屋上=聖域 2
「コンビニで友達と話し込んでた」
俺は迎えの車に揺られながら呟くように言った。
少しの間、ウィンカーが等間隔にリズムを刻み続ける音だけが車内に流れていた。
「そう。相手にも悪いし早めに切り上げなさいよ。どうせ学校で会えるんだし、後今日トイレ掃除の当番忘れないでね。一晩掃除しないだけでたくさん雑菌繁殖するんだから」
捲し立てるように喋る母親に「あぁうん」と返事をして椅子に背を預け顔を窓の方へと向けた。
窓の外は赤や黄色に煌々と光ったランプがやけに眩しい。光っている物が明るくなったというより周りが暗くなったから明るい物がより眩しく見えるだけなのだろう。
窓から流れてくるひんやりとした冷気を感じつつ雨に濡れた街をボーッと眺めていた。
スマホが鳴り、のっそりとポケットから取り出す。
「今日はありがとうございました!また相談に乗ってください!」
エムからだった。
いつフォローしたか忘れたSNSにメッセージが届いている。
もしかするとあいつから紹介される以前の体育祭の時には既に交換していたのかもしれない。
(…だったら、なんだ)
そんな馬鹿な思いつきに自然とため息が出てしまう。
ポチポチと当たり障りないよう気をつけて返信をする。
「こちらこそ傘ありがとう!はーい。あいつの事で何かあればなんでも相談してねー」
これでいいのだろうか。分からない。
その日は家に帰りつくとトイレを掃除してから風呂に入った。その間ずっと頭には睡魔に似たモヤがかかっていたけれどその違和感を深く考える事なく、俺はその後すぐに寝た。その夜は夢を見る事はなかったがしっかり寝た気もしない。
そんないつもより少しズレた朝がやってきた。
「おはようコハチ!」
今日も誰も返さない挨拶を返す。
「今日もおはよう御座います。キジョウくん」
「やるなぁ」と言ってあいつはニカッと笑う。バレてない、と心の中で呟き、それ今日何度目だ、とツッコんで軽く息を吐く。
昨日のことがバレるなんて絶対にあり得ない、と心の底から思っているはずなのに、あいつが近くにいるだけで手にはうっすらと汗が滲んで喋り方のリズムが狂っていく。
やってらんないな。
俺は立ち上がり、コハチの元へと向かう。幸い話したいことはあったし、何より俺はコハチが好きだ。
「おっ行ったぞ」
「どうなる?」
背後でそんな会話がされているのを聞こえてくる。
むず痒く「うるさい!恥ずいわ!」と振り返って言ってやろうか、とも思ったものの俺の想像より急いでいた足がそのまま止まらずコハチの元へと辿り着いていた。
恐らく、あいつらは俺の反応がないのでまた別の話題へと移る。俺がコハチと話す事は対して珍しくもない。授業さえ有れば休み時間を利用し話しかけているからだ。
「コハチ、読んだよ。おすすめしてくれた本」
コハチは朝のホームルームで配るであろう紙を列ごとに分ける仕事の手を止めて顔を上げ俺の顔を見た。パァーッと花が咲くような明るい笑顔を見せる、なんて事はなく、強いて言うなら目を少し開けたかな位の反応が返ってくる。
ちゃんと読んだはずの『心』だったが俺には残念ながら内容が難しくよくわかっていない。
感想らしい感想もなく、強いて言うならどうしてあんな中途半端な所で話が終わったのだろう、になってしまう。それではお勧めしてくれたコハチに悪いので、取れ合えず正直に難しかった、と伝えるつもりだ。
「すごいね。難しかったでしょ」
そう淡々とコハチは言った。
俺はすごいね、と言われただけなのにヘヘッと情けなく頬の緩んだ笑顔が出た。
「難しかったですね。全然内容もわかんなくて」
「そっか、でもちゃんと全部読んだんだね」
「まぁ、そうですね。お勧めされたんで、読書も興味あったし」
「そっか、偉いね」
と、言ってコハチは小さく頷いていた。
偉いねって、と俺は少し口を尖らす。
「まぁ、お勧めした私も『心』の全部がわかってはないんだけど」
「うん」
俺がそう言った瞬間、チャイムが鳴った。
あ、と声が出る。
「…読んでくれてありがとう。またおすすめの本を聞きたくなったら言ってね」
「あぁはい」
これじゃ何も話せていない。
そう心の中で呟きながら教室のツルツルと光るだけの汚い床を見つつ自分の席へと向かったとき、引力だ、と思った。
コハチへと体が向かう物理法則を超越した力があった。反対へと進もうとする体に反し体以外の全部がコハチへと向かおうとしている気さえした。
凄え、と心の中で思い、俺恋してるんだ、と誰にも見られないようにしつつ笑う。
走ってもないのに胸の奥がドクドクとリズムを刻んでいた。
その日、俺たちは珍しく屋上で昼飯を食べた。今日は屋上で食べね?とグループ内で提案が出て「あり」と誰かが答え「じゃあいくか」で決まる。
屋上の鍵がかかった扉を開ける頃にはあいつといる時の息苦しさと謎の引力、その両方が無くなっていた。
四方を高いフェンスとその上の有刺鉄線で囲まれた屋上の上には昨日の雨が嘘のような高い青空が広がっていた。微温い風が頬を撫でつけ湿っぽい日陰に俺たちはドカリと腰を下ろしてそれぞれの昼食を広げた。
「実際、屋上使って怒られたって話聞かないよな」
一応、俺たちの高校の屋上は使用禁止とされている。けれど鍵は頼めば貸してくれる。
ないね、と俺が答えた。
最近の高校は屋上が使えなくなっているらしい。
その流れを受けて俺たちの高校も一応使用禁止という事にしているのかもしれない。
「誰も死んでないからじゃね」
かも?と誰かが答える。
「でもさぁ、屋上って青春っぽくね」
確かにー、と何人か同意する。俺も昼飯を食べつつ頷いた。
「ずっとこのままがいいけどな」
「どうだろうなー」
「つか、なんで先生たちはみんなずっと職員室で昼飯食べてるんだろうな。誰か一人くらい屋上で食えばいいのに」
「確かにー」
誰かが同意する。
「コハチとか来て欲しいよな!キジョウ!」
友達がそう言い「うざ」と言って軽く小突く。
それを笑う。俺も笑う。
一瞬、まじめに考えたもののコハチが屋上に立っているのは想像できても座っている所は想像できない。屋上の床はかなり埃が積もっていて、そこにどんな格好であれ服を床につける事は無さそうだ。
「冷房効いてるからじゃね」
「ありそー、つかズルくねずっと職員室に冷房つけてんの」
「ていうか、俺たちが職員室で飯食べたくね」
「わかるー。涼しいとこで食いたいわ」
俺たちの会話は一定のリズム感がある。
よく話すやつ、よく話を合わせるやつ、よく話を振るやつがいてそれが上手く合わさりスムーズに回っていく。
途中で誰かが抜けようと俺たちは安定したリズムをとり続ける。
そうしているうちに話はゆっくりと収束していき、それぞれがスマホを見たり別の話題に切り替わったりし始める。今日は続く話題もなくそのままそれぞれがそれぞれの事を始めた。
「そういえば、キジョウ、朝コハチと何話してたの?」
あいつがそう言って「え?」と声が出る。
「え?って」
と、苦笑いをするあいつに「悪い、集中してた。で、何話してたか?本読んだよって報告してた」と返す。
「あー、返事は?」
「なんか途中でチャイムが鳴ってよく分からずじまいだったな」
「へーそれは残念だな」
そう言って先程までと同じようスマホに視線を戻した。
それは残念だな、と言った時確かにあいつから同情が伝わってきて「悪い」と心の中で唱えた。きっとしばらくすれば忘れるはずだから、と言い訳がましい事まで心の奥で呟く。
そうしていると昼休みの終わりが近づきゾロゾロと職員室まで鍵を返しに向かっていた時だった。
「あれ、おい。エムじゃん」
グループ内でそんな声が上がる。
みんなエムを知っている。SNSであいつとのツーショットがよく上がる為かもしれないし、普通に付き合い始めた頃写真を見せてもらった時に覚えたのかもしれない。俺は前者だった。
「男といるな」
「いいのかよ」
と、口々に喋り出す。
あいつは一通り聞いてからウザそうな顔をして「いいよ別に。一々気にしないから。つかダサいだろ嫉妬とか」と言った。
そうなのかもな、と思う反面俺は誰かがコハチと親しく喋っていればダサくも嫉妬してるだろう。
そんな事を考えながら視線を逸す。廊下で8人の男子生徒が溜まっているとそこそこ邪魔になっていた。
「おーやるぅ男じゃん」
「とりま、あの男の方いっぺん詰めとくか」
「やめとけ、やめとけ」とあいつは笑いながら止める。
こういうやつが大人なんだろな。
フッと笑い「じゃあさっさと職員室行こうぜ」と俺が言う。
「コハチがいるから?」
「ダル、凸るか彼女の所」
あいつが笑い俺が笑う。
何も知らない俺からはなんの問題もない…ように見えていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。面白い、続きがみたいと思ったらブックマーク、評価等お願いします。
今では先生方の職員室で食べたいと気持ちと食べなきゃいけない気持ちの方がわかるような気がします。