地位の格式②
昭和天皇が西園寺公から提案を受けた時、あまりの衝撃に面食らった。
何しろ征夷大将軍などとうに廃れた官職だと思っていたからである。
理論上は位階や摂政という官職が存在する以上任命は可能であった。
昭和天皇は「元老と天皇とはいえ、二人の一存で決めるのはいかがなものか。」と西園寺公に伝えた。
しかし西園寺公に抜かりはなく多数の華族と士族から支持を得ていた。
久我・徳川の両家からも源氏長者にふさわしいと推薦されており、外堀は完全に埋められていた。
次に昭和天皇は「今ある政府はどうするつもりなのか。」と言った。
西園寺公は「元来より征夷大将軍は政治の長ではありません。」と答える。
「そもそも征夷大将軍とは武士の棟梁であり、言うなれば軍の長でありました。」
「ずっと日本では政の長は太政大臣であり武の長は征夷大将軍であったのです。」
「永らく太政大臣は公家の官職でありました。征夷大将軍の格上である官職の近衛将軍に至っても公家の官職でありました。」
「征夷大将軍が幕府を開き統治を行ったのも、武士が守護として任命されたのと同時に行政機構を整備したからに過ぎません。」
「現在は太政大臣に代わり内閣が政治の長でありますが、それ故に征夷大将軍がその地位を奪うことはございません。」
などと昭和天皇に申し開くと共に、しっかり政府の方にも根回しをしている西園寺公であった。
「しかし急にこんなこと言い出してどうした。」
困惑した様子で昭和天皇は西園寺公に聞いた。
「先日の帝都不祥事件でお分かりでしょうが、もはや陸軍は信用なりません。」
「不名誉な事に近衛師団からも少数ですが、叛乱軍に参加しようとする者を出してしまいました。」
「成章卿が亡くなり、元老である自分が亡くなれば軍部は更に暴走するでしょう。」
「彼らは統帥権を盾にし陛下の軍隊と名乗っております。しかし彼らを抑制する為の保安局は政府の一機関です。」
「保安局も陛下の保安局とならなければいけないのです。」
「征夷大将軍と言えどもただの官職であり、今では何の権限も持ちえません。」
「しかし陛下によって大命が下されたという事実が大事なのです。」
「修大朗君には悪いですが、彼には征夷大将軍と言う名の人柱になって貰いたいと思います。」
「さらに保安局の内外の患を取り除くという本来の役割は、征夷大将軍の役割に相応しいものであると考えます。」
軍部への不信感は昭和天皇自身も持っており、中国大陸での動乱に加え一連の事件により信用は無いに等しかった。
「分かった。そんなに言うならば任命しようではないか。」
昭和天皇は他ならぬ西園寺公望の願いであったし、政府が主導してやるならばと受諾した。
こうして修大朗の知らぬうちに着々と準備は進められ、任命式の日を迎えた訳である。




