終焉
「作戦会議は終わったか? まあ、ただの時間稼ぎにしかならんがな!」
グレンから津波のような勢いで酸性の液が飛んでくる。俺に至るまでの道にあるすべての物を飲み込み、溶かし、強烈なにおいを撒き散らす。
「しっかり掴まってろ」
俺は全力で一歩目を踏み込んだ。
死ぬ気で走れ。死ぬ気で守れ。そんなことじゃ絶対に死なないから。
俺は爛れのおさまらない左足を酷使し、その津波を回避する。左手にも焼けるような痛みが奔る。
「リョウ!」
「黙って集中しろ!」
真っ直ぐだ。最短距離を突っ走れ。
「お、避けるか。じゃあ次」
足元の岩場の腐敗が始まる。その中を俺は突っ切っていく。
だが、グレンに近づくにつれ、腐敗の侵攻は進みすぎていた。
俺は即座に横に飛び、距離を詰めにかかる。
正面が無理なら側面、それも無理なら背面。俺のスピードがあれば、いけるはずだ。
「シェリー、いつでも攻撃できるように準備しててくれ」
腐蝕している岩場の中へと体を突撃させる。靴底が一瞬で腐りはて、靴下がむき出しになる。
だが、俺は進む足を緩めない。
「魔王の娘たるシェリー・ブロスサム・ゴルデヒアが命令する」
グレンの足元から強酸性の液が噴き出す。それを二歩跳んで回避。即座に距離を詰める。
「『この世を創りし猛炎よ。猛り、轟き、焼燬せよ」
グレンから拳が飛んでくる。それを爛れた左手で受け流しながら突き進む。
「小娘、貴様もか!」
俺から意識がそれ、俺に対し、無防備な姿をグレンは晒した。
ここだ、このタイミングで思いっきり近寄れ!
「坊主は大人しく寝ていろ!」
顎への蹴り。避けたら、チャンスは物にできない!
俺は構わず接近する。グレンの蹴りが俺の顎を捉え、視線の向きが上へと変更される。溶ける痛みと破砕される痛みのダブルパンチが俺の顎に押し寄せる。
けれども俺は、しつこくグレンの懐へと足を進める。
「活火激発、薪尽火滅。炎をもって生を討て。焔炎烈火の大業火』」
グレンの腹に、手が届く。その距離で俺の背中から特大の炎が放たれた。
赤橙色に輝く煌炎はグレンの姿を一瞬で飲み込み、炎の壁をもって周囲と内部を隔離する。
「......これが、今の全力」
「やったか?」
グレンの横を走り抜けた俺は急ぎ振り返って経過を見守る。
炎は消えず、爆発でもしているかのように何度も揺れ勢いを衰えさせない。
流石に、終わっただろう。さっきのあいつの口ぶりはシェリーも古代魔術を使うのか、というニュアンスがあった。古代魔術と古代魔術。炎と腐敗、どっちが強いかは明らかだろ。
「シェリー、出口を探そう」
「......ごめん、リョウ」
俺はシェリーの頭を撫で、その視線の先にある火葬最中のグレンの姿を見た。
何がごめんなんだ?
「気にすんなって。ほら、出口探しに――」
「......仕留められなかった」
その言葉で俺はもう一度炎の中へ視線を投じる。
その中にくっきりと人影が浮かび上るた。グレンは燃え盛る炎を引き裂いて魔術の外へと脱出してきた。
「おいおいおいおい。嘘だろ......」
「その小娘が古代魔術を使うのには焦ったが、付け焼刃のような低火力で驚いたぞ。今宵の魔王の娘は、魔法に才がないんだな」
あれで、死なないのかよ。そんなの、勝てるわけねえじゃねえか......。
「......リョウ、この部屋の入り口から逃げて」
「な、そんなことできるか」
「......行って」
「無理だ。お前を置いてなんて行けない」
「行って!」
シェリーは俺の背中を強く押した。彼女の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「おっとおっと? ここにきて喧嘩か? これだから異種族のパーティは......」
俺はシェリーを抱きしめた。優しく背中を叩き、落ち着かせる。
「落ち着け、シェリー」
「......リョウ。グレン・アーカイブって魔族は、魔王の血縁者を食べるの。食べて、自分の力に取り込む。そうやってあんなに強くなった」
魔王の血縁者を殺していたのか。でも、それは今この場で何か必要なのか?
強くなる理由はわかったけど......。
その瞬間、俺の脳にはシェリーがグレンに攻撃を仕掛ける直前に言い放った言葉が再生された。
魔王の娘、シェリー・ブロスサム・ゴルデヒア。
「......あいつは私を食べることでより強くなる。あいつにとってリョウよりも私は価値がある。
何が何でも食べにくる。そこで私が抵抗したら? 絶対に逃げるだけの隙が生まれる」
俺は歯を食いしばり、シェリーを持ち上げた。
「さて、終わりにしようか。坊主」
心拍数が異常なほど高まる。爛れる左足はすでに感覚を失い、ついているのかどうかすら不安になる。
それでも、俺は立ってグレンと戦う姿勢を見せ続ける。
「......リョウ、逃げて。私のことはもういいから」
耳元で、シェリーが囁く。
もういいってなんだよ。
「シェリー、お前は言ったよな。俺らが仲間だって。自分の命惜しさに仲間を見捨てるやつがどこにいる」
グレンが真っ黒い球体を上空に作り出す。それに呼応するかのように地面が腐り、溶けていた岩石が腐敗し始める。
俺はその光景を真正面から受け止め、グレンと視線を交錯させる。
「それに、勇者や英雄と呼ばれる絶対条件は、強敵相手にも引かないことだとも言ったよな」
「......うん」
「なら、俺が今引かない理由は十分だろ」
諦めるな。絶望的な状況であることは認めるし、勝てる未来が見えないのもわかってる。ここで抵抗することがどれだけ無駄なことなのかもわかってる。でも、あえてその無駄を楽しむのもいいじゃねえか。
もしかしたらこの俺があがいた無駄が、近い未来、何か役に立つかもしれないからな。
「来いよ。グレン・アーカイブ。人の悪あがきがどれだけ悪質か教えてやる」
獰猛に笑い、俺はグレンを挑発する。動かない足、足りないMP、埋められない力の差。
俺にはグレンに全力で攻撃をくらわせることしかできそうになかった。
「ふん、そのボロボロの体で何ができる。まあいい。最後位、俺の体に攻撃を当てて死ぬがいい」
言うなり、グレンは俺の目の前まで歩いてきた。そのまま両手を広げ、打ってこいとでも言うように腹をさらす。
そうか、こいつはもう、俺が戦えないことはわかってるのな。
俺は残った体力すべてを拳にこめ、思い切り打った。
パスンと小さな音が鳴り、俺の拳がどろどろと溶け始める。
「なんだよ、悪あがきも何も、できねえじゃねえか」
「リョウ、リョウ!」
ゆっくりと俺は後ろに倒れる。すでに痛覚などはマヒし、ただ消えていくという理解が俺の頭を支配していた。
俺は、人生を滅茶苦茶にされても、何も仕返しできずに、終わるのか。
仲間の役に立ちたいと思っても、それすらできずに死んでいくのか。
「悪あがき、か。人族にしてはよくやったな。さて、あとは小娘、お前を......お前、を、が、がはっ」
俺の視界の端で、酸性の液が噴水のように噴き出し始めた。
元をみれば、グレンの体の各所に、蝕んだような穴が開いている。
「な、なんだ、これは!?」
その穴は徐々に徐々に大きくなり、グレンの体を蝕んでいく。
上腕が消え、前腕が落ち、目玉が腐り落ち、脳漿と血液が溢れ出す。
「なん、なのだ、これ、はぁああ!」
腐臭を放ち、体中の組織液を垂れ流し、自分の能力の負荷に耐えられなくなったかのようにグレンの全身の肉が崩れていく。
「俺はぁ、こ、こだい、まじゅ、ああああ」
ぱちゃ、という音とともに静寂が広間を支配した。
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