魔族の娘
「君、なんでこんなところにいるんだい?」
俺は驚くと同時に頭の端っこで警戒もする。勇者と呼ばれる人間でさえ、チート能力を駆使して生き残っているこの場所に、児童ともいえる年の子供が一人でいられるわけがなかった。
とりあえずは警戒。さっきの狼同様、敵である可能性も無きにしも非ずだ。
「......私はここに訓練に来た」
ここが訓練場? こんな頭の狂いそうな強敵しかいない所が、訓練場!?
「てことは、外部......この神代の寝殿で生まれたってことでいいんだよな?」
「......そう」
つまり、ある意味では仲間だ。明らかに角みたいなものが額に生えているからと言って魔族だと決めつけるのはよくないだろう。この世界の魔族は角がないかもしれないし。
「......ねえ、あなた、本当に勇者? 魔狼を瞬殺なんて勇者でもできない」
魔狼? この黒い狼か?
彼女がボロボロの素足で俺のもとに近寄ってくる。
「ストップ。そこで止まれ」
「何?」
俺は彼女と一定の距離を取ろうとするが、彼女は無視して近づいてくる。
どうする。保護するか? それとも敵と判断して攻撃? いや、よく考えてみろ。
あなた、人間? って言ってたんだぞ。しかも魔狼とかいう名前も知ってる。
多分、多分だけど魔族だ。
「......動揺が表に出すぎ。ここを出たいならそれはやめた方がいい」
無表情で彼女はそう言った。
その言葉に俺は感情操作で驚きと疑惑に揺れる心を静める。
そうして目の前の少女を見た。
白いショートボブの髪に紅く輝く瞳。額から生える黒い角には血管のような赤い筋が数本走っている。
少し眠そうな目が特徴的な、滅多にお目にかかれないほどの美少女だ。
少なくとも、地球じゃ見れない可愛さだよな。てことはやっぱり魔族......なのか。
「とりあえず、アドバイスありがとう。そうだ、俺は良。君の名前を教えてくれるかい?」
「......シェリー。それが私の名前」
シェリー、か。とりあえず今はこの子を保護とかまで行かなくても共に行動して神代の寝殿を出るのが目標かな。
戦闘は俺が片付ければ問題はないし、食欲も俺のスキルで満腹中枢みたいなの刺激すれば収まるだろ。
俺はシェリーに手を伸ばした。
討伐対象とともに行動してはいけないなんてルール、あるわけないだろうしな。
「俺と一緒にここを出よう」
「......無理。私はここでやらなきゃいけないことがある」
差し伸べた俺の手は、いとも容易く振り払われてしまう。
「手伝おうか? ここは強い敵がたくさんいる。仲間が大いに越したことはないと思うぞ」
なんでだろうか。俺には、シェリーを手放してはいけない気がしてならなかった。
だから俺は、シェリーと離れないように、可能な限りそばにいられるように、ともにこの先の道を歩むことを提案し続ける。
「......さっき、フェンリスとの会話を聞いた」
「フェンリスとの会話......?」
あの狼、フェンリスなんて名前あったのか。......いや待て。名前?
「......リョウは――」
「シェリー、お前はあの狼を知っているいや、飼っていたのか?」
俺は思わずシェリーの両肩をつかんだ。
野生動物特有の凶暴性はなく、人語を話せ、獲物をより狡猾に仕留める術を体得した狼。自然に生きると考えるよりも誰かに飼われ、成長し、言葉を覚えたりしていったと考える方が自然じゃないか?
俺は目の前のシェリーの反応をうかがう。
シェリーは小さく首を横に振った。
「そうか」
俺は両手を肩から外す。
「......正確には、違う。フェンリスはお父さんの飼い犬」
俺は首が吹き飛ぶんじゃないかという勢いで振り返る。
チート級の能力を使わなければ倒せないような敵を飼うお父さん、という存在は俺にとって最悪な響きを帯びていた。
「お父さんっていうのは、そんなに強いのか」
乾いた笑みを浮かべて俺はその場を去ろうとする。
だが、彼女はその行動を許してはくれない。
シェリーは小走りで俺に近づき、俺の腕を軽くつまんだ。
「......勇者は、逃げない。強敵を前にしても、逃走を考えたりしない。勇者や、英雄と呼ばれる人の、絶対条件。まだ会ったことのないものと戦うことさえ避けるのはよくない。もしかしたら自分との相性が良くて、楽勝で勝てるかもしれないから。勝つ未来を見失ったらダメ」
無垢な紅い瞳が俺の瞳をのぞき込んでいる。
こんな小さい子に、勇者としての在り方を教えられる、か。
なさけないな、俺。
俺は俺の腕をつかむシェリーを離し、フェンリスの亡骸を地面に置いた。
「わかった。逃げない逃げない」
少し心配げに見上げてくるシェリーに向かってそう言ってやる。
にしても、なんで俺のことをそんな心配した目つきで見るんだ?
親のペットを殺された恨みで攻撃してきてもいいと思うんだけどな。
「なあ、俺のこと、殺そうとか思わないのか?」
我ながらバカみたいな質問だと思った。でも、こいつには直球で聞く方がいいと俺の脳が言っている。
ペット、もっと言うなれば家族の一員が殺されたのに、怒りも何も湧かないのか?
「......ん? 別に。お父さん以外の仲間が死んでいくのは、見慣れた。一々感傷に浸ったり、激昂するよりも生きるために行動する方がいいと私はわかってる」
「なんか、ごめん」
こいつ、年は俺よりも断然下なのに人生の濃度は俺の方が俄然低い。生まれた環境の差、なのかな。
「......? 別に謝らなくていい。私はフェンリスという護衛を失った。でも、よく考えてみたらリョウっていう新しく強い護衛を見つけたってこと。二人の利害関係は一致してる。リョウにとって私はゴールまで案内してくれる案内人、私にとってリョウはここをでるまでの間、私を守る護衛人。これでよくない?」
さっきと言ってることまるで違うじゃねえか。
何かおかしい? といった風に聞いてくるシェリーに俺は軽く笑みを向けた。
俺はシェリーを抱き上げ、肩に乗せる。
「よし、んじゃ行くか」
「......そこ、左ね」
「了解」
フェンリスの死体をシェリーに引きずらせ、俺はその場を離れていく。
なんでこんな一瞬のうちに意見が反転してんだろ?
「そういえば、さっき何言いかけてたんだ?」
「......何も」
「そ、そうか」
ふと覗いたシェリーの瞳は不安なような、どこか暗い印象を与えるものだった。




