選定者
「止まった......か」
俺の体は床との距離数ミリのところで止まっていた。
シェリーの頭も辛うじて地面との衝突を避けている。
「シェリー、目、開けていいぞ」
薄っすらとシェリーの瞼が持ち上がり、数瞬虚空を見つめたのちにあたりを見渡し始めた。
碧く輝く床に、鋼鉄でできているかのように頑丈そうな大門。
「......どうやって?」
シェリーの目は驚きに溢れていた。
それもそうか。死ぬと思ったのに生きてんだもんな。
「俺の体に含まれる鉄分と周囲の鉱石を磁石にして空中で固定した。その分、腕は磁石に引かれた鉄分がぶっ飛んで穴が開きまくったし、俺の体は急激な速度の変化による衝撃をもろに受けたからあちこち骨が折れてるけどな」
絶賛細胞を活性化させて治療中って感じで痛いけど動けないわけではなくなってる。
流石に気づけよな、俺。こんなことになることくらい容易に想像できるだろ......。
「......磁石? 腕の鉄分?」
あ、この世界に磁石っていう概念とかはないのか。こればっかりは科学と魔法の違いだろうな。
教えようと思っても理解できないだろう。
疑問符を頭の上に浮かべ、首を傾けているシェリーに俺はここであっているのか聞いた。
「......うん。ここ。この扉の先に選定者がいる」
選定者、か。まあ時止めて槍で刺せば勝ちだし、すぐ出れるだろ。
俺は目の前の蝶番の扉を押し開く。
目の前に、突如としてまばゆい光が差し込んでくる。
「......え、何もせずに行くの?」
そのまま一歩を踏み出し、俺とシェリーはその光の中へと入っていく。
「特段、やることもないだろ」
俺は軽い気持ちで選定者との戦闘場へと向かった。
「......リョウ、ストップ。この紋章の上で止まって」
光の中を歩くこと十数秒、俺の目の前にテニスコートのような線で囲まれたエリアが現れた。
足元を見れば赤い、炎のような紋章がある。
「シェリー、ここで止まってどうするんだ?」
「......ここで待ってたら、選定者が来る。その選定者に勝てればここから出られる」
ふーん。まあ、敵が見えたらすぐに時を止めるだけだ。
そうして俺は意識を集中させながら選定者が来るのを待つ。だが、一向に敵が現れる気配はなく、空虚な時間が流れていく。
「なあシェリー、さっき言ったの、本当にあってるのか?」
「......フェンリスと来た時はいつもそうだった」
人か獣かでかかる時間違うとかあるのかなぁ?
「......、来た」
俺は向こうに見える黒い紋章の真上を見上げた。
巨大な赤い翼に身を隠した人間サイズの存在。それがゆっくりと降ってきている。
「あれか、選定者ってのは」
着いた瞬間だ。こいつをさっさと殺してあいつらの所に戻る。
そして、あの男の正体を暴いて勇者全員の安全確保だ。
「よくぞここまでたどり着いた。人間、そして魔族よ」
翼を開き、紫の双角と厳つい顔が現れる。
「『時間停止』」
俺はその顔が見えた瞬間、時を止めた。
「こっちは急いでるってのに、ゆっくり登場してきやがって」
俺は鉱物操作で槍を作り出す。
さすがに、ストレス発散しときたいわ。
俺は一気に選定者の下に駆け寄り、力の限り槍を振るった。
「ふむ。時間をとらせてしまったのは、謝罪しようか」
......え?
俺の振った槍は目の前の選定者の手にがっしりと捕らえられていた。
時は、止まってる。なのに、こいつは、止まってない!?
「だが、不意打ちとは、なかなか卑怯ではないか?」
手に持つ槍を握力だけで粉砕し、選定者は笑った。
「解除、『筋力操作』」
俺は即座に時間操作をやめ、この選定者と距離をとる。大きく跳躍し、驚いたように目を見開いていたシェリーの横に戻った。
その間、選定者は笑うだけで何もしても来ない。
「不意打ちを外したら退散か?」
もしかしたら、俺のスキルが不発だったのかもしれない。そうだ。今まで時を止めた時に動けた敵は居なかった。スキルの、不発だ。
「......リョウ、不意打ちって?」
何かしたのか、という疑問の混じったシェリーの瞳に、俺の心臓が跳ねる。
シェリーの質問は、俺のスキルが問題なく発動していることを容赦なく告げてきた。
「連れの嬢ちゃんは知らないのか? 坊主が時を」
「っ!『鉱物操作』」
選定者の真下から生やした鋼鉄でできた槍を、彼は大げさに態勢を崩しながら避ける。
煽ってんのか。
「『鉱物操作』!」
俺は闇雲に高硬度の槍を地面から、壁から出現させていく。
だが、それはたった一本さえも掠りはしない。
すべての槍を躱しきり、選定者は額の汗をぬぐうような仕草で一息つく。
「『ベクトル操作・重力』」
逃げるのが得意ならちょこまかと逃げれないようにすればいい。
「おっと? 闇雲に棘を出すのはやめたのか?」
選定者の男はまた楽しそうに笑う。
その体が宙に浮ているにもかかわらず、強気な態度をとることには理由がある。その考えに俺はたどり着かなかった。
「うるさい。こっちは急いでるんだ。さっさと倒れろ」
俺は風圧を操作し、超高圧で圧縮した風の刃を十枚空中に展開。間髪入れずにすべてを男に叩き込む。
風を裂いて飛翔する透明な刃は一瞬のうちに選定者の体を引き裂く――ことはなかった。
「おーお。面白い攻撃してくるな。風法か?」
俺の攻撃を避けるでもなく、防御するでもなく、男は棒立ちのまま正面から受け切っていた。
一切の切り傷もない、無傷のまま空中に浮かぶ男は獰猛に笑い、背中から生えている翼をはばたかせる。
「......リョウ、聞いてほしい。あの選定者をどこかで見た記憶があると思って考えてた」
いつになく真剣な目でシェリーが俺のことを呼んでいた。
「誰なんだ。手短に頼む」
シェリーは唾を飲み込むと、俺の服をその小さな手で掴み、口を開く。
「......グレン・アーカイブ。災厄の魔人以来、初めての接触禁止を言い渡された禁忌の魔族」




