屋上=聖域 3
午後、最後の授業はコハチの国語だった。
「じゃあ、授業始めます」
返事はない。クラスメイトたちは相変わらずコハチの話を聞いていない。
それぞれ別の勉強をしたり寝たり、自由気ままに過ごしているにも関わらずコハチは注意する事無く淡々と授業を進めていく。
これが俺たちの当たり前で、俺にとっては最悪の日常風景。
他の授業では先生達からも他のクラスより真面目と言われる俺たちだったがコハチの時だけはこうなってしまっている。
一年前まではコハチの授業は人気だったのに、とふと思い出した昔を懐かしんだ。
(相変わらずだな)
あの事件からそこそこの時間が経っている。いつまで田中先生を引きずってんだ。
そう心の中で呟きながら黒板に淡々と書かれていく文字を写す。
たまに板書を一通り終えたコハチが俺たちの方へ振り返る時がある。その時の表情は朝教室にやってくる時と同じような表情に見える。何にも感じていないような表情だ。
この現状をコハチはどう思っているのだろうか。
結局、今日も俺にはコハチがよく分からなかった。
授業が終わりコハチに話しかける間もなく放課の準備に入る。明日、国語は無いけれど明後日、明明後日と国語が続く。話したいけれどまたで明後日でいいか、と帰る準備をする。
その後、バイトへ向かい、何事もなく明日を迎えた。俺には見えていなかった問題が見え始めたのはその日の夜の事だった。
ちょうどバイトが終わったタイミングでSNSの方にメッセージが来た。
「ちょっと愚痴きいてもらえませんか?」
「言いよ。ちょうどバイト終わったし」
そうスマホに打ち、上手くいってそうだったのに、と首を傾げた。
愚痴と言っても小さな事かもしれない。なんなら暇つぶしくらいの感覚でメッセージを送ったのかもしれない。あいつの彼女でもあるが、俺の知り合いで後輩でもある。それくらい適当な関係の方がいいだろう。
スマホを見る。まだ21:30過ぎでちょっと話すくらいであれば大丈夫そうだ。
そう思っていると
「キジョウさん!」
なんの悩みもなさそうな笑顔でコンビニの駐車場を手を振りつつ駆けてきた。
「元気そうじゃん」
そう言ってフッと笑う。
まぁ、これはほんのちょっとの悩みだろうな。
「ここ最近、夜はずっと友達とゲームばっかりしてて、じゃあその後通話だけでもって譲ってもすぐ寝ちゃうし、なんか私と話してて楽しくなくなったのかなーって思ったり、て言うか私よりゲーム友達の方が大事なの?え?とか考えたら余計落ち込んじゃったり…
あっ、すっごい。
コンビニで軽く飲み物とお菓子を買い定位置についてしばらくすると堰を切ったように喋り出した。
笑顔で頷きつつ、人は見かけによらないってこう言うことだろうなぁ、とエムの後ろの街灯を細い目で眺めた。
「なんか返信も前より遅いし淡白だしあしらわれてる感じがあって私だけ好きなのってなんか違くないって思うんですよ。付き合ってるならやっぱりちゃんと連絡とかとりたいじゃないですか」
「…連絡とかも少ないんだな」
「そうなんですよ。でも元々はめっちゃ返信早いタイプだったんですよ!?ここ最近は特に連絡無くてもうほとんどあっちから無いみたいな」
俺は「へぇ…」と頷きつつ心の中で素直に感心してしまう。
好きな人とならいくらでもやり取りしていたいと思うような気がする。それこそ毎日でもと思えるが、どうやらそれが数ヶ月経つとめんどくさくなってくるらしい。
人間というのは不思議なものだ。飽きというやつなのだろうが、実感したことがないので分からない。勉強になった。
と、そろそろ補導の時間が近づいていた。
ちょうど今くらいに出ればエムの家に着く位がちょうどいい時間になるだろう。
「一旦、もう補導の時間だから家帰ろう。そのあと通話で話聞くからさ」
「えぇ…」
分かりやすく不服そうな顔をされた。
まぁ、少し時間に真面目すぎるような気もする。
けれど、去年俺の元クラスメイトが日付が変わる前に補導されているのも事実だ。
これで万が一でもエムが補導される事があれば先輩として顔が立たない。
「え、先輩は家帰りたいですか?」
「え?いや」
特に時間は気にしていない、と伝える。
なんなんらバイト帰り夜景を見に公園で数時間、写真を撮っていたこともある。
わりと無意味に外を歩くのも好きだ。治安は良くないのであまり自慢できるようなことでもないが。
「あっじゃあカラオケいきません?」
俺の方を真っ直ぐ見て人差し指を立て弾む様な口調でそう言った。
「え?」
目をパチパチと閉じたり開けたりした後「入れる所なんてある?」と聞く。
「いけますいけます。なんならこのまま。小さくて汚いですけど」
と、言いながら制服を摘んでいる。
そんな所があるのだろうか。
じゃあ行くか、という話になりそれからエムが案内したカラオケ屋は大通りに面した存外普通な場所にあった。ここです、と言ってエムはさっさと店内に入っていく。明るいカラオケの看板を見上げた時、少し肩の力が抜けた。頭のどこかでは裏路地のカラオケ居酒屋みたいなものを想像していた自分がいたようだ。
「存外、綺麗だな」
「そうですかね?」
と、言いながらエムは受付で手続きをしていた。
「もっとやばい所に連れてかれるんじゃないかって思ってた」
「えぇ、酷い」
「昭和のスナック的な、アングラなやつ」
「あぁーそういう所はまだ入った事無いですね。でもちょっとあぁいう感じも憧れません?」
「まぁ一回くらい行ってみたいよな」
「207番のお部屋です。そこのエレベーターで上がって一番奥の部屋です」
エムが手続きをする間、スマホを見ていた髪が金色ロン毛の大学生らしき店員がそう唱えるように言った。学生証の提示すら無いらしい。目を丸くする俺を置いてエムはさっさとエレベーターの方へと向かっていく。
言われた部屋は椅子と映像が古い事を除けば狭くて汚いあのエレベーターよりかはいつも通りのカラオケの部屋だった。
先程まで怒ったような表情で愚痴を雪崩のように吐き出していたエムはカラオケ屋に入ってからは打って変わって機嫌が良くなり比較的新しいものから古い曲まで次から次に入れて体を左右に揺らしながらポンポン歌っていた。
俺は音痴なので大体を聴いて過ごし、たまに知っている曲を歌った。
90点越えばかりを叩き出すエムに比べ80前後の俺の歌だったが特にエムは笑うことなく自分が歌う時と同じように体を左右に揺らしていた。
ドリンクバーがないのでコンビニで買ったジュースを飲み、無くなれば自然とどちらかが買いに出る。
そうしていると時間は、あっという間に溶けていく。
朝が近くなり部屋を出る時、最後に一曲、とエムに言われたものの俺は横に首を振った。エレベーターの中でエムは「あれが締めの曲になっちゃいましたね」と笑っていた。
最後に歌っていた曲は海辺を歩く顔を隠したセーラー服の女子が印象に残っている。
ただ確かにあれが今夜の締めという感じは無い。
だからだろうか、あくびを噛み殺しながら受付をする店員にお金を払った後、カラオケ屋を出る前にふと頭をよぎった考えを口に出していた。
「この後、海行こう。始発出てるし」




