていた高まった鼓動が少し落ち着いた。

難しい事は理解できない気がするが、出来ないと思われるのも嫌だ。コハチにとって俺は話題を共有できる人間でありたい。少し身構え次の言葉を待つ。


「自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」


わざとらしく目を瞑り自慢げにコハチはスラスラとそう言った。

あぁ、なんか『心』にそんな文章あったな、と俺は思った。それから頬を歪め頭を回す。コハチは一体何を言いたいのだろうか。


「この文章を私は先生の自尊心のなさを表したものだと思います」


「あぁはい。わかります」


何とか、ここの前後の文章も思い出せばそういう話だった気がしてくる。

そもそも全体的に心の先生は暗い。


「うん、けどここだけを抜き取ってみるとよく夏目漱石は思いついたな。とおもいません?」


「はぁ」


俺は何とかそう口に出したもののさっぱり分からず首を捻った。


「1914年、今から100年以上前、きっと一軒家に沢山の子供とおじいちゃんおばあちゃんまで一緒に暮らしていた頃じゃないですか、まだマンションすらない時代ですから」


「あぁそうなんですか」


マンションすら無いのか、と頷く。

そもそも1914年がどれくらい前なのかすら俺にはあまり想像がつかない。


「そんな中でみんな自由と独立の中で寂しさを味わってると夏目漱石は言ったんです。現代の方がこの言葉はグッとくるような気がするんです」


その後に、まぁ夏目漱石の環境も合わさってそう言わせたんでしょうけど、と付け加えた。


「それに先生はずっと周りに人がいました。親友と静さん、そのほかにも沢山。けど寂しかったんです。そういう事も感じれて私はこの部分が好きですね」


「あぁ…えっと何となく分かるような気がします」


何とか言葉を噛み砕きながらそう口に出した。


「本当に?」


と、コハチは言う。どこか揶揄うような調子だったが、俺が理解できていないように見えたのかもしれない。


「俺は、あの、あんまりわからないんですけど、でも近くに人がいても寂しいんだろうなってのは分かります」


「分かるんだ」


コハチは立ち止まりそう言って首をゆっくり軽く縦に振って頷いた。

立ち止まったのはいつのまにか階段を降り切って職員室の前まで来ていたからだ。

けれど、まだ好きな所の二つ目を聞いていない。

俺は口を開き思ったままに声に出す。いつもであれば躊躇っていたはずの言葉。


「あの、屋上でご飯一緒に食べませんか。鍵は持ってくるんで」


俺は食べなくてもよかった、ただどこか二人でもっと話したかった。

咄嗟に思いついたのが屋上というだけだ。


「え?」


コハチは目を軽く開き口を小さく開けた。

そのあと、目を閉じて首を横に振った。


「なっ何言ってんですかね。俺」


ハハハッと笑いが出てくる。

分かっていたはずだった。やはりこう咄嗟に言葉に出すと失敗ばかりだ。


「屋上に先生がいたら嫌じゃない?屋上って青春の聖域みたい所あるから」


思わず「いやそんな事ないですよ」と言いそうになり流石に今回は頭が止めた。

それはまるで駄々をこねるみたいだ。そこまで幼稚になりたくない。


「コハチの時もそうだったんですか?」


「うん、私の高校は屋上立ち入り禁止だったけど入った事あるよ」


「え、どうやって入ったんですか?」


「3階の窓から男の子に手を引っ張ってもらって、後ですっごい怒られたけど」


ハハッと笑いやんちゃですね、と言った。

そしてコハチの手を引っ張れた奴を想像して羨ましい、と奥歯を噛み締める。


「まぁやんちゃっていうか、結局大人って子供の延長線上だから、そんなに変わんないと思うかな」


「そういうもんなんですかね」


そう口に出し首を傾げた。


「特に高校生なんてちょうど大人と子供の狭間にいると思うよ、大人でもあり子供でもあるって感じ」


「んー難しいですね」


「そうだね。まぁ人間だし、単純じゃないと思うからさ。単純だったら楽だけど、何歳から大人で何歳から子供、精神性も含めて丸ごと羽化するみたいに綺麗さっぱり変われば分かりやすいけど」


「あぁ」


と声に出して頷いた。


「で、ご飯だっけ。教室で良いなら食べようか。あっでも食堂で友達待ってるんだっけ」


「あっあいつらなら全然、大丈夫です」


ハハッと笑いながら言った俺にコハチは首を横に振った。


「ダメだよ。大人になると対等な友達は作りづらくなる」


でも、コハチと話す機会も少ないし、と心の中で口を尖らせる。

遠回しに断っているんじゃないか、と嫌な疑問すら頭をよぎった。

でも、何となくそれは無いような気がした。そう思いたいだけかもしれないが。


「分かりました。行ってきます」


「うん、いってらっしゃい」


そう言ってコハチは一回頷いた後、ゆったりと髪を揺らしながら職員室の扉へと向かった。

職員室前の廊下には誰もいない。


「あっコハチ」


離れると分かった途端、急激にあの引力が襲ってくる。

俺を止めてくれる脳みそは今日はやけに弱々しく引き寄せられるままに言葉が出ていった。


「ん?」


「連絡先交換してくれませんか。楽しかったんで、また喋りたい…です」


最後の方はモゴモゴと消えていきそうになりながら言った。

頭の片隅で終わった、と叫んだ俺がいて、絶望に備える俺がいる。

コハチはんー、と目を閉じて首を傾げつつしばらく唸り


「いいよ。ただし、話すことは学校のことだけね」


「分かりました」


もはや真っ直ぐコハチが見えない俺は何とかスマホを取り出した。取り出す時の手が若干、震えている。

スマホの画面にはあれからさらに何件かエムからの通知があったものの急いで全て消し連絡先を交換する。


「じゃあまた放課後かな?」


そう言ってコハチはスマホを眺めながら今度こそ職員室へと入って行った。


「うわ」


胸が張り裂けそうだ。息がしづらく口角が抑えていても上がっていく。

コハチのアイコンを見るだけで勝手に笑いが出てくる。

おでこのあたりを手で抑えながら「よくやった俺」と声に出していた。

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