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火傷  作者: 夏草枯々
屋上=聖域
1/6

屋上=聖域 1

朝、目が覚めると泣いていた。嫌な夢を見たはずが心はどこか落ち着いている。

体を起こすと目頭の辺りから鼻の周りを濡らしながら落ちていく涙があって、俺は拭うこともせず目を瞬きさせながらボーッと部屋を眺めていた。

息を吐き出すと胸の辺りが震えた。それから鼻を啜ってベット横のティッシュを取って鼻をかむ。

付き合ってもいないどころか、まだ告白すらしていないあの人に振られる、そんな夢。

そうしている内に頭が回り出す。夢はゆっくりと忘れられていき、夢を見るなんて今日は深く眠れていないのかもしれない、なんて考える。

ベットから立ち上がり、昨日読み終えた本を高校通学用のバックに仕舞い部屋を出た。

不自然な朝はいつの間にかいつも通りの朝に戻っている。


「おはよー」


「おはよー。昨日のもう見た?」


「見た見た!マジで最後の方ヤバかった」


ホームルーム前の騒がしい教室の一幕を演じつつ今日もいつも通り誰かの机を囲んでいた。


「おはよう御座います」


教室の前の方の扉から俺たちの担任がいつも通りの挨拶をした。

いつも通り誰も挨拶を返さない。

その代わりニヤニヤと笑いながら俺の方に視線を寄せる。


「おはようコハチ!」


そう声を張って俺が言う。


「今日もおはよう御座います。キジョウくん」


コハチはスーツ姿にスラッとした立ち姿で顔だけ俺に向けて軽く頭を下げた。

それから滑り落ちた黒い髪を耳の後ろに戻しながら顔を上げ教卓の後ろに立つ。いつ見ても軽く巻いたセミロングの黒髪は大人っぽくてとても美人なコハチに似合っていると思う。

一年前、コハチが副担任だと知らされた俺たちは目を輝かせ隣のクラスに聞こえる位騒いで喜んだのに、今は誰かがどこかでクスクスと笑いながらそれぞれ黙っていつもの朝に戻るだけ。

みんな、あの事件からいつもの朝が大きく変わった。変わっていないは俺だけだ。


「毎日、すげぇな」


友達はそう呆れたように言った。

さらに別の友達が「なんか進展あった?」と聞く。

進展?と呟き首を捻る。


「本を紹介された」


俺がそう言うと皆怪訝そうな顔で俺を見て口々に「本?」「勉強しろってこと?」と話す。


「夏目漱石の心」


友達が苦笑いをする。

それって、と言って口を塞ぐ人や何も言わず横の人と顔を合わせる人もいた。


「教科書のやつじゃん」


「うん、あれは一部抜粋されてる」


「まぁー…進展っちゃ進展か?」


「確かに進展だなぁ。おめでとう!」


パチパチと溢れんばかりの拍手が送られる。次第に拍手が笑いに変わり何故だか俺も笑いながら拍手をしていた。

周りにいた人が「何々?」と近づいて、それに応えるように友達は「ブラボーッ」と声を張り上げる。

よく分からないけれど、兎角俺は拍手しながら笑っていた。


「マジで何?」


「いや分からないけど、ともかくブラボーだな」


俺たちは大体いつもそんな感じだ。

その日は、残念ながらコハチと話す機会が無いまま放課となった。

放課後は週4のバイトに向かう。

高校生なので21:30で上がらないといけない。いつも片付けを途中で切り上げバイトの先輩方に見送られる度、すいません!と口に出す。

その日は特別何故か忙しかった。そんな日がたまにある。


「すいません!」


「いいよ、いいよーじゃあまたねー」


そう言いつつも先輩方は残った仕事に追われていた。

従業員専用の裏口を開けた途端、サァーッとコンクリートの階段を叩く雨音が聞こえ出す。小さなスポットライトみたいな灯りだけが煌々と少し先の雨と階段を照らしている。


「マジか」


学校を出たときには晴れていたし雨は明日からの予定だったはず。

もう一度心の中でマジか、と呟く。誰か店の人に傘でも借りようかと思い、やめた。

幸いコンビニは階段を降りて道路を渡った先にある。


「行くか」


バイト用のバックを頭の上に乗せて抑え走る。

駐車場を走り抜けて歩道へ出た時だった。


「え!?キジョウさん!?」


と、女の子の声がした。

振り返ると、夏の白い制服と短い紺色のスカート姿をした見知った後輩が雨の中、傘を差しながら大きな目を丸くしているのが見える。

長く黒い髪に夜の雨はその後輩によく似合っている、なんて思うのもダメなのか、なんて考えながらボーッと立ったままの俺に駆け寄ってきた。


「入ってください。どうしたんですか?」


傘を高く上げてそう言われた。

ハッとしてアタフタしながら「悪い。助かったエム」と言ってバックを肩にかけてから傘を持つ。


「そこのコンビニまでいい?傘買うから」


「あっはい大丈夫です」


俺が捲し立てるように喋ったせいか、エムは焦ったように強く何度も頷いた。それに合わせて雨の中、腰まで届く黒い髪が暴れている。

歩調はエムに合わせ二人とも濡れないように体は近づける必要がある。

ごくりと飲み込んだ唾がやけに鮮明に分かるし傘を握った手は現在進行形で汗をかき続けている。


ーー勘弁してくれ


俺は心の奥で天を仰ぎながら小さく出せない声を絞り出す。

ふと、視線を感じて隣を見た。


「緊張してます?」


そう言った大きく丸い澄んだ瞳が頭一つ分小さなところから俺を見上げていた。

チョンと突き出した潤んだ唇と少し幼さの残る顔で首を傾げる様子にフッと笑みが出る。


「ちょっと気まずくはあるかな。あいつにも悪いし」


「えぇー」


と、眉を高く上げ目を広げて口を軽く開いて分かりやすく驚いているようだ。

本当に、エムは表情がよく変わる。


「誰も気にしませんよ。ちゃんと言えば全然大丈夫ですって」


「そういうもんか?」


首を傾げる俺にエムは「はい」と強く頷く。


「そもそもそんなの言わなきゃ気付きませんよ」


信号が変わり、俺たちを置いて一歩大人たちは先へ進む。

少し遅れて俺たちも足を踏み出し焼くような眩い光を出し続ける車に照らされながら進んでいく。

俺はフッと笑い「ワルだなぁ」とのんびり呟いてみた。

コンビニにたどり着いた俺たちはそれぞれ必要なものの元へと向かう。俺は傘とジュースを手に取りレジに向かいちょうど前にいたエムに「それ出すよ」と声をかけた。


「え?」


エムはなんで?と言わんばかりの怪訝そうな表情をしながら自分の手元と俺の顔を交互に見る。

俺は心の中でそんなに警戒しなくても、と両手を上げる。


「傘借りたお礼よ。それ…なに。夜食?」


「え?あぁ…はい」


俺は差し出されたエナドリを受け取り早くしろと見つめてくる店員に持っていく。


「これがあれか。モンエナってやつか」


「飲んだ事ないんですか?」


ない。あっ、シールで。はい。あーありがとうございます。


…コンビニの外はまだ雨が降っていた。


「なんの話だっけ?」


「エナドリ飲んだ事ないんですかって」


「ないね、わりと周り飲んでる人多いけど」


そう答えながらビニール傘のボタンを外すと抑えられていたビニールが力無く広がった。


「じゃあ飲んでみます?」


「え、あぁじゃあ」


顔を上げて差し出されていたエナドリを受け取る。手に持った時、誰も気にしない、と囁く声が「良くない事」と一瞬、警鐘を鳴らした頭を麻痺させる。

缶のタブは既に空いてグッと押し込んだ罪悪感と共にフルティーな味の奥にある薬みたいな味と炭酸の感覚が頭を混乱させた。


「どうでした?」


美味しかったでしょ、と言わんばかりに話しかけるエムになんとか笑顔を作って「一生で一度の味になりそう」と答えた。


「えぇ、不評かぁ」


「美味しかったけど、俺、炭酸苦手で」


「あぁ、じゃあ無理ですね」


と、納得したように頷いてから返したエナドリを豪快に呷る。それに合わせて黒く腰まで届くほどの長い髪が大きく揺れた。

そこに躊躇いはなくどうやらビビった俺が間違っていたらしい、とコンビニの壁に背をつける。

それにしても、エムはこの時間からカフェインを摂取して大丈夫だろうか。


「これから勉強でもするのか?」


「え?いえ。コンビニ寄ったのでなんとなく」


「…ふーん」


俺のイメージ的にはテスト前に飲んでる人が多かった。そういうものか、とコンビニにやってきた車のバックランプに照らされた雨を眺める。


「そういえばなんか帰る途中とかだった?」


「いえ。まぁなんかあるじゃないですか。夜に歩きたい時って」


一瞬、あぁ腹減った時とかカップ麺買いたくなるよな〜、と考え口を閉じる。


「あるね。イヤホンで音楽聴きながら、とか」


「へー…なんか想像つかないですね」


「失礼だな」


と、返したもののわざわざ音楽に浸る為外へ出たことは人生で一度もない。

音楽は聞くにしても家か、帰り道。だからエムの予想はあっていた。悩み解決の為に行動するのワンセットで生きてきたので悩みに浸った事は一度もなく解決のために悩んだ事ならあるがそこで音楽に頼った事は未だ無い。


「悩む時間がもったいない、とか言いそう」


絶対に言った事がある。

けれど、こう改めて人から言われると効率を追い求めるだけのロボットみたいで「ないない。めっちゃ悩むよ」と返事をしてしまう。

それから


「なんか、エムは悩んでんの?」


と、口に出していた。


「…先輩って彼女いた事あります?」


「…いた。だいぶ前だけど」


サラッと言ったが端から端まで嘘だった。

咄嗟につく見栄からは大体後悔しか生まないと知っていながら、またやってしまう。

けれど、もう既に「やっぱあれ嘘」なんて言える空気ではない。ここからは恥と嘘の塗り重ねだ。


「…じゃあ、これからどうしたらいいのか、とかもし別れる事になったらどうすれば良いんだろう、とか考えたりしました?」


「うーん」


と、なんとか声に出す。

正直に言えば「ヤベェ」と声を漏らし顔を手で覆い空を見上げたかった。


(え、想像以上に重い。しかも全然わかんないし)


この問題は一旦パスだ。何か思い付いたらにしよう。


「まぁ、考えたかもしれないけど忘れたな。でも多分、付き合ったら色々考えちゃうよね」


わお、ノリで多分って言っちゃった。

うーん、まぁこれで及第点はあるだろ。

次の質問を待っている俺の前でエムは暗かった顔の表情を緩めて


「え、ですよね。なんかめっちゃ考えこんじゃって、でも彼氏にそういうの聞くのって重いじゃないですか」


うんうん、と強く頷きながらエムは言う。


「まぁねー」


ハッハッハッと笑いつつ、存外高得点らしい反応に心の中で「なるほど?」と首を傾げる。なんの解決にもなっていないがこれで良いらしい。

それにしてもエムはここまで悩んでいるけれどあいつにもそんな一面があるのだろうか。クラスでは部活とゲームの話ばかりのあいつが。

…ふと、あいつが「まぁでもコハチ良いよな。胸あるし」と今日俺に言ったのを思い出す。

そう考えると今こうやってあいつの彼女から相談を受けてクソ真面目に頭を回転させて悩む俺がバカらしくなってくる。

そんな俺をおいてエムはエムで勝手に話を続ける。


「なんか学年違うだけで住む世界違う感じあるし年下って頼れない感じあるかもとか思ったりして」


「うーん。…あいつ楽しそうだし大丈夫なんじゃない?特に悩んでる感じは無いし。楽しそうだよクラスでは」


半分くらい投げ遣りに答える。エムはキョトンとした顔で俺を見てあぁと何かに納得したような顔で頷き


「キジョウ先輩って一緒のクラスですもんね」


と、手を打って再び頷いた。


「え?うん」


ふと、見たスマホは0時近く、運良く警察が来ていないが帰るに越した事はない時間だ。

親からも心配のメッセージが届いている。恐らくエムの親御さんも中々帰ってこないのを心配している筈だ。


「一旦、帰ろう。時間やばいから」


そう言ってから俺は傘を差す。


「え?あっ。ほんと」


エムもスマホを見て顔を上げ傘を差した。


「じゃあありがとうございました」


エムは頭を下げる。


「いや、家の近くまでは一緒に行くよ」


咄嗟にそう口に出す。

俺の常識がそうするべきだ、と言っていたが、キョトンとした顔のエムを見ていると間違っていたかもしれない。俺の常識は良く間違える。もしかするとここは彼氏を呼び出して「後は任せた」とかやるべきなのだろうか、と頭を捻る。


「え?あっ…ありがとうございます」


傘を持ったエムはそう言って俺が初めて見る笑顔をした。淡く微笑む、ような感じに俺には見えた。それがどう言う感情なのかは残念ながら俺の手元に資料や前例がない。


「なんか私の中で今日喋ってキジョウさんって感じじゃなくなりました」


そう隣で喋り出したエムはどこか弾むように言った。


「…昔どっかであったっけ?」


あいつが「俺の彼女」と遊んだ時に紹介するまでお互い面識はないはずだ。


「ひどっ!体育祭の私、採点、記録係してました」


「…あぁ。ごめん。そうだ」


と、言ったものの6月というつい最近に終わった体育祭だったがほとんど何も覚えていない。そもそも採点の係は学年別に集計計算、その後、三年生が色で分ける為、三年生と話す事はあれど一年のエムと関わる事はない。

右も左も分からない一年生達の質問にはなるべく答えたが、誰が何を言ったかまで気は配っていない。そもそも採点の係以外の仕事も併せてやっていた俺に質問した後輩は数知れない。


「なんかその時は機械みたいにずっと係の事やってて先輩達からもキジョウくんこれってって感じで一緒に話しててすごく遠い人って感じだったんですけど…」


と、そこまで言ってエムは言葉を切った。


「私、結構すごいこと言ってません?」


俺は突然我に帰る姿が可笑しくてハハハッと声に出す。


「まぁ確かに、けどまだセーフか?」


「ですよね?」


うん、と一人頷く姿に俺はまた笑う。

エムとの会話は弾む、という表現が良く似合う。

それからも話は弾んだ。


「先輩って今は彼女いないんですよね?誰か好きな人とかいないんですか?」


と聞かれ、ゴクリと飲み込んだ唾がやけに鮮明だった。流石に「俺、クラスの担任好きなんだー」とはいえず「いやー誰かいればいいけれどね」と濁したりもした。


「あっ私ここのマンションなんで」


そう言って、エムはマンションの前で止まった。オートロックに広いエントランス。比較的新しそうな外見をしている。


「そっか、じゃあ。また学校で」


「はい。また」


そう言って濡れたティッシュくらいの寂しさにゆっくりと後ろ髪を引かれるような気もした。

プチッと気のせいだとちぎって振り返り大通りまで出て両親に連絡するのはあいつを思えば簡単だった。こんな事は今後二度と無い。

問題は誰もいない夜道を見た時に感じた寂しさに似た黒い感情が確かに心にあった事だ。

それは跳ねた油が皮膚に載ったような、気になる程度の赤い点を心に作った。

最後まで読んでいただきありがとうございます。面白い、続きがみたいと思ったらブックマーク、評価等お願いします。

今の高校生、『心』教科書に無いらしいですね。僕の時にはありましたからこれがジェネギャかと書きつつ震えていました。

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