第3話 救出への葛藤
辺境に向かってとぼとぼ歩いていると、遠くから大勢の叫び声が聞こえた。
ロウは耳がいい。物心ついた時から常に何かしらから逃げ回る生活を送ってきたため、特に人の声には敏感で、勇者パーティーの一員として旅をしたときもそれはしばしば役に立った。ロウが持つ数少ない斥候としての技能の一つである。
そんなロウの耳が、何人かの叫び声をキャッチした。
「…誰か襲われてるのか?」
多分、少し離れた森の中だろう。ロウが歩いている一本道をこのままずっとまっすぐ行くと見えてくる森には多くの有用な植物が自生しているため、冒険者や商人が採取に来ることが多いそうだが、その森には魔物が多く住んでいるらしく、採取に来た人が襲われることも少なくないそうだ。
「…この足音はウルフか。」
ロウは、耳を澄ますと足跡まで詳細に聞き分けることができる。人よりも軽く細かいこの音は、ウルフか、それに類する魔物のものだろう。
「ウルフかあ…。」
ウルフについては、勇者パーティーの魔物使いに聞いたことがある。旅をしている人間に群れで襲い掛かる習性をもつウルフは、一度目を付けた獲物は臭いをたどってどこまでも追いかけてくるそうで、厄介極まりない。お前は弱いんだから絶対に一人で戦うなと、魔物使いにきつく言われたのをよく覚えている。
―どうしよう。
助けた方がいいという思いと、自分にそんなことをしている余裕があるのかという思いが同時に湧き上がってくる。
腐っても元勇者パーティーの一員だ。魔物に襲われている人を助けられるなら、助けた方がいいに決まっている。でも、浮浪者の自分は魔物と相対して討ち払う力どころか、日銭を稼ぐ力さえ持ち合わせてはいない。そんな自分が助けに入ったところで被害が拡大するだけなんじゃないのか?
悶々とした思いが頭の中で渦になる。
こういう時、勇者ならば迷わず剣をもって駆け出すのだろう。
こういう時、賢者ならば冷静に自分の力を見極めて身の振り方を決めるのだろう。
ロウはそのどちらでもない。助ける勇気も、見捨てる賢さも持ち合わせてはいないのだ。だから自分は浮浪者なんだと、ロウは悲しくなる。
悲鳴が大きくなってきた。このままだと魔物に追われている集団と鉢合わせることになるだろう。それまでに身の振り方を決めないといけないが、ここには助言をくれる人は誰もいない。
全て自分で決めないといけない。今までみたいに誰かの金魚の糞として生きていくことはもうできないのだ。その生き方を捨てたのは他ならない自分なのだから。
なんとなくだが、今、この瞬間の選択がこれからの人生の分岐点になるとロウは思った。勇者パーティーを抜けて元の物乞いに戻っていくのか、それとも少しでもまともな人間になっていくのか。
…どちらがいいのかなんて、考えるまでもない。
ロウは顔を上げた。
勇者パーティーの彼らみたいに、表舞台の中心でみんなを助けるような人にはなれないだろうけど、それでも、少しでも多くの人に手を差し伸べる人間になりたい。式典すら怖くてすっぽかしてきた情けない人間ではあるが、それぐらいは願ってもいいだろう。
とりあえず。ロウは背嚢からナイフを取り出した。王都に置いてきた上等な装備とは違い、その辺の露店で買った安っぽいものだ。切れ味は鈍く、刀身もくすんでいる。だが、それでいい。
魔法も剣技も使えないロウがウルフを倒すには、ウルフの懐に入って喉元にナイフを突き立てるくらいしか方法がなく、それは文字通り決死の戦いとなる。
ロウは考えた。まず、何匹いるかはわからないが、全てのウルフを倒すことは不可能だ。なぜなら自分は弱いから。ウルフを倒さないで襲われている人を助ける方法は何だろうか。
囮だ。
1匹でいいからウルフに致命傷を与え、奴らの狙いをこちらに変えてから逃げ出す。ウルフは執念深い魔物なので、仲間を傷つけた奴を絶対に許さないはずだ。これで、群れを自分に引き付けることができる。
1匹刺して、逃げる。なんとも情けない話だが、等身大の、身の丈に合ったいい作戦だと思う。
願わくば、助けた後に仕事を紹介してくれるなんて流れになったらいいのにな。
ロウは、少しだけ頬を緩め、ナイフを強く握りしめた。
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