なんとか大佐って呼び名かっこいいよね
修大朗はワシントンD.C.での協議が終わり日本への帰途についていた。
しかし急に鉄道が運行休止になってしまい、道中下車し自動車で隣の州を目指すことになる。
「せっかくのクリスマスなのに最悪だ。」
一同は国道を走っていたが、アメリカは広大である。
一つの州を横断するのにも一苦労、流石に休憩したくなってきた。
「ちょうどいい、ガソリンスタンドとカフェがある。あそこで休憩しよう。」
腹が空いていた修大朗はカフェで昼食を取ることにした。
「フライドチキンがこのカフェの看板メニューか、じゃあ一つ注文してみるか。」
みんながフライドチキンを注文しているので、自分も注文してみることにした。
「これは美味い。叔父さん食べてみてくださいよ。」
「どれどれ、ふむ確かに美味いな。」
元成はそのカフェの店長を呼び出した。
『えぇと、何かございましたか?』
『いやいや、このカフェの料理が素晴らしくて感謝したいくらいだ。』
『それは良かったです。』
『君、千野財閥が出資するから起業しないか?』
『千野財閥っていうと、あの千野USの元締めの?』
『そうだ、自己紹介が遅れたね私は千野元成だ。』
『アメリカ中、いや世界中に君のレストランを作るんだ。』
『喜んでやらせていただきます!』
元成は電話を借りて千野USに連絡をとると、今居る場所まで社員を呼んだ。
札束で一杯のスーツケースがテーブルの上に出されて、契約書の署名が行われた。
フランチャイズは千野財閥の十八番である。
千野財閥がここまで大きくなったのも、フランチャイズのおかげと言っても過言では無い。
まずは全ての州に一店舗ずつ出店することになり、カフェの店長は社長になった。
東京にも一店舗が進出し、たちまち人気となる。
その後も千野財閥の後ろ盾もあり、元成の言葉通り世界中に店舗が作られた。
日本をはじめ各列強国や、中華共同体・南アメリカ連邦などに進出していく。
そしてフライドチキンといえば、あの店と想像されるまでになる。
その店名はケンタッキー・フライドチキンであり、店長の名前はハーランド・デーヴィッド・サンダースという。
日本の店舗では千野元成との出会いに感謝して、25日にはフライドチキンが半額で売られることになっている。
日本のクリスマスにはチキンという文化はこれに由来すると言われる。
しばらく後に、千野財閥はアメリカで幾つかのレストランとフランチャイズ契約を結び、世界中に展開して行くのだがそれはまた別のお話。




