猛毒の世界
グレン、アーカイブ......禁忌の魔族?
禁忌......。
俺は俺の服をつかんで離さないシェリーの表情をよく見た。
今まで崩れたことのない無表情が、恐怖に歪んでいる。
「シェリー、どうしたい? 逃げるっていう選択もありだぞ。正直選定者がここまで強いとは思ってなかった。早く突破するに越したことはないが、早く突破しようと思って突撃して死んだら元も子もない」
「に、逃げよう! リョウでも、絶対に勝てない!」
俺はグレンを見上げ、左手を持ち上げる。
「『色彩操作』」
カメレオンは周囲の色と同化することで天敵から身を護るらしい。それは俺にもできる。
保護色によって周囲に溶け込み、見分けをつかなくさせる。
俺はシェリーを抱き上げ、全速力で後方の大門へと駆け出す。
「坊主?」
よし、いける。あいつは今俺を見失ってる。門まであと5秒位で着く。
「逃げるつもりか......な!」
「な!?」
俺はあと数歩の所で急減速する。足元から土埃が舞うが、気にせず減速を続行する。
トン、と軽い音とともに俺の足は地面からせり出した禍々しい闇色の壁に触れる。
「ぎ、がっぁ」
途端、足に激痛が走る。俺は即座に壁から足を離し、大きく深呼吸をする。
「リョウ!?」
俺の胸元でシェリーが顔をのぞかせる。俺は脂汗をかいているであろう表情のまま、大丈夫だと頭をなでる。
「お、坊主そこにいたのか」
今の痛みで色彩操作の効果を切っちまった......。
どうやって逃げる。この状況。
MPは残り三分の一、時を止めても意味がない。しかも後ろには触れただけで激痛の走る壁。
「今度は逃がさねえぞ」
グレンが両手を振り上げる。その動作につられ、俺の周囲に闇色のさっきの壁が出現した。
脳のほとんどをいかに逃げるかに費やしていた俺は、何の反応もできず、四方から生えてきた壁に移動手段を封じられる。
「なんだよ、これ。逃げ場が......」
だが、グレンのこの行動は、終わっていなかった。
突如として俺の両足裏に言葉で言い表せな程の激烈な痛みが走る。下を向けば、そこには禍々しく変色した床が辺り一面に広がっている。
「『重力操作』」
俺は即座に俺の体を地面に縛り付けている原因である重力を切り離す。
ゆっくりと俺の体は宙に浮き、どこからも強烈な痛みが届くことはなくなる。
「どうした坊主。俺に不意打ちしてきたときの度胸と勇気はどこいった?」
グレンは優雅に上から俺を見下ろしていた。
行動の端々に俺の怒りを煽るようなものが多い。だが、それに乗ったらおしまいだ。
感情を抑えろ。さっきの俺じゃなく、無感情な俺を作り出せ。
熱くなればなるほど、相手のペースに巻き込まれるだけだ。
「どっかいったよ。そんなものは。早くここを出なきゃいけないっていう焦りはあるけど、お前を早く倒すなんてことは考えてない。じっくり、消耗戦と行こうか!」
多分この壁は展開し続けるにもMPが必要だ。秒間どれだけ削れて、どれだけ残りのMPに余裕があるのかそれはわからないけど、生物である以上、無限であるはずはない。
「消耗戦? なら、私の勝ちだな、人間! 『ヴェノムワールド』」
俺の直上に紫の壁が出現する。四方、上下、俺は逃げ場を完全に封じられる。
毒の世界? それは、この壁で囲んだだけのことか?
そんなわけないはずだ。
こっから何をしてくる。
「さあ、どうする、坊主。逃げ道を塞いだ。周囲を囲んだ。非力で卑怯な人間は、そこからどうやって私に攻撃を当てる! どうやって私を倒す! 見せてみろ、自称唯一の知恵を持つ生物よ!」
これだけ? なら全然攻撃できる。
「『透過率操作』」
俺は周囲の壁をガラスと同じレベルまで透過率を下げ、不自由だった視界を最大まで確保する。
まあ、愚直に同じことを今はやるしかないんだけどな。
「『鉱物操作』」
俺は再び槍を地面から連続で生やし、グレンを動かしまくる。
右に、左に、華麗によけるグレン。だが、その目はつまらないと物語っている。
わかってる。でも、こうでもしなきゃ俺の技にお前が引っかからないんだよ。
「坊主、いい加減にしろよ。バカみたいな技の一つ覚えじゃ俺には勝てねえんだよ! もっとほかの技を出せ、俺を、もっと楽しませろ!」
一人称が変わった。いや、多分こっちが普段の言葉遣い!
怒りによる冷静な判断の欠如。いまならハマる!
「楽しませろってんなら俺に直接攻撃してこい!」
来い。来た瞬間、お前を内部から爆散させてやる。
「くくっ」
俺の予想に反して、グレンはその場を動かなかった。空中で静止し、笑みをこぼしている。
来ない......? 罠に気づいたのか? いや、気づけるはずがない。もし気づけたとしても、理解できるはずがない!
なぜあいつはあの場で笑っている。
「坊主、俺が攻撃してないとでも?」
何を言ってやがる? こいつは俺の周りに壁をたてることしかしていない。
攻撃なんて......。
「ごぶっ」
な、血? 俺が、血を吐いたのか?
「ようやく効き始めたか。免疫力の高いやつだな」
俺は俺の胸に抱きついているシェリーに気づかれないように喀血する。
体内の血が逆流し、体のあらゆる感覚が失われていくような体験をしながら、俺はグレンの言った攻撃、の意味を考えた。
「視界も、霞んでやがる」
五感が失われ始め、思考も鈍りだす。ガラスのように透明にした壁も徐々に徐々に紫の禍々しい色を取り戻していく。
まずい、な。これは。原因は何なんだ?
「......リョウ、血が」
下を向けば、シェリーの白い髪に俺の吐いた血がかかっていた。
「気にするな。ちょっとしくじっただけだから。戦闘は俺に任せとけ」
こう言って、いつまで強がってられるかな。
シェリーの紅い瞳が、一瞬煌めいた。
「......毒」
「へ?」
シェリーは俺の胸の中でもぞもぞと動き、何かを口ずさむ。
直後、俺の体を包むように風が吹いた。
「......毒というよりも瘴気、かな。私がリョウの周りの毒を退ける。リョウはその間にあいつを倒して」
シェリーの瞳には先ほどのような怯えではなく、確かな決意が宿っていた。
俺の肺に清らかな空気が流れ込み、瘴気に侵食されていた体の機能がゆっくりと回復してくる。
五感が冴え、思考も晴れる。
「シェリー、少し風を弱めて瘴気が流れるようにしてくれ」
「......ダメ。瘴気は危険。勇者でも、簡単に死ねる代物」
「あいつを倒すために必要なんだ。頼む」
シェリーは俺としばらく目を合わせたのちに、小さなため息をついて風の防壁を緩めた。
途端、俺の体が不調の兆しを見せ始めるが、俺はそんなものを無視する。
今あいつがあの位置から動かないのはおそらく俺が今どうなっているのかが見えているからだ。
こっちが攻撃しやすいようにと使った能力が逆にあいつの有利に働いていたわけだ。
「シェリー、天井が透けなくなったら周囲の風を一瞬強めてくれ」
俺の指示にシェリーは小さくうなずき了承の旨を伝えてくる。
俺はシェリーを宙に浮かばせ、虚ろな目でグレンを見上げる。
こっからは賭けだ。成功の道は一本だけ。必ず成功させて見せる。
「シェリー、後は頼んだぞ」
かすみ始めた視界でシェリーを捉え、俺は床に浮かび上がっている紫の壁に自由落下する。
背中が壁に触れ、火傷のような溶かされる痛みが走り抜ける。
俺は、すでに感覚がない人間のようにその痛みに無反応で毒の壁に埋もれていく。
「......リョウ?」
毒に溶かされていく俺を、シェリーが空中で見下ろしていた。
「ごはっ」
最後に小さく吐血し、俺の世界は暗転する。




