甘い魔法の惚れ薬
とある私立高校の理科室にて。
「…惚れ薬を作ってほしい?」
そう眉をひそめて聞き返すのは、白衣を乱雑に羽織った美女、枡崎リトだ。その美貌をボサボサの白髪で台無しにした彼女は、心底不思議そうな顔で眼前の少女を見やった。
「な、なんですかその顔…私、結構本気なんですけど!」
ツインテールにまとめた長い金髪が印象的な、揚好千代という名前のその少女は、大きな目に真剣な光を宿してそう抗議した。
見ると、彼女の手と唇はふるふると震えており、上気した頬も相まって緊張を隠せていない。どうやら本当に真剣らしい。
「まさか、やっぱり枡崎先輩でも作れないんですか…?」
「いやいや、別にそういうわけではないさ。確かに、ワタシなら惚れ薬とやらを作れるかもと思った理由には少々疑問を呈したいが、不思議なのはそこではなくてね」
はっきり言って、リトから見て千代は絶世の美少女だ。つり目気味の大きな瞳は琥珀のように透き通っており、ふわふわの金髪はどんな名画も顔負けの艶を放っている。整った顔立ちは見る者全てを魅了する愛らしさを持っており、表情もころころと変わるおまけ付きである。こんなのが街を歩いていたらお忍び芸能人もひっくり返ること請け合いだろう。
つまり何が言いたいのかというと、こんな可愛いが服を着て歩いているような美少女JKの口から、よりにもよって「惚れ薬」などという言葉が飛び出てきたことが、リトにとっては非常に不可解なのである。
「なんでそんな物騒なものを欲しがるんだ?言い方は良くないが、キミなら男なんていくらでも選び放題じゃないか」
「っいえ、あのっ、確かにこれまで私のことを可愛いって言ってくれる人は少しはいたんですけど、それは別問題と言いますか、認識が違うと言いますか…」
早口で何を言っているかいまいち分かりづらいが、緊張で赤くなっていた顔がさらに赤みを増しているように見える。これが先程のリトの言葉によるものであれば、恐らくつまりはーーー
「自分に、自信がないのかい?」
「はい…」
「それなのに、好きな男ができてしまったと」
「〜〜っ、はい…」
なるほど、惚れ薬を欲する理由としては筋は通っている。千代が自分に自信がないのがまた不思議なのは置いておいて、筋ならば通ってはいる。
「して、その男というのは?」
「同じクラスの、修斗です」
「あぁ、尾形君か。そういえば彼とは幼馴染なんだってね」
尾形修斗は千代の幼馴染で、彼女のクラスの学級委員である。成績優秀で柔和な雰囲気の優等生ではあるが、その肩書きゆえか少しお堅いところがあり、冗談が通じづらいためクラスで3番人気程度に留まっている。
と、言う話を千代から耳にタコができるぐらい聞かされた。
「…事情はわかったよ。今まで作ったことのない代物だからできるかはわからないが、それゆえに興味がそそられる。引き受けてあげようじゃないか」
「…!ありがとうございますっ」
「して、期限はいつごろがいいのかな?」
「2月12日までがいいんですけど、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ないよ」
「ありがとうございます!じゃあ、お願いします!」
そう言うと千代は足早に理科室を出て行った。
やけに日にちの指定が細かい。が、さして気にすることではないだろう。そう考えながら、リトは早速作業に取り掛かったのだった。
…………………………………………
2月14日。教室にて。
千代は今、非常に頭を抱えていた。
今日は世に言うバレンタインデー。好きな人にチョコレートをプレゼントする日。
千代も恋する女子高生。もちろんチョコを用意し、緊張と興奮を押し切り気になるアイツにそれを渡す――そのつもりだった。
「…なんでアイツ、チョコ貰ってんのよ…」
朝昇降口で修斗を見つけた時、早い方がいいだろうと思ってその場でチョコを渡そうとしたのだ。しかし、そこで想定外の事態が起こってしまった。
なんと修斗は、そこで他の女子生徒からチョコを受け取っていたのである。それも、照れくさそうにはにかみながら。
「あの修斗に女友達でもいたのかしら…いや、あの顔は絶対義理じゃない…義理であんな顔するわけないもん…」
一度悪い方に考えるとそこから戻れないのが千代の悪いところである。幼い頃から、両親からは常にポジティブでいるようにと教わったものだ。
しかし、今日の千代はひと味違う。なにせ――
「枡崎先輩に作ってもらった、惚れ薬があれば…」
リトに頼み込んで作ってもらった惚れ薬、その行方は、今千代の手にある箱の中だ。正確には、そのさらに内側ーーチョコレートの中に、混入されている。
期限通りの12日にリトから薬を受け取ったのち、千代は早速チョコレート作りに取り掛かった。より甘く、よりなめらかに。至高のチョコレートを追い求め、仕上げにちょびっと盛った。作っている間に少しずつ罪悪感が生まれてきてはいたが、恋する乙女にとってそんなことは道端の石ころレベルの些事だ。
このチョコを修斗がひと口でも口にすれば、たちまち目の前にいる千代を好きになってしまう。そういう仕組みである。
この薬を作ったリトは、高校3年生の身でありながら「性転換の薬」なるものを作り出したすごい科学者である。実験のことになると少しサイコパスじみたところがあるが、それだけにこの惚れ薬の効果にも期待して良いだろう。
しかし、まだその肝心のチョコレートを修斗に渡せていない。目の前の人間を好きになるという都合上、必ず2人きりのときに渡さなければならない。そうなると、もう渡すタイミングは放課後しかないだろう。
「――絶対、惚れさせてみせるんだから」
ようやく決心をつけると、前の席に座る修斗を放課後に呼び出すため、小さな手紙を書き始めたのだった。
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その日の放課後。とある空き教室にて。
千代は、修斗が現れるのを待っていた。
時刻は午後4時35分。授業が終わり、皆が帰る支度を始める中、千代はチョコレートの箱だけを持って足早にこの空き教室へ向かった。
いくらこれから自分を好きになってくれると分かっていても、好きな人に丹精込めて作ったチョコを渡すのは緊張するものだ。うまく話せるだろうか、自分は今ちゃんとかわいいだろうか、受け取ってくれるだろうか。結果ではなく、その過程に緊張する。
そんなことを考えて深呼吸をしているうちに、修斗が教室にやってきた。
「どうしたの?急に呼び出したりして…」
不思議そうな、そして無邪気な顔で修斗が聞く。
男子にしては高めで、中世的な声だ。得も言われぬ魅力を孕んでいるその声は、聴いた者に不思議な高揚感を与える。
そんな魅惑の声音に紡がれた言葉を聞くと同時に、千代の整えた呼吸が再び乱れ始めた。
「ぁ…ぅ…」
言葉が詰まり、うまく出てこない。そのことがまた一段と千代を焦らせ、チョコを持つ手が次第に震えてきた。
ついにこの時が来た。幼い頃から想いを寄せていた修斗に、それを形にして伝える時が来たのだ。
何年も何年もうやむやにしてきた。毎年チョコを渡すたびに、その想いを隠して義理だと言い張り続け、修斗も自分も騙してきた。
だから今年こそは勇気を出すために、リトに薬まで作ってもらった。ここまで舞台を作り上げておいて、もしもここで渡せなかったら、もう自分には一生かけても想いを届けることはできないだろう。
――覚悟を、決めねばなるまい。
「…はいっ、これ」
恥ずかしくて耳まで赤くなっているのが自分でもわかる。顔を見れない。だが、とりあえずチョコを差し出せた。一歩目は上出来だ。
「…!これって、もしかして…」
「そ、そうよ、チョコよ。言っとくけど、手作りだから…あ、あんまりおいしくないかもしれないわよ」
待て余計なことを言うんじゃない自分。
さらっとアピールをするつもりが、恥が勝って余計な一言を加えてしまった。
微妙な顔をされていないだろうか。やはり気になって、修斗の顔にちらと目を向ける。
「ーーありがとう!すごく嬉しい!」
満面の笑みでチョコを見つめていた。嬉しさのあまり、少し頬が赤らんでいるように見える。
その顔を見て、千代はほうっと息をついた。安堵でこちらの顔も少し緩んでいる。受け取ってもらえて、本当によかった。
さて、だが問題はここからである。
今から修斗にチョコを食べてもらって、その中に含まれている惚れ薬を取り込んでもらわなければならない。その上で、薬の効果が出るかどうか。それは、食べてもらってからでないとわからない。
「ねぇ、修斗。その、せっかくだし、ここで一個食べてみてよ。さっきあんまりおいしくないかもとは言っちゃったけど、私も修斗の反応気になるし…」
「うん、もちろんいいよ!なんなら、食べていいかきこうと思ってたから」
修斗が照れくさそうに頬を掻く。その仕草もかわいいが、今の千代にそれを気にしている余裕はない。
修斗は早速箱に結ばれたリボンを丁寧に解き、蓋を開けた。中から現れたのは、種類豊富なチョコレート菓子の数々だ。ミルクチョコレートやトリュフ、マカロンまで、様々な形のチョコが入ったその箱は、一瞬高級洋菓子店のチョコレートアソートなのではないかと錯覚するほどだ。作った千代も改めて見て自分を褒めてやりたくなった。
修斗もその出来映えに面食らっていたが、やがて我に帰るとその中のひとつに手をつけ、大事そうに口に運んだ。
うまく薬が効いたなら、これを飲み込んだ後に修斗の態度に何かしらの変化があるはずだ。それは例えば、頬がみるみる紅潮し、息が乱れ、千代に近づき愛の告白をーー
「ーーうん、すごくおいしいよ!甘くて、なめらかで、すごい丁寧に作ってあるんだってわかる」
ーーとは、ならなかった。
予想の斜め上をいく展開に、千代は唖然としていた。まさか効果が出るまでにタイムラグでもあるのかと思えば、その後も修斗は千代の作ったチョコがいかにおいしいかを講釈してくれていた。
千代にはもう、死んだ目で「ありがと」と相槌を繰り返すことしかできなかった。
………………………………………
2月15日。理科室にて。
千代は、リトの目の前で机に突っ伏していた。
「ほう、惚れ薬入りのチョコレートを尾形くんに渡すところまではうまくいったが、肝心の薬はなぜか尾形くんには効き目がなかったと」
「そうなんですよ…もしかして、あの薬って熱しちゃダメだったやつですか…?」
千代は考えられる唯一の可能性を提示した。もしチョコレートに混入する過程で薬がダメになってしまったのなら、それは千代の責任だ。
だが、その千代の言葉にリトは首を横に振った。
「いや、そんなことはないよ。期日を聞いた時から、おそらくチョコレートに加えるのだろうと踏んでいたからね。熱で成分が変わらないように工夫しておいた」
「じゃあ、もしかして惚れ薬そのものに問題が…」
「心外だな。ちゃんと効果は立証済みだよ。現に…おっ、ちょうどいいところにきたな」
そう言ってリトは理科室の奥、理科準備室に目を向けた。その入り口には人影がひとつ見える。
ひょろっとした長身の男性が、ファイルを無数に抱えて現れた。
「先輩、頼まれてた資料持ってきもがが!?」
気怠げな声でリトを呼んだ男性の口に、リトがいきなり持っていた薬の瓶をぶち込んだ。そのまま瓶の中身はどんどん減っていき、空になったところでようやくリトは瓶を抜いた。
すると、男性の様子が急変した。
「――せんぱぁい…愛してますぅ…」
先ほどまで死んだ魚のような目をしていた男性がその目をきらきらと潤わせ、頰は紅潮し、息を乱している。そして、リトに愛の告白を始めたのだ。
その急激でどこにも需要のない変化に千代が目を丸くしていると、
「ほら、この助手くんにキミに渡したのと同じ薬を飲ませた。効果は見ての通りさ。つまり、この薬はれっきとした惚れ薬であり、キミの想い人に効果がなかったのには別の要因がある」
「別の、要因…」
思い当たる節が無いと千代が首を傾げると、リトがその細い人差し指を立て、千代に顔を近づけて言った。
「薬を渡したときに言ったろう。――この薬は、すでに自分を好いている相手には効果がない、と」
その言葉を聞いてほんの数秒後、千代の顔はチューリップの如く真っ赤に染まったのであった。
これは余談なのだが。
「…そういえば私、あのチョコ本命だって言ってないじゃん!?」